ターミナル
ペンギン大尉
プロローグ
「落ち着け…落ち着け…」
掌に書いた人の字を何度も飲みこむなんて古典的な自己暗示にすがる日が来るとは、と海咲沙姫は唇を噛んでさらに自分の中の世界に没入していく
高校入試、大学入試、そして国家試験でもここまでは緊張しなかった。試験と違ってここから自分が何の努力をしたところで訪れる結果に大きな変革はないというのになんでこんなにも緊張しているのだろうか?
本能を薄れさせ社会性と理性を手に入れたはずの人間が非合理的なことで悩むなんておかしな話だ。
大きな自動ドアを通りエントランスに入る。受付で名前を名乗り今日から自分の職場になる病棟まで案内してもらう。
もういい加減に着慣れたはずの白衣のはずなのに今日に限って袖が重い。医局の前で最後にもう一度深呼吸。よし!
「失礼します!」
扉を開くと思ったよりも狭い室内にデスクが四つほど配置されている。そしてこっちを見て怪訝そうな顔をしている三人、いや怪訝そうな顔をしているのは一人だけで他2人は無表情と、何故か満面の笑みである。初対面でいきなり万年の笑みを向けてくるおじさんというのはどうなんだろう…
「えっと、君は?」
唯一まともな反応をしていた男性医師(怪訝な反応をしていたチャラ男)が遠慮がちに聞いてくる。
「本日よりここ海東総合病院の外科でお世話になる海咲沙姫です!精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!」
渾身のお辞儀90度を決めて書けられる声を待つ。…だが、いつまでたっても頭の上から声がかかる気配がない。
「「「外科…?」」」
しばらくしてようやく聞こえてきた声はまだ聞きなれなくて何を考えているか声音から想像することはできなかったけど
「え…?」
どうやら全員困惑しているらしいことだけは伝わってきた。
「えっと今日からうちに配属された医者、なんだよね?」
「そのはず、なんですけど」
もしかして病棟を間違えたのだろうか?
たしかに部屋に入った瞬間病院の規模と外科という科の割には人数が少なすぎるとは思ったけど…
「一応海東先生、あぁうちの院長から今日から女性の先生が1人うちに配属されるって言う話は聞いてるから多分場所はあってると思うけど…まいったな」
最初に満面の笑みを向けてきたおじさん、ではなく瀬戸先生というらしい(名札に書いてあった)が本当に困った様子で頭をかいている。
「えっともう一回確認なんだけど海咲先生は『外科』に配属される予定で来たんだよね?」
「はい」
あちゃーという顔をするチャラ男とここまで表情筋を一ミクロンたりとも動かしていない女の人、そしてますます弱ったという表情になった瀬戸先生からなにやらよくない予感がしてきた。
「…非常に言い辛いんだが君が配属されたここは生活促進科、通称ターミナルなんだよね」
「…はい?」
~~~~~~~~~~~~~~
二十一世紀の先進諸国において社会問題となっていたことの一つに少子高齢化が挙げられる。日本はもちろんヨーロッパ諸国でも様々な政策が実施されたが高齢化の波はとどまることを知らず、ついに一部の国では高齢者の割合が人口の四割に近い数字をたたき出した。
そこで各国の政治家たちは高齢化を止める政策よりも先に高齢化に対応する政策を求められるようになった。なかでも一番高齢化の影響を受けるのは医療関連である。高齢者が増えればそれだけ末期の患者たちが増え、終末期医療の現場は従来のホスピスをはじめとした施設だけで対応できる限界を超えてしまった。終末期医療を必要とする人数が増え、介護福祉士をはじめとする医療スタッフだけでは手が回らなくなってきたのだ。
そのため国は終末期医療を専門に診る専門科である生活促進科を全国の病院に設立し、病状が芳しくない、常に医者の対応が必要になる危険性がある患者を生活促進科に、医者の対応が必要になる危険性が小さい患者を従来の介護施設にという制度を作り、生活促進科にも外科、内科などのように専門医の資格を作ったのだ。
生活促進科は末期患者の生活の質、いわゆるQuality of lifeを向上させるための治療をする医者である。つまり、病の根治が目的ではない。
この特性から生活促進科は人々からこう呼ばれる、終着地『ターミナル』と。
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