第一章 海咲沙姫ー3

「そういえば海咲先生ってなんでウチと外科を勘違いしたの?」


 病室に向かうためにこの時間に患者に飲んでもらうクスリやらなにやらを準備しているとふいに瀬戸先生が声をかけてくる。正直に狸に化かされましたと言うべきか割と真剣に悩む。


「もしかして院長に化かされた?」


 どう応えたものかと口をつぐんでいると苦笑と共になんともピンポイントな指摘が飛んでくる。瀬戸先生はさては忍者で院長室の屋根裏に出も潜んでいたのだろうか?それともエスパー人間なのか?


「…もしかして知ってたんですか?」


 冗談はさておき現実的な可能性としては瀬戸先生と院長がグルになって表で言えないことをして私の契約書をいじったというところだが…


「まさか。ただ新卒の新米医師が自らこのんでターミナルに来るなんてなかなかないだろ?だから何かされたのかもなって。書類をいじったのか海咲先生を催眠術にかけたのかは知らないけどあの爺さんならやりかねない気がしてね」


「やっぱりあの契約書って私のミスとかじゃないですよね!?」


 衝撃の事実である。いやある程度察しはついていたけど。


「まぁ真偽のほどは定かではないがきっと何か考えがあってのことだろうし、運が悪かったと思ってあきらめろ」


「…」


 一般的な海東直虎へのイメージは天災と似たところがあるらしい。


「さて、じゃあ行きますか」


 必要な分だけの機材と薬剤を載せたカートを押して病室に向かう瀬戸先生を慌てて追いかける。というかこれってふつう看護師さんがやるんじゃないの?


「うちの課は看護師さんが極端に少ないから回診ついでに毎日のバイタルチェックとかも俺たちでやるんだ。ま、外来視たり手術したりしない分こういうところで働くってことだな」


 いやいやそれ完全に医者いらないじゃん!予算削減なら医者なんて雇わないで普通に看護師さんたちにその辺全部任せちゃってターミナルなんて廃止にしちゃえばいいじゃん!


「ん?どうした呆けた顔して?」


「…なんでもないです」


 こんなにわかりやすくやる気を失って見せているのに元凶は全く気づいていないらしい。難聴系鈍感主人公は人の好意にアホほど疎いらしいが目の前の男は好意どころか悪意や敵意その他もろもろすべてに鈍感らしい。主人公どころか村人である。


 そんなことを言っている間に最初の病室にたどり着いたらしい。ノックをして病室に入っていく瀬戸先生に続いて病室に入っていくとそこは雪国だった…などということは全くなく普通の病室である。入院している人たちは全く普通じゃなかったが。


「あら?今日は瀬戸先生一人じゃないの?」


「かわいい女の子連れてるわね」


「まさか瀬戸先生のガールフレンド!?」


「そんな!私たちとは遊びだったのね!?」


 私の顔を見た瞬間4人一斉にギャーギャーと喚き散らす患者たち。ターミナルの患者ということは彼女たちは全員末期の患者のはずなのだが見た感じ明らかに殺しても死なないでしょこれ。


「ガールフレンドをわざわざ病室に連れていく医者がいたらぜひお目にかかってみたいところですね。彼女は今日からうちの科に配属された新人なんです」


 ほら、と促され一歩前に出される。すると4人の視線が一瞬でこちらに集まる(思いっきり睨みつけられている)。


「えっと、今日から生活促進科で働くことになりました海咲沙姫です。よろしくお願いします」


 医者が患者によろしくされる事態とはどんな事態なのだろうかと思いつつも無難な感じの自己紹介をして頭を下げる。


 すると4人が顔を合わせてアイコンタクトらしきものを交わしてこくんとうなずき、一人が恐る恐るといった感じで挙手をする。小学生かよ。


「じゃあ、瀬戸先生の彼女ってわけじゃないの…?」


「まったくこれっぽっちもそんな関係じゃないです。そもそも今日が初対面です」


「「「「よかった~」」」」


 私の当たり前の一言で病室内の気温が一瞬で3度ほど上がった気がする。多分気のせい。


「ホントによかったわ。あやうく寿命が尽きるところだったわ」


「いやいや高橋さんそれ冗談になってないわよ」


「そうよね、私の瀬戸先生がよそで女作るわけないわよね」


「ちょっといつからあんたの瀬戸先生なったのよ」


「はいはいみなさんいいから静かにしてください。血圧測りますからね」


「…いつもこんな感じなんですか?」


「意外にモテるだろ?」


 自慢げに親指で自分を指さす瀬戸先生。


「明らかに全員還暦をとっくの昔に過ぎている方々ですけど、ね」


「ははは、うちの母親よりも年上だな」


 まぁここにいるのは何度も言った通り末期の患者さんたちなわけで。つまるところ女性と言ってもものすごいお年を召したおばあちゃんたちなのである。


 血圧を測っている間もギャーギャーと騒いでいる姿からは年も病も全く感じさせないあたりこの人たち本当は病気なんてしてないけど瀬戸先生目当てで居座ってるんじゃないだろうな?と勘繰りたくなってしまう。


「右腕失礼しますね」


「お願いします」


 瀬戸先生じゃなく私が測ることに文句でも言われるのではないかと思ったがそんなことはなくむしろ協力的で内心ちょっと驚いた。


 なんにせよ早く終わらせることに越したことはない。回る病室はここだけじゃないのだから。


 二人分の血圧を測りクスリをちゃんと飲んでいることを確認して振り返ると瀬戸先生はまだ終わっていないらしい。というか思いっきり談笑している。仕事中だということは思いっきり眼中にないらしい。


「はあ…」


 しょうがないので病室の入り口前に戻り次の病室の患者のカルテをもう一度確認しておくことにする。時折聞こえてくる笑い声に青筋を浮かべながら。

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