『テルミーアバウトユアセルフ(9)』
昼下がりの空がわずかに明るさを失い、メットの窮屈さから解放された途端、埃にも似た匂いがつんと鼻の奥をついた。
――雨、降るかもなあ。
薄く広がり始めた雲に覆われた空を一睨みしてからサイドスタンドを下ろし、ホルダーに収まったままの端末へと目を落とす。
14時ちょい手前、か。
大学を出てからはおよそ40分ってところだった。幸運にもその間身バレすることもなく、つかず離れずの距離を保ち続けて走り続け、初めに先輩を示すマークが止まった先。
そこは記憶にも新しい立川駅のロータリーだった。つい10日程前に送り届けた場所との奇妙な一致。それが単なる偶然なのか、あるいは必然なのか。どちらにせよそれはこれからわかる事だ。
シートにまたがったまま腰を伸ばし、そのまま左右に捻って溜まったダルさを散らしていく。リュックから取り出したペットボトルのコーヒーを一口飲み下すと、口元には別の寂しさが襲ってきたが、流石にデカデカと『路上喫煙禁止エリア』の文字が書かれた看板の前でライターを擦るわけにもいかなかった。喫煙所はすぐそこに見えているが、本来駐車どころか侵入すら禁止しているエリアに借りたバイクを放っていくわけにもいかなかった。
ここはぐっと我慢……と言っても、ボトルを傾ける横目に見やるマークがまだ駅中をうろついているあたり、ここが最終目的地というわけではないという予想は容易につく。
大方先輩は今頃、この先へと向かう電車の到着を待っているんだろう。それなら5分もしないうちに再びマークが動き出すはずだ。どの道バイクを停める場所と喫煙ブースを探して一服するにはいささか心もとない猶予しかない。
……と思っていたのだが、実にそれから10分以上経っても、マークは駅のホームどころか構内から出る様子すら窺えなかった。
背中から追い越してくるタクシーが、フロントガラス越しに邪魔者を蔑む瞳を向けてくる。何度目かのガンつけに首だけ引っ込めて謝りながら、居たたまれなさとニコチンの誘惑に心が揺らぎ始める。
早く何かしらの動きを見せてほしい。そんな俺の焦りをあざ笑うように、先輩を示す光点はとうとう動きすら止めてしまった。
グローブを外し、親指と人差し指で地図を拡大してみる。どうやら構内にあるコーヒーショップの隅に陣取ったようだ。
――こいつは、どういうこった。
単にノマドワークを決め込んでるってことはないだろう。それが目的ならばわざわざタクシー使ってここまでくる必要性はない。
もしかしたら、今日はここに用事がある――それこそ、ルームシェアしている友達と待ち合わせているとか――だけという可能性もある。
というかそれならまだマシと言えた。一番外れてほしい予想としては、何かのきっかけで仕込まれた端末に気付いた先輩が、気味悪さのたまたま立ち寄った喫茶店へポイしていったというパターン。
そいつはつまり計画の破綻を意味する。もしそうであった場合、先輩への弁明を考えつつさっさと端末を回収しないと盗難の憂き目に遭いかねない。ストーカーはバレるわ無用の長物となった上に余計な金がかかるわでは泣きっ面にハチってやつだろう。そんな展開はごめんこうむる。
一応サングラスにキャップという、ベタベタだが変装の手筈も整えてはある。大学ではリュックに仕舞い込んでいたアウターも羽織っているし、手に提げる事になるメットだって別物だ。特段目を引くようなチビでもノッポでもない背丈をしている以上、人に紛れて声を発さなければ、よほど近づきでもしない限りそうそうバレる事もないだろう。
もう何本目か数えるのもやめた、電車の発車する音が遠くで響く。彼女が単に電車を待っているわけではないのはもはや明白だった。
こうして状況が動かない以上、悪いケースを想定してし過ぎることはない。ならばさっさと動くべきなのだが、それでもシートの上でまんじりとも出来ない俺がいる。
それは偏に加速し過ぎたネガティブな予感が描き出した、最悪のイメージにあった。この停滞は端末に気付いた上でその用途に正確なアタリをつけ、かつあえて電車をスルーし続ける事で不信に思った俺を
出会った当初を思い返す。先輩は俺と会う時、当たり前のようにお高い喫茶店を選んでいた。にも拘わらず端末の現在地はどこにでもあるようなコーヒースタンド。
秘密の多さがもたらす不透明さが、先輩のスペックを2割ほど盛って見せている事も手伝って、逆に俺が嵌められかけているという可能性は、いよいよもう頭の中で現実味すら帯び始めている。
どうする。一旦この場を離れ、場を仕切り直すべきか。
いや、こちらの計画がバレているかを確認しない事には、次の機会すら永遠に失ってしまう。
なら、危険を承知で行くべきか。
だが、駅に向かったとして最悪の予想が的中したとしたら、動かぬ証拠を自分から持っていくことになってしまう。そうなればシラを切る事すらも叶わず、最悪その場で俺は彼氏から犯罪者へとクラスチェンジした挙句関係が終わってしまう。
いや、マジでどうすんべかこれ。堂々巡りする頭を右手で掻きむしっていると、長い間止まっていたマークがやっとのことで動き出した……
――っつーか、こっちに来るぞこれ!
端末をポイ捨てされたわけではないという安堵も束の間、弾かれたように
今までとは明らかに異なる指向性を持ち、速さを増していく光点の動き。なお悪いことに今現在、ひっきりなしに往来するタクシーを除いてロータリーの中にいるのは俺のバイクだけだった。
加えてここは、あと数秒であそこから出てくる先輩の目下にはばっちり映ってしまう絶妙のアングル。端末をホルダーに戻してグローブを嵌め、メットを被ってエンジンをかける……なんて余裕どころか、変装セットをリュックから取り出す猶予も与えてくれそうにない。
光点はどんどん近づき、
……とにかく、視線を切らないと!
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