お客さん、どちらまで――
霧雨が降っていた。
だから、その男が傘を持っていても、なんの不思議もなかった。
男は住所と番地を告げる。
ナビに打ち込まなくともわかっていた。
それは霊園の場所だと。
なにも言わず、車を出そうとしたとき、男が言った。
「いえ、……まで」
「お客さん」
と呼びかけた。
「どのタクシーに乗っても、誰もあんたをそこへは連れてってくれないよ。
……やめときなさい」
男は俯き、助手席をつかんで泣き出した。
「……の家まで。
乗せていってくださいっ。
お願いしますっ」
霧雨の中、車を走らせる。
霊園を過ぎ、目的の家を過ぎても、車を止めることはなかった。
だが、男はなにも言わなかった。
警察の前を通ったとき、男は、
「止めてください」
と言ったが、降ろさなかった。
「……あんた、なんにもしてないじゃないか」
だが、その言葉が一番深く胸に刺さったようで、男は震える手で傘を持ったまま、泣いていた。
幕田が、
「じゃ、僕、地元の警察に確認に行ってきますよ」
と立ち上がったとき、ホテルのロータリーにタクシーが入り、水村が降りてきた。
こちらを見てやってくる。
「すみません。
みなさん、いろいろお世話になりました」
と頭を下げてきた。
晴比古がなにか言おうとしたとき、今度は菜切がロビーに入ってきた。
「あ、先生」
と言うので、
「また来たのか、仕事しろよ」
と言うと、
「平日の真っ昼間からマッサージチェアに座ってる人に言われたくないです」
と言ってくる。
また座っていたのだが、
「この振動が考えまとめるのにいいんだよ」
と言い訳すると、
「あれ? 推理してるの、ほとんど深鈴さんって聞きましたけど」
と菜切は余計なことを言ってくる。
まあ、真実だが……。
「それに僕、水村さんを乗せてきたんですよ」
そう言った菜切を見て水村が、
「そうなんです。
ちょうど菜切さんがお見舞いにいらしたので、乗せて戻っていただいたんです」
と言ってきた。
「乗せてきていただいたって、金払ったんじゃないのか」
と訊くと、
「タダですよ」
と菜切が眉をひそめて言う。
「だって、持田さんについてたんでしょ、水村さん。
サービスですよ」
そこで、
「水村さーん」
と程よくフロントの男が水村を呼んだので、水村は頭を下げ言ってしまった。
「菜切」
「はい」
「これ以上、黙ってても仕方ない。
ふたつばかり訊きたいことがあるんだが」
深鈴が少し緊張した面持ちでこちらを見る。
「支配人殺したのはお前か?」
「……死んでるんですか? 支配人」
いや、まず、そこからだったな、と思ったあとで、
「それと、お前、持田と付き合ってるのか?」
と訊くと、
「急に質問が下世話になりましたねー」
と菜切は苦笑いして言ってくる。
「違いますよ。
まあ、気がないと言ったら嘘になりますが」
「お前、持田のことは、紗江さんってたまに呼んでるよな」
「ああ、それは……」
と菜切は、そこで、急に口ごもる。
だが、みんなの視線に押されるように、菜切は口を開いた。
「もともと紗江さんは、僕が此処に紹介したからです。
紹介したっていうか、そういえば、この宿で求人があったよって教えただけなんですけど」
「じゃあ、元から知り合いだったのか」
はい、と菜切は言う。
「それで自分が紹介したから、様子を見に来てたのか?
それにしては、お前は此処に来たら、まず、水村に声をかけていたらしいが」
立ち上がったままの幕田が、フロントで客と話している水村を見ながら、
「持田さんの様子を見に来ているうちに、水村さんが気に入ったからじゃないんですか?」
と言ってきた。
いやあ、と菜切は少し硬かった表情を戻し、
「まあ、確かに水村さんもいいんですけど。
僕は紗江さんの方が好みなので。
だって、綺麗じゃないですか」
と言う。
「……好みそれぞれですね」
と志貴が呟いた。
「持田さんは、どちらかといえば、可愛いというタイプかと思いましたが」
おい、志貴。
例え一般論だろうが、お前が他の女を可愛いとか言うと、なにか恐ろしいことが起きそうなんだが、と深鈴を窺うと、案の定、もうっ、というように志貴を睨んでいた。
いや、顔に出して、睨んでいるうちはいいか。
睨まなくなったら、なにかが起きそうだ、と晴比古は思った。
「緊張して紗江さんとは話せなくて、ついつい、水村さんと」
「そういうのってあるよな」
と晴比古が言うと、
「えっ、じゃあ、先生は深鈴さんのことを綺麗だと思ってないんですね」
と幕田がロクでもないことを言い出した。
「いつもペラペラ喋ってるじゃないですか」
「助手と話せねえと困るだろうが……」
しかし、と晴比古は言う。
「さっきのフロントのおばちゃんもお前が持田の様子を見に来ていたとは知らない感じだったが」
ああ、と菜切は言い、
「僕が持田さんに此処のことを教えただけで、直接紹介したわけではないからですよ」
と言う。
ちょっとおかしいな、と思った。
自分が見聞きしただけではなく、他の人から聞いた持田の印象からも、そういうことを黙っているようなキャラではないのだが。
なにもないなら、ベラベラしゃべっていそうだが。
「そもそも、お前と持田はどういう知り合いなんだ?」
と訊くと、
「勝手に話すのもどうかなあとは思うんですが……」
と菜切は頭を掻いたあとで言った。
「お客さんだったんですよ」
「タクシーのですか?」
と深鈴が訊く。
『お客さん、どちらまで――』
雨の中、その客は乗ってきた。
傘も差さずに道に立っていたその客の髪からは、ぽたぽたと雫が落ちていた。
バックミラーの中、俯き、じっとしているその姿を、まるで霊のようだと自分は思った。
「タクシーに乗ってきたとき、びしょ濡れで思いつめたような顔してたんですよね、紗江さん。
で、つい、いろいろ話しかけているうちに、今、勤め先も辞めてしまって、行き場もない、なんて話を始めたもんですから、心配になって」
「それで、此処を紹介したのか」
「そうなんですよ。
それで気になって、気をつけてたんですけど」
と言う菜切に、晴比古は、
「……お前、志貴と同じ人種か」
と言った。
は? と言われる。
志貴と一緒で、雨で濡れそぼった、訳ありそうな美女に弱いんだろう、と思っていた。
「それで、持田は何処へ行こうとしてたんだ?」
「え?」
「濡れて思いつめてたから心配だったのか?
他にもなにか理由があったんじゃないのか?」
わざわざ客のプライベートに踏み込んだのには、他にもなにか理由があったんじゃないだろうかと思い問うと、菜切は、
「先生。
推理は全部深鈴さんに丸投げってわけじゃないんですね」
と感心したように、失礼な台詞を言ってきた。
「そうです。
ちょっと行き先も気にかかって。
彼女、霊園に行ってくれって言ってきたんですよ」
「霊園?」
「例の、幽霊が出る霊園です」
と菜切は言った。
「傘、持ってませんでしたけどね……」
とちょっとだけ笑って付け加える。
「それ、お前が霊園の幽霊に出会って、横転したあとか?」
「そうなんですよ。
それで余計に気になりまして。
最初、紗江さん乗ってきたとき、びしょ濡れで、なんとなく、幽霊? つて思っちゃったんですけど。
そしたら、あの霊園まで、って言うから、ゾクッとしちゃって」
「今の持田からは、そういう思いつめた感じはしないが、お前のお陰かな」
と言うと、
「いえいえ。
僕はなにもしていません。
さっきも言ったように、紗江さんに対しては、緊張して、なかなか話しかけられなかったので。
此処の人たちのお陰ですよ」
と菜切は笑う。
では、その緊張して話しかけられないはずの菜切は、紗江と一体、なにをコソコソしていたのだろう。
もう泳がすのは此処までかな、と思い、晴比古は言った。
「菜切、なにか隠しているだろう」
えっ、と菜切はつまる。
「俺は最初にお前の手を握ったとき、犯罪者特有の闇を見た。
あれはなんだ?」
菜切はその言葉に逡巡する。
だが、覚悟していたようにも見えた。
「すみません。
あの……」
菜切は迷いながらも拳を作り、言ってきた。
「仏像盗ったの、僕なんです」
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