日曜の授業 1

 本日は日曜日、いつもならリトルリーグの練習時間に行っている時間帯だが、今日は学校に向かっている。

 下駄箱で上履きに履き替え、教室に入ると、いつものクラスメイト達が既に出揃っていた。みんなの様子はいつになく張り切っていて、普段あまり勉強をしない子も、これから行われる授業の予習をしている。


 今日の授業は生徒達だけでは行われない、保護者の方々がやってくる。いわいる授業参観と言うものが開かれる。



 授業開始の10分ほど前に、美和子先生はいつもより少しだけ早くやって来た。

 そして、廊下の外に待機している保護者の方々と軽い挨拶を交わしている。


 外で何を話しているのか、大人の私でも気になる、まして好奇心の強い子供達はなおさら気がかりだろう。

 生徒達はその様子をなんとか覗こうとする。しかし教室にくらべ廊下は少し暗くなっていて見えにくい。声は窓ガラスに阻まれてほとんど聞こえてこない。

 ほとんど廊下からの情報は伝わってこないのだが、それでも子供達は何か情報を引き出せないかと、椅子から腰を浮かせるようにして廊下の方をにらんでいる。


 その光景を席の最後尾から見守る。

 私の子供の頃はどうだったのだろうか、母親が来てくれるので張り切っていた気がしたが、今となってはよく思い出せない。



 やがて始業のチャイムが鳴り、美和子先生は我々に挨拶を済ますと、早々に廊下に出て行き保護者の方々に声をかけた。

 すぐに教室の後のドアから、見学者の御一行が入ってきた。


 教室にはどよめきが起こる。両親に向けて手を振る者や、必要以上に緊張をしているのか後ろをかたくなに振り返らない者もいた。いつもは猫背ぎみの者も背筋を伸ばして、少しでも見栄みばえが上がるように装う生徒もいる。

 反応の仕方は人それぞれだが、いずれにせよ普段とは違う生徒達の態度がうかがえた。

 両親が来ているので、少しでも良いところを見せたいのだろう。ただ、この場で見栄みえを張っても、普段の家庭での勉学している姿を家族は日常的に見られている訳で、いまさらつくろっても無駄かもしれない。



 保護者の方々の移動が落ち着くと、教室に静けさが戻ってきた。


 さて、ところで私の母親は来ているのだろうか?

『いまさら授業参観には来なくても良い』とは伝えたのだが……


 気になり後ろを振り返って見渡すと、親御さんの中に混じって、一人、年老いた母の姿が見える。

 私はショックを受けた、それはうちの母が授業参観に来たことに対してでは無く、保護者の方々の年齢に関わる事である。


 運動会の時は遠目でよく分らなかったが、間近で見るとかなり若い人が多い。

 ある程度は年齢層の想定していたものの、現実に見せられると目眩がするようだ。


 私と同じかそれよりも若い人達が、結婚して家庭を持ち、子供がいて、すこやかに成長している。それに引き換え私は、何も成り立っていないに等しい。

 保護者の方々をみていると、私は社会的立場という余計なプレッシャーにさいなまれた。そしてある種の自責の念に駆られる。

 私の内心など誰も知るよしも無い。ひとり悶絶に近い心理的ダメージを受けている間に、授業はいつも通り開始された。



 美和子先生が国語の教科書の231ページ目を開くように指示が飛ぶ。


 こういった授業参観には国語は向いていると言えよう。

 文学において、作品の解釈は個人の自由であり、感想など捉え方も様々で構わない。

 つまり国語という授業は、明確な正解が無いのだが、明確な不正解が無いとも言える。


 これは子供達には好都合だ。不正解を述べて失態を見せるというリスクを気にせず、思ったこと、考えた事を何を発言しても構わない。

 両親に向けて子供達が不自由なくアピールができるこの教科は、授業参観にうってつけだ。



 指定された教科書のページを開くと、やさしいタッチで描かれている絵本の扉絵が出てくる。

 それは『森を植えた男』というお話だった。

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