転生死神ちゃんは毎日が憂鬱なのDEATH

小坂みかん

* 死神生活一年目 *

第1話 〈死神〉→死神?

「何だ……こりゃあ……」



 初めて見る光景だった。てのひらが、自分の血でべったりと汚れているというのは。

 信じられないという驚きと、とうとう焼きが回ったのかという落胆が男の脳裏を埋め尽くした。そして、それらの思いは霞む視界とともにぼんやりと白んで消えていった。






「なんだ、夢だったのか」



 慌てて飛び起きた男は、自分の胸を見るなりそう言ってホッとため息をついた。――〈死神〉の異名を持つ名うての殺し屋が、あんなにあっさりと死ぬはずがないのだ。

 夢の中では血を吐き出していた胸元の風穴は存在せず、シャツのしわすらひとつも無く綺麗そのものだ。男が安堵の息を漏らしながら胸を撫でていると、クスクスと笑う女の声が聞こえてきた。


 顔を上げた男の目の前に、いつの間にやら女が立っていた。高慢な笑みを浮かべるその女は、豊満な褐色の体を金の豪奢な装飾で飾り立てていた。しかし、その女の存在を際立たせるものはエロティックな肢体でもなく、きらびやかなアクセサリーでもなく、髪だった。髪の色が何とも不思議なのだ。銀でもなく、白髪交じりというわけでもない。艶のある、綺麗な灰色。


 不思議な魅力をまとうこの女に男が見惚れていると、女が小首を傾げて言った。



「ぬしの〈焼きが回った〉という自己評価は、正しいのかも知れぬのう」


「何だと……?」


「普通、このような場所に居ること自体が〈夢だ〉と思うだろうに。いくら〈生きている〉〈先ほどのあれは夢だった〉という思い込みが強いとはいえ……」



 失笑する女に対して、男は怒りがこみ上げた。しかし、それもすぐに消し飛んだ。



「何だ、ここは……」



 どこまでも続く白。そして、存在するものは自分と女だけ。――この異様な空間に、男は一抹の不安を覚えた。そしてすぐさま、男は悟った。



「俺はやはり死んだのか……。しかし、三途の河原とやらはもっと陰湿で暗い場所だと思っていたんだが」


「ぬしが望むのならば、今すぐにでも三途の河原に連れて行ってやっても良いぞ?」


「ここは死後の世界とやらではないのか」



 男が不思議そうに眉根を寄せると、女が誇らしげに胸を張った。



「ぬしの〈死神〉としての腕は確かに素晴らしいものであった。このまま冥府へと送るのは口惜しい。だから、わらわはぬしを引き抜きにきたのじゃ」


「引き抜き?」


「そうじゃ。どうせこのまま冥府に行けば、悠久の時を業火に焼かれて過ごすことになる。それよりは、妾のために働いたほうが良いとは思わぬか? 何なら、無事に勤め上げた暁には、冥府行きを免れるよう口添えをしてやろう。さらに場合によっては、ぬしの望む未来をくれてやっても良い。妾も神族の端くれじゃ、そのくらい造作も無い」


「で? そんな偉い神さんが、俺なんかに何を頼もうっていうんだ」



 男は腕を組むと、神妙な面持ちで女を見つめた。女はいかにも〈困っている〉と言いたげな表情を作ると、肩を竦めて溜め息をついた。



「妾の助力あって繁栄したということを忘れた阿呆とその一族に、妾は呪いをかけたのじゃ。その阿呆ときたら、許しを乞うどころか妾に楯突いた。だから妾は難攻不落のダンジョンを生成し、その最奥に彼奴きゃつらにかけた呪いを込めた宝珠を置いたのじゃ。そんなに呪いを解いて欲しくば、宝珠を手に入れ割るが良いと言うてな。――あれからもう三十年。ダンジョン攻略の冒険者たちも、中層辺りまで到達するようになった。しかし、三十年なんて、ぬしらにとっては相当な時間であろうが、妾にとっては〈ほんの少し前〉程度。妾はまだまだ許してなどやりとうない」


「それで〈俺の腕を買って〉ということは、つまり、冒険者が活動できないように暗躍しろということか」


「察しが良くて助かる。――殺し屋〈死神〉よ。ダンジョンの死神となり、冒険者達の活動を妨害してたもれ」



 女がにこりと微笑むと、男は鼻を鳴らして皮肉めいた笑みを浮かべた。



「この落ちぶれた〈死神〉に、死神をやれと」


「そうじゃ。――さあ、選ぶが良い。妾に尽くすのか。それとも、呵責の炎にその身を投じるのか」



 男はゆっくりと立ち上がると、女の瞳を覗き込んだ。そして、ふっと笑いながら視線を足元へと落とした。再び顔を上げた男の顔には、感謝と決意が滲んでいた。



「あんたのおかげで、俺の中の〈俺の最期〉は血みどろじゃあなくなった。あんな恥さらしな姿じゃなく、綺麗な体で今ここにいさせてくれた恩に、俺は報いたい。――いいぜ、あんたに忠義を誓ってやるよ」



 女は満足気に頷くと、男の頬に両手を添えた。



「では、その〈名〉に相応しい死神となるが良い。ぬしの活躍を期待しておるぞ」



 そう言うと、今まで瞳のなかった女の目に赤い瞳がスウと浮かんだ。男は、吸い込まれるようにその綺麗なルビー色に見入った。そしていつしか、男は女に唇を奪われていた。

 男は驚いたが、きちんと応えるべく女の腰に腕を回そうとした。しかし、腕を回す前に女が離れた。そして、先ほどまで見下ろしていたはずの女の顔が、何故か必死に見上げないと見えない高さにあることに気付いて、男は不思議に思った。

 女は握り拳で口元を隠すと、必死で笑いを噛み殺した。



「その〈名〉に相応しいって、異名じゃなくて、本名のほう……」



 ふるふると震えていた女が、耐え切れずに弾けるように笑い転げた。男が呆気にとられていると、女は人差し指を立てた右腕をクルクルと回した。すると、男の目の前に鏡が現れた。そこに映っていたものは――



「何だこりゃああああああ!!」



 自慢の長身は小さく縮み、厚い胸板はつるぺったんに。

 シュッと引き締まった頬は、愛らしいぷにぷにほっぺに。

 凛々しい黒い瞳は、くりっくりの大きな赤目に。

 整髪油できっちりと整えられた黒の短髪は、ふわふわピンクのツインに。

 かっちりスーツは、ふんわりスカートに。


 そして、地獄の番犬のような野太い声は、天使のロリ声に……。



「ちょっと待て! 何だこれは!! 姿を変える必要はないだろう! 変えるにしても、何で幼女なんだ!」



 男――もとい、幼女が絶叫するも、女は腹を抱えて屈み込み、ぷるぷると震えたまま顔を上げずにいた。



「では、よろしく頼むぞ、かおるちゃん」



 絞り出すようにそう言うと、女はちらりと幼女を一瞥して、そして笑いで肩を震わせながら完全にしゃがみ込んだ。



「やめろ! 本名で呼ぶな!」



 怒りで頬を真っ赤にした幼女に構うこと無く、女はそのままスウと姿を消した。



「待て! 行くな! これはさすがにおかしいだろう! 待て! 待ってくれ……!」



 幼女の懇願も虚しく、白い空間は光に満たされ、それとともに幼女――死神ちゃんの意識も遠のいていった。





 ――――こうして、死神ちゃんの憂鬱な毎日が幕を開けたのDEATH。

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