第1029話 『交響曲第00番ヘ短調』 ブルックナー
『第0番』は、ブルックナー先生ご本人が、後年付けた名称だそうです。
つまり、価値がない作品、という、ブルックナー先生らしい、謙遜的な表現なわけです。
この『第0番』は、なんと、二回、『うつうつ』にもでています。
まあ、音楽というものは、あくまで、聴いたときの問題でもありますから(それだけではないですが。)、ま、いいかっ! と、思っております。(悩まなくていいし。)
で、こちらの交響曲は、さらにその前に書かれていたので『第00番』なんて呼ばれることも、ありますが、なんだか勝手に言うのも違和感があるのか、『交響曲ヘ短調』と、そのまま呼ばれる作品です。でも、作曲されたのは、1863年、『第0番』と、同じ年なのだとか。(後述)
宇野功芳先生が、『交響曲読本』(1995年 音楽之友社)に書かれているところをみれば、『ヘ短調交響曲』は、『習作』だが、『第0番』は、『通用しないどころではない佳作』と、なさっております。
ただ、第0番の完成は1869年みたいです。(後述)
だいたい、まずもって、習作といっても、いま聴いております、スクロヴァチェフスキさまの指揮による演奏で、36分12秒かかります。
大曲なわけです。
たしかに、第『0』番以降の、いかにも、ブルックナー先生以外には有り得ない、というほどの個性はなく、知らずに聞けば、後期ロマン派の誰かの作品かなあ。ちょっと、変わってるなあ。
と、思われるか、『なんか、かなり、力入ってるね〰️〰️、』という感じかもしれません。
しかし、面白いのは、ブルックナー先生があまり好きではない人には、むしろ、割りに好評なようなのです。
つまり、はやいはなし、なかなか、良い音楽なのです。
第1楽章は、もしかして、北欧の民族主義的な作曲家さまのなかで、ドイツ志向のどなたかの作品かなあ。
と、思わせるみたいな、非常に面白いフレーズがあります。
第2楽章は、けっこう、凝った音楽ですし、ワーグナー先生風味な感じも、多少あります一方、ブラームス先生風味という気もします。
やましんは、こうした、はっきり言い切れない事物が好きです。
世の中、善悪がはっきり割りきれるのは、むしろ少数派で、あくまで、主義主張の問題にすぎないのです。(それが、大切なんですけどね。)
あらあ、こ、これは、良い作品だけど、いったい、なんだろう?
と、悩まされる作品は、楽しみがあります。
第2楽章の終結部は、スウェーデンの作曲家で、『うつうつ』にも、登場ずみの、アンドレアス・ハレーンさまの『死の島』風な雰囲気です。
スケルツォは、一番、ブルックナー先生の特徴が現れやすいような気がいたします。
ここでも、やはり、ブルックナー先生らしい雰囲気が現れています。
特徴的な、弾むようなリズムとか、ある種の荒々しさとか。
おっとりした部分は、ブルックナー先生のイメージからは、ちょっと違うかもしれないけど、全体のなかでも、魅力的です。
第4楽章も、なかなか、面白いし、やはり、ブルックナー先生は、ブルックナー先生だと、思わせます。大きな推進力を持ち、低音部がかなりものを言います。
ブルックナー先生のファンの方は、わりにああだこうだと、議論をするのがだい好きなようで、シベリウス先生のファンは、無口でおとなしいというイメージだと、ある講演で話に聞いたことがあります。
作曲家と、ファンの個性というのは、もちろん、相対的なものですが、これは、わりに、当たってるな、と、思います。
なお、最近の研究では、作曲順番は、ヘ短調→1番→0番→2番。とするかたが、多いらしい。つまり、第0番が、上記のように、1863年に着手していたという話は、正しくないとする向きが多いらしいです。1869年の作品である、ということ。ならば、同じ年にしては、作風が違いすぎるという話しの謎は、なくなると、いうわけですが、そうすると、ちょっと、ややこしい話しになります。確定した訳でもないようです。たまには、調べてみないと、いつのまにか、世の中変わっていて、ますます、時代遅れになりますね。
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