其の三

「すみません、州衛士です!緊急事態につきこの馬を貸してもらいます!!」


 道すがら、馬を引き家路についているであろう男がいた。先を急ぐマイルズがそれを見つけると、応否も定かで無いうちにそれに跨がり、颯爽と駈け出した。後を追う神父とリュキアを置き去るように先を往く。目指す先は港へ向かう小道の、火の手の上がる方―――




 彼が向かうその場所に、マシューはいた。燃え盛る木がはっきり照らすのは、マシューと衛兵たちを取り囲む生ける屍の群れ。それらには明確な敵意があり、つい先程にも衛兵の一人が攻撃を仕掛けるも、返り討ちに遭い生きたまま貪り食われたところだ。それを目の当たりにした者達はすっかり怯えたじろいでいたが、「仕事」柄人の死というものに免疫のあるマシューだけはこの状況を冷静に分析していた。


―――おそらくこれが事件の真相だろう。


 首魁と思しきフードの男が持つ魔道書、いかなる手段でそれを手に入れたのかはともかくにしても、それに記されているのはラグナントの黒魔術とは全く別の理合の反魂術であろう。あるいは神父の言った「ゾンビ」という言葉と何か関係があるのかもしれない。魔法研究所がリビングデッドの施術の痕跡を察知できなかったのは恐らくそのせいだ。しかし未知の術法をまるっと信用できるわけがない。一連の辻斬り事件はこの術が正確に作動するかのテストでしかなかったのだ。そして四度に渡るテストの末、計画を実行に移した。


 そしてその計画とは、集団窃盗団首領ゾアックの奪還。


 こちらの情報がいかにして漏れていたのかは未だ不明ではあるが、それが目的であることには間違いないだろう。その証拠に、屍たちがこちらへの敵意とは真逆なことに、倒れた馬車内で拘束されているゾアックを救出しようとしている光景が目の前で起こっていたのだ。


 しかし真相がわかったとて、伝える相手がいなければ何の意味もない。そして今の装備、つまり支給品のブロードソードではこの包囲網から生きて帰り誰かに真相を告げることすら危ういかもしれない。そうこうしているうちに、馬車から引っ張り出されたゾアックは拘束を解かれて、フードの男の手と再会を喜ぶような抱擁を交わしていた。


「べ…ベルモンド様!このままだと折角捕らえたゾアックに逃げられてしまいますよ!?」

「馬鹿野郎今はそれどころじゃねえだろ!生きてこの場から逃げ出し、事を誰かに伝えるのが先決だ!逃げた奴はまた捕まえればいい、命あっての物種だ!」


 慌てふためく衛兵に、今自分たちが一番すべきことを伝えるマシュー。しかしそれが一番難しいことは明白であった。リビングデッドの数はゆうに30体以上。数度のテストで要領がわかったのだろうが、それにしても随分と大盤振る舞いなことだとマシューは毒づいた。ふと足元を見やると程よい長さの木の棒が転がっていた。殺傷力は劣るものの、重くてろくに振るえない剣よりはマシと思い手に取る。


「この場は私が引き付ける。お前らは隙を見て逃げて、州衛士の屯所なり近衛師団なりに駆け込んでくれ。」


 マシューは構え、衛兵たちに指示を出す。自らが犠牲になろうなどという殊勝な気などではない。無駄に犠牲を出すくらいなら一人残ったほうがマシという合理的な判断と、あまり自身の真の実力を他人の目に晒したくない、というだけのことである。


 そして宣言通り、リビングデッドたちの注意をひくべくマシューはそのうちの一体に打って出た。木の棒を振り上げ、目にも留まらぬ疾さで頭頂・首筋・腹を打ち据える。常人ならば痛みでもんどり打って倒れるか、あるいは昏倒も免れないほどの太刀筋だ。しかし相手は痛みを感じぬ死体。およそもって効果があるようには見えなかった。殺傷力の低さが裏目に出た形ではあるが、今はこれが精一杯なので仕方無い。


 この攻撃に反応し、リビングデッドが抱きつくようにマシューに襲いかかる。振りかかる手を棒で受け、これをいなす。綺麗に勢いを後方に流される形となり、リビングデッドはそのままずさっと滑るように倒れた。そのまま連鎖反応のように、次々と生ける死体がマシューを狙ってきたが、彼はそれらを受太刀といなしで器用にさばいていく。



 10体ぐらいの敵意がマシューに向いた頃には、衛兵たちは既に逃げおおせていた。後は自分もこの場を退くだけだが、これがまた難関であった。何せ相手は転ばせるのが関の山、殺傷はおろか動きを止めることすらままならない。そんな状況にあって、次々と襲いかかる十数体ものリビングデッドを的確にいなしてくのは流石の技量ではあるが、彼自身体力に自信はなく、いつまで続けられるかもわからぬジリ貧であった。流石に無理があったかと、己の判断ミスを悔いていると、ふと、背後から蹄の音とマシューを呼ぶ声が聞こえた。


「ベルモンドさん!伏せて下さい!」


 聞き慣れた声という安心感もあったのだろう、素直に指示通り伏せると、一頭の馬が頭上を飛び越えてきた。そしてその勢いのまま、巨躯がマシューを囲うリビングデッドを数体撥ね飛ばした。声の主、そして馬上の男は想像した通りの男だった。


「ウォーレンさん!?どうしてここに!?」

「丘の上から火の手が見えたもので…それよりも、何なんですかこれは!?」


 マイルズは安全を確保すると、馬を止めてマシューに問いかけた。


「それはこっちが知りたいぐらいですが…恐らくこれが一連の事件の犯人の本命だったんでしょうね。今しがた術師らしき男がゾアックを連れて逃げていきましたよ。」

「えっ…それは大変だ!!」


 マシューの返答を聞いて、マイルズはすぐさま馬にムチを入れた。上体が跳ね上がり、再び駆け出そうとする様子を見て、マシューは焦りを憶えた。


「ちょっと!?何してんですかウォーレンさん!?もしかしてゾアックを追うつもりですか!?」

「当たり前でしょう!自分が捕まえた賊がおめおめ逃げおおすのを黙って見てろって言うんですか!?」

「ああその通りですよ!心構えが立派なのは認めますがもっと周りをよく見て下さいよ!このリビングデッドの群れ、こんな中を突っ切るなんて自殺行為じゃないですか!」

「それでもっ…あんな盗賊とこんな術を使う男を野放しにはできませんよ!州衛士として!」


 言うが早いか馬が跳ね、リビングデッドの包囲網を突き破る。そして辛うじて火の明かりで見える先を歩いて逃げゆく主犯格の男二人を目掛けて矢のように跳んでいった。さしものマシューも止めようと前に進もうとするも、未だ残る多数のリビングデッドに阻まれ動けない。


 背後に鳴り響く蹄鉄の音、それに気が付いたフードの男は驚きながらも魔導書を広げ、後ろをついて歩かせていた屍達に命令を下す。無論、その命令とは、迫り来る騎馬の男を止めることだ。怪我も死も恐れぬ――いやさ、既に死んでいる特攻兵たちが走る馬目掛けて手を伸ばす。


 常人ならば恐ろしくて出来ぬであろう行為。実際、数人のリビングデッドが馬に蹴られ、腐って柔らかくなった半身を吹き飛ばされた。この足止めに対してもマイルズは歩みを止めず、もう少しでゾアックに手が届くというところまで接近した。


 しかし、ここで不運に見舞われる。多くの腐肉を蹴散らした結果、挽肉でぬかるんだ地面に足を取られ馬が転倒、マイルズはそのまま前方へ投げ出された。横転した馬にリビングデッドたちが群がり、その肉を喰らい始める。飛び散る血肉、末期のわななき、そんな悪夢のような光景を目の前に、同じく地に転がり伏せるマイルズもさすがに恐怖の感情を隠せなくなっていた。程なくして彼の周囲にもリビングデッドが集まる。


 その時、再びフードの男が令を下すような素振りを見せた。生あるものに食いかかろうとしていた屍たちの動きがぴたりと止まったかと思えば、マイルズの腕を一斉に掴み引き起こす。そのままゾアックたちの目の前に引き連れられ、目の前で押さえつけられ、跪かせられた。州衛士が賊の目の前で取り押さえられるという、倒錯的な状況が展開される。


「これは面白い。兄者、此奴のことは覚えているか?」

「ああ、忘れるわけなかろう。俺を捕らえ牢に繋いだ州衛士だ。」


ガッ


 ゾアックがちょうどいい位置まで下げられていたマイルズの顎を蹴り上げた。奥歯が折れ、口の中を切り、口端から血が滴り落ちた。そんな痛みの中にあっても、マイルズはあくまで警察組織らしい毅然とした態度で、目の前の賊二人を睨みつけている。


「…これがお前らの目的か?」

「ああそうだ。ゾアック兄者の奪還、私の望みはそれだけだ。しかし古本屋の奥底で見つけたこの怪しい魔導書がここまでだったとは嬉しい誤算だ。慣れるまでに時間はかかったが。」

「その慣れるまでのために何人の市民が犠牲になったと思っている!?」

「私にとっては兄者の命以外どうとも思わんわ!」


 マイルズの激昂に釣られるように、フードの男が声を荒げる。その表情は火の明かり程度では窺い知れぬが、余程兄であるゾアックに執心しているようだ。ルックス的にはあまり想像したくない組み合わせではあるが。


「…まあいい、事は万事順調に進んだのだからな。お前が間抜けにも無実の神父を疑ってくれていたお陰でな。」

「なっ…何故そのことを!?」


 落ち着きを取り戻したフードの男の意味深な発言に、マイルズの表情が強張る。確かに神父を怪しみ張っていたのはまるで無駄、どころか真犯人にとって体のいいスケープゴートになってしまった。己の能力を過信しすぎた、痛すぎる失態だ。


 しかし、己のミスはともかくにしても、何故この男が自分の行動を知っているのか?という疑問も浮かび上がる。重要な犯罪捜査の情報が漏れていたとでも言うのだろうか。思えば確かにこちらの情報を熟知した上で事を起こしているようにも思える。神父を見張っていない時間に辻斬りを起こし彼に疑惑が向くように仕向けられたし、今の護送馬車襲撃についてもそうだ。この男は知り得ない情報をいかにして知ったのだろうか?


 その答は、フードの下の男の顔にあった。


 男は何かを見せつけるように、ゆっくりとフードを外す。燃え盛る火と技科ながらの星の光に照らされ見えたその顔は、マイルズがここ最近頻繁に目にしていた男のそれだったのだ。



「さ…サンドイッチ屋の親父さん…!?」



 そう、丘の麓にあったサンドイッチ屋台の店主の顔がそこにはあった。マイルズとマシューが飯時、休憩時によく屯していたあの屋台の、だ。意外な人物に驚くマイルズであったが、同時に謎も氷解した。彼は自分とマシューの打ち合わせを間近で聞き耳立てていたのだ。だからこそこちらの裏をかいた行動が取れるというわけだ。


「サンドイッチ屋の親父は世を忍ぶ仮の姿…赤蟹盗賊団首領ゾアックの弟・ゴザック、それが私の本当の姿よ。しかし驚いたよ。隠れ蓑のための屋台に州衛士が寄るようになってるんだからな。しかも憎い兄の敵…何度毒を盛ってやろうかと考えたことか…だがぐっと堪えて貴様らの話を盗み聞きしてきたおかげでこうやって大願成就というわけだ。」


 フードの男、いやさサンドイッチ屋の親父、いやさゴザックはぺらぺらと真実を語り始めた。秘密にするに越したことはないはずだが、あえてバラすのはマイルズに屈辱を与えるため。そして別段喋っても問題がないということだった。


「さて、冥土の土産はこのくらいでいいかな?では兄者、これを…」


 ひとしきり話し終えたゴザックが、懐から何やら取り出し兄に手渡す。炎を受けて煌めく白刃。刃渡り20センチほどの短刀。その反射光は、遠く数十メートル離れた位置でリビングデッドを相手取るマシューの瞳にも飛び込んできた。体制を整え、光の先を眺めると、彼は初めてマイルズの置かれている状況に気がついた。


 リビングデッドに組み伏せられた同僚、目の前に立つ犯罪者と知った顔の男、そしてその手の刃物。


「待てっ…!!やめろぉっ!!」


絶望的な状況に思わず叫び声を上げるマシュー。しかしかの者達の耳には届かない。



次の瞬間には、腹に刃を突き刺され血を吐く同僚の姿



そしてその光景は、今しがた追いついた神父の目にも飛び込んできた。



傷つき倒れる誠実なる若者、高笑いする悪党、彼らが手にする見覚えのある魔道書



 目に映る全てのものが、彼の神経を逆撫でする要素に満ちていた。どくんっ、と心臓が高鳴ると、全身の血流が逆流するような感覚が走る。



 瞬間、爆風



 神父を中心に、周囲数十メートルに渡り、まるで炭鉱の爆破事故のような突風が吹き荒れた。その風は人・屍問わず周囲の者を吹き飛ばし、木に移り燃え盛る炎すらもかき消した。生あるものはなんとか立ち上がり、何事かとその爆風の中心を見やる。そこに立つのはひとりの聖職者。いつも細めていた眼はかっと見開き、前方の悪党をじっと睨む。


―――その瞳は、白目と黒目が逆転し、およそ人間のそれには見えなかった



「ばっ…ばっばっ、化物ぉ!!?」

「あっ、兄者!この場は早く逃げよう!目的はもう果たしたんだ!逃げよう!!」


 立ち上がったにも関わらずまた腰を抜かして転ぼうとしたゾアックに肩を貸し、ゴザックは脱兎のように逃げ出した。去り際に何かを詠唱し、屍たちもゆっくり立ち上がり彼らの後を追う。先程までの喧騒が嘘のように、小道は静寂に包まれた。そこにいるのはマシュー、神父、遅れてやってきたリュキア、そして横たわるマイルズ。


 神父が駆け寄りマイルズを抱える。傷口を見ると血がとめどなく溢れだしている。かなり重要な臓器と血管を刺し貫かれたようだ。医療技術はおろか、回復魔法があっても永くはなかろうということは素人目にでもわかる。


「し…神父様か…私の思い込みで迷惑をかけて…すみませんでした…」

「喋ってはいけませんよウォーレンさん。傷に響きます。」

「い…いいんです…どうせもう永くないことは…じ…自分でもわかりますから…その前にどうして謝っておかないと……」


 神父の腕の中で、マイルズが最後の力を振り絞る。か細く、今にも消えそうな声。それでも神父の耳には、彼の誠意ごとしっかり届いていた。


「し…しかし…代々の『勘』が聞いて呆れますよね…無実の罪の人間を疑った挙句…ほ…本物の犯人にいいように利用されて…こんな若造が出過ぎた真似をしたばかりに…」


 マイルズの瞳に悔恨の涙が浮かぶ。確かに己の勘を過信しすぎたが故の事態ではあるし、ある種の因果でもあろう。しかし彼の人柄をよく知る神父には、空回りしたとはいえ彼の正義感をそのような言葉で片付ける気には、どうしてもなれなかった。


「…いえ、あながち間違ってもいませんよ、貴方の『勘』というものも。」

「?」

「ザカール生まれなら知っているでしょう、人の恨みを金で晴らす悪辣非道の殺し屋集団『WORKMAN』の名を…一度噂が流れた時は否定しましたが、あれは嘘です。確かに私は『WORKMAN』の元締め…許されるべくもない大悪党です。」


 驚愕の告白。


 あまりの驚きにマイルズはそのまま逝ってしまいそうになっていた。それ以上に驚いたのはマシューとリュキアである。自分たちの元締めが自分から正体を明かす、前代未聞の事態。リュキアに至っては掟破りの始末のために、既に黒糸を構えている。そのような殺気も意に介さず、神父は話を続けた。


「そして…事ここに至りて、貴方には今二つの選択肢がある。ひとつは、このまま遺恨を残ながらその清廉を以って天国に行くか…もうひとつは、この悪党と取引し、そのかどで地獄に落ちながらも現世の未練を晴らすか…お選び下さい。」


「ははは…こ…こんな死に際でそんな選択を突き付けられたら…どっちを選ぶかなんて…き…決まってるじゃないですか…神父様も…お…お人が悪いや…」


「ええ、貴方が見込んだ、悪党ですから…」





 そして、マイルズは息を引き取った。直後に大量の血を吐き、その短き人生に幕を下ろした。神父は亡骸の懐を弄り、財布を手に取ると、そのまま遺体を担ぎ道の端に寄せそっと目を閉じさせた。


「…この『仕事』は完全に私の怨恨、そして若き日に残した過ちの精算です。あなた方の手を煩わせるものではありませんし、帰ってきたら相応の罰も受けるつもりです。」


 彼を睨む二つの視線から目をそらし、ゾアックたちが逃げた方角を目指す。しかし、マシューの呼びかけがその足を止めた。


「待てよ神父様、俺にも一枚噛ませろや。可愛い後輩目の前でぶっ殺されりゃあムカつかねェ理由が無ェ。アンタが怨恨で『仕事』するっつーんなら、これも十分な理由になるだろうがよ。なあリュキア?」

「………私は別にどうでもいい。でも、前みたいにハブられるのは気に食わない。」

「うっ、その節は悪かったって…じゃあハブりが嫌っつーんならギリィも呼んで来ねェと不公平だよな?アイツも今月は実入りが少ないって嘆いてたから、喜んで参加するだろうぜ。」


 元締めの目の前で、マシューは勝手に仕切り出す。神父はただ、ぽかんとその様子を眺めていた。


「っつー訳だ神父様。手続きがイレギュラーではあるが、俺ら全員加わる故もある。折角だから正式な『仕事』ってことにしようや。」

「…全く、貴方という人は…」


 神父は呆れ顔で眼鏡を直した。その様子に肯定を見出したマシューとリュキアは、それぞれ「仕事」用の得物を取りに行くため、ギリィを呼びに行くために、一度この小道を後にするのだった。





 小道からも市街からもほど離れた掘っ立て小屋。ゴザックが身を隠すために屋台を引いていた頃からの隠れ家である。場所柄、家主以外の人間を見かけることのない場所ではあるが、今だけは多くの人影が見える。いや、人ではなく死体か。州衛士や先程の悪魔めいた神父の追跡を恐れ、ゴザックはリビングデッドたちを見張りにあたらせていたのだ。


「すまねえなゴザック…危ねえところを助けてくれて…」

「他ならぬ兄者のためだ。どうということはねえさ。」


 小屋では蝋燭一本の薄明かりの中、ゴザックがゾアックの傷を手当していた。どうやら先程の爆風で飛ばされた時にいくつか擦りむいたらしい。手足に幾つかの絆創膏が貼られる。


「しかし驚いたな。お前があんなリビングデッドの呪法なんて高等な黒魔法を習得していたなんて。」

「いや、そんな大層なもんじゃないさ。古本屋の奥底に眠ってた胡散臭い魔道書を万引きしてな、藁にもすがる思いでそれを試したら、魔法なんか使ったことの無い私でも本当に死体が操れるときたもんだ。」


 薄汚れた魔道書をパンパンと叩き、ゴザックが得意気に言った。表装もない、紙束に紐を通しただけのような簡素な作り。今にも朽ちて破れそうではあるが、不思議と文字だけはくっきりと見える。


「お手軽な上に、どうも魔法研究所の鑑定にも引っかからないらしい。本当にいい掘り出し物だったってわけさ。」

「ああ、これを使いこなせばケチな窃盗団どころか、大陸全土に名を馳せる強盗団も夢じゃねえぜ。なんたって不死身の団員をいくらでも作れるんだからな。どこのどいつがどうやって研究したのかは知らねえが、せいぜい利用させてもらおうか。」


「―――それは、南方の暗黒大陸より学んだ死者転生術・ゾンビの呪法ですよ。」


 誰かが、ゾアックの疑問に答えた。この場に彼ら兄弟以外の人間は居ない筈である。外から入ってきたとするならば、あのリビングデッド、いやさ彼の者の言葉で言えばゾンビというのであろうか、ともかくあの生ける屍の包囲網をくぐり抜けたということになる。


 ゾアックは焦り、戸を開け小屋の外に首を出し見回す。同時に流れ込んだ外気で蝋燭の火が消え、小屋の中も外と変わらぬ暗闇に包まれた。と、次の瞬間



 ごきゃり



と聞き慣れぬ音が響いた。ゴザックは何事かと思いすぐさま蝋燭に火を灯した。再び光が戻り視界が開かれるが、ぱっと見、特に別段人影も異常もない。


「兄者、あれは幻聴かなんかだろう。心配する程でもない、早く戸を閉めてくれよ。」


 しかし、ゾアックは弟の呼びかけに応じない。首を突き出したまままだ外をじっと凝視しているようであった。


「兄者、だから大丈夫だって言ってるのに、どうしたんだよ…」


 心配しゾアックの肩を叩く。するとものすごい勢いで、綿を抜かれたぬいぐるみのように頭がぶるんとしなだれた。急な事態に驚き、おそるおそるもう一度兄の身体に触れてみると、外傷こそ無いものの、確かに首が詰め物を抜かれたかのようにぷるんぷるんしている。とても信じられないが、頚椎が何処かに消えたとしか思えない状態。もちろん、最早息は無い。


「どうです?驚きましたか?では次は貴方の番です。」


 兄の死を悼む間もなく、背後から声が聞こえた。振り向くとそこには、さっきの魔物じみた瞳の神父。そして右手には、人間の骨のような何かが。


「うわあああああああああああああああああああああっ!!」


 ゴザックは完全に錯乱し後ずさる。恐怖のあまり腰が抜け、そのまま尻餅をついた。


「なっ…お前は一体!?どうやってここに!?外には何十人もの私の兵隊が…!?」

「ああ、そのことでしたらつまり、貴方の兵隊より私の仲間のほうが全然強かった、それだけの話ですよ。ほら、外をもっとよく見てご覧なさい。そろそろ全部片付くころでしょう。」


 魔物じみた目を隠すように目を細め、いつものような笑顔をたたえながら神父は優しく話しかけた。ゴザックは言われたとおりに外をじっと見る。はじめは闇夜でよくわからなかったが、夜目が慣れてくると次第に外の状況が見え出した。


 そんな彼の目に飛び込んできた光景は、三人の何者かによって、数十の屍が百の肉片と化し、今まさに残る三体が元の死体に戻されようとする瞬間であった。



 ハーフリングらしき小柄の男はナイフを振るいゾンビを相手取る。相手は元より屍、生者の急所を突くいつもの長針での刺殺は効果がない。なればと自在に形を変える腕輪を針ではなくナイフに変え斬りつける。さしもの不死の兵隊も、五肢を断たれれば動くことも攻撃することもできない。ハーフリング特有の軽快な跳躍を繰り返しながら、腕、首、足を次々と撥ねていく。あっという間にゾンビは6つの肉塊に切り分けられていった。


 ダークエルフらしき女の目の前で、ゾンビが金縛りにあったかのように動きを止める。すわ魔術かと思ったが、一瞬の星明かりが照らしたおかげで、それが極細い糸による拘束だとわかった。ぐいっと力を込めて糸をひくと、朽ちて生者よりも随分と柔らかくいなっているであろう肉にどんどんと食い込んでいく。そして裂帛の気合を入れて最後まで引き締めると、糸が全身に回っていたのだろう、まるで手品のようにあっという間にバラバラに解体された。


 牛頭の獣人ゴズロスのゾンビの前に立ちふさがるのは、マイルズに協力していた同僚の州衛士だった。ゴズロスはゴザックが最初にゾンビの呪法を施した男。体躯と生前の剣技もあり、彼が一番信頼を置く兵隊であった。しかしそんなゾンビも、見慣れぬ細身の片刃剣を振るう州衛士にまるで歯がたたない。あれよあれよという間に、小間切れに刻まれピクリとも動かぬ肉に戻されていった。


「一度殺した奴に返り討ちにされるほど、俺ァ鈍っちゃねェよ…」


 かくて、ゴザックの作ったゾンビの兵隊たちは皆土に還っていった。



 心から慕う兄の死、そして自慢の兵隊の全滅。その全てを目の当たりにしたゴザックの絶望は察するに余りあるだろう。あるいはこのまま放っておいても自ら命を断つ道を選ぶかもしれない。しかし、それでは友・マイルズが浮かばれない。神父は「次は貴方の番」を実行すべく、左手でゴザックの顎を掴むと、そのまま片手で吊るしあげた。それは、見た目痩身の彼のどこにそのような腕力があるのか、不思議に思える光景だった。


「…昔話をしましょう。輝世暦の初め頃、とある神学生がいました。彼は魔王バルザーグが斃れ平和になったはずの人の世に、未だ小さな諍いが残っていることを疑問に思っていました。この世の悪たる魔王が滅びたのに何故?と思った彼は神の真意を知るべく必死に勉強を続けます。


しかしラグナントに存在するあらゆる神学・哲学・果ては数学、幾何学を修めたとてその疑問の答えは到底見えませんでした。焦る彼の知識欲求は果てなく、東方大陸、南方の暗黒大陸にまで足を伸ばしそこの宗教、術法を貪欲に吸収していきます。


しかし過ぎたるは及ばざるが如し、一般的に邪教・外法と呼ばれるものにもいくつも手を伸ばしたのが原因でしょうか、彼の身体に変化が現れます。血は濁り、瞳は反転し、常ならざる体力を発揮するようになり、周囲の人間は奇異の目を向けるようになりました。そう、彼の身体は既に人ならざるものに変わってしまったのです…」


 突然、神父が何者かの半生を語り始めた。人を片手で吊るし上げるという奇怪な状況ではあるが、その語り口は異様なまでに優しく、実にするすると耳に入っていく。しかしそのことが逆に、今まさに吊るされるゴザックに得体のしれない恐怖を与えていた。


「…さて、貴方が悪用したその魔道書は、その神学生が南方へ渡った際、現地の暗黒密教から学んだことをしたためたものです。そのうちの一節がゾンビの呪法、我々の知る黒魔法の理合とは異なる体系の死者蘇生法…彼が言うには、己の研究は全て闇に葬った筈だったのですが、何の間違いかまだ残っていたものが貴方の手に渡り、そして悪用されるとは…実に残念なことです。」


 顎を掴む親父の手に力が籠る。骨が砕けそうな痛みの中にあっても、彼の澄んだ声はゴザックの聴覚にしかと届いていた。


「しかし少し昔を懐かしく思えたのもまた事実。なれば貴方には、そこで学んだとっておきの秘術をお見せしましょう。」


 そう言うと神父は、ゴザックの鳩尾に4つの指を綺麗に揃えた右の手刀を突き立てた。そしてそっと触れたような状態から徐々に指先に力を込める。するとどうしたことだろう、指がどんどん鳩尾の中に沈んでいくではないか。まるでよく熟成されたパン生地に指を差し込むかのような感触。そこに痛みも出血も伴ってはいない。


 やがて神父の右手は、ゴザックの胸の中にすっぽりと入っていった。そのまま体内で何かを掴むと、ぐいっと一気に手を引っ張り出す。彼の手には洋梨ほどの大きさで、赤黒く、水揚げされたばかりの魚のように元気に跳ねる何かが握られていた。ゴザックははじめそれが何かを理解できなかったが、己の脈拍の異常を感じその正体に気付いた。


 それは、彼の心臓だった



―――暗黒大陸のいち部族に、生者の心臓を神への供物として捧げる風習を持つものがあった。しかし困ったことにその部族においては、外気に晒された血液は不浄という教えもあるのだ。普通、心臓を取り出すには胸を切開しなければならないが、そうすれば神への供物が不浄に塗れることになる。この矛盾を解決するがこの技術だ。骨と筋繊維の隙間、わずか数ミクロンの裂け目に綺麗に指を通すことで、傷つけ血を流させること無く供物のみを取り出すという神業。神父もまたこの技術を探求の末身に付けた。そして今、「仕事」の技として用いているのだ。



 ぐちゃり


 右手に力を込め、目の前で心臓を握りつぶす。心臓が抜かれた地点でゆるやかに死へと向かっていたゴザックではあったが、目の前で己の心臓が抜き取られ、握り潰されるというショックによってすぐさま絶命した。その様子を確認すると、神父は左手を離し、その亡骸を乱雑に床に落とす。そして虎の子の魔道書を拾い上げると、灯りの蝋燭に近づけ、燃やした。古い紙でできたそれはあっという間に燃え尽き、灰となりて夜風に吹かれ散っていった。





 後日、ウォーレン家の屋敷において、長男マイルズの葬儀がとり行われた。同僚であり、現場に居合わせたであろうマシューにも追及が及んだが、彼の虚実交えた証言によりマイルズの名誉は守られ、彼の死を嗤うものはいなかった。同時に賊であろうゾアックの追跡も行われたが、その結果見つかったものは地面いっぱいの肉片と、首の骨と心臓をそれぞれ抜かれた2つの変死体。この凄惨かつ不可解な状況に、州衛士は「身の丈に遭わぬ呪法を用いた代償」と結論付け、またしても「WORKMAN」が疑われるようなことはなかったという。そして時は再び平穏な日常を刻み始めた。





 そんなある日、マシューが帰宅するとモリサン姉妹が何かの目録をじっと睨みつけているのを見かけた。


「どうしたんだそんなに真剣な顔で紙とにらめっこして…ん?何かのリストのようだけど…」

「ええ、先日ウォーレン様が痛ましいことになってしまった事件があったじゃないですか。で、その事件において多くの墓が荒らされ、遺体がリビングデッドにされたんですよね?」

「まあそうだな。当事者の私が言うのも何だが。」

「でもその遺体は何かによってぐちゃぐちゃにされてしまったって言うじゃないですか~。もうお墓に戻すこともできないくらいに~…」

「で、このリストは不幸にもリビングデッドにされてしまった死者の名前が記載されてるんですよ。」

「もし大主様やお父様の名前があったら一大事ですからね~」


 それを聞いてマシューは心臓が止まるかのような衝撃を受けた。あの「仕事」の時、暗がりの中垂れとも判別しないままにバッサバッサと斬り捨てていたわけだが、確かに両親やモリサン姉妹の父を知らずのうちに肉片に変えていた可能性もあるということだ。さすがに肉親身内の遺体を墓に戻せない状態に変えてしまったとあっては大問題。人に言えぬ「仕事」の結果ではあるし、世間では別の原因で通っているから罪には問われることはないだろうが、だからといってもしそうなら己が背負う十字架は大きい。それに姉妹の手前こんな呵責を抱えたまま生活を続けるのはまず無理だ。


 マシューも姉妹に加わりリストを凝視する。被害にあった遺体は苗字をアルファベット順で並べてある。頭から探しMの行…にモリサンの名はなかった。そして見進めVの行…ヴァリア・ヴィスト・ブルーザー・ボルト…ベルモントの名もまた記載されていなかった。


「良かったぁぁぁぁぁぁ!」


 ぷふう、と息を吐き出すと同時にやたらと大きな安堵の声を上げるマシュー。あまりのオーバーアクションに、隣で座っていたフィアラもびっくりしていた。


「ど、どうしたんですか主様!?そりゃ無事に越したことはないですけどそこまでお喜びになられるなんて…」

「い、いや!大切な父上と母上のご遺体が無事だったんだ!こ、このぐらいのリアクションはむしろ当然だろう!」

「そうですね~じゃあ今度の休日、無事を祝って三人でお墓参りでもしましょうか~?」

「あ、ああ!そうだな、それはいい考えだ!」



 精算な事件の中の小さな不幸中の幸い。それでも彼らにとっては代えがたい幸い。血塗られた「仕事」に生きる中で、その幸せを密に噛みしめるマシューであった。

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