いや、お前も女だろ
今は問題ないだろうと深鈴は廊下に出て、晴比古と携帯で話していた。
呑気に椅子にマッサージされている晴比古を脅したあとで、電話を切ると、志貴がこちらを見ていた。
「どうする?
看護師さんにでも言っておけば、水村さんは大丈夫だと思うけど。
持田さんが目を覚ましたときにはついてた方がいいと思うから、亮灯は残る?」
と訊いてくる。
無言で志貴を見つめていると、
「え? なに?」
と言う。
「志貴も相手が女の人だと、優しいのね。
意外と女好きなの?」
「なんの話?」
「私たちの邪魔をした犯人を殺してやるって言ったくせに、犯人が美人だったら、殺さないで見逃すの?」
「……待って。
それ、今から、水村さんを殺してこいって意味?」
わかったよ、と志貴は言った。
「亮灯が望むなら、今から殺してくるよ」
とすぐさま、病室の扉に手をかけようとする。
「物の例えよっ。
もう、志貴の莫迦っ」
とその手を止めると、志貴は間近にこちらを見、
「妬いてるの? 亮灯。
嬉しいよ」
と微笑む。
水村からすれば、私を殺すの殺さないので照れないで欲しいなと思っているのではないかと思ったが、看護師と医師がこちらに来るのが見え、扉を開けてみると、持田は目を覚ましていて、水村とこちらを見て笑っていた。
あれえ? と思っていると、医師の診察が終わったあとで、今、話の上で殺されかけた水村が、
「持田さんが目を覚ましたら、なんて謝ろうかなと思ってたのに。
あ、目を覚ました、と思った瞬間、扉の向こうで、お二人が私を殺す相談してるから」
と笑う。
持田にもその莫迦莫迦しいカップルの痴話喧嘩が聞こえたらしく、二人で目を合わせた瞬間に笑ってしまったのだと言う。
「ごめんなさい、持田さん。
私、別に菜切さんが好きなわけではないんだけど」
「気にしないで、水村さん。
ちょっと気を失っただけだから。
それから、私も菜切さん、別に好きなわけじゃないから」
……どうしたらいいんだろうな、菜切さん、と深鈴が苦笑いしながら聞いていると、まだ起きられないらしい持田がこちらを見て言う。
「いいわね、素敵な彼氏が居て。
私も私のために、簡単に誰かを殺そうとするような情熱的な恋人が欲しいなあ」
物騒ですよ、と思ったが、今、殺せと命じたのは自分のような気もしていた。
「あら、菜切さんでいいじゃない」
と水村が言うと、
「菜切さんはちょっと。
貴女の方が気になるみたいだし」
と持田が言い、
「新田さんは?」
「奥さんが居るじゃない」
「でも、単身赴任よ」
「西島くんは?」
ないない、と二人で笑い合う。
「可愛いし、おうちはお金持ちだけど、ちょっとねー」
なんだろう、この女子トーク。
これって、この状況で繰り広げられていていいものなのかな?
外界から隔絶されたような世界で生きてきた深鈴には、女の子の友達はまだ少なく、ちょっとついていけないでいた。
物騒だが、混ざりたい、と思ってしまう。
「ところで、深鈴さんって、亮灯って名前なの?」
と水村に問われ、
「……あだ名なんです」
どんなあだ名だ、と思いながら、思わず、そう言ってしまう。
志貴が笑っていた。
「ただいま帰りましたー」
と言いながら、深鈴たちが戻ってきたのを確認し、まだラウンジに居た晴比古は、おう、と言う。
二人仲良く帰ってきたか。
……絵になるな。
そして、嫌になるな、と思いながら、
「水村たちは大丈夫そうか?」
と訊く。
「はい。
持田さんは水村さんを訴えないそうです。
自分が足を滑らせたことにすると言っていました。
でも――
女の子って不思議ですよね」
と持田と水村の関係を評して、深鈴は言う。
いや、お前も女だろ、と思ったのだが、そこは突っ込まなかった。
「それにしても、一応、死にかけたのに、よく持田は水村を許したな」
と言うと、
「起きた瞬間に笑ってしまって、そんな気分じゃなくなったそうですよ」
と深鈴も笑って言ってくる。
「なんでだ?」
と晴比古が問うと、
「私たちの話を聞いてたらしくて」
と言うので、どんな話かと訊くと、
「私たちの邪魔をした水村さんを殺すの殺さないのって、志貴と揉めてたのを聞かれたんですよ~。
そしたら、素敵な彼氏が居ていいわねって水村さんに言われてー」
と深鈴が赤くなる。
待て。
水村を殺す話が、どういう話の展開で、素敵な彼氏が居ていいわねになるんだ? と思ったが、声に出せなかった。
志貴が、
「いや~。
だって、深鈴が、私のことが好きなら、水村さんを殺してこいって言うから~」
と照れてみせる。
「やだ。
そんな言い方してないじゃない」
「内容的にはそうだったろ?」
と二人でいちゃつき始めた。
「……おい。
話についていけてないのは、俺だけか?」
「大丈夫です。
僕もです」
と幕田が言う。
「ほのぼのするより、殺意が湧いてくるのも俺だけか?」
「……大丈夫です。
僕もです」
と言う幕田と二人、照れ合うカップルをただ眺めていた。
「ほんとに素敵な彼氏って言われたのか?
ヤバいストーカーの彼氏ねって言われたんじゃないのか?」
そんなケチをつけながら、晴比古は二人の話を詳しく聞いた。
こいつも大概ヤバい奴だよな、と深鈴を見ながら。
「で、結論としては、どっちも菜切はいらないってことか」
と言って、先生、先生、と深鈴にたしなめられる。
「わかってるよ。
問題は持田と菜切かな。
なにをコソコソしてたんだろうな」
「持田さんも菜切さんのことが好きなわけではないのなら、逢い引きの約束とか言うわけでもないでしょうしね」
さすがおばあちゃんっ子の幕田だ。
逢い引きって久しぶりに聞いたな、と晴比古は思う。
「まあ、それは水村の手前、そう言っただけかもしれないぞ」
「そうですね。
菜切さんが水村さんに気がありそうなら、余計に」
と言う深鈴に、
「まあ、ちょっと整理してみようか」
と晴比古は言った。
どうも今回は整理しようとすると邪魔が入るからな、と思いながら。
深鈴には、
『いや、先生は推理しないんだから、整理しなくても大丈夫じゃないですか』
と言われそうだったが。
「何処から何処までが、つながっていて、何処から何処までは関係ないのかわからないが」
「えーと。
支配人が部屋から消えて、血が部屋に落ちてたところからですよね?」
と言った幕田に、晴比古が、
「いや。
たぶん、あのジイさんの仏像群から、仏像が消えたところからだ。
そうでなきゃ、持田が血塗れの仏像を見たりしないんじゃないか?」
と言うと、深鈴が、
「そうですかね?
たまたま仏像を持っていた人が居て、持田さんが忘れられてたそれを見ちゃったとか」
と言う。
「仏像の忘れ物か?
万が一、そんなものがあったとしても、なんで血に塗れてる……」
「それか、たまたま仏像を持っていた人が、なんらかの理由で持田さんを脅したくなって、それを使った。
或いは、持田さんになにかやましいところがあって、血塗れの仏像の幻を見た」
「或いは、持田になにかやましいところがあって、血塗れの仏像を見たと嘘をついた」
と晴比古が言うと、
「まあそれなら、すぐに駆けつけた新田副支配人がなにも見てないのもわかりますけどね」
と深鈴は頷く。
「持田さんのやましいことってなんでしょうね?」
そう志貴が訊いてきた。
「持田さんが支配人を殺したとか?」
と幕田が身を乗り出す。
「待て待て。
そもそも支配人死んでんのか?
っていうか、その場合、何故、持田が支配人を殺す」
「痴情のもつれとか」
と幕田に言われ、
「それ好きだな、ケーサツ。
動機が特に思いつかなかったら、そう言ってるだろ」
と冷ややかに見て言うと、
「だって、人間の根源的な欲求に基づく問題でしょ。
犯罪とは切り離せないですよ。
っていうか、此処だって、今、殺人事件が起こっても不思議じゃないくらい、もつれてますよっ」
とロクでもない主張をされてしまう。
いや、全然もつれてない……。
志貴と深鈴のカップルが居て、俺が一方的に深鈴を好きなだけだ。
もつれさせてもらってない。
……もつれさせてくれ、とブルーになっていると、志貴が言う。
「でもそうですね。
支配人が死んでるかどうかはちょっと。
落ちてた血液の量も少ないですし。
西島くんも言ってましたが、あの落ち方、ちょっと妙なんですよね。
真っ直ぐに畳みに落ちてました。
まるでなにかから落としたみたいですよ。
撒いたわけでもない。
もし、誰かが意図的に、なにかの事件現場に見せかけようとしたのなら、ちょっと無理があります。
まあ、警察に、実は事件ではないのでは、と思わせるためのフェイクかもしれませんけど。
それか、殺人現場など普段から見たこともなく、西島くんみたいに、流血の大惨事をよく目撃しているような人ではない人がやったので。
どのように血痕を落とせばいいのか、わかっていなかったとか」
そして、どのようにすれば、そう見えるのか、調べる時間か余裕がなかった。
或いは、その両方がなかったのかもしれませんね、と志貴は付け加えた。
「あの、でも、鼻血なら、真っ直ぐ落ちるんじゃないですか?
あっ、そうだっ。
わかりましたっ」
と幕田が声を上げた。
「持田さんを菜切さんと支配人が取り合って、菜切さんが支配人を殴って、鼻血が落ちて。
年甲斐もなく、そんな騒ぎを起こしてしまった支配人は体裁が悪くて、隠れてるとかっ」
「年甲斐もなくってほどの年だったか?」
と晴比古は言ったが、幕田は聞いていない。
「それで、殴って申し訳なかったと思った菜切さんが仏像を盗んで、毎日拝んでる。
そろそろ返そうかなーと思って、持ち歩いてるところを持田さんに見つかった。
わかった。
仏像が血塗れだったのは、きっと支配人の血なんですっ」
「幕田」
「はいっ」
「刑事辞めろ」
と晴比古は言った。
先生、先生、と深鈴が苦笑いして、止めようとする。
「仏像盗まれたの、支配人が殴られる前だろうが。
お前よくそれで刑事やってんな」
と言うと、志貴が、
「あー、まあ、刑事なんて、実際には、足で情報集めたりがほとんどで。
ドラマみたいに推理に頼ったりしませんもんね」
とかばうように言っていた。
「あのー」
といきなり背後から声がして、みんな、うわっ、と振り向いた。
いつの間にか、気配もなく、ラウンジのおばちゃんが側に来ていたからだ。
深鈴は気づいていたようで、驚かない。
「ああ、すみません。
長居して」
隅とはいえ、珈琲二杯しか飲んでないのに、迷惑か、と思っていると、
「いや。
人が居てくれた方が客が入りやすいんでいいんですけど。
今、ちょっと聞こえちゃって」
と声を落とし、おばちゃんは言ってくる。
「持田ちゃんと、支配人は、もしかしたら、デキてたかも」
「は?」
彼女はそこで身を屈め、顔を近づけてくる。
つい、逃げ腰になって、身を引いてしまったが、おばちゃんは構わず言ってきた。
「私、一度だけ見たことあるんですよ。
持田ちゃんが朝、支配人の部屋から出てくるの。
いや、一度きりだし、誰も噂してないから、違うかもしれないんですけどね。
持田ちゃん、軽そうに見えて、そうでもないから、おかしな噂立てちゃ悪いかなあ、と思って黙ってたんですけど。
今、聞こえちゃったから」
内緒ね、とおばちゃんは言ってくるが、今、現在、結構な人数が聞いているのだか。
まあ、この宿の人間には内緒、ということなのだろう。
おばちゃんが去ったあと、その背を見ながら、深鈴が言う。
「朝、部屋から出てきたからって付き合ってるとは限らないですよね」
「そうだな。
たまたまなにかの用事があったのかもしれないし。
たまたまなにか……」
密談をしていたのかもしれないし。
「先生、そろそろ話してくれませんか?」
と深鈴が言ってきた。
「先生、なにか『見て』ますよね?」
確認するように訊いてくるが、
「いや……いつも言ってるだろ。
はっきりなにかが見えるとかじゃないんだ。
なんかこう、もやっとしたものを感じるというか」
とぼんやりとしたことを答えたのだが、深鈴は、
「菜切さんですね?」
と言ってきた。
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