第3章 黒い泉の謎(3)
二十一世紀に未来の妻がいてくれたらいいなと思いながら、カケルの問いには首を横に振って答えた。
「それなら、アキかキララか、別の娘を一人、君の妻にすればいい」
雪也は頭を超高速回転させて必死に言い訳を考えた。縄文時代で妻をもらっても全く意味がない!
それに、もし、村の女の子と一緒に暮らし始めて本気で好きになってしまったら、それこそ悲惨だ。
「カケル、俺のいた世界では未熟な男は妻をもらえないことになってる。俺は未熟な勇士なんだ! エナは知ってるけど、俺は精霊と交信できるんだ。その精霊が、お前はまだ妻は得られないって言ってたし!」
酷い言い訳だと思ったが、カケルは必死に言い募る姿を見て真剣に受け取ったらしい。
「それはすまなかった。御告げを無視して良いわけはないな。もし精霊が妻を得てもいいと言っていたら教えてくれよ」
「あ、ああ、わかった」
真冬にもかかわらず、冷や汗をかいた。とりあえず、アキとキララとは今まで通りに仲間として接すれば良いことになった。今日は清々しい天候なので、村の女たちは外で土器づくりを行っている。
「そういえば、ここの村は若い女がちょっと少ないんだね」
「だから、村の存続が危ういんだ。余所から迎えたいとは思ってるが、娘を簡単にくれる集落はそうそうないよ」
沢霧の村では、今、一人の娘が身重だ。ミヅキと言って、エナよりも若い。お腹が大きくなるにつれ、エナは毎日彼女の家を訪れて祈祷をする。家の奥に小さな祭壇を作り、そこに胸とお腹が強調された土偶を飾っている。
カケルと別れた後、雪也はエナと共にミヅキの家に向かった。日当たりが良く、湧水が近い便利な場所で、今のところ、妊婦は元気そうだ。
「今日もありがとうございました、巫女様。精霊は何か言ってましたか?」
長い髪を下し、装飾品も外して暖かい炉辺の側に座ったミヅキは、エナに尋ねた。巫女は相変わらず、腕に何重にも貝輪をはめ、翡翠の大珠を首から下げ、結い上げた頭には赤漆が丁寧に塗られた簪をきっちり挿している。腰には小さな太鼓を括りつけているのだから、結構身動きが取りづらそうだ。
エナがすぐに歩くのがめんどくさい、あなたが抱えてよ、と言ってくるのも、理由がなくはないのだ。
「特に精霊は語りかけてこなかったわ。荒ぶっている様子もないし、安心しなさい」
「はい。……巫女様は、そのー、出産されたことはありますか?」
唐突な質問に、エナは一瞬固まった。小滝の村の風習では巫女は独身だったし、大鵥の村に行くことも拒否したのだから、夫などいたことはない。
「ないわね。あたしも早く結婚して子をもうけないといけないのに……。沢霧の前の巫女は三人の子を産んだって聞いたわ。彼女だったら、あなたにも適切な助言ができたでしょうに」
「いえ、変なこと訊いてこちらこそ申し訳ありませんでした。エナ様の力は十分受け取っていますよ」
巫女の家に戻ると、雪也はミヅキとの会話についてエナに訊いてみた。前の巫女はどんな人物で、誰と暮らしていたのかと。いつそんな情報を得たのだろう。
「あら、話してなかった? サザメに聞いたのよ」
「サザメって誰?」
「だから前の巫女。今、サザメの話をしてるんじゃない。鈍くさい人ね!」
エナは少しイラついているようだが、既に死亡しているサザメという前の巫女とどうやって会話をしたのか、雪也には全く理解できない。そして、エナはそれ以上、話そうとはせずに手振りで雪也を追い出してしまった。
時々、エナの考えていることについていけない。縄文時代に生きている人だからわからないのか、エナだからわからないのか、それとも巫女とはこういう人種なのか、雪也は結論が出せずにいる。
実は以前、夕飯を運んで行った時に、エナの奇妙な行動を目撃してしまったことがある。いつもは清潔に保たれている巫女の家の床に、なぜか大量の、床が埋まってしまうくらいの鳥の羽がばら撒かれていたのだ。エナは床に寝そべって、鳥の羽を摘み上げては息を吹きかけ、うっとりと眺めている。
雪也が声を掛けても反応がなく、しばらく様子を見ているとエナは鳥の羽をかき集めて着ている服に一心不乱に差し込んでいった。
見るに見かねて、雪也は鳥の羽を回収していった。どこからこんな大量の羽を持ってきたんだと訊いても、エナは精霊が運んできたと言う。そして、回収されたことに激怒し、歯をむき出しにして雪也を追い払った。
夜、一体あれは何だったんだろうと思いながら横になっていると、微かに外で雪を踏みしめるような音が聞こえた。騒音に溢れている現代と違って、縄文時代は何もかもが静かだった。特に夜は無音と言っても過言ではなく、しばらく生活しているうちに、雪也の耳はかなり小さな物音も聞きつけられるようになっていた。
(エナだ……。全くあの子は、こんな夜中に何をしてるんだ)
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