古條しずくのカウンセリング②

 古條しずくは両手を鳩尾の辺りで重ねるとソファーに深く腰かけたまま足を組んだ。

 彼女が堂々と黒革のソファーに腰かけると精神科医というよりはマフィアの女幹部のようだ。話は分かる奴だが、真意は全く読めない。人情はあるが必要ならばどこまでも冷酷になれる。黙っていれば、そんな剣呑な女性に見えなくもない。


 しかし実際はさして怖い人ではない。底知れない部分は確かにあるが、基本は美女の容姿をしたオッサンという認識で間違っていない。


「さて、昨日の件で何か相談したいことがあるなら相談に乗るよ」


 古條しずくは俺の方を見ないまま天井に視線を向けてそう言った。

 そう言われても何を相談すればいいのか俺自身分からなかった。俺が言葉に迷っていると古條しずくは言った。


「キミの昨日の体験談はなかなか興味深かったよ。一日だけで今までやったこともない赤ちゃんプレイを二回、しかも二人としてしまうなんてね。私ですら一日に二人を相手したことなんて数えるほどしかないのに」


「……あるんですか。ちなみに二人とも……女性ですよね」


「もちろんそうだよ。一応、キミは勘違いしているかもしれないが私はレズではなくてバイセクシャルだよ。男性が嫌いなわけじゃない。まぁ、男性経験はないけどね。そういう意味では私は処女だ。まぁ、膜もないわけだが」


 突然ぶっちゃけトークを始めた古條しずくだったが、まぁいつものことだ。俺は慣れているのでそのまま話にのった。


「やっぱり膜は女性に捧げてしまったんですか?」


 本来、女性に尋ねるような話ではないが中身がオッサンの美女が相手なら躊躇うことなく聞くことができる。答えやすい種類の質問ではなかったと思うが古條しずくは、ふ~む、としばらく顎に手を当てて考える素振りをしたあとこう言った。


「まぁ、そうとも言える。私はモンゴメリの小説が好きでね。『赤毛のアン』に私の初めてを捧げたわけだよ」


 いきなり話が飛躍したので俺は首を傾げた。


「赤毛のアン……ですか?」


「具体的には彼女の赤髪のことだよ」


「…………?」


 俺が怪訝な表情をしていると古條しずくは意地悪な笑みを浮かべて、くくく、と笑った。


「まぁ、ワザと分かりにくく言ったからね。分からなかったのなら気にしないでくれ」


 言葉の意味はよく分からなかったが彼女の表情から察するに、どうせ碌でもない話なのだろう。膜のお話はここらで切り上げて、俺は先ほどの話を広げた。


「ところで古條さんって今まで何人と経験があるんですか?」


「ん~。五人だね~」


 くそっ、俺より圧倒的に多いじゃねーか。予想していたことではあったが、女性に女性経験で負けているって物凄く変な気分だな、コレ。


「つまり、三上さんは五人目の恋人なんですね」


「いや翔子は私の最初の恋人だよ?」


 古條しずくはヌケヌケととんでもないことを言った。それはつまり、三上翔子という素敵な恋人がありながら同時進行で四人も他の女の子に手を出していたということだ。


「ちょっと最低すぎない?」と俺は非難じみた口調で言った。


「くくく、翔子にもよく言われるよ。三人目の時はバレてそりゃ大変だった。必死に謝り倒して許してもらったがね」


 特に罪悪感などない、という感じで古條しずくは言った。コイツが本当に男だったらぶん殴っていたかもしれない。まさに下種の極み乙女だった。


「そう言うキミは何人なんだい? 童貞というわけじゃないのだろう?」


「一人だけですよ。中学の頃から付き合っていた二つ上の彼女がいました。付き合ったのは三年間かな。彼女が高校を卒業してそのまま社会人になって、結局同じ会社の年上の男に取られちゃいましたけどね」


 そんな振られ話をしたら古條しずくは嬉々とした表情で、

「うわぁ~、可哀想。辛かったね~。ママにバブバブする?」と俺をからかった。


「しねーよ、オッサン。古條さん俺の中ではアンタ、完璧にオッサンだからな。しかも渋いオヤジじゃなくて、どうしようもないエロオヤジだからな?」


 冷めた口調で俺が古條しずくを責めると彼女は両手をあげて降参のポーズをとった。そして何が楽しかったのか愉快そうに笑みを浮かべた。


「くくく、だから君は話しやすい。キミが童貞じゃないってのも良いね。童貞君は話すと目の動きで分かるんだよ。あっ、コイツ童貞だなぁってね。だから君がそうじゃないのは分かっていたんだ」


 俺がオッサン扱いしたにもかかわらず古條しずくは妙に嬉しそうにしていた。

 そんな風に古條しずくを罵倒する男が俺の他にいないからかもしれない。


「私に言わせれば若いうちから避妊エッチはしておくべきなんだよ。少子化は若いうちにエッチの仕方を覚えないからというのも間違いなく原因の一つだ。エッチの仕方と言ってもアレだぞ『行為のこと』を指しているんじゃなくて『そこまで行く過程』のことだからな」


「えっと『そこまで行く過程』ってどういうことですか?」


「性的なコミットメントってのは一度行えば経験として回路ができるんだよ。好きな相手を誘って、口説いて、寝るという過程は、実は自転車が乗れるようになるのと似ているのさ。一度覚えてしまえば忘れることはないが、乗れないうちはいつまで経っても乗れない。女の子の身体も一緒さ。ちゃんと一回は誘い方を覚えないと、乗れないうちはいつまで経っても乗れない。そういうものなんだよ」


「そういうものなんですか?」


「そりゃそうさ。だから格差ができる。彼氏、彼女が全く途切れない人もいれば、どれだけ頑張っても異性と付き合えない人もいる。それはね回路ができているかいないかの違いなんだ。もちろん容姿や性格といった他の要因だってあるさ。でも一番重要なのはその回路なんだ。その回路というのは太かったり細かったりするんだけれど、モテる人ほど太い回路を沢山持っている。そしてモテない人の回路というのは細かったり閉ざされたままの状態になっているんだ」


「なるほど……」


「まぁ私自身で例えるなら女の子用の性的コミットメントの回路は太いし結構沢山持っている、という事になる。逆に男性相手の回路は少なくて細いんだろうね。私は自分で言うのもアレだが見てくれが悪くないからその気になれば可能だとは思うが、その気にならないから未だに男性経験はないままだ。なんなら赤坂が私の回路をこじ開けてみるかい? 私はキミのことは気に入っているし、私の身体はまぁ悪くないと思うよ」


 古條しずくはさらりととんでもないことを口にした。

 まぁ、半ば冗談なのは分かっているので俺もハイハイと躱すだけだが。


「中身がオッサンの女はいくら見てくれが良くても遠慮しておきます。それに例え俺が我慢してアンタとエッチしたとして、三上さんに後ろから刺されるのだけはごめんです。あの人、普段は温厚で素敵な女性ですけど古條さんの事になるとヤバい人ですからね」


「ははは、翔子は嫉妬深いからな。そういうところが可愛いんだ。もっと意地悪して嫉妬させたくなるよ」


 古條しずくは小学生みたいなメンタリティを丸出しにしてそう言った。どうやらコイツは好きな子に意地悪をして気を引こうとする子供じみた感性の持ち主らしい。いつか病んだ三上さんに刺されたらいいと思う。


「じゃあ、私と翔子の三人でならどうだ? ミスコン一位と三位に挟まれて両手に花だ。翔子は嫌がるだろうが、説得すればアイツは嫌々ながらも間違いなく私の頼みなら聞いてくれるからな」


 よくもまぁ三上さんはこんな酷い女と付き合っているものだと感心してしまう。この女、自分の恋人を平気で男に売りましたよ?


「両手に花の内訳、片方が百合の花でもう一方がラフレシアじゃないですか。だったら俺らオッサン二人で可憐な百合を蹂躙した方がまだ楽しそうですけどね。いずれにしても遠慮しておきます。俺は三上さんの恨みを買うつもりはありません」


 俺は古條しずくの誘いを辞退した。もちろん彼女は冗談で言っているのだが、多分俺がその気になれば冗談では済まなくなる。きっと楽しければオールオッケーのノリで三上翔子まで巻き込んだ遊びに付き合わされてしまうだろう。


「くくく、キミも良い趣味している。私たち二人で蹂躙とは……」


 どうも古條しずくはオッサン二人で可憐な百合を蹂躙というコンセプトが妙に気に入ったらしい。しばらく俺の背中を、お前気が合うじゃないか、という風にバンバンと叩いていた。


「まぁ、いいさ。さて、まぁくだらない話をしてしまったが話を本題に戻そうか」


 古條しずくはそう言って急に真面目な顔をした。

 普段の顔、と言い換えてもいい。俺や三上さん以外の相手と話す時は大抵、彼女は真面目な顔をしているからだ。普段の彼女は美人の皮を被ったまま生活している。どちらも彼女の顔なのだろうが、こちらの顔をしている時間の方がきっと長い。


「回路のことだけどね。赤坂が昨日バブバブするハメになったのは元々キミにそういう回路があったからだと思う」


 古條しずくはそう指摘した。無視できない指摘だった。

 中身はアレな人だが彼女の洞察力はとても鋭い。彼女がそう思うのなら、それは大抵間違っていない。


「つまり、俺自身に最初から赤ちゃんプレイをする下地があったということですか?」


「そうだよ。別に私はキミが赤ちゃんプレイ大好きの変態だって言っているわけじゃない。単純に君の中にそういう回路が備わっていたというだけだ。そういう意味では『年下ママンとの甘いあま~い赤ちゃんプレイ』のCDは回路を開く切欠になったに過ぎない。もちろんあんなCDがなければ君は一生赤ちゃんプレイと無縁でいられたかもしれないがね」


「回路があったとしても、別に俺は赤ちゃんプレイが好きというわけではありませんが」


 俺はそう反論した。ところがそれを聞いた古條しずくは、何言ってるんだコイツ、という風に俺を見た。そして、少々、可哀想な人を見るような視線を寄こして俺に言った。


「それは違うだろう。だって、楽しかったんだろ。楽しかったから断らなかったのだろう。その自覚すらないのかい?」


 見透かすような視線が突き刺さり俺は言葉を失っていた。

 自覚は…… あった。


 確かに恥ずかしかったが楽しかった。今まで一度も体験したことのない不思議な感覚だった。それには表現しがたい心の解放があった。正直、今からでも雛姫がそれを求めるのなら喜んで俺はもう一度赤ちゃんプレイをしてしまう気がする。古條しずくの言うとおりだ。すでに『その回路』は開かれていた。


「もしかして、俺って赤ちゃんプレイに目覚める素質のあった変態予備軍だったてこと?」


「う~ん。赤坂が変態かどうかの答えは保留にしておくよ。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。まぁ、心配しなくても良い。赤坂がシナリオを書いた『年下ママンとの甘いあま~い赤ちゃんプレイ』はDL数が7,000を超えただろう? ネットショップの訪問者だけでそれだけ売れたんだ。それはつまり世の中の成人男性の少なくない数がその手の癒しを求めているということになる。安心していいよ。仮にキミが変態だったとしてもそれほど珍しくはない変態だ。きっと日本各地の至る所に生息している」


 ひどい言い草だと思った。

 まるで日本に住み着いた外来種害獣みたいな扱いだった。しかもアライグマとかヌートリアみたいな可愛いヤツではなく、セアカゴケグモとかグロテスクなそっち方向だ。

 俺が不満そうな表情をしているのを無視して古條しずくは話を続ける。


「ただ一つ言えることはそうだね、キミは赤ちゃんプレイから得られる『何か』を最初から必要としていたんだと思う」


「えっと、そ、それは『癒し』ということですか?」


 そう聞き返す俺の声は震えていた。動揺していたからだ。

 古條しずくが俺の内面、その核心に迫っていることに俺は無意識のうちに恐怖していた。小学生の頃に俺の母は白血病で亡くなっている。その時の喪失感へと古條しずくが迫っていることが何となく恐ろしく思えたのだ。


「どうだろうね。だが癒しの効果があることは間違いないと思うよ。私は心理学部の人間じゃないから良く知らないが、赤ちゃんプレイってフロイト的なアプローチなのだろう?」


 俺は経営学部の古條しずくが赤ちゃんプレイとフロイトを結びつけたことに感心した。おそらく催眠音声作品を作るためだろう。ちゃんと勉強をしているのが分かった。

 俺は先ほど動揺した気持ちを落ち着けるため深呼吸をしてから口を開いた。


「まぁ確かに、エディプス・コンプレックスという言葉も生み出したくらいですからね。フロイト的な精神分析と結びつけて考えることは可能だろうと思いますよ」


 エディプス・コンプレックスとは幼少期に母親を手に入れようと切望する子供が母親の夫である自分の父親を憎む感情をギリシャ神話になぞらえて作られた言葉だ。学術的な意味合いを掘り下げていけば長くなるが、一般的にはマザコンとだいたい同じという理解で大丈夫だろう。ちなみに、フロイトの考えに沿うのなら幼少期の子供は男女問わず例外なくマザコンということになる。


「そういえば遊戯療法というのをジークムント・フロイトの娘であるアンナ・フロイトが始めていますね。子供と遊ぶことで信頼を確立させるために行ったらしいけれど、大人がそれを行うならそれは赤ちゃんプレイに似ているかもしれない。遊戯療法と赤ちゃんプレイは別物なのだけれど、遊戯療法をベースにしたその延長上に赤ちゃんプレイがあると考えることは可能かもしれません」


 俺がそのように話をすると、興味深そうに聞いていた古條しずくは考えを述べた。


「多分ね、赤ちゃんプレイっていうのは過去の自分に遡ってそれを再体験したりやり直したりする行為なんだよ。過去の自分に遡るというのが重要なんだ」


「過去に遡る?」


「簡単に言えば、過ちを犯したり傷ついたりした人にとって、赤ちゃんプレイはそれ以前の自分に戻ることができる数少ない方法の一つという事だよ。疑似的にやり直しをすることで克服できることもあるというわけさ。しかもそのやり直しには母性というブーストも付いてくる」


「つまり…… 古條さんは俺に過ちを犯した過去とか、傷ついてやり直したい過去がある…… とそう思うわけですか?」


「まぁ、可能性の一つとしてね。でも、気にしなくていい。やり直したい過去を持っていない人の方が少ないからね」


 古條しずくはそう一般論で濁した。

 おそらく彼女はその考えが俺に当てはまっている事に気が付いていた。俺の表情を見てそれを悟ったのだろう。しかし俺の事情に踏み込まず、一般論で濁してくれた。それは彼女なりの優しさだった。


「古條さんにもやり直したい過去があるんですか?」と俺は聞いてみた。


「もちろんあるさ」と古條しずくは当たり前だと言わんばかりに答えた。


「教えてもらってもいいですか?」


 俺が尋ねると古條しずくはニヤリと笑うと人差し指をたてた。

そして真っすぐ俺を見つめるとまるで忠告するみたいにこう言った。


「いいかい、赤坂。浮気なんてするもんじゃないぞ」


 なんというダブルスタンダート。

 きっと古條しずくは政治家か弁護士でもなった方が良いだろう。


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