09 エルフ
町は丘の中腹から頂上にかけて、家々が密集して成り立っている。
頂上には教会があり、中腹に軍施設、住宅地、商業区がしひめく。
その縁にかつてこの町が前進基地だった頃のバラック群がある。
連邦とのドラゴンをめぐる戦線は遠ざかり、捨てられた仮設住宅だ。
帝都ではスラムと言ったりするが、ここは必ずしも貧困窟とは言えない。
路地から一人の女性が出てきて、僕に気づくと金の目を伏せて歩く。
女性は布をすっぽり被って金髪も顔を隠し、足早に横をすれ違う。
怯えた様子で、僕は肩を落とす。すれ違いざま、女性の三角形の耳が見えた。
あの特徴はエルフに間違いない。この辺ではあまり見ない種族だ。
バラックは在来種の中でもモンスター以外の敵対的ではない者達が住む。
エルフは在来種で最も人間に近い姿や知能を持ち、おそらく人間が嫌いだ。
他の島にも様々な在来種がいて、人間は彼らから土地を奪って町を作った。
種族同士のパワーバランスが崩れて喜ぶ種がいれば、そうでないものもいる。
エルフというのはこのロフトピア一帯の権力者だった。
先程の女性より耳の長い種族はハイエルフというが、すでに絶滅している。
今は考えられない話だが、彼らは人間にとって重要な魔晶石の供給源だった。
現在では紛争防止のため、人型のモンスターから魔晶石を取らない決まりだ。
バラック群の中に入ると、ちょっとしたパニック状態になっていた。
「ここにドラゴンがいるってのは本当か⁉」「誰がドラゴンなんて入れたんだよ!」「私たちはこれからどうすれば……」
そこかしこから尋常でない声が聞こえてくる。
人間にとって彼らは労働力になるが、ドラゴンは違う。
ドラゴンは人類の敵だ。
かつてこの地に足を踏み入れた人類を滅亡に追い込んだ。
だから彼らはドラゴンさえいなければ人間が侵略しなかったと嘆く。
「チッ」
僕は彼らの愚かさが気に食わない。
彼らの協力があってドラゴンの巣、もとい翼人族の村を見つけた。
まさか本当に人型をしているとは思わなかった。
人型のモンスターから魔晶石を取らない決まりは帝国と連邦が双方合意した。
なのに連邦は容赦なくドラゴンスレイヤーを持ち出し、彼らを殺戮した。
「あ! おいサラ! 何してんだ!」
紙袋を抱えたナヴィが道の端で建屋に隠れて手を振っていた。
駆け寄ると路地裏に引き込まれる。
「おい、あの子がドラゴンってマジなのか?」
口元を手で隠しながらささやき声で尋ねた。
「翼人族だ。それ以上は何とも」
プラシアはドラゴノイドだ。言い換えればドラゴンの娘である。
あの行軍に参加した者は全員、ドラゴンの存在を口外できない約束だ。
下っ端の僕には村があの後どうなったかは知らない。
プラシアが町の入口で倒れていたと聞く限り、良からぬ想像が浮かぶ。
「はぁ、なるほどな。だからあいつら妙に退院したがって……」
ナヴィの診療所は前に来た時、横になっていた人がだいぶ減っていた。
「患者のことあいつ呼ばわりかよ」
「長いこと相手してるからな。信頼関係を築いていたと思ってたんだが」
珍しくナヴィがぽつりとため息をついたのを見た。
信用していた患者が自分に何も言ってくれなかったから落ち込んだのだろう。
「で、もしも患者にプラシアがドラゴンかもって言われたら、お前どうした?」
「関係ねぇよ。俺のモットーは」
「助けるのは生きたいと思ってる奴だけだ、だろ」
ナヴィに先んじて言うと、頭を軽く叩かれた。二回も。
すっかり落ち込んだ様子はなくなり、簡単に事情を説明してくれた。
数分前、どうやら新規の患者がプラシアを見てドラゴンだと叫んだらしい。
「プラシアは無事だろうな? 僕はあの子に用があるんだ」
「無事さ。ドラゴンに恨みを抱いているのはエルフくらいのもんだろ」
このバラック、それどころかこの町でエルフを見かけることはない。
ナヴィのさらりと口にした言葉が僕は妙に気になった。
「なあ、ナヴィ。新規の患者ってどんな人だった?」
ナヴィは壁によりかかって、短く思案した。
「美人の女だ。歳は二十歳くらい。金髪で眼の色も金色だ」
「もしかして、頭巾をかぶってなかったか?」
「ああ。それは俺があげた。耳にしたガーゼを隠したい……、あ」
ナヴィも気づいたようだ。彼女がエルフだったことに。
人間とエルフの外見は耳の形が違う程度だ。
「まずいな。あのエルフ、街の方へ歩いていったぞ。ナヴィ、プラシアを頼む」
僕はナヴィが相槌を打つやいなや、弾けるように路地に飛び出た。
エルフを放っておけない。
街の広場で喧伝されたら、民衆は魔晶石を狙ってプラシアを殺すだろう。
軍に情報提供されたら、間違いなくあの村と同じように闇に葬られる。
教会に駆け込まれたら、最悪だ。バラックごと聖戦という名目で消される。
「くそ、どこを探せばいいんだ……」
全力疾走でたどり着いたのはさっき訪れた市場だ。
「ねぇ、そこのお姉さん。頭巾をかぶったエルフを見なかった?」
フレグランスの店をやっている女性は頭を横に振った。
「エルフ? 奴隷に逃げられたの?」
そうだ。エルフの大半は人間の奴隷だ。奴隷の言うことを信じるのは……
「教会だ!」
民衆は奴隷の言葉を信じないし、軍はエルフを捕獲して奴隷商に回す。
でなければガーゼを隠すために頭巾を被ったりなんかしない。
三角形の耳があることを目立たせたくないのだ。
市場を抜け、広場に出る。一応、探してみるが見つからない。
軍の基地はもちろんいない。段々と息がつらくなってきた。
アーチをくぐり階段を上ろうと行き先を仰いだ時、あの頭巾が見えた。
「待て!」
頭巾が振り向くと金色の眼と目が合った。
エルフは思い切り階段を駆け上り始めたので、僕も慌てて階段を駆け上る。
が、吐き気で動けなくなりそう。なんだってこの町は坂ばかりなんだ……。
へとへとになりながら登り切ると、エルフが仁王立ちして僕を見下ろす。
「ねぇ、貴方。わたくしを追いかけて、何が目的かしら?」
偉そうな話し方だが、声は鈴を鳴らしたように美しい。
息絶え絶えになりながらもなんとか頭を回転させる。
「そっちこそ、なんで教会に?」
エルフは呼吸一つ乱していなかったのに、急に声を荒げる。
「忌々しいドラゴンを駆逐するためよ!」
「おかしいよ、その論理」
体中が酸欠状態なのに、論理とか言っている場合じゃない。
そんなこと分かっていたけど口が塞がらなかった。
「論理? はん! ドラゴンが秩序を乱さなければわたくしは!」
バッと頭巾を脱ぐ。エルフはガーゼを取って、切れ目の入った耳を見せた。
桜という花びらに似ているそれは、紛れもなく奴隷の証だった。
「だからその理論がおかしいんだ。ドラゴンは僕たち人間と戦って負けた。それだけだ。でも他の種は何もしなかった。だから人間の奴隷になる」
息切れで話し方が片言になってしまう。
「違うわ。ドラゴンはドラゴン。わたくしと一緒にしないでくれるかしら」
「なら、どうしてドラゴンを恨む?」
在来種が元からおかしかったわけじゃない。
僕たち人間がやってきて、パワーバランスが崩れてからおかしくなった。
「うぐ。それは、そう、長様が精霊で、ドラゴンが門番だからよ!」
彼女の言う長とはハイエルフのことだ。
ハイエルフは絶滅した。それをドラゴンのせいだと思って恨んでいる。
「そうよ、ドラゴンが門番の務めを果たさなかったのが悪いの!」
僕には神話の話だ。しかし、彼らにとっては歴史の話なのだ。
「君が奴隷になったことと、ドラゴンを責めることは関係ないよ」
「どうして! 役目を果たさなかったドラゴンが悪いんじゃない!」
「君は、というか君たちは、人間と戦わなかった。何も主張しなかった」
神話によるとドラゴンが劣勢になっても助けないどころか揶揄をした。
そしてドラゴンが負けて最初に彼らがしていたのは絶望だった。
まるでこの世の終わりが来たかのように嘆いて喚いて、人間の奴隷になった。
エルフの女性は力なくよろめき、広場の欄干に背中を預ける。
それでも鋭い目つきを向けてきた。
「人間はその畏怖を忘れぬよう、今をドラゴン・センチュリーと呼んだ」
ドラゴンと他種族の決定的な差は、人間から向けられる視線だ。
人はドラゴンを侮ったりしない。万全を期して行軍し、魔動兵器を使う。
「あの子を貶める行為は、きっと君たちにも返ってくる」
人々に、人類の天下泰平の時代を想像させてしまう。
そうなればエルフを含めた他種族は二度と奴隷の立場から逆転できない。
涙が目の端に浮かんで、エルフは慌ててうつむいた。
こんな時でもエルフという種族はプライドが高いのだ。
「わかったら君は自分の主人のところへ戻れ。バラックの騒ぎは僕がなんとかする。それで手打ちだ」
普段の僕なら詰めが甘いと笑うだろう。
けど、それ以上はきっと彼女を傷つけてしまうと思った。
これから人を助けようと言う時に、誰かを傷つけたくなかったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます