其の二

 リュキアがネヴィウス邸にて捕縛されてから数時間が経過。マシューは家に帰らず、そのまま教会にて仮眠を取ったあと、神父に挨拶もせぬままに下町へ向けて出て行った。時は大体朝の5時頃であろうか。冬は日の出が遅く、この時間でも夜の闇が引く気配は無い。故にこの時間に起きている家は燭台に明かりが灯っている。下町の長屋通り、マシューはそんな灯りの見える一軒の家の前で足を止めた。


 とんとん、と戸を叩く。返事は無いが物音は聞こえる。何か用意しているようだが、それにしても待たせる。それでもマシューは顔色変えずに立っていると、ようやく家主が現れた。


「神父様から話を聞いて急場で仕上げたぜ。だからっつっても手抜きはしてねえぞ。むしろ会心の出来だ。」


 右足を引き摺りながらサムライソードを持って現れたのはガンノスだった。待たせたのもその足の悪さ故だろう。しかしマシューは、その破足の老ドワーフに何か言うでも無く、ただ剣を受け取り、抜き、品定めをするだけだった。


「俺が足を洗う切っ掛けとなった男、お前の両親の仇…そんな奴の息子が相手とはな。因果にしても程があるぜ、なぁ…」


 ガンノスはマシューに話しかけながら右足を擦った。結局あの日に受けた傷がもとで引退を余儀なくされたのだ。その因縁の男の息子が、後輩の前に立ち塞がっているという奇縁。古傷が疼いてしょうがないことだろう。だが、それでもマシューは返事をしない。刃の具合を確認し、再び鞘に納めると、そのまま踵を返して立ち去ろうとする。


「…あの日死に損なった俺が今もこうして生き長らえているのは、お前のその剣を研ぐためだからな!絶対に、生きて帰ってこいよ!!」


 まだ夢の中の人も多かろう長屋の外で、ガンノスが突然大声を上げマシューを送った。シカトに耐えかねたわけではない。自分の感じる動揺など、マシューが今抱えているショックやプレッシャーに比べれば屁でもない、それは察している。だからこそ余計なことは言わずに送ってやるべきだとはわかっている。それでも、ガンノスは死地に赴く後輩に死んでほしくないという気持ちを抑えられなかった。


「老い先短けェジジイの生き甲斐のために生きるなんてこっちから願い下げだ。まァ、死ぬつもりも無ェけどな。」


 マシューは背を向けたまま、サムライソードを持った右手を掲げ、応えた。





 午前6時前、ようやく空が黒一色から変わり始める時間。ネヴィウス邸では使用人たちに交じり、浪岡小源太も起床していた。人気の無い中庭に一人佇み、抜き身のサムライソードを振っている。


(修練を一日でも欠かした瞬間、腕は衰え始める。剣の道とはそういうものだ。)


 瞼の父、間衛門のその言葉は小源太の身に遺伝子レベルで染みついていた。毎朝6時、欠かすこと無き素振り300回。ワノクニにいた時も、船旅の中でも、第六近衛師団を斬った翌朝も、そして怪しい賊を捕らえた次の今朝も、である。その執着から、彼がいかに父親を尊敬していたのかもわかるというものだろう。


「へェ、流石なもんだ。様になってる。」


 と、暗がりで見えなかったが、前方から男の声。使用人のそれという口調でも無い。やがて目に見えるところまで近づいて来たその男のいでたちは、ラグナント製の革鎧にマント装束、腰元には故国の刀剣を所持というちぐはぐなスタイルだった。


 確かこの鎧は州衛士とかいう治安機構の所属のもの。だとしても何故そのような人間が他人の屋敷に入り込んでいるのかと言えば不自然しか無い。となれば、遠慮も猫かぶりも無用の相手であるということだろう。あるいは昨晩捕らえた女の仲間か。では斬っても構うまい、そう思い小源太は切っ先を男に向けた。


しかし、打ち込めない。


 男の発する剣気と殺気が、それを許さなかった。安易に斬りこめば死ぬのは自分、良くて相打ち、そう予感させるに十分であった。それは、目の前の男もちょうど同じことを感じていたのだが。


「確か貴方は…州衛士のマシュー・ベルモンド、でしたか?先日ご案内頂いた…」

「へえ、ワノクニの特使さんが俺みてェな木っ端の名前を憶えててくださったとはね。こいつァ有り難い。」

「先日とは随分様子が違うようですが?」

「まあ、今日はそういう野暮用だからな。」


 他愛のない会話。しかし二者の間では、この二・三言の間に、何百との殺気が飛び交っていた。下手に動けば斬る、そんな互いの思念が二人を金縛りにしていた。男たちは、ははは、とはにかむも、目は笑っていない。


「勿体付けても仕方ねェから単刀直入に言うぜ。州衛士は表向きの仕事、今日は裏の『仕事』WORKMANとして要件を持ってきた。」

「WORKMAN?」

「金を貰い、他人の尽きせぬ恨みを晴らす、そんな小汚ェ裏稼業よ。」

「なるほど…」


 主君の悪行は自覚している、わかった上で仕えている。かような裏稼業に狙われるほどに恨みを買っていることは承知の上、驚きは無かった。そして、そういう輩から主君を護るのが自分の仕事だということも。元より生かして返す気は無かったが、小源太は尚のこと警戒を強める。


「それでアンタ、昨日ひとり密偵を捕まえただろ?まあこっちもヘマした奴を生かしておくわけにもいかねェんだがちょいと事情が変わってな。良ければあの女、返しちゃくれねェかな?」

「そのような裏を聞いて、返すと思うか?」

「交換条件の一つくれェ用意はしてるさ。アンタにとっても悪ィ話じゃないと思うぜ?」


 自分たちのほうが圧倒的に不利な状況であるにも関わらず、不敵に取引を提案するマシュー。その挑発的な笑みも含め、小源太を存分に苛立たせた。突きつけたサムライソードを握る手にも力が籠る。しかしマシューの提案は、そんな小源太の苛立ちや使命感を一瞬にして吹き払うものだった。



「アンタの父親、浪岡間衛門を討った仇との一騎打ち、『仇討ち死合』でどうだ?」



 小源太の心がびくんと揺れた。敬愛する父の名、そして仇討ちという言葉に反応する。しかし落ち着いて考えれば突拍子も無い言葉。国を出た父が、この国で、誰かに討たれた。しかもそれを知るのは裏の殺し屋稼業の人間。口からの出まかせと思っても当然だ。


「何を言っているのかよくわからないな。」

「まあ長ェ話だから順を追って説明すらァ。アンタの父、間衛門は船の座礁でこの街に流れ着いた。そのまま乞食めいて数年過ごしたが、腕のいい漂流者がいると聞きつけた悪党に用心棒として雇われた。そして言われるがままに罪も無い人々を斬り殺し、恨みを買い―――WORKMANに斬られて果てた。それが顛末だ。」


 そう言うとマシューは自分を指差す。


「父が、お前のような若造に敗れたとは考えにくいが…?」

「腕に関しちゃ申し分無ェだろうってことは察してるんだろ?まあ証拠品も見せねェと信じちゃもらえねェか。」


 マシューは左腰に挿したサムライソードを抜き、小源太に見せるように突きつけた。銘も彫られていない数打ちの量産刀。しかし尊敬する父の愛用品だ、小源太が見紛うはずも無かった。戦利品として奪われた、ということなのだろうかと考える。


「父の刀はもう一本あった筈だが?」

「仲間に預けてある。お前さんが俺との死合に勝ったらその形見も譲るように言ってある。どうだい?悪い話じゃないだろう?それに仇討ちはアンタら『サムライ』の誉れだって話だしよォ。」


 にわかには信じがたい父の死の真相、あくまで上から目線で条件を提示するマシュー。小源太の心は大きく揺らぐが、あくまで平静を保たんと努めた。期せずして互いに剣を突きつけ合う状況。心乱れれば一瞬の隙となり、その一瞬もあれば十二分にこちらを切って捨てられるほどの対手の剣気。油断など出来る由も無かった。


「…そのような条件、飲むと思うか?私が主君を裏切ってまで私情に走ると思うか?」

「いいや、飲むだろうよ。初めて見た時からピンと来てた。俺とアンタは似たもの同士だ。」




「尊敬する父の仇が討てるなら、一切のポリシーも捨てられる。」


―――自分が、力は他人の涙の為に使えと言った父の言伝をあえて破り、仇討ちという私情に走ったように。



「そして、強かった父を斃した強者、己の全てを出し切れる相手との果し合いに心が躍っている。」


―――認めたくない感情だが、師との命のやり取りという状況に、抑えられぬ興奮を覚えていたように。




「まあそういうわけだ。受ける気があるならこれから一時間後に『竜の足跡』って言われる街外れの空き地まで女連れて来てくれや。勿論他言は無用。そうそう、女も無傷でな。四肢をもがれたけど生きたままなのでセーフ、なんてトンチは認めねェから。」


 そう、一方的に条件を言うと、マシューは再び朝闇の中に消えて行った。小源太は、サムライソードを突きたてたまま呆然と立ちつくしている。その表情は、昨晩機械と評された者とはまるで違う、あらゆる感情がないまぜになった色が差し、歯噛みをしていた。





(………!?…そうか、ここは……)


 中庭でそのような取引があった午前6時ごろ、小源太に昏倒させられて以来ずっと気を失っていたリュキアもようやく目を覚ました。冷静さには定評のある娘である、一瞬で自分に何があったかを理解する。必殺の一糸を破られ捕囚の身となったことは少なからずショックではあったが、悔やんでもいられない。まずは今置かれている状況を理解しようと努めた。


 場所はあの地下室。両手両足は縛られ身動きできないまま、床に転がされている。針金を通してあるのか随分と固く、易々と切って抜けることもできない。ご丁寧に口枷までかまされている。これでは逃げられないどころか、万に一つの場合に舌を噛んで果てることもできない。目の前の廃人たちのように、檻に入れられていないのだけが救いか。となれば冷静に機会を待つのみだ。


 そしてその機会は程なく訪れた。地下への階段を下る足音ふたつ。現れたのはこの部屋の主であるあのハーフリングと、ワノクニの男。リュキアには面識はないが話には聞いている、相馬屋喜平という人物だ。


「ゴルダ殿、こちらですか?その捕らえた密偵の女というのは。」

「ええ。しかし充分に気を付けて下され。現に私は昨晩危うく殺されかけましたからね。」


 おっかなびっくり気味のゴルダとは対照的に、相馬屋はいやらしい目で縛られたリュキアの肢体を品定めしている。まあ、そのような目で見られてもおかしくない恰好ではあるのだが。


「儂の懐を探りに来たくのいちを捕らえ手籠めにする…これは儂の長年の夢だ。本国でもついぞ叶わなかったことが、まさかこのような地で実現出来るとはの…」


 相馬屋は心底嬉しそうに語りながら、リュキアに手を伸ばした。その「くのいち」というものが何かは知らぬが、どの道碌でもない夢であることはなんとなくわかる。かようなタイプの男に対し憎悪を抱いているリュキアにとっては腹立たしいことこの上ないところだろう。しかしこれは同時にチャンスでもある。うつ伏せのまま股を閉め、力を籠める。肌の露出したをべたべたと触れる相馬屋だったが、このままでは肝心なところに触れぬとやきもきしだした。


「むうう…ゴルダ殿。これだけ強く縛られていては楽しめないではないか。せめて両足の縄を外してやってはくれんか?」


 リュキアの思惑通り、相馬屋が業を煮やし縄を解こうと言い出した。そうなれば後はこちらのものだ。手が縛られたままでも足さえ自由になればどうともなる。あの用心棒ならともかく、初老の商人と技術職のハーフリングなら足だけでも撃退できよう。リュキアに勝機が見えた。


 しかし、助平で軽率な相馬屋と違い、ゴルダはあくまでも用心深かった。


「いやいや相馬屋さん、相手は訓練された手練れ、侮ってはいけませんぞ。足が自由になれば私ら二人程度など蹴り飛ばし逃げていくことでしょう。それは軽率過ぎますな。」

「し、しかしだな…このままでは儂の享楽が…」

「なあに、相馬屋さんのお楽しみを否定するわけじゃありませんよ。しかし、楽しむためにはまず下準備が必要だと申したいのです。」


 そういうとゴルダは、懐から小袋を取り出し、その中の白い粉を懐紙に広げ手に乗せた。その粉の正体をリュキアは察し、戦慄する。


「これは貴方がたにお売りするところの『ニルヴァーナ』。ひとたび粘膜から吸引されればあっという間に多幸感のとりことなります。さすれば抵抗する気も失せ、あとは思いのまま…」

「な、なるほど!」

「売り手としても、クライアントに実演を見せたいところですしな。」


 やはりそういうことか、と納得すると同時にリュキアに危機が訪れた。いかな拷問、凌辱に耐える精神を持ち合わす彼女だが、その精神そのものを溶かされては流石にどうにもならない。そして薬によって精神を溶かされ続けてきた者の末路は、この150年近い人生で嫌というほど見てきた。自分もその仲間入りかと思うと、さしもの彼女も恐怖に包まれる。


 ゴルダが粉を置いた懐紙を鼻先まで近づけてくる。粘膜ということは、吸引し鼻の中に入れてしまえばアウトだ。リュキアは息を止め、目の前の粉を吸わぬよう必死に抗う。男たちはその足掻く姿さえも、見世物のように楽しみ下衆な視線で眺めている。こんな連中に屈するわけにはいかぬと粘るも、呼吸を我慢するのも限度というものがある。いよいよもって終わりかと思った。


その時


ごっ がっ


 鈍い音と共に、先程まで下卑た笑顔を晒していた男二人が白目を剥いて、前方に倒れた。同時に散らばる粉を避けたリュキアは、久方ぶりの空気を味わう。と、見上げればそこには、自分を捕らえた剣士の姿が。


「お前を助けてやるつもりはないが、無事でなければ用を成さんと言われているのでな。」


 小源太はそう言うとリュキアに麻袋をかぶせ、背負ってそのまま地下の階段を上って行く。朝の準備に手を取られている館の使用人たちは誰一人として、賓客が怪しげな大袋を持って外に出て行く様子を目撃してはいなかった。





 ザカール郊外の大草原。背の高い多年草が茂るこの広い草原の中に、半径10メートルほどの空き地が存在する。まるで何かを避けるかのように草一本も生えぬこの地を、ザカールの人々は地元の伝承になぞらえ「竜の足跡」と呼び不思議がっている。地質学者、植物学者、果ては神職の人間までもがこの不思議を研究しているが、未だに原因はわかっていない。しかし、周りを大人程の高さの雑草に覆われ、外側からおよそ中の様子をうかがうことのできないこの場所は、隠れて事をするのにもってこいの場所でもある。


 そんな平原のど真ん中に、マシュー・ベルモンドは仁王立ちしていた。腕を組み黙し、まるで何かを待ってるかの様子。時は午前7時、草原は綺麗な朝焼けに包まれている。やがて、かさっかさっ、と草の揺れる音。振り向くとそこには、大きな袋を抱え草を掻き分ける浪岡小源太の姿があった。


 「竜の足跡」に到着した小源太は、無言で麻袋を裂く。中から現れたのは、確かに見慣れたダークエルフの女。マシューがそれを確認し頷くと、平原の端に投げて捨てた。手足を縛られ受け身も取れずしたたかに体を打ったリュキアであるが、今は痛みよりもこの状況を理解するのが先だと、目の前に対峙する二人のサムライソード使いを見据えた。


「よォリュキア、元気そうじゃねェか……っと、本当に一人で来たようだな、浪岡さん」


 周囲の気配を探りマシューが言った。守る義理の無い約束である、普通に反故にし多勢を以て袋叩きにするなり二人目の捕虜として捕らえるなり、自由にできた筈である。むしろその可能性も多分に考えていたマシューは、少し驚いた。


「言い出した俺が言うのも何だが、まさか本当にこんな悪条件飲んでくれるたァな。アンタもお人よしだねェ。」

「構わん。この場で貴様を討ち何事も無かったように主君の下に帰るだけだ。」


 小源太はそう言うと抜刀し、大きく上段に構えた。剣のみねが背中にくっつくかと思うほどの、大きく反り返った振りかぶり。黒江一刀流奥義、飛龍虎伐ひりゅうこばつの構え。父同様に多くの流派を極めた小源太が、最も得意とする構えである。


(同じだ…何もかもあの時と…違うと言えば夜か朝かくらいなもんだ…)


 その構えを見たマシューは、いつかの「死合い」を思い出し、その時に思いを馳せる。





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「親父ィ、金ハココニ置イテイクゼ。」


 相も変わらずつたないラグナント語で師匠は言い、行きつけの酒場を後にする。恐らく寝泊まりしている雇い主のところに帰るのだろう。俺は機会を狙い尾行した。


 奇縁により俺はWORKMANとやらに組みすることとなった。その初めての的が、頼み人の父親の直接の仇であり、俺の両親の仇であり、俺の剣の師でもある男、浪岡間衛門。今になって思えば、初めての殺人がこんなんとか、いろんな意味で無茶もいいところだったなァ。憎悪、使命感、躊躇、恐怖、期待…それらがないまぜになった、ひと言じゃ言い表せない心境で彼を追っていた。


 しかし師匠、グルーゾウ邸には帰らず、それどころか街の外へ外へと歩いていく。決して酔いで前後不覚に陥ったわけじゃねェ、明確な意思のある歩みでだ。暗殺のあの字もわからねェ時期だが、普通に考えれば不自然と思い退くところ。だが、俺はあえて逃げなかった。


 やがて街の外、冬だっていうのに無暗に生い茂る大草原へと掻き入っていく。面倒なところに行ってくれたもんだと思いながらも俺も掻き入る。この先にある場所を思えば、師匠が何を考えているのかは察しが付く。心の臓がどくどくと高鳴った。やがて行きつくは何も無い円状の平原。


「オウ、ドウイウツモリダ、マシュー?再会ヲ祝ウッテ様子デモネエヨウダガ…」

「やはりバレてましたか師匠。師匠こそこんな人目につかない場所に連れてきたってこたァ、何をするつもりなのか気付いているんでしょう?」

「…全テヲ知ッタノカ。」

「ええ。そして俺の復讐の為、アンタが加担した悪事によって泣かされた人々の復讐の為、その命、頂きます……」


 「竜の足跡」。大草原の真ん中に出来たぺんぺん草さえ生えぬ謎の平原。背の高い雑草が壁のように周囲を覆うそこは、正に天然のコロシアムといった雰囲気だ。師匠も味なことを考えるもんだ。


そしてそこに集った剣闘士は構えを取った。


「オ命頂戴トキタカ…十年早エエヨ餓鬼ガ。」


 師匠の構えは黒江一刀流・飛龍虎伐の構え。龍虎相打つの絵図において、宙より襲い来る龍を牙を以て叩き落す虎を模した、一撃必殺狙いの型、と言っていたっけ。ともすれば防御を捨てたやりすぎなほどの振りかぶりから放たれるその斬撃は、落雷の如き疾さと威力を誇るという。


 俺も一度だけその技を目撃したことがある。浜辺に打ち上げられ、海に戻れず暴れる身の丈5メートルほどの巨大鮫。地元漁師が難儀するこの怪物を、師匠はこの剣でもって輪切りに処した。こんなもんチビ助の俺が食らったら肉片も残らねェだろうよ。


 だが退くわけにはいかねェ。頼み人の恨みの為、己の中の決着の為。今の俺ができる最高の剣で迎え撃つ。上段に構え、全身の力を抜き、心を空に―――





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





 思い出の中の自分が心を無にすると同時に、今のマシューもまた心を無にし構えた。それは、対峙する小源太のみならず、傍から見るリュキアからも不思議と思える光景。二者の何れかが死して果てる決闘にあって、まるで緊張も力みが感じられない。


(脱力を旨とするのは志摩神刀流だったか…だがしかし、これほどの緩さは…)


 小源太は己の知識を動員し、目の前の男の剣を分析した。その答えは確かに正しかった。しかし、ここまで力を抜き切った構えはついぞお目にかかったことは無い。そんな構えで自分の飛龍虎伐に挑もうというのか。あるいは勝てぬと悟り、仇を討たせるために身を差し出す気なのか。


(いや、考えても始まらぬ!迷いは剣を鈍らせる!)


 答えの出ない疑問を振り払い、一意専心で間合いを詰める。しかし、覚悟を決めてもなお気味が悪い。このような決闘なら二人の間に走るのは殺気のぶつかり合う感覚。しかしこの相手を前にしては、殺気が錯綜せず吸われているかのような感が漂う。気が付けば互いに必殺の間合いまで近づいていた。


(ままよ!!)




小源太は思い切り、迅雷の如き一撃を振り下ろす。


―――間合いに入った師匠は、迅雷の如き一撃を振り下ろした。


ほぼ同時にマシューも剣を振り下ろす。

その脱力した腕からは考えられぬほどの飛燕の如き疾さの剣。


―――俺も同時に剣を振り下ろした。

その脱力した腕からは想像できぬであろう飛燕の疾さで。


双方のサムライソードがかちあう。

瞬間、マシューの手に力が戻る。

ぱきん、と小気味よい音を立て、小源太の折れた刃が宙を舞う。


―――双方のサムライソードがかちあった。

瞬間、俺は脱力した腕に力を入れた。

ぱきん、と音を立て折れたのは師の剣。くるくると回り明後日の方へと飛んだ。


そのままマシューの剣は、小源太の体を袈裟斬りにする。


―――そのまま俺の剣は、師匠の体を斜めに裂いた。





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 師匠が失踪した後、垂木への打ち込み300本を毎日続けていた俺はあることに気付いた。気合いの乗った最初の10本よりも、腕が疲れ果てた最後の10本のほうが手ごたえが良いということだ。無駄に力を籠めるよりも、脱力して振った方が力の通りがいいという矛盾めいた理合。齢14にしてそれに気付いた俺はその日から、それを極めるべく日々の修練を行った。一切の力みを捨てた無空の剣、やがて行きついたのは、触れる瞬間にのみ力を加えそのぶんを効率よく刃に上乗せするこの斬り方。垂木はおろか、森の巨木すら一刀で斬り倒した。この独力で開眼した術理こそが、師匠を相手取るにあたっての勝算。



 そしてそれは、見事に仇を討ち果たした。敵討ちを完遂し、師を越えたという充足感。しかし、その充足感は、哀しみや無常感、やるせなさに押し流され思いの外スカッとはしやしねェ。えれェ稼業に手を出してしまったもんだ、後悔にも似た感情を、師匠の望み通り「完成」した俺は噛み締めていた。





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「志摩神刀流奥義、『牛頭ごず割り』…開祖八伝斎が開眼したがついぞ継承できる弟子はいなかったという幻の秘剣……まさかこのような異郷でお目にかかれるとは……」

「へえ、そうなのか。俺ァ独力で見つけたから、てっきり俺のオリジナルとばかり。」

「なるほど…天才ってのは…いるところにはいるもんだ…」


 左肩から右脇腹にかけてを一直線に斬られ、「竜の足跡」に大の字に倒れた小源太がマシューに語り掛ける。最早助かるあてもない致命傷、それでも己を斃した人間に聞いておきたいことは山のようにあった。そんな必死の問いかけを、マシューは背を向け小源太の顔を見ることなく答える。


「…父も…この剣で屠ったのか…?」

「ああ。こんぐらいの技でも無きゃ、あの人には勝てねェわな。」

「ははは…因果な…もんだ……親子揃って剣に行き…揃って時代に弾かれ…揃って悪党に使われ……挙句、同じ剣客に斃されるなんて…」


 空はいつしか、西から流れて来た雪雲に覆われていた。朝焼けを受け煌々と赤く輝いていた雑草は、いまや寂しい褪せた緑を見せる。


「ねえ…ベルモンドさん…アンタ、私を似た者同士って…言ったでしょ…?」

「ああ。」

「もし違う人生を歩んでいたら…アンタのように人の涙の為の人斬りに…私も…なれてたのかな……?」


「さあな。ただ言えるのは、そんなに人から羨ましがられるような『仕事』じゃねえって事だ。」


 ぽつり、と小源太の頬に冷たいものが落ちてきた。とうとう雪が降りだしたのだ。南の湾岸地域であるザカールに雪が降るのは珍しい。マシューは、願わくばこのやるかたない気持ちを塗り潰すかのように積もってくれまいか、と願った。





「………ありがとう。助けてくれて。」

「なァに、いつかの借りを返したようなもんだ。気にするこたァ無ェよ。」


 マシューはサムライソードでリュキアの縄を解く。色んな意味で危ないところを助けられた。リュキアはばつの悪そうな顔で謝辞を述べる。


「それよりもだ、今夜仕掛けるぞ。用心棒がこんなんなった以上、奴さんらも長居はしめェ。逃げられる前に頼み人の恨みを晴らす。それまで体休めとけ。」

「………アンタは今から?」

「仕事だ仕事。表のな。まったく、休みの日でもねェのに無茶する羽目になっちまったぜ。」


 マシューは大きく伸びをした。日付変わった時間から少し仮眠を取って、そこからぶっ通しでこの死合いである。あっけらかんとした口調からは見て取れぬが、プレッシャーも含め、想像も出来ぬほどに疲労していることだろう。そう考えると、リュキアは猶の事責任を感じてしまう。


「………ごめん。」

「悪いと思うならよォ、コイツを弔っといちゃくれねえか?共同墓地の裏の林にコイツの親父さんの墓があるんだ。その隣にでも埋めといてやってくれ…」


 そう言い残すとマシューは、再び草を掻き分け来た道を戻って行った。基本他人事に無頓着なリュキアでも、その背にかかる哀愁には同情の念を抱かずにはいられなかった。





 そして州衛士屯所、昼前。


「ベルモンドさん!日もまだ南に上がらないうちからお休みとは良い御身分ですね!?」

「あっ!その…すいません隊長!実は昨日ろくすっぽ寝てなくて…」


 今日の午前中、マシューは内勤だった。雪降る外の寒さに対し、暖炉が燃える屯所の中は天国のような温かさである。加えてあの疲労である。ただでさえ睡魔に抗えないマシューが眠りに陥るのも無理からぬ話だ。


 しかし、そのような事情は上司には与り知らぬこと。そもそも言えるような事情でも無い。そんなわけで、隊長のベアがいつものように彼を叱りつけた。


「言うに事欠いて寝てないアピールですか?無趣味の暇人が、何をそんなに早朝まですることがあったんですかね?」

「そ、そんな言い方…」

「働かざる者食うべからず。もう一度居眠りをするようでしたら、昼休み返上で書類整理でもしてもらうことになりますが、いいですね?」

「うへえ……勘弁してくださいよ~…」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





 所で俺が師匠を斃した夜、同じく的であったグルーゾウ上院議員とドロス州衛士隊隊長もまた、神父とリュキアの手で葬られた。ドロスはいい歳だったが未婚で世継ぎがいなく、結果地位を世襲する人間もいない。州衛士隊隊長の座は空席となってしまった。結局副隊長の家柄であったターナメンティス家が繰り上がりで就任、これが今のベア隊長というわけだ。


 つまるところ、あの人がこうやって偉ぶっていられるのも俺たちのお陰だったりするってェ訳だ。勿論本人に言えた話じゃねェけれど、もう少し俺に優しくしてくれても罰はあたらねェんじゃないかなー、なんてたまーに思ったりするわけだ。


いや、たまにだよ?たまに…

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