第490話 『ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品102』 ブラームス
どこか、妖しく、優しく、あまく、哀しく、慈しみや、癒しに溢れた、まだ、若き日の『第1番』(1879年)に比べますと、より、現実的な苦しさが強く感じられる『第3番』であります。
あえて言えば、退役してしまった、サラリマンの、嘆きにも、たとえられそうな。
しかし、第2楽章は、美しい‼️
若き日よ、再び、との、はかない夢に浮かされ、結局、苦痛にさいなまれる夜のような。
ブラムス先生を、抱きしめてあげたいような。(あ、逃げた❗)
この曲、4楽章形式なのが、ちょっと特徴です。
第3楽章は、スケルツォ的な、いかにも、ニヒルな、ブラームス先生の個性の一旦のような感じもいたします。
けっこう、お口は、かならずしも、良くなかった側面があったような。
気分にもよったのでしょう。
最後の第4楽章には、音楽は素晴らしいですが、結局のところ、救いの道はなさそうな。
決然とした、悲劇的なラストが、印象的です。
こうなると、『うつうつ』そのもの音楽でありまして、『第2楽章』以外には、あまり、『癒し』を期待すべきでは、なさそう。
ある日、若きマーラー先生と川沿いをお散歩中、ブラームス先生は、自分の死をもって、偉大な芸術音楽の歴史は終わるだろう、くらいまで、悲観的に、語ったらしいです。
『ほら、先生、あそこに、最後の波が来ますよ。』
と、マーラー先生は、おっしゃったそうな。
🌊
完成は、1888年。
親友を亡くしたことが、かなり、響いてるようであります。(音楽学者の、ポール先生)
初演は、1888年12月21日(22日かも)に、フバイ先生のソロで。
フバイ先生(1858~1937)になりますと、古くはありますが、鑑賞に耐える録音が残っておりまして、現代に、ぐっと、近くなります。(フバイ先生が亡くなって、やましんが生まれるまでは、そんなにスゴくは開いてないし)
なお、フバイ先生は、ブラームス先生の盟友、ヨアヒム先生のお弟子さんでも、ありますそうな。
フバイ先生は、作曲もなさいました。
ヨアヒム先生もです。
・・・・・・・・うつ 🎻 うつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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