第40話 『ここは神が作りたまいし場所なり』ブルックナー
ブルックナー先生の無伴奏合唱曲。
やましんは、ブルックナー先生のお話が出るのを、かなり恐れておりまして、というのも、ブル先生の場合は、どうしたって『交響曲』のお話になり、するとマニアのかた(専門の方は別として)からは、どうしたって、複雑な、バージョンのお話が出ます。
やましんが、もっとも苦手とする場面であります。
非常に込み入ったお話になり、訳がわからなくなりますので。
とにかく、西洋音楽史上、もっとも理解しずらい人物として(猛烈な勤勉家で、音楽に関しては、誰より優秀で、また大変信仰深い人であると同時に、なにやら奇異な言動が多数報告されていて・・
【たとえば、あるとき、ある女性が「今日は先生の為におしゃれしてきましたよ」と言ったら、「わたしの為なら何も着て来なくてよかったんですよ」と、おっしゃったとか。(出どころのネタ本が不明ですが、たしかウェルナー・ヘニヒ様のご本だったような・・勘違いかも)でも、やましん思うに、これは、ブル先生は、そのまま素直におっしゃったのです。そこを、おかしな意図に、世間が勝手に読み取ってしまうのだと。
まあ、今日的には、「有名人なんだから、言動には注意してもらいたい」なんでしょうけれども・・・また、こうしたケースは、今ならば、会社なんかでも、セクハラ行為と判断される可能性が、ありそうです。】)
・・・そちらが目立ってしまうのです。(込み入った書き方だ・・・)
しかし、世間的にいくらか奇異な言動があるとしても、『なくて七癖』とも言いますように、自分では気が付いていないけど、人から見たら、なんかおかしな癖、そりゃあ言い過ぎだろう・・・とか言うのは、たいがいの人にあるもので、いくらかそれが派手なだけかもしれませんです。ですから、あまり、そうそこに、こだわったって、『ブル先生は奇人・変人だあ~!』と騒いだって、しょうがないじゃん、とも、思うのですけれども。
しかし、だれしも、気が付かないうちに、相手を傷つけていたりすることなども、きっと多くあるのです。このあたりは、気遣いも必要でしょう。お互い様にです。(もちろん、時と場合によりますし、セクハラ行為を是認したりする意図は、まったくございません。念のため。)
ところが、その、どうしたって、このように、ややこしいお話になりがちな、ブル先生の曲にしては、これはまあ、見た目、『シンプル・イズ・ベスト』の代表のような楽譜なのでありますが、それでも、これが、いざ、きちんと歌おうとすると、なかなかむつかしい。
五小節目でアルトがフィスに移って軽く転調するのは気持ちよいところですが、ちょっとワーグナーさんみたいでもあります。
問題は12小節目から、べースが動き始めるところからの中間部ですが、簡単そうで、なかなか素人にはバランスが難しい。
冒頭の主題に戻るところなんかは、単純なのに感動的。
たった、48小節の音楽ですけれど、なんとも、疲れた心に、じゅわっと来る、大変に良い音楽なのであります。
さて、この曲自体は、1869年に、新リンツ大聖堂の礼拝堂の奉献式の際に、ブル先生の有名な『ホ短調ミサ』と一緒に歌われたグラドゥアーレ【昇階しょう=福音書朗読のために階段を上がる時のうた】ということであります。
なので、この「場所」と言うのは、ここでは、ここ、と思っていてよいのかなあ・・・と、やましんは思います。
ときに、いささか、ぶっ飛んだ話になりますが、各民族に多くの『宇宙の創世神話』などがあるわけでしょうけれど、自分のだけが正しんだ、と現実世界で強硬に主張すると、いくらか話が折り合わなくなることがありそうです。
ここらあたりを、うまくお互いに生かし合わないと、世界平和も、夢になるかもしれないですね。
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