04 再会、涙
数ヶ月後、僕は前線から離れた兵站の街を歩いていた。
大通りを外れて薄汚れた路地の奥まったところで足を止める。
背中には籠を背負い、玉虫色に光を反射する義足が飛び出していた。
バラックが並ぶ路地に場違いな真鍮製の細工が施された扉を開ける。
中はランプがぶら下がり、アルコールの匂いが漂う診療所だ。
人とベッドがひしめき合い、隙間から白衣の男が僕に手を振った。
ベッドにいるのは僕とは髪や肌の色が違う者や女ばかりだ。
白衣の男の傍らにいる女性は膝を天井から垂らしたロープに掛けていた。
「ナヴィ、依頼の品だ」
籠を女性のベッドの端に置く。
ナヴィと呼んだ男はゴツゴツした手で籠の中身を手に取った。
「二流だな」
義足の足首の曲げ伸ばし、冷たい物言いをした。
「悪いな、ここずっと疲れてるんだよ」
話半分で聞いたナヴィは女性の足をつかみ、膝から下をねじり取った。
女性は悲鳴を上げる。膝の下はソーセージのようにすぼまっている。
そこに籠の中の義足をあてがい、女性に合図を送った。
玉虫色の燐光が断端に集まり、次第に義足の方へ移っていく。
しばらくすると女性が義足を上げ下げして、足首から指先まで器用に動かした。
女性はナヴィと僕に感謝を述べる。
ナヴィは女性に安静にしているよう伝えて、僕を奥へ案内した。
奥は中庭になっており、干されたシーツの近くでナヴィはタバコに火を付ける。
「将軍の御用医師なんぞやるからだ。お前みたいなガキは戦場に向いてない」
「ガキじゃない! ナヴィだって俺と八つしか違わないだろ!」
ナヴィが手のひらを僕の頭の上に置く。
「ガキだろ」
身長差が僕の靴のサイズほどあった。
岩のような手を押しのける。
「アンタがでかすぎるんだよ! ほんと、医者じゃなくて軍人やればいいんだ」
「殺すぞ」
鬼のような剣幕で僕のすぐ後ろの壁に手を付いた。
畏怖しながら両手を前に出して無抵抗を示す。
「ナヴィは医者。はい、医者ですってば」
すぅ、と息を吸って元の位置に戻り、タバコをくゆらせた。
壁には大きな手の跡がしっかり残っていた。
「こンの闇医者……」
タバコの煙が霧散し、中庭に悪臭が流れ込む。
「戦争をおっ始めるから難民が尽きないんだ。闇医者の身にもなってほしいね」
ニヒルな笑みを浮かべて、タバコを地面に捨てて火を消した。
「あの村にいたのが俺じゃなくてナヴィなら助かる命もあったんだろうな……」
診療所へ戻るドアを開けたナヴィが振り向く。
「まだそんなこと言ってんのか。おら、早く入れ」
薄暗い室内に入る。空気がまとわりついたように足取りが重くなった。
窓際から喚き声がする。ナヴィは涼しげな顔でベッドの間を抜けていく。
喚き散らしていたのは十代半ばの少女だ。無表情で「あー」や「うー」と呻く。
「プラシア? いや、まさか」
僕は一度は目をそらし、二度目で少女の胸に輝く魔晶石を見て頷く。
ベッドの間を抜けて、少女の背中をさするナヴィの隣に立つ。
「どうした、サラ。……この子のこと、知ってるのか?」
民間人のナヴィが知らなくて当然だ。
軍は翼人族の存在そのものを隠し、彼らがドラゴンであることを伏せた。
正確に言えばドラゴノイドという人の形をしたドラゴンらしい。
「知ってる。名前はプラシア。あの日、出会った子だ」
「なら話が早い。数日前、街の門前でぶっ倒れてたんだ。治療の後があったが、とにかく背中に羽根かしっぽが生えてやがる。この子は何者なんだ?」
床に膝をついて、シーツを強く握る。
少女のうろんな瞳に傍らの青年の姿が写り込んだ。
「羽根でもしっぽでもない。翼が生えてたんだ」
絞り出したような声だ。
「翼?」
「翼人族、というらしい。もっともそう呼んでいたのは元難民の婆さんだったが」
竜人族ではなく翼人族なのはきっと存在を隠すためだったのだろう。
僕は彼らの本当の名前さえ知らなかった。
「翼人族は二枚の羽で空を飛ぶ」
「空を飛んだって話は冗談だろ? 第一、羽は一枚だけじゃあないか」
僕は先に失礼を謝り、少女の上半身を捻って背中をナヴィに見せる。
プラシアの 习 。
片方は根本から千切れ、出っ張った肩甲骨のようになっている。
「たしかにこの縫合は医術師のものだ。連邦にも並の医者にもできんわな」
帝国は科学を重んじ、医者に国家資格を義務付け、医術師という名を与えた。
医学と魔術の複合的な医療を行う医術の専門家が僕である。
「ま、二流だな。治療に植物用の刻印石を代用したろ。ほら、跡がくっきり」
ナヴィが大きな手で背中の傷跡を指摘する。
背中を丸めたせいで少女の胸元を隠していた薄布がハラリとめくれた。
控えめな双丘を目に焼き付けて、反射的に瞬間的に理性的に目をそらした。
……………………。
かつて泉で出会った時のような反応がない。
ナヴィが布を改めて着せて、プラシアの背を枕にもたれさせる。
二つの瞳は風景を反射するだけの無機質な球体だ。
「プラシア? 俺だよ、僕。覚えてるか?」
まぶたがピクリと動いて、青色のガラス玉が青年の姿を移した。
「言葉が通じないんだよな……。何か言葉……、言葉……、あっ」
唇を指差し、これから話します、とジェスチャーを送る。
「ア、リ、ガ、ト、ウ」
途端、涙。
落ちる。落ちる。ボロボロと号泣する。
「え? えっ、なんで……。なんで泣くんだよ……?」
「あああああ‼ あああああっ‼ あぁあああぁああああああああああああ‼」
プラシアは絶叫した。金切声と言うには有機的。怒りと悲しみが混在する。
幼い子供のように暴れた。片翼をバッサバッサとはためかせる。
飛ばない。片方しかない翼では飛べない。
もがいて あがいて 殴って 蹴った。
「おい、この子に何した⁉」
どこにも逃げ出せないはずなのに、ナヴィは少女の両手を掴んで拘束した。
「違う! 俺は逃げろって言ったんだ! でも言葉が通じなくて」
二色の積雲が脳裏に浮かんでいた。地鳴りを感じる。息が上がる。汗が出る。
「落ち着け! 深呼吸しろ」
ナヴィの声に従って深呼吸を始める。
「そうだ、いいか。ここは戦場じゃない。そう、お前は今、どこにいる?」
「俺は……、病院だ」
両手を眺める。蒼白の手が少しずつ赤みを取り戻した。
「ナ、ナヴィ。悪い、少し当てられた」
「いいさ、気にす、いでっ。ほら、この子を眠らせてくれ」
お決まりのサロペットのポケットから玉虫色に輝く石を出し、強く握り込む。
ベッドの上に飛び乗り、少女の蹴りの応酬を受けながらにじり寄った。
少女の目の前に石を握った手をかざして目をつむる。
「 月の精霊よ、我に 加護 を与えよ 」
何者かに語りかけるように言葉を紡ぐ。
「 眠れ 」
プラシアは暴れるのをやめ、全身の力が抜けていく。
ゆっくりとまぶたを閉じ、辛そうな顔をしたまま寝息を立てた。
「ふぅ。眠ったか。帝国式の対抗魔術を知らなくて助かったよ」
安堵の表情を浮かべた後、ベッドを揺らさないように降りる。
ナヴィが少女を丁寧に寝かせ、タオルケットをはだけた布の上に掛けた。
「この子は今まで暴れるどころか、泣きも笑いもしなかった。心をなくしたんだ」
端的に述べるナヴィの背中はやるせなく見えた。
「喪心症、か。原因は精神的な強いショック。俺も一時はなりかけたが」
【喪心症】-そうしんしょう
ストレスやショックにより、外的刺激に対してほとんど反応しなくなる神経症。楽しいことを楽しいと感じられず、悲しいことを悲しいと感じられない。
「さっきの様子だと、立ち直れてはいないようだな。どうだ、入院してくか?」
不敵な笑みを浮かべてナヴィが振り向く。
一歩退いて立ち去ろうと思ったが、そうは行かなかった。
プラシアの手が僕の手を強く握って離さなかったからだ。
「……やめとくよ」
目を伏せて、プラシアの手を握り返した。
こわばっていた少女の顔が少しだけ和らいだ気がした。
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