其の三

 来航から三日が過ぎた今日とあっても、市民の話題の中心は未だに赤船とワノクニのことであった。更に通商の交渉は未だ行われていないものの、お近づきの印にと彼らからもたらされたかの国の土産が州内でも流通を開始、そのエキゾチックな魅力に嵌る者が後を絶たない。世はまさにワノクニブーム、略してワ風ブームが吹き荒れていた。それは、我々の良く知る者も例外ではない。





「リュキア、そろそろ休憩にいたしましょうか。」


 丘の上の教会では午後三時の休息に入った。それぞれ庭の手入れと館内の掃除にあたっていた神父とシスターのリュキアは、手を休め奥間へと向かう。


「おや、そういえば今日は来客がいませんでしたね。折角面白い買い物をしたというのに…」


 茶器を持ってやってきた神父が何やら残念そうな表情を浮かべる。どうも新しい買い物を誰かに見せびらかしたいという無邪気な目論見があったらしい。目の前にいるのは感情に乏しいダークエルフただひとり。面白いリアクションなど望むべくもないないだろう。


「………大丈夫。できるだけ期待に添えられるように頑張ってみる。」

「い、いや、気を遣っていただかなくてもいいですよ…」


 そう言いながら神父は真新しい缶に入った茶葉をポットに加え、湯を注いだ。ふわりと香りが漂うが、何時ものものと違う。数分蒸らしカップに注ぐと、それはいつもの紅茶ではなく、鮮やかな緑色をしていた。これには流石のリュキアも面を食らう。


「どうですか?これはワノクニのお茶だそうです。例の赤船が持ってきたものだそうです。お茶好きとしては是が非でも真っ先に味わってみたいと思いまして。」


 300年の時を生きWORKMANを取り仕切る得体の知れぬ怪僧であっても、趣味を前にしてはやはり人の子であった。輸入品店に並んでいるのをいの一番に購入した、などろ得意顔で語る。そんな意外な一面を半ばシカトしながら、リュキアは一口飲み込んだ。


「………おいしい。」

「なるほど、茶葉の発酵が浅いとこのような鮮烈な香りになるわけですか。深みよりも口当たりの軽さで飲ませるタイプですね。」

「………でもこれだと、スコーンに合わない。」

「それは言えてますね。うむう、これに合うお茶請けも考えねばなりませんか…」


 神父は腕を組み、本気で悩みだした。これだけ頭を捻る姿、「仕事」においても数えるほどしか見た事が無い。200年来の「仕事」付き合いのあるリュキアは、半ば呆れながら異国のお茶を飲み干すのだった。





 同刻、街外れのアクセサリ屋。店内には、鮮やかな赤い花の絵が飾ってある。殺風景な工房にメタリックな商品が並ぶ重い色味の中にあって、その赤の花弁と深緑の葉がひときわに目立つ。ギリィ・ジョーの店に訪れていた何でも屋のカーヤ・ヴェステンブルフトも一目でそれに気が付き、しげしげと眺めている。


「見慣れぬ花の絵じゃが、ギリィよ、何なんじゃこれは?」

「ああ、ワノクニの代表的な花で『ツバキ』って言うらしい。」


 細工を彫る作業をしながらギリィが答えた。


「何じゃ。日頃自分はストイックな職人でござい、みたいに振る舞っとるくせにワ風ブームに乗っかってこんな絵を買うとは。おぬしも案外ミーハーなんじゃのう。」

「今度の依頼のモチーフにもってこいだったから参考にしてるまでだ。それに俺が買ったんじゃねえ、お得先の大店から貸してもらってるだけだぞ。だから破いたり汚したりしたら事だから気を付けろよ。」

「おおうっ…!もし何かあったら幾ら弁償せねばならぬのかのう…?」

「旦那さんは500万ギャラッドで買ったとか言ってたぞ。」


 手に触れたわけではないにしても、カーヤは思わず後ろに飛びのき絵と距離を取る。未だWORKMANの「仕事」も借金状態の彼女にとって、500万の弁償など途方もない。神経質になるのも無理からぬ話だ。


 ギリィの手元を見ると、確かに銀で作られた「ツバキ」の花が一輪、ふうわりと花開いていた。まだ色は塗られていないが、ここに紅を指せばどれほど美しい髪飾りとなるかは容易に想像できるほどだ。一体如何なる客の為にこれほどのものを作っているのかとカーヤが気にかけていると、丁度店にその人物が現れた。


「すいませんギリィさん。ようやく時間が取れたから言われた通り確認に来ました…って、お客さんが見えらているならお邪魔でしたかね?」

「いえいえ、こいつはただの近所の冷やかしですからお気になさらず。彩色前ですが九部がた出来てますので、まあ見てやってくださいよリカードさん。」


 その髪飾りの依頼主はリカード・ヒンギス。今まさに赤船とその乗員の警護で忙殺されている第六近衛師団の一員である。人の良い彼は平民のギリィにも気さくに話しかけ、先客と勘違いしたカーヤを気遣う様子すら見せる。無論ギリィにはカーヤに気を遣う必要などこれっぽっちもないため、ぐいっとその小さな体を押しのけ依頼主に進歩状況を差し出した。


「うわぁ、まさにそこの絵のままだぁ…本物の『ツバキ』ってのもこのような姿形をしてるんでしょうね。いやはや、ギリィさんに頼んで正解でしたよ。きっと母も喜びます。」

「今日び第六近衛師団の方からのご依頼となれば、やっぱりワ風モチーフは外せませんよ。港湾の肝っ玉母さんことマテルーナ・ヒンギスへのプレゼントともなれば猶更気合も入るってもんです。」


 女手一つで自分を育て、日頃から世話になっている母へのサプライズプレゼント。それがこの髪飾りの正体だったようだ。続けざまに母のことを話すリカードの表情は実に嬉しそうである。彼にとって余程良き母親なのだろうということは傍目から見ているカーヤにも十分理解できた。となれば長居して邪魔をするわけにはいかぬ、とカーヤはそっと店を出た。


「あーいたいた!自宅のほうにいなかったから探したんだよー!!」


 と、店から出た瞬間に呼び止める声が聞こえる。正面には瓶底眼鏡の女、アンジュ。


「げげっ!おぬしは何時ぞやの男色春画家!儂を探していたとはどういうことじゃ!?」

「いやー、ワノクニから来られたあの若い人、小源太さんでしたっけ?彼と第六近衛師団のリカードさんが並んで歩いているのを見かけたら、『萌えス』が止まらなくなっちゃって…」

「だから何なんじゃその『萌えス』とは…?」

「それで一冊本を描きたくなったんだけど、人手が足りなくて…カーヤちゃん何でも屋でしょ?またアシスタントとして手伝ってくれないかなぁ?」

「だ、断じて断る!!あのような好漢を貴様の男色妄想の餌食にしてたまるか!!」


 カーヤは右向け右から、尻尾を振り乱し猛ダッシュで逃げ出した。アンジュもそれを猛然と追う。雑多な下町に、けたたましい足音が鳴り響いていた。





 とまあこのような具合に、「仕事」仲間も各々ワ風ブームを楽しんでいるところであったが、ただひとりマシュー・ベルモンドだけは、皆のように浮かれた気分にはなれなかった。ワノクニと聞いて思い出すのは、今の街の狂騒ではなく、昔の己の記憶。赤船の見える港に佇みながら、彼は再び遠い日のことを回想するのだった。





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 俺があの男に出会ってから一年が過ぎた。男はそのまま浜に居座りながら漁師たちから頼まれる日雇労働で生計を立てていた。着た切りの服はボロボロに破け、髭も伸び放題、ついでに剃り上げられていた頭頂から髪も伸び、初めて見たころの面影はまるで無ェ。そんな浮浪者めいた男を師匠と呼び、足しげく通い剣術を習う俺の姿は、さぞ傍目から気味悪く見えたことだろうよ。


「えっ!?師匠のその剣を俺に譲ってくれるんですか!?まさか俺ァもう免許皆伝で?」

「馬鹿、十年早エエヨひよっこガ。そろそろ実剣デノ稽古ヲ始メヨウッテダケダ。ソンナ棒切レ何万回振ッタトコロデ、実物ノ感覚ヲ知ラナキャ何ノ役ニモ立タネエカラナ。」


 素性の知らぬ漂流者が市政の管轄である魔法の力を借りられるわけもなく、翻訳魔法も未だかけてもらっちゃいない。それでも一年の月日のお陰か、なんとか意思疎通が出来る程度には互いの言語を理解していた。


 それによって知ることが出来た師匠の素性。本名、浪岡間衛門。出身、東方の島国ワノクニ。そこで「サムライ」という騎士階級に就き、武芸百般を修めるも争いの無い時代ではそれらも立身出世の役には立たず、うだつの上がらぬ日々を送っていたそうだ。そのような飼い殺しの日々を良しとせず、まだ見ぬ遠国の強者との決闘を求め島を出るも船が座礁、流れ流れてここ大ラグナント王国はザカール州に漂着し現在に至る。結果強者との決闘どころか俺みてェな小僧相手の剣術教室だ、とことん運の無ェお方だ。


「兎二角そいつハてめえニヤル。ドウセ数打チノ量産品ダ惜シクハネェ。抜イテミロ。」


 俺は師匠から投げ渡されたその剣、サムライソードを鞘から抜いた。薄手ながら強固で刃も鋭く輝いている。こんな代物が数打ちの量産品たァワノクニには恐れ入ったもんだ。と同時に、荒波に晒され一年経ったこの剣の質をここまで保持していた師匠の気持ちを思うと、やはり未練めいたものがあるのかと少し重い気分にもなる。まあ気にしても始まらねェ、言われた通りに柄を両手で握り、構える。


するとどうしたことだろう、俺の体に妙な感覚が走った。


 違和感では無い。むしろ逆に手に吸い付きフィットする収まりの良さ。まるで生まれ落ちてこのかた生き別れた体の一部が戻って来たかのような感覚。ワノクニとは縁もゆかりも無い異国の人間なのに、だ。ともすれば違和感が無いのが違和感ともいえる状態だった。


 一振り、素振りをしてみる。白刃が日の光を受けて真一文字の閃光を描く。まるで目の前の「空気」を切り裂いたかのようにも見えた。今まで味わったことの無いような会心の感覚に全身が粟立つ。そしてそれは、手前ェの勝手な思い込みではなく、目の前でそれを見た師匠にとっても同様に感じ取れたようで、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしていた。


―――人が誰しもひとつの才能を持って生まれるのだとしたら、多分俺にはこのサムライソードを振るう才覚があったんだろう。本来ならば出会うこと無く開花することも無かったであろうこの才能。それに目覚めることが出来たのは、今となって思えば幸か不幸か―――





 それからは、師匠の指導も実剣を用いたものになっていった。曰く俺に教えているものは「志摩神刀流しましんとうりゅう」と言う流派の剣だそうだ。全身の力を抜き、相手の動きをのらりくらりと躱しながら、剣の切れ味に任せ急所のみを的確に断つを旨とした剣技。しかし「サムライ」とは男らしさを売りにする職業、真っ向の力勝負を誉れとする主流にあって、この流派は軟弱者の剣と唾棄され、神業を持っていたといわれる開祖・志摩八伝斎しまはちでんさいの開闢以降あっという間に廃れてしまったという。


 師匠にしても、国内のあらゆる武芸を修めるもののついでで覚えたらしいのだが、巡り巡って軟弱者の俺に教えるにピッタリだったってんだから、世の中何が起こるかわからないもんだ。





「しかしまあ今更ですが、何でここまで俺に剣を教えてくれる気になったんですかい?命を救われた礼にしちゃあ、こう何年も付き合ってくれるってなァ…」


 13歳の春のこと。丸太に麻縄を巻き付けたものを打ち据える修練の最中に、俺はふと気になって師匠に問いかけた。


「…コレハ俺ノ持論ナンダガナ、人ッテエノハ何カヲ遺ス為ニ生キテイルト思ウンダヨ。子孫ナリ、名前ナリ、ミームナリナ。」


 普段なら修練中に要らん事喋るな考えるなとド叱られるところだが、師匠は何か思うところがあったのか、実に穏やか表情で語り始めた。


「デダ、コノざかーるニ流レ着イタ俺二何ガ遺セルカトイエバ、故国くにニイル嫁サンニ操ヲ立テテイルカラ子種ハ残セネェ。今更戦イデ伝説モ残セネェ。トナレバヤレルコトナンザひとつ…てめえダヨ、マシュー。」

「えっ、俺!?」

「コノ国デてめえトイウ才能ヲ完成サセル、ソレガ俺ガここデ生キタ証トナル。今ハモウ、それダケデ満足ダ。」

「師匠…っつーか結婚してたんですね…?」

「アレ?俺マダ言ッテナカッタカソノコト?てめえト同イ年クライノがきモイルッテ。」


 真面目な話をしていたのに間抜けな結びとなり、俺たちはハハハと笑った。


 そしてその一年後、師匠は突如として姿を消した。





「お?どうしたマシュー?景気の悪りィ顔してよォ。」

「あっ、父上…」

「あの剣の先生がいなくなったのがそんなにショックか?」

「えっ!?」


 師匠の消失により意気消沈していた俺に話しかけてきた父上、その一言に俺は心臓が飛び出しそうになった。師匠に稽古をつけてもらっていることは内緒にしていたからだ。まあ浜の漁師たちにとっては半ば公然の秘密であり、ゆくゆくは父上の耳にも入っているとは薄々思っていたが。卑しくも旧貴族が、浮浪者同然の男に習い事をしていたとなれば家名に大きく傷をつけるようなもの。まさにそのことを叱られるのではないかと思わず身をすくめた。


「…いつからご存知で?」

「馬鹿野郎俺の地獄耳舐めんなよ。3年前からお見通しでェ。」

「すみませんでした!ベルモンドの名に泥を塗るような真似をして!」

「はあ?何謝ってんでィ。没落貴族のプライドなんかよりも、お前ェがお陰で強くなったことのほうがよっぽど大事だ。むしろ先生さんに礼が言えなくて俺が残念だ。」


 しかし何もかもお見通しだった父上の言葉は、優しかった。


「親だからこそ分かる。パッと見こそ変わんねェが、昔のオドオドしてた頃と比べて今は強さと自信に満ちてる。俺が見込んだ通りのな。」

「父上…」

「しかも手にした力に増長してひけらかすような真似もせず、本当に振るうべき時まで鞘に納めて。俺の言いつけをここまで守ってくれるたァ…父親冥利に尽きるぜェ…」


 父上は俺を抱きしめて言った。しかも少し鼻声がかっている。あの父上が、よもやの嬉し泣きだ。これには俺も面食らった、でも、それはそれで俺も嬉しかったさ。


「主様、奥方様の準備も完了しましたので、そろそろ出発を…」

「おうそうだったそうだった。じゃあなマシュー、ちょいと出かけてくるぜ。今追ってる事件ヤマが片付いたら、親子三人ルクセンの温泉宿まで遊びに行こうじゃねェか。」

「あと主様、古代レブノール訛りは品位に欠けますのであまりお使いになられない方が。」

「うるせえよガーペ!俺ァ生まれてこの方この喋り方以外知らねェっての!」


 父上はそう言いながらガーペに連れ立たれ、母の待つ馬車へと向かって行った。


 俺に今生の別れの言葉を残して…


 通り道の崖での崩落事故で、父上、母上、ガーペはこの世を去った。転落事故の割には遺体には妙に切傷が多かったが、その意味はあまり考えたくなかった。かくして輝世暦310年、俺は敬愛する人物を二人失い、ベルモンドの家督を継いだ―――





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「ちょっと主様~、何たそがれてるんですか~?お似合いになりませんよ~。」


 妙に間の伸びた声が、マシューを過去への旅から連れ戻した。振り返ればメイド服の女が二人、重々しい荷物を持ってこっちを睨んでいた。


「まったく、今日は非番だから付き合ってやるって言ったのはどこのどなたでしたっけか!はいこれ持って!」


 にこやかな表情の裏に怒りを隠すフィアナとは対照的に、フィアラは見るからに不機嫌そうな表情である。ああそういえば今日は休みだから一緒に港まで赤船でも見に行こうという話になってたな、とマシューが思い出すが早いか、ツインテールの少女は背負った荷物を彼に押し付けた。


「な…何だいこの重い荷物は?うちの財布で何を買うようなものがあるというんだ?よもやお前たちまでワ風ブームに中てられて余計な買い物を…って臭っ!」


 使用人の散財を咎めようとしたマシューの鼻を異臭がつんざいた。およそこの州、いやこの国では嗅いだことの無いタイプの臭い。それは先程渡された荷物、木樽から漂っていた。中には泥のような何かが詰まっている。


「それ~、『ヌカドコ』っていう、ワノクニの伝統的な調理器具らしいですよ~。」

「ぬ…『ヌカドコ』?調理器具?一体何なんだ?」


 聞き慣れぬ名前に連想しがたいカテゴリー、マシューが疑問に思うのも当然である。


「何でもそれにお野菜を漬けておくと、日持ちするようになるんだとか~。」

「馬鹿な!保存食だからってそんなものにお金を使ってどうするんだ?」

「お野菜が安いときに大量に買ってコレに漬けておけば、しばらく保つようになるんでしょ?!結果的に財布が浮く、未来への投資ですよ!!うちの財政の救世主になるかもしれないんですよ!?」

「し…しかしこんな臭いに漬かった野菜を食うなどとは…」

「我慢して食べる!もう20歳なのですから子供みたいな好き嫌いは仰らないでください主様!」


 そう語るフィアラの目には、何時ぞやのように狂気が宿っていた。これでは反論は無意味と悟ったマシューは、異臭に耐えながら重々しい樽を抱え、三人連れ立って家へ帰って行くのだった。日は沈み始め、あたりはじき夜の闇に包まれる頃のことであった。





 そして、その夜こそが惨劇の始まりでもあった。


 ワノクニよりの来訪客が泊まるネヴィウス家別邸でも、他の家庭同様に晩餐が始まっていた。高級な海鮮類が並ぶ食堂では主のゾアンも交えて、ちょっとした会食といった雰囲気である。しかし何か様子がおかしい。上座には来賓、つまり赤船に乗って来た木島・雲井・相馬屋の三名。そして下座にはゾアンともう一人お付きの男。その構図自体に不自然は無い。


 まず雰囲気がおかしかった。まるで旧知の仲のような談笑。少なくとも知り合って三日程度の賓客に対する空気では無かった。


 そして次に、これが一番おかしな所ではあるのだが、雲井銀衛門の姿。髪が伸び、逆に手足はハーフリングの如く縮んでいる。そんな彼の椅子の下を見ると、髷のついたカツラと義手義足が一対づつ。これらで背丈と髪を誤魔化し、ワノクニの要人と偽っていたがこれが本当の姿、ということなのだろうか。


 そしてその姿を踏まえたうえで、ゾアンにのお付きの男。丁度雲井の席と対角線上の位置に座るこの男だが、その姿は彼と瓜二つであった。小知恵の回りそうな痩身のハーフリング、違うのか髪の色だけかといった具合である。



 これは一体どういうことなのか、それは彼らのこれからの会話でわかることだろう。



「しかしまあ、喜んでいる市民には悪いことをしましたかな?拙者どもの来訪の真の目的を知ればさぞがっかりするでしょうに。」

「なに、民衆の馬鹿騒ぎはいい隠れ蓑になりますわい。これからやろうとしていることを考えれば、このほうが安全ですからな。」


 ほろ酔い気分で監物とゾアンが笑う。そしてゾアンがぱちん、と指を鳴らすと、それに呼応するようにお付きの男が黒革の鞄を取り出し、開いた。中に入っていたのは小袋に分けられた真白い粉。監物と相馬屋は身を乗り出し、それをまじまじ見つめる。


「昨晩ようやく人体実験も完了しまして、ようやく商品として恥ずかしくない形でご提供できるようになりましたよ。」

「ほう、ではこれが…」

「そう、この私ゴルダ・ムー謹製の新型合成麻薬『ニルヴァーナ』。貴方がたの言葉で訳せば『涅槃』といったところでしょうか。ひとたび吸引すればあっという間にその境地に到達できることでしょう。」


 ゴルダと名乗るお付きの男が取り出した物、それは合成麻薬であった。高い技術力で作られたであろうその粉の入った袋を取り出し、相馬屋は拝むように深々と頭を下げる。


「ありがたやありがたや…一時はどうなることかと思ったが、これで以前のように、いや以前以上に儲けることが出来る。」

「まったく幕府の連中め、シンノクニとの輸出入制限など、暗にかの国との阿片流通で儲ける拙者らを干上がらせるための策同然ではないか。まったく忌々しい老中連中よ…」


 監物は爪を噛み苛立った。彼が渡航初日に語ったところの隣国との輸出入制限とは、すなわちそこから流入する麻薬による国内腐敗を防ぐためのもの。まったくもって当然の政策ではあるのだが、それで益を成していたものにとっては気にくわないことこの上なかったのだろう。


「流石は兄者だ。見るだけで精度の違いがよくわかる。これ程の合成麻薬を作れるのはギルドでも兄者ぐらいしかおらぬだろうよ。」

「何を言うシルバ、お前の造った赤船も見事なものだぞ。あるいは首領マスターとてあれほどの船は作れぬかもしれぬな。」


 銀衛門がゴルダを、そしてゴルダが銀衛門をそれぞれ褒め出した。いや、あるいは銀衛門ではなくシルバと呼ぶのが妥当なのだろうか。ほぼ同じ顔を持つハーフリングは、互いの作品を称賛し合っている。


「ギルドの事業拡大に他国へ渡ると言ったときは、どれほど心配したことか…それがこれほどの大仕事を請けたと通信が入った時の嬉しさと来たら…兄として誇りに思うぞ。」

「泣かないでくれよ兄さん。このシルバ・ムー、やるときはやる男さ。」


 やがてゴルドは感極まって泣き出した。それをなだめる雲井銀衛門、いやさシルバ・ムーも目にうっすらと涙を溜めている。そんなややねっとりとしたその兄弟愛に、相席した者たちも少し引き気味だ。そんなどうしようもない空気を入れ替えるべく、監物が口を開いた。


「こっ、ここまでの絵図を描いてくださった曇一家クラウドファミリーのお二方には感謝しておりますが、まだ事は完遂したわけではございませぬぞ!相馬屋も、ゾアン殿も、ゆめゆめ計略が漏れぬようお気お付け下され。」





 外はすっかり冬模様であった。空気が乾燥し音が良く通りそうなものの、今時鳴く虫も鳥もいない。ひそひそ話などしようものなら思いの外漏れ、風に乗って誰知らぬ者の耳に入るかもしれない、そんな季節である。


 そして実際に、先程までの悪党の密談の一部始終は、外で警備を張っていた第六近衛師団リカード・ヒンギスの知るところとなっていた。


 赤船来航の本当の狙いは麻薬の密売買。後ろ盾は地元の有力者ネヴィウス家。さらに噂には聞いていた国家騒乱を目論む集団・曇一家クラウドファミリーの関与…信じがたい、さりとて本当なら大変な事件だ。あるいは自分は何も聞いてない、と耳を塞ぎ口を噤むという選択肢もあるだろう。しかしリカードの正義感はそんな妥協を許さなかった。すぐさま同じく外の警備にあたる団長のジークへと報告に走る。


「なんというか…荒唐無稽すぎてどうにも…リカードよ、本当に本当なのだろうな?」

「ええ、間違いありません。確かにこの耳で聞きました。」


 確かに口で説明されれば荒唐無稽で信じるに値しない話である。しかし話の信憑性以上に、リカードという男の信用は大きかった。団長のジークも、騒ぎを聞きつけ集まった団員四名も、彼の真摯な瞳を信じ、この悪巧みを止めるべく行動を起こそうとする。


「しかし止めるとしても大物上院議員、日を跨げば権力でもみ消すこともあるだろう。ならば今のうちに証拠を掴み身柄を確保するしかない。パノンとジャックは屋敷の周辺を探し麻薬の隠し場所を掴んでくれ。私とリカード、そして他のみんなは私と共に食堂へ突入する。いいな?」

「しかし、6人だけでどうにかなりますかね?」

「なあに、相手はおそらく文官だけ。我々は平時より有事の為に鍛えた近衛師団。捕らえるだけならわけないだろうさ。」


 かくして第六近衛師団の6名は、ふたりを外に残し屋敷の中へと進撃を開始した。





「第六近衛師団だ!現場を検めさせてもらう!!」


 ジークは戸を蹴破り、まだ密談の最中である食堂へと踏み込んだ。突然の事態、ゾアン達に対処出来る訳も無く、テーブルの上に麻薬は出しっぱなし、シルバはカツラと義手義足を外しっぱなしという決定的な状況を近衛師団に目撃されてしまった。


「ネヴィウス議員!この白い粉は何ですか!?」

「雲井殿、その姿は一体!?よもやワノクニの人間と偽ったハーフリングとでも!?」

「ワノクニの皆さまも、事と次第によっては身柄を拘束させていただきますが宜しいか!?」


 致命的な現場を抑えられ、密輸を目論んでいた悪党たちの顔面は青く染まった。キャリアも、利益も、人生もこれで終わりか、とその表情は絶望に歪んでいる。ただひとり、木島監物を除いては。一方でリカードは、この一団の内に心通わせた浪岡小源太がいないことを確認し、彼は無関係なんだなとひとりごちホッとした。その安堵が、最悪な形で破られることも知らずに。



「おお、パノンにジャックか。隠し場所は掴めたのか?」


 蹴破った扉の外側から人間二人分ほどの物陰が見えた。麻薬の保管場所を探しに行った二人が帰って来たと思い、ジークが声をかける。しかし一向に返事は無い。それどころか動く気配も無い。おかしいと思いジークがそちらに歩み寄り様子を見る。


 そこにあったのは、パノンとジャック、「だったもの」であった。顔面のおびただしい切創から血を吹きだし、既に事切れた二つの死体。驚くジークをよそに、その物陰に隠れていた何者かが姿を現した。


「そ…そんな…何で貴方が…!?」


 リカードは瞳孔が開くほどに目を大きく開け、驚愕と絶望でその男を眺めた。無理も無い。そこから現れたのは、血濡れたサムライソードを手にした友人・浪岡小源太だったのだ。


「おお遅いぞ浪岡。あまり気を揉ますでない。」

「すみません木島様。外を嗅ぎまわる鼠を駆除していた故。」

「そうかそうか。ならばこの場を荒らす鼠も早いところ始末してくれ。」


 余裕綽々であった監物が命令を下す。小源太はこくりと頷くと、稲光のような速さで近衛師団の下に接近した。近衛師団員ふたりは慌てて腰に下げたブロードソードを抜こうとするが時すでに遅し、刀身を二分も引き抜けぬままに首を狩られ、物言わぬ死体の仲間に入った。


「おのれよくも団員を!!」


 流石は団長とも言うべき反応で抜刀したジークは、仲間の仇を取るべく目の前の敵に剣を振り下ろした。鍛え抜かれた肉体から放たれる重たい縦一文字の斬撃。まともに当てれば輝世暦前の魔物すらも一撃で屠るであろう。しかし当たらねばどうにもならない。ジークの剣が捉えたのは憎き敵の頭蓋ではなく食卓テーブルだった。


 後ろに飛び退った小源太は、壊れたテーブルを踏み台に跳躍。宙空より真一文字の斬撃を繰り出した。それは先程のジークのそれよりも重く、比べ物にならぬほどに疾い。到底見てから躱せるような速さではない。あえなくジークは頭を叩き割られ、仲間の後を追い読みへと旅立っていった。


「な…なんでだ…なんで…」


「…なんでだよ!!浪岡さん!?」


 あっという間に自分を残し仲間は全滅、しかもそれを成したのはかつて自分とよき治世について語らった友とも言える男。リカードは混乱する頭をなんとか抑え、激昂した。しかし小源太は応えないどころか彼の顔を見ようともしない。その代わりとでもいうかのように、監物が口を開く。


「お前がこの男にどんな幻想を抱いていたのかは知らぬが、こいつ、浪岡小源太は正真正銘拙者の用心棒。極めた剣技を拙者の為に使い、命じられれば赤子も殺す、そんな男よ。」


 ふと、リカードの頭に以前彼がマシューと話していたことがよぎった。剣を極めながら世に弾かれて失踪した拗ね者の父がいると、しかしそう語る小源太の表情は誇らしげだったと。優男な外観に騙されたが、彼は奉行付きのインテリ文官なのではない。父を敬愛し、同様に剣を極めた修羅だったのだ。


 すべてに気が付いた時、リカードの頬を涙が伝った。あの時語らった理想は身を欺くための偽装に過ぎなかったのかと思うと、悔しくて、悲しくて、たまらなかった。そのまま魂の抜けたような顔で、ただ小源太の背中を見つめていた。


 監物が首を狩るジェスチャを示すと、ようやく小源太はリカードの方を振り向いた。同時に、斬撃。180度回転の勢いを乗せたサムライソードの一閃が、若く理想に燃えた近衛師団員の首と命を奪っていくのだった。



 外では、降って湧いたかのような雨雲が月を覆い隠していた。



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