第201話 『ルソン・ド・テネブル』 フランソワ・クープラン

 『エレミアの哀歌』と呼ばれる、聖週間(復活祭に先立つ一週間)の特別なお祈りに係る音楽のフランス式の様式らしいです。


 クープラン先生の、この作品は、異教徒としてのやましんが聞いても、じっつに(常用句)美しいです。


 宗教音楽対訳集(国書刊行会)の解説を読みましても、これが、なかなか難しい意義がある。


 日本の各種お寺の方が、見学時に解説してくださる理論も、これまた、なかなか難しい。


 我が母も、死の10年前くらいからは、盛んに写経をしていました。


 毎週のように、やましんは、紙と筆を買いに行っておりました。


 筆にも、書きやすさのこだわりがあって、何でも良いのではなかったので、どこでも買える訳でもなかたです。


 意味わかってたのかどうかは、わからないです。


 やましんは、生きてる内に、可能な限りの音楽を聞きたい(主にクラシックと呼ばれる分野ですが、膨大な作品があります。)と思い、食べる時、寝てる時、病院にいる時以外は、だいたい、音楽がなりっぱなしです。


 この宗教音楽の分野は、クラシック音楽には、作曲家個人は別として(この分野にあまり関わらなかった方もあるわけですから。)、無視できない分野だけれども、やましんが聞く内に占める割合は、高くないです。


 でも、先ほどのごほんを見ても、すぐに目が回るくらい、たくさんの作品が書かれております。


 それでも、宇宙の長さからすれば(138億年とか)、地球人類の文明が起こってから、まだ、それほど長く経ったとは言えないでしょうし、やましんの残り時間の少なさが、なんだか日々切迫することから考えるに、こりゃあ、またく間に合わない(当たり前)。です。はい。


 好き嫌い言ってる場合じゃないです。



  

 ・・・・・うつ 👼👼 うつ・・・・・・

 


 

 

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