大罪の悪王

美紅(蒼)

第1話

「オラ、今日の金だ。ありがたく受け取りな」

「……」


 この世界では珍しい黒髪に、強い意志の宿る黄金の瞳。

 ボロボロで薄汚れた身なりだが、綺麗にすれば上等な素材と化すことは想像できる。

 今日一日、過酷な労働を終えた孤児――――ヴァイスは、店主から日当を貰おうとしていた。

 投げ捨てられた金は、明らかにその日の働きに見合うだけの金額に達していない。

 だが、孤児にまともな給料を払う場所などがあるはずもなく、ヴァイスは唇を噛みしめながら黙って金を拾った。

 その様子を見て、店主は侮蔑の視線を向け、ヴァイスを蹴飛ばした。


「金拾ったらとっとと失せろ! テメェみてぇな汚ぇガキがいると、商売できねぇだろうが!」

「っ!」


 痛みをこらえながら、ヴァイスはすぐにその場から去った。

 例え暴力を振るわれても耐えなければならない。

 逆らえば、殺される。

 金を少しとはいえ貰えるだけマシだ。

 そう自分に言い聞かせながら、ヴァイスは貰ったお金を握りしめ、仲間たちのいる路地裏へ戻った。


「……ただいま」

「あ、ヴァイス! お帰り!」


 ヴァイスが戻ってくると、一人の少女が近づいてくる。

 少女は、孤児というだけでも辛いのに、厳しい差別を受ける、犬の獣人でもあった。

 特別可愛いというわけでもないが、愛嬌のある笑顔を浮かべる少女は、獣人の孤児という立場ながらいつも輝いていた。

 獣人と言っても、犬の耳と尻尾が生えているだけで、外見で人間と大きな違いはない。


「アナ。他のみんなは?」

「まだ仕事に行ってたり、買い物に行ったりしてるよ」

「そうか……あ、これ今日の給料だ。少ないが、受け取ってくれ」


 アナと呼ばれた少女は、渡されたお金を見て、慌てて返す。


「そんな! ヴァイスが稼いだお金でしょ? ダメだよ!」

「いい。俺はいつもお前に助けられてるからな。そのお礼だ」

「私たちこそ! ヴァイスがいてくれるから、頑張れるんだよ!」

「その俺は、お前がいるからこそ頑張れるんだ」


 少し恥ずかし気にヴァイスはそういうと、アナは一瞬呆けて、すぐに笑顔を浮かべた。


「そっか……ありがとう!」

「ただいまー!」

「あ、他のみんなも帰って来たよ」


 アナと話していると、他の仲間たちも帰って来た。


「あ、ヴァイスはもう帰って来てたんだ。お疲れ!」

「ああ。ルークたちもお疲れ」

「いやいや、仕事の数で言ったら圧倒的にヴァイスが多いんだし、俺ら何て大したことねぇよ」


 ルークと呼ばれた少年は、ヴァイスにそう笑いかける。


「そーそー。ヴァイスは頑張りすぎだ」

「私たちをもうちょっと頼ってよね!」


 他の仲間たちも、ヴァイスに笑顔を向ける。

 確かに厳しいく、生きていくのに必死なのは変わらない。

 このユースティア大帝国が大陸を統一してから、貧富の差は激しくなり、アナのような獣人に対する差別も過激化していった。

 その結果、ヴァイスたちのような孤児も多く増えたのだが、国は助けてくれない。

 本来、孤児たちを救ってくれそうな教会でさえ、誰も手を差し伸べてはくれないのだ。

 教会とは、本来貧しい人間に手を差し伸べてくれる場所である。

 だが、大陸が統一されてから、教会内は腐敗していき、特に帝王の権力が強い帝都などでは、特別に酷かった。

 しかし、誰もが教会に手を出す事が出来ず、腐敗にも目を瞑っている。

 それは一般的に10歳になると、教会で【祝福】と呼ばれる儀式を行うからだ。

 【祝福】を行うことによって、人々は≪天賜てんし≫と呼ばれる特殊な能力を身に着ける事が出来る。

 天賜を手に入れると、体のどこかに五芒星が浮かび上がるのだ。

 一度天賜を身に着ければ、後天的に他の天賜も手に入れられる場合もあるのだが、逆に言えば【祝福】を受けなければ一生天賜を手にすることは出来ない。

 天賜はそれだけ強力であり、だからこそ国も口出ししないのだ。

 そして当然、ヴァイスたちは天賜を持っていない。

 腐敗しきった教会が、孤児たちに【祝福】をするはずがないからだ。

 たとえ教会が助けてくれず、孤児で天賜を持っていなくても、こうしてみんなとその日を生き抜けるのなら、それでよかった。

 ――――しかし、その幸せは突然終わりを告げた。

 いつも通り、ヴァイスや他の孤児仲間がその日を生き抜くために、仕事に向かおうとしたときだった。


「ここです」

「おお、おお。臭う臭う……下賤な臭いが漂っているぞ」


 ヴァイスたちの下に、物々しい装備に身を包んだ兵士を引き連れた、一人の小太りの男がやって来た。

 ヴァイスを含めた全員が、その男の出現に首を捻っていると、小太りの男がヴァイスたちを冷たい視線で見渡す。


「貴様らのリーダーは誰だ?」

「俺だが……」


 ヴァイスは警戒しながらそう答えると、小太りの男は兵士たちに命令した。


「捕えろ」

「ハッ」

「なっ!? おい、何しやがる!」


 ヴァイスだけでなく、他の仲間たちも兵士によって取り押さえられた。

 小太りの男は、無言でヴァイスを蹴り上げる


「ガッ!?」

「ヴァイス!」


 アナが悲痛な叫び声をあげ、助けに行こうとするが、身動きが取れないためそれもかなわない。

 小太りの男は、口から血を流すヴァイスに冷え切った視線を向け、言い放った。


「貴様らのようなゴミあっては、街の景観を損なう……」

「……ゴミだと? 俺たちのことをゴミって言ったか!?」


 ヴァイスは小太りの男の言葉に反応すると、激しく睨みつけた。

 それを見て、小太りの男は不快そうに顔を歪める。

 そして、容赦なく顔面に再び蹴りを叩き込んだ。


「かっ……」

「貴様、誰の許可を得て口を開いた?」

「ぅあ……」

「……フン、まあいい。貴様らゴミがあれば、街の評判は悪くなるのだ。だから――――掃除をすることにした」


 小太りの男が厭らしく笑みを浮かべた瞬間、取り押さえられていた仲間の一人、ルークの首が兵士によって切り落とされた。

 何が起きたのか分からないまま死んだルークの首が、ヴァイスの目の前に転がって来る。


「え」


 他の仲間たちも同じで、何が起きたのか理解できなかった。否、理解したくなかった。

 だが、目の前で血を噴出させ、首のない体が痙攣しているのを目の当たりにして、これが現実なのだと嫌でも理解させられたアナは、絶叫した。


「いやあああああああああああああああああああああああああああっ!」


 昨日まで、辛い日々を一緒に過ごし、笑いあっていた仲間が、呆気なく死んだ。

 ヴァイスは目の前のルークの首を見て、叫んだ。


「テメェらあああああああああああああああああああああッ!」


 暴れまわろうとするも、孤児であり、力の出ない体のヴァイスでは、取り押さえてくる兵士から抜け出すことは出来なかった。

 そんなヴァイスの様子を見て、小太りの男は嗜虐的な笑みを深める。


「いいぞいいぞ。さあ、お前の仲間がどんどん死んでいくぞ?」


 そういうと、過酷な日々を共にした仲間が、ヴァイスの目の前で次々と殺されていく。

 小太りの男はわざとヴァイスの目の前で殺すように指示を出していたのだ。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 どれだけ必死に伝えても、兵士たちも嗜虐的な笑みを浮かべながらヴァイスの目の前で見せつけるように殺していくのだ。


「フレッド! リサ! グレイ!」


 どれだけ足掻いても、ヴァイスは何もすることができない。させてもらえない。

 仲間たちは、みんな泣き叫びながら必死に助けを求め、ヴァイスの方に最後の助けを求めようとして、殺されていった。


「やめろ……やめろ……やめてくれよぉ……」


 首を切り落とし、丁寧に一つずつヴァイスの目の前に並べていく。

 そして、とうとう残るはヴァイスとアナだけになってしまった。


「ヴァイス……ヴァイス……!」

「……頼む……アナは……アナは……!」


 目の前で仲間の死を見せつけられたヴァイスの精神はボロボロになっていたが、アナが生きていることでギリギリ正気を保てているような状態だった。

 涙や鼻水で顔をグチャグチャにして、ヴァイスは必死に懇願した。

 その願いを受け、小太りの男はまるで可哀想だとでもいうかのように、悲し気な表情を浮かべる。


「うぅむ。そんな必死に願われては、私も答えねばならぬなぁ」

「!」


 小太りの男の一言に、ヴァイスは顔を上げ、小太りの男の顔を見た。

 すると、悲し気な表情から一転して、残酷な笑みを浮かべた。


「とでも言うと思ったか?」

「あ」


 少女の額から、剣が突き出る。

 アナは驚いた表情を浮かべたまま、どんどん顔から生気が失われていく。

 そして、剣が引き抜かれた後、他の仲間と同じように首を切り落とされ、静かにヴァイスの目の前に転がった。


「あ、ああ」


 なんでなんでなんで。

 どうしてアナの首が転がってる?

 みんなは?

 目を開けてくれよ。

 いつもみたいに、バカ話をしてくれよ。

 笑ってくれよ。

 何で何も言ってくれないんだよ。

 俺たちが何をしたって言うんだ?

 意味が分からない。

 分からない分からない分からない。


「あああああ……」


 大切だった存在を目の前で奪われ続け、最後にアナを殺されたことで、ヴァイスの精神は――――壊れた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 焦点の合わない目で、絶叫するヴァイス。

 それを見て。兵士たちと小太りの男は爆笑した。


「ギャハハハハハハハハハ! テメェの大切な大切な仲間はみーんな本当のゴミになっちまったなぁ!?」

「見ろよ、あの絶望しきった顔をよぉ!」

「最高だなぁ!」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 心の壊れたヴァイスには、兵士たちの言葉は何も入ってこない。

 そんなヴァイスの顔を、小太りの男はしゃがみ込んで見る。


「どうだ? 悔しいか? 憎いか? だが、貴様が弱いのが悪い。それに、貴様らのようなゴミは生きていてはいかんのだ。憎むべきは貴様だ。貴様が悪い。存在のすべてが、悪いんだ」


 黒く、慈愛に満ちた笑顔で、小太りの男はそういうと、その場から立ち去ろうとする。

 そして、兵士に短い言葉で命令した。


「森に捨ててこい」


 森。

 小太りの男が言うそれは、誰もが近寄らない【オムニスの森】を指し示す。

 なぜオムニスの森に人が近寄らないのか。

 それは単純に危険なのだ。

 しかし、危険のレベルが桁違いだが。

 一体で小国レベルなら軽く滅ぼされるような魔物が蔓延っている森なのだ。

 ユースティア大帝国が大陸を統一している中、オムニスの森には手を出していないことからもその危険さは理解できるだろう。

 中に入らなければまだ危険ではないとは言え、それでもヴァイスのような年齢の幼い子どもでは、生きていくことはほぼ不可能に近い。

 命令を受けた兵士たちは、不満げだったが、後に小太りの男に提示された報酬の金額を聞いて、ヴァイスたちをオムニスの森まで運んだ。

 殺されたアナたちの死体も、粗末な袋に詰められ、運ばれる。

 森の入り口に辿り着くと、兵士たちはヴァイスとアナたちの死体を投げ捨て、すぐに帰ってしまった。

 残されたヴァイスの瞳は死んでいる。


「……」


 物心ついた頃から孤児として生活してきたヴァイス。

 生みの親が誰か分からず、がむしゃらに生きてきたがそれでも人の道を外れないように、盗みや殺人といった悪事に手を染めることはなかった。

 確かに身なりは汚いが、それでも胸を張れるくらいにはまともに生きてきたつもりだ。

 それは仲間たちも同じだった。

 ヴァイスと行動を共にするようになり、誰もが悪事に手を染めることなく、必死に働いてお金を稼ぎ始めたのだ。

 例え報われなくても、それでも胸を張れる人生にしたかった。

 ――――その結果がこれだ。

 どれだけまともに生きていても、孤児というだけで殺される。

 人としてすら見てもらえない。

 俺らが一体何をしたんだ?

 この世界では、どう足掻いても格差は埋まらない。

 貧富の差って言うのは、どう頑張っても生まれるのは分かってる。

 だが、笑えるのは裕福なヤツらだけ。

 下は、惨めに死ぬしかない。

 訳が分からない。

 分かりたくもない。

 俺のやって来たことは間違いだったってことか?

 まともに生きても、仲間を無残に殺され、それを目の前で見ていることしかできないのか?

 それは俺が弱いから?

 立場も、力も、金もないからか?

 一度壊れたヴァイスの心は、もう戻ってこない。

 どんどん暗く、黒い感情だけがあふれ出てくる。

 すると、無造作に詰められた袋の中の死体から漂う血の匂いにつられ、狼型の魔物がヴァイスに近づいてきた。

 狼型の魔物は、B級の魔物に指定されるブラック・ウルフで、一般的な兵士が100人いてやっと互角という危険な存在だった。

 ブラック・ウルフは、唾液を垂らしながら無警戒にボーっと座るヴァイスを見て、襲い掛かる動作に入る。

 そして――――。


「ハハ……ハハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「!」


 ヴァイスは――――嗤った。

 貴族を。

 国民を。

 この国を。

 そして……自分自身を。

 その瞬間、ヴァイスの体から黒い【ナニカ】が溢れ出した。

 それと同時に、ヴァイスの背中から、禍々しい気配を発する七芒星が浮かび上がる。

 教会で祝福を受けていないのにだ。しかも、一般的な五芒星でもない。

 しかし、確かにヴァイスの背中から、七芒星が浮かび上がっているのだ。

 ブラック・ウルフは、その七芒星と黒い【ナニカ】に、本能が盛大に警鐘を鳴らした。

 ――――アレに触れてはダメだ、と。

 だが、ブラック・ウルフは、逃れる事が出来なかった。

 黒い【ナニカ】は、ブラック・ウルフを囲み、やがて大きなアギトとなって、ブラック・ウルフを飲み込む。


「ガアッ!? ガ、ガァ――――」


 黒い【ナニカ】が消えると、そこにはもうブラック・ウルフはいなかった。

 ブラック・ウルフが消えてもなお、ヴァイスは狂ったように笑い続ける。

 黄金の瞳からは、涙があふれ出て止まらないのに、顔は笑顔なのだ。


「ハハハハハハハハハハ! そうか、これがこの世界の『正義』だって言うのか!」


 まるで神を嘲笑するかの如く、ヴァイスは天を仰ぎ、大声で叫んだ。


「いいだろう――――それが『正義』だと言うのなら、俺は『悪』で否定しよう……!」


 ――――この日、一人の【王】が誕生した。

 ある者は彼を英雄だと称賛し、ある者は彼を悪の権化だと批判した。

 だが、誰が何と言おうが、もう止まらない。

 世界は――――間違え過ぎた。

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