如何にも映画の序盤で全滅しそうな組織に就職しましたが、僕は元気です

@Schuld3157

第1話 拝啓ご両親、やっぱり僕は駄目そうです。

 「この度は、思いがけないことでさぞかしお力落としのこととお察しいたします。心よりご冥福をお祈り申し上げます」


 病院という所は、どうしてこうも薄ら寒いのでしょうか。真っ白な壁と床は酷く無機質な感じがして、立ち込める消毒液の臭いが無機質さを助長しています。


 その上、建物が立てられたばかりで何もかもが真新しく、壁紙もリノリウムの床も全てが薄気味悪くなるほどに綺麗となれば、最早ホラーとさえ言えるほどの無機質さです。


 「どうかお力を落とされず、お気持ちをしっかり持ってください」


 しかし、その無機質さを上回るだけの無機質な声が隣で発されていると、その不気味さすらもう温いものに感じられてしまいます。この人は一体、電話の録音音声案内の方がよっぽど生気に溢れているとすら思える声をどうやって出しているのでしょうか。


 隣に並んだ先輩が頭を下げたので、私も慌てて頭を下げました。


 そうすると、正面で差して辛そうにもしていない、むしろ「ああ、やっとか」という雰囲気すら纏ったご夫婦も返礼をしてくれます。深夜に駆り出されてしんどいのは、何も私達だけではなかったようで。


 「それでは、これより処置に入らせて頂きますので、暫くかけてお待ちください」


 「はい、すみません。父をよろしくお願いします」


 もう一度深々と頭を下げ合う先輩とご夫婦。私も一拍遅れて頭を下げ、非常にどうでもいいことに、同じ位置で頭を下げているのに、彼我の頭の位置から、やっぱりこの人かなり小さいなと失礼なことを思ってしましました。


 では、と断って先に進む先輩。喪服を隙無く着込んだ姿は様になっているのに、何処か儚げな印象があります。何というか、棺を見送る側というよりは、埋められる棺に収まっている方がしっくりくるような……。


 そんな先輩に遅れないよう、病院の地下を早歩きでついていきました。ここの病院は新設された途方も無く大きい病院で、地下区画も実に広大です。目的地まで遠いし、あまりのんびりしていられないので早く移動しなくては。


 「あのー、中央葬儀社の者ですが……」


 「えっ? じゃあさっきの人達は?」


 角を曲がろうとした所で、先ほどのご夫婦が葬儀屋の人と話している声が聞こえました。ああ、やっぱり勘違いされていますか、そりゃあのやりとりでは……。


 「先輩、手帳は出さなくて良かったんですか?」


 「規則にないので」


 聞いてみたところ、振り返りもせず大変素っ気ない答えが返ってきました。ああ、そういえば規則では強制執行時くらいしか提示の義務が無いのでしたっけ……。


 私より定規一本分は小さい割についていくのに苦労するほど足の速い先輩の後を追って、複雑に入り組んだ廊下を幾度も曲がる。これほど複雑な構造をしているのは、確かテロ対策のためだとガイダンスで聞きました。


 曰く、ここは飛行場と同じくらい狙われると拙いのだから、ガチガチに固めるくらいでちょうど良いのだと。


 脳内の地図と現在位置がイマイチ噛み合わないまま、アヒルの子共のように先輩にくっついて辿り着いた場所では、パンツスーツタイプの喪服を着込んだ一人の女性が待っていました。


 並の男性よりも随分と高い背に腰元まで届く髪をした凛々しい女性が、不快そうに眉根を寄せて扉の脇に凭れている姿は酷く威圧感があり、近寄りがたく感じられます。その上、剣呑に禁煙パイプなんぞを咥えてイライラとライターの蓋を弾いているのですから、近寄りがたさは加速度的に上昇しております。


 「あ? 遅いぞ後輩、ビギナー。どんだけ待たすんだ」


 ハスキーで微かに掠れた声も何処か不機嫌そうで、実に外見に見合った威圧感があります。これでお国言葉を話された日には、大抵の男性は萎縮して声をかけるどころではないのでしょう。


 しかし先輩はそんな女性に臆さず近寄ると、恐ろしく自然で素早い手つきで禁煙パイプをひったくったではないですか。


 「あにすんだ、後輩」


 「みっともないんで止めてくださいせんぱ……班長。場末のチンピラじゃあるまいし」


 先輩はポケットティッシュを取り出して禁煙パイプの吸い口を包むと懐にしまい、代わりにあめ玉を取り出して女性、つまりは我らが班長に押しつけました。みっともないから代わりにコレでも舐めていろ、ということでしょうか。


 「ちっ……次は柑橘系の味にしろ、後輩」


 「味にまで注文付けますか」


 普通なら喧嘩でも始まりそうなやりとりですが、慣れて居るのか味に注文を付けるだけで、班長はあめ玉を素直に口に放り込みました。そして、先輩も軽口で返して班長がお待ちになっていた場所の脇にある扉に手を掛けました。


 「どうしたビギナー、閉め出されたいか」


 「あっ、いえっ、すみません!!」


 自然に部屋へ入り込む先輩と班長。しかし、その部屋にかかったプレートを見ると、少し物怖じしてしまいます。しかし班長に急かされればさっさと入らねばならないので、覚悟を決める間も無く扉を潜りました。


 そこは空調が効いた廊下よりも更に冷え切っていました。今の時期だと暑いと感じる喪服であっても、何かあと一枚羽織りたいと思うほど。


 それもそうでしょう。なんと言っても、ここは霊安室なのですから。


 本当に何度来ても慣れない部屋です。寒いのは言うまでも無く、何かが凝ってしまったような空気が立ち込めていて、心の底から陰惨な気分にさせられてしまうので。


 「遅いお着きね」


 そして、そこには幽霊と死体が居ました。


 死体は検死台に横たわる老翁で、肌は蒼白ながらも瑞々しく、ここに寝ていなければ死体と分からないほど。きっと、たった今亡くなったのでしょう。


 幽霊はその寝台の傍らに佇む女性。この寒さの中では嘘だろと思うほど薄手のブラウスにタイトなスカートを纏う痩せぎすの彼女は、適当に白衣を羽織っているだけの軽装でした。短く整えた輪郭を縁取る黒髪と細いフレームの眼鏡も相まって、雰囲気そのものが女医でございと物語っています。


 「部下二人がとろくてな。時間は?」


 「死亡時刻は2時43分」


 幽霊が喋った。いいえ、彼女は幽霊ではないので、まぁ喋るのも当然でしょう。単に雰囲気と場所柄そういった印象を受けるだけで、彼女はれっきとした生者なのですから。単に自分の中で、先輩が死人のようなら、この人は幽霊のようだな、と顔合わせの時に思っただけなので。


 「ギリギリですね」


 先輩が声を上げたので見てみれば、小さな手には銀色の懐中時計が握られていました。喪服のベストにチェーンで繋がれた古式ゆかしいそれは、随分と使い込まれているように見えます。


 「34分か……診断書」


 「仕上がってるわ」


 班長が手を出すと、クリップボードごと書類が手渡されました。単なるカルテではなく、今から我々がする仕事に必要な診断書、死亡診断書が挟まれているのでしょう。


 「ビギナー、録音」


 「あっ、はい!!」


 「2019年5月15日、午前3時18分。執行者……」


 私が返事をし、ボイスレコーダーを起動するのが早いかどうかというところで、タイミングを待たずに班長は勝手に処置準備を始めてしまいました。執行年月日、所属、氏名、識別コードと立ち会う部下二名の名前。慣れたように熟々と普段通りの文言を並べ、受け取った診断書に何事かを書き込んでいきます。


 「以上の権限によって、ここに非再起処置を実施するものとする。記名OKっと。よし、後輩、お前もサインだ」


 「承知致しました」


 そして、班長は必要な宣言が終わるとクリップボードを先輩の胸に押しつけて、自分は遺体が乗っている検死台の足下にあったアタッシュケースに暗証番号を打ち込んでいきます。


 特に何の演出も無く開くアタッシュケース。しかして中に収まっていたのは、何度見ても形容しがたい一つの器具でした。


 ウレタンの緩衝剤に包まれた真っ白なUの字型の器具は、プラスチックと金属で構成されており、ぱっと見ただけでは何に使うための道具なのかは分かりません。形だけで言えば、特大サイズの蹄鉄とでも言うべきでしょうか。


 しかし、それは我々の商売道具とでも言うべき器具。もう何に使われるかは、嫌と言うほど見てきましたから。


 「……ああ、そうだビギナー、お前、配属されて一月だっけか?」


 「え? あ、はい」


 動作チェックをしていた班長が、唐突に僕へ声を掛けてきました。そして、つまらなそうに顰めていた顔を満面の笑みに変えると、いきなり器具を押しつけてきたのです。


 「そろそろ童貞切っても良い頃だろ。お前やれ」


 「えっ? ええ!?」


 ひんやりと冷たい器具を無理矢理握らされ、遺体の前に引っ張って行かれる。助けを求めるように視線を巡らせても、あの女医は本当に幽霊であるかのように視界から消えてしまっているし、先輩に至っては興味なさそうに診断書への記入を続けています。


 「班長、録音しているのですからお言葉にお気を付けて。また呼び出されますよ」


 「ん? これくらい普通だろ普通」


 「連座して厳注喰らうのは御免なので、御自重を」


 挙げ句、口を開いたかと思えば援護射撃でもなんでもなく、自己保身に走る始末。ああ、僕はどうしてこんな人の皮を被った畜生みたいな人達をメンターに据えられてしまったのでしょうか。


 「おら、ビギナー、時間無いぞ。後2分くらいか?」


 「後1分半くらいですね」


 煽る煽る、班長は面白がっているし、先輩は多分素なのでしょう。それでいて、残り予測時間を口にして煽ってくる辺り何とも言えません。


 「しょっ、処置に入ります!」


 ここまで来ると、もう自棄でした。お給料を貰っている以上、やれと言われればやらない訳にもいかないので、僕は気合いを入れて処置準備に入りました。


 念のためご遺体の首に触れ、脈拍と呼吸の消失を確認。既に冷えた霊安室に安置されて時間が経ち、心臓が動きを止めたため室温まで下落した体温は酷く冷たい。老人特有の痩せて余った皮の感触も、今は何故か不気味に感じられた。


 死亡確認後、器具をしっかりと持ち上げ、遺体の首にはめました。U字型の器具は痩せた老人の首と比べるとかなり大きいのですが、これは成人用なので外殻は太っていても嵌まるよう、かなり余裕を持って設計されているのだから仕方有りません。


 「頸部、固定します」


 だから、しっかりと固定できるような仕掛けになっています。器具の電源を入れ、右手側に二つ並んだボタンの手前側を押し込めば、器具の内側にあった部品が空気圧によって押し出され、円形の部品ががっちりと遺体の首を押さえ込む。肉に金属が食い込むほどしっかり押し込んであるので、もしも生きていたらさぞ苦しいことでしょう。


 「頸部固定完了。しっ……執行しますっ……!!」


 「あいよ、どうぞー」


 執行時のログを残すための録音。だというのに班長は何とも気軽に応えてくれる。本当に気合いが要るのに、本当に覚悟が必要なのに。


 U字型の機械を両手で握り込めば、それぞれの親指が当たる部分にボタンが一つずつ付います。指を添え、押そうとしてみても震えるばかりで力が入りませんでした。ああ、押さなければならないのに、あまり時間が無いのに。分かっていても、上手く指が動いてくれません。


 呼吸が荒くなり、心音ばかりが大きく響いて他の音が遠ざかっていくように感じられます。視界も端から暗くなっていって、狭まってきた。僕は緊張しているのでしょう。そのはずです。なにせ……。


 今から遺体とは言え、人の首に刃物を突き立てようとしているのだから。


 不意に背後で大きな破裂音が響き、僕の身体は反射的に飛び上がって、意図せぬままに身体に力を篭めてしまいました。


 そして、ボタンが落ちました。


 「あっ……」


 酷く間抜けな声と共に、電子音と金属が非常に高い空気圧で押し出される音が虚しく空気を揺らしました。


 力を込めすぎたせいで器具から手を離すことも出来ないまま振り返れば、そこには先輩の姿が。右手に懐中時計を持ち、左手に持っているのは……。


 「何だそりゃ」


 「お手拭きです。さっき夜食食べて使うの忘れてて」


 「あー、なるほど。お前やっぱ賢いな」


 破裂させられたお手拭き。そのちっぽけな袋が、僕の背中を押して、いや、蹴倒してくれたようです。


 見下ろせば、器具から伸びる固定具と首の合間から、二筋の朱い筋が伸びていました。酸化して黒くなったそれは、傷口から溢れ出した遺体の血。頸椎を断ち割るように伸びた二本の刃が、確かに皮膚を突き破って体内に潜り込んだ証。


 「2019年5月15日、午前3時24分、非再起処理執行完了。記録終了を」


 「は、はい……記録、終了します……」


 先輩の酷く平坦な声に促され、ボイスレコーダーを操作しようとするものの、上手く器具から手を剥がすことができませんでした。力を篭めすぎた以上に、死体を壊したという事実に身体が緊張しているのでしょうか。


 やっとのことで手を引き剥がせたのは、それから2分も経ってからのことでした。


 「ようし、童貞喪失おめでとうビギナー」


 僕より些か背の高い先輩が肩に手を回し、鋭い美貌を笑みに歪めて至近距離で顔を覗き込んできます。この人は一体何が楽しくて、こんな所でこんな様を眺めて笑っていられるのでしょうか。それが僕には理解できず、この人が人では無く、何かとても恐ろしい物のように感じられてきました。


 「処理、ご苦労様。じゃあ、後は整えておくから」


 「はい、お願いします」


 そんな僕をほったらかしに全ては進みます。首に器具を嵌めたままの遺体は、女医の手によって壁に並んだ冷蔵装置に治められ、アタッシュケースも先輩の手で片付けられてしまい、撤収の準備はあっと言う間に済みました。


 後は執行官の宿直待機室に戻り、報告書を認めて待機シフト明けまで待つだけ。


 一人の人間が死に、処置されたというのに酷くあっさりとしていました。まるで何事も無く、死化粧を施す前準備だというかのように。


 「よし、お祝いは焼き肉だな! ホルモンでいいか?」


 「せんぱ……班長、ホルモンなら私はもつ鍋の方が良いです」


 本来ならば丁重に扱われ、決して刃物など入れるべきでは無い亡骸を壊したというのに。どうして、どうしてこうも……。


 「うぷっ」


 「ん? どうしたビギナー?」


 世界はどうしてこうも歪になり、僕のメンターはこんな人達なのでしょう?


 「ああ……班長、離れた方が」


 「あん?」


 ああ、本当にどうして僕はこんな仕事に就いてしまったのでしょうか。


 ゾンビ映画なら、序盤の序盤に全滅してしまいそうな職業に。


 理不尽な世界と陰鬱な職場。そして、それに就かざるを得なかった自信の境遇に絶望し……。あと、死体を見た後なのに信じられない食事の提案をされ、加速度的に悪化した気分のせいで、私は霊安室の床に反吐をぶちまけてしまいました。


 「おわあああ!? おまっ、お前なぁ!? 見るの始めてじゃないだろ!?」


 「あーあー……これ、先に洗わないとクリーニング屋も受け付けてくれませんよ」


 「掃除してから帰ってちょうだいね」


 拝啓、敬愛すべきご両親。如何にもゾンビ映画なら序盤に全滅しそうな組織に就職しましたが、僕は元気ですと以前手紙をしたためましたが、やっぱり僕は駄目そうです…………。 

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