第345話 ドキドキ★お料理行進曲(デスマーチ)③

 ある日。死神ちゃんは、チョコレート菓子を一緒に作る約束をしていた友達たちのうちの一部と、アリサの家に集まっていた。〈今年作るもの〉の候補を出そうという狙いの集会である。マッコイとサーシャが持参したレシピ本を荷物から出して積み上げている最中、一班クリスがニコニコと笑いながらマッコイに声をかけた。



「ねえ、マコさん。僕ね、とっておきの〈愛の妙薬〉を持ってきたんだ。これ、使えないかなあ?」



 怪訝な表情を浮かべながらも、マッコイは一班クリスから細長い袋を受け取った。中に入っていたのは、ごく普通の赤ワインだった。マッコイは拍子抜けでもしたのか、一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。そして目を瞬かせると、一班クリスを見やって言った。



「あら、〈愛の妙薬〉にしては等級が……」


「あ、分かる? マコさんっていろんな分野に対して造詣が深いよね。すごく魅力的だよ。僕、マコさんのそういうところ、好きだなあ」



 呼吸をするように一班クリスが甘い言葉をキザったらしく吐くのも気にすることなく、マッコイは申し訳なさそうに眉根を寄せた。



「でも、良いの? こんな高級品、お菓子作りに使うには、さすがに勿体無いわよ」


「うん、それは別に。ダンジョン内のイベントでも、お酒を使ったレシピがあるじゃないか。それに、せっかくの〈愛と感謝〉を伝えるイベントなんだから、そのくらいは」



 マッコイは笑顔でうなずくと、候補のひとつとして〈ワインを使ったチョコレシピ〉をいくつか提案すべくサーシャとレシピ本漁りを開始した。その様子を、ピエロが苦い顔を浮かべて見つめていた。どうしたのかと死神ちゃんが尋ねると、ピエロは不服そうに口を尖らせた。



「去年あちしがガチ媚薬の作り方を教えるから、それをチョコに入れようって提案したら却下されたじゃん? でも、今年はクリスが〈愛の妙薬〉を持っていくって言うからさ、『何だよー、やっぱ媚薬はアリアリなんじゃん!』と思って、あちしも持ってきたんだよ。でも、クリスのはただのワインだったんだね。期待していたのと違ったよー」


「あちしも持ってきた? 何それ、見たいわ! 見せて!」



 落胆するピエロの言葉に食いついたのはアリサだった。アリサはピエロから小さなガラス瓶を手渡されると、怪しい笑みを浮かべて目をギラつかせた。



「これ、本物なの?」


「そーだよー! 魔女っ子ピエロちゃん謹製の〈確殺★マジ媚薬〉だよー!」


「じゃあ、これさえあれば〈私だけのジューゾー〉がご自宅に――」



 彼女の言葉を食うように、死神ちゃんはすかさず「俺、お前からの分はもらわないことにするわ」と呟いた。すると、アリサはひどく不満げに口を尖らせた。



「何でよ!?」


「飲食物に〈それ以外のもの〉を混入されるのは、好ましくないからです」


「いいじゃない、ちょっとくらい!」



 言い争いをし始めた死神ちゃんとアリサの間に、マッコイが割って入った。彼はアリサから小瓶を取り上げると、彼女を窘めた。



「本人、嫌がっているじゃない。ていうか『ご自宅に』って何なのよ。通販じゃああるまいし」


「あっ、ちょっと、マコ、返して! お願いだから! ね!?」


「駄目よ。これは、アンタにではなく製作者に返します」


「いいじゃない、ちょっとくら―― あ」



 アリサはマッコイから小瓶を取り戻そうと果敢に挑んだ。彼は小瓶を掴んだ手を上下左右に動かしながら抵抗していたのだが、運悪くアリサの手が引っかかた。そのせいで瓶の栓が開き、彼は中身をほんの少しだけ浴びてしまった。そして慌ててハンカチを取り出しながらアリサが謝罪の言葉を述べたのだが、彼女は最後まで言葉を言い終えることなく口をガッツリと塞がれた。

 アリサは、突然の〈衝撃的すぎる出来事〉に思考が追いつかないのか、成されるがままになっていた。彼女がマッコイから濃厚なベーゼを受け続けているのを眺めながら、ピエロはニヤニヤと笑みを浮かべ、それ以外の者は〈何事!?〉と内心パニックを起こした。そして本日この場に集ったピエロ以外の一同が驚愕のあまりに硬直する中、天狐がとてもマイペースに不満を漏らした。



「おみつー。何故なにゆえ目隠しをするのじゃー。何も見えぬではないかー」


「申し訳ございません。お館様には、まだお早いですから」



 マッコイはようやくアリサを解放したと思ったら、今度は一班クリスのいつものキザ台詞が可愛く思えてくるような甘ったるい言葉を並べ立て始めた。〈乙女な親友が情熱的な言葉で口説いてくる〉という本来あり得ぬさまを瞬きすることなく見つめながら、アリサは鳥肌を立てた。天狐はというと、今度は耳を塞がれて「何も聞こえぬー」と抗議した。

 ようやく思考が追いついてきた一同は、一様に顔をしかめた。サーシャと一班クリスは口々に、ポツリと漏らすように呟いた。



「うわあ、ピエロちゃんのガチ媚薬、効果高すぎだよ……」


「ちょっとこれは、さすがの僕も引くなあ……。こういうものに頼って哀しみが広がるくらいなら、お酒の力のほうがまだ健全だよ……」



 死神ちゃんはピエロのほうを向くと「解毒剤のようなものはないのか」と尋ねた。一応用意はあるそうなのだが、ピエロは「おもしろいから、もう少し見ていたい」と言って出し渋った。そうこうしているうちにマッコイが何やら歌い始め、アリサがガタガタと震え始めた。



「わあお、クワントエベッラ。しかも、意外と上手い。まさに〈愛の妙薬〉ってか」


「クリス君、感心してる場合じゃあないよ! ――お花ちゃん、どうしよう。私が魔法でマコちゃんの動きをとりあえず止めればいいかな!?」


「おう、頼む! ――おい、ピエロ! いいから早く、解毒薬を出せよ! これ以上、双方の傷口が広がる前に止めてやらないと!」



 リビングに静寂が戻ってからしばらくは、マッコイもアリサもがっくりとうなだれてお通夜状態だった。二人とも、暗い表情を浮かべてガタガタと震えながら「媚薬怖い」と呟いており、一同は凄まじく不憫そうな眼差しで彼らをそっと見つめた。彼らも、何となく心に傷を負った。

 おみつの素晴らしいアシストにより被害を被らなかった天狐は、いつになく暗い雰囲気のみんなを見渡すと首を傾げた。



「何故、みなの元気がないのじゃ?」



 おみつは笑顔を繕うと、ただ一言「不幸な事故があったからですよ」とだけ伝えたのだった。




   **********




 今回は作る前からすでに地獄と化したわけだが、これで終わるわけがないと死神ちゃんたちは考えていた。それでも最善の状態で臨めるようにと、一番被害に遭いやすいマッコイとサーシャは当日、ボストンバック一杯に着替えを持って集合した。去年の惨劇を知らない一班クリスが「お泊りでもするの」と不思議がっていたが、誰も多くを語ろうとはせず、ただ「今に分かる」とだけ呟いた。


 結局、作るものはワインチョコケーキとブラウニーに決まった。どちらも、作り方や用意すべき材料が似通っている。なので両方作って、プレゼント時に〈お酒が大丈夫な人にはワインのほうを、駄目な人や小さなお子様向けにはブラウニーを〉という感じで配ろうということになった。

 まずはお酒を使用しないブラウニーから作ろうということになった。そして相も変わらず、アリサがやらかした。去年のホワイトデーにバターの大きさを揃えず適当に刻んだ彼女は、今年はきちんとサイコロ状に切り分けた。しかし、小麦粉をひっくり返すというのは変わらなかった。前回は本人が丸かぶりしていたのだが、今回はサーシャが犠牲に遭った。

 次に、卵の準備に取り掛かった。ホワイトデーのときには卵黄と卵白の分量が異なっていたのだが、今回はそういうことを考える必要がない。にもかかわらず、アリサは誰に確認することもなく卵黄と卵白を分けた。その程度なら別に問題はなかったのだが〈綺麗に分けることができた〉というのが大層嬉しかったのか、彼女は卵黄と卵白の入ったボウルを手に持ち、はしゃぎ回った。そしてうっかり転びかけ、卵白をマッコイに浴びせた。


 これくらいならまだ着替えなくていいとばかりに、サーシャは若干〈白エルフ〉状態で一同に製造指導をしていた。マッコイはさすがにぬとぬとしたままではいられないということで、一旦着替えると言ってキッチンから出ていった。そんな二人を呆然と眺めながら、一班クリスがボソリと声を震わせた。



「アリサさんって〈デキるシャチョーさん〉じゃあなかったっけ……?」



 他のみんなは、おみつ指導のもと、順調に調理を進めていた。今回も時おりマッコイやサーシャが見に来てくれはしたが、どうしても二人はアリサ一人にかかりきりになりがちだった。そうしなければならないほど、アリサは危なっかしかったのだ。

 卵を混ぜる段になり、一班クリスが「何で電動ミキサーじゃあないんだ」と不満をこぼした。それに対して答えるように、ピエロと三班クリスがアリサに視線を向けた。彼らに釣られてアリサを眺め見た一班クリスは「げ」と呻き声を上げた。



「どうやったら泡立て器が空を飛ぶんだよ……!」


「それが、アリサっちの場合、飛んじゃうんだよねー」


「前に電動ミキサー使ったら、サーシャのほうに飛んでいってさ。助けたマコ姉と軍曹に、貫通したんだよ」


「貫通って……」



 一班クリスが言葉を失うのと同時に、アリサは卵液を思いっきりひっくり返した。そしてその卵液は、すでにフライング泡立て器の洗礼を受けて汚れたマッコイがサーシャを突き飛ばし、一人で全て引き受けた。マッコイとサーシャは「マコちゃんだけ汚れさせるわけには」だの「あなたが無事でよかった」だのということを、まるで戦地で励まし合う兵士のような口調で語り合っており、それを見た一班クリスは再び呻き声を上げた。


 アリサという地獄から最も離れた場所では、死神ちゃんと天狐とソフィアが楽しそうにキャッキャと笑い合いながら作業をしていた。その天国のような光景に、エルダがシャッターを切りまくり、ケイティーが溶け、その他の面々も癒やされていた。その後、一同は何とか、焼く工程まで辿り着いた。そして、焼いている間にワインチョコケーキの準備に取り掛かった。



「手順は今のと大体同じだから。じゃあ、サクサクと行きましょう」



 マッコイがにっこりと笑ってそう言ったが、すでに少しばかりやつれていて不憫でならなかった。しかし、一同の心配をよそに、こちらのほうはとても平和に作業を進めることができた。だがやはり、最後の最後で不幸が起きた。


 大人数で作業ができるほど広いキッチンがあるとはいえ、全員分のケーキを一度に焼けるほどオーブンが大きいというわけではない。なので、マッコイとサーシャが交代制で順番にオーブン番をし、複数回に分けて焼くことにしていた。他の面々はリビングで寛ぎながら、先生たちがデモンストレーションで最初に作ったブラウニーを食べていた。そこに続々と〈焼き上がった自分たちのブラウニー〉が運ばれてきて、参加者は嬉しそうに頬を緩めた。

 一回焼くだけでも結構時間がかかるため、一同はマッコイとサーシャが交代でリビングから出入りするたびに二人を労った。そしてもう少しで最後のワインチョコケーキが出来上がるというころ――



「何、今の爆発音!」



 一同は、慌ててキッチンへと急行した。彼らが現場で目撃したのは、上半身裸で煤だらけの格好でスンスンと泣くマッコイと、傷ひとつなくピンピンとしているアリサだった。



「ねえ、教えて? どうやったら、触っただけで爆発させることができるわけ?」



 どうやら保温ポットの中のお湯が尽きたため入れ直しに行ったアリサが、最後のケーキの焼け具合を覗き込んだらしい。その際に何故か爆発が起き、さらに何故かマッコイだけがそれに巻き込まれたらしい。

 サーシャとエルダとピエロは手分けして、いまだ火がくすぶっている部分に水魔法をかけて回った。ケイティーはマッコイのボストンバッグから大判のタオルを取り出して、肩にかけてやった。アリサの料理下手について噂すら知らなかった一班クリスとソフィアはただただ、ぽかんとするしかできなかった。そしてアリサはというと――



「知らないわよ! 爆発しないほうがおかしいのよ!? 爆発、するものなのよ!? そうでしょう!?」



 彼女は最初、マッコイのことを心配そうにしておろおろとしていたのだが、みんなからの刺すような視線に耐えられなかったのか、開き直ってそのように叫んだ。一同が「んなわけないだろうが」とツッコミを入れる中、死神ちゃんと天狐だけはマイペースにお昼寝をしていたのだった。





 ――――なお、吹き飛んだワインチョコケーキは、幸か不幸かアリサのものだけでした。彼女は「私の愛の妙薬!」と叫びながら地団駄を踏んだそうDEATH。

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