計画者は誰だ
潜入! 突入? 陽菜ツー!?
あねづきトレラントモールの裏手に回り込んだ優紀は、横並びにトラック三台は入りそうな鼠色のシャッターを見上げた。白字で『第一搬入口』と書かれている。さすがに鋼鉄製とは思い難いが、力技で騒音を立て、侵入を伝える意味もない。
優紀は神林に渡されたカードキーを片手に従業員出入り口を探した。幸いにも、扉はシャッターを通り過ぎてすぐのところに、周辺から隠れるようにしてあった。
以前なら、雰囲気づくりを重視したあねづきトレラントモールならでは、という感想をもっただろう。しかしいまでは、
鉄扉のカードーリーダーを前にして、優紀は目を瞑り、ひとつ、深呼吸をした。
扉を開けた瞬間から、いつ戦闘がはじまるか予想もつかない。そして
オネショ研からの脱出で疑念は確信に変わった。
優紀は、すでに少年擬態者となりつつある。
陽菜を救出し、自身は元の姿を取り戻す。静かな決意を胸に、優紀はカードキーを通した。
鈍く硬質な開錠の音が響く。瞼と一緒に扉を開き、優紀は、静寂に包まれた真の悪のひみつ基地へ潜入した。
煌々とLEDライトが光る通路は人の気配が全く感じられない。営業時間後といえば翌日の販売品を納入したりと作業が残っているはずだ。しかしバックヤードを覗き込んでも、働くバイトの姿はない。
罠だろうか。そんな思いも頭に浮かぶ。
ケガをした先輩に、図ったようにあてがわれた後輩。渡された新型の即時変身装置と、すぐに決まった渋沢瞳の担当も怪しい。
もしも全てが仕組まれていたのだとしたら、いま救出のためにあねづきトレラントモールに訪れたのも、春風七海の計画通りなのかもしれない。
優紀は首を振って不安を払った。
全てをつなげる動機が見当たらない。全てが繋がっているのではなく、どれかがトリガーだったとみるべきなのだろう。
しかしいま一時は、七海の同期の推察よりも、陽菜の無事を優先する。
ポケットからスマホを取りだした優紀は、館内マップと座標を照合した。
記憶に残っている旧型即時変身装置の座標は、ちょうどオトナの生活エリアあらため、おねぇさんウィズショタエリアの中心部に位置する。
今日の昼ごろ、
――んなわけあるかぃ。
まさか吹き抜け一階に紐ぐるぐる巻きで転がるわけがあるまい。
きっと、ないはずだ。よしんばそうであったとしても、せめて少年擬態者たちが吹き抜けに並んで優紀を見下ろし待ち伏せている、とかだろう。
だがしかし。
まさかな、と疑いながらも、優紀の足は吹き抜けに向いていた。
訪れたエスカレーター前の吹き抜けは、フットライトの青白い光がある以外に明りはなく、並ぶ店舗はすべて鉄棒のシャッターが下ろされていた。ひたひたと足音がする以外には、物音もない。
陽菜がいてくれれば安心できるのにという思いと、もしほんとにいて敵に囲まれてたらという思いが、優紀の中で交錯する。
一対一なら負けはしない。けれど二対一、三対一、そして……。
――怪人ってのも大変だよなぁ。
優紀は子供の頃に見た戦隊ものの怪人に妙な共感を覚えつつ、吹き抜けホールに入っていった。
幸か不幸か、止まったエスカレーターの乗降口に陽菜の姿はなかった。彼女が優紀から没収した旧型の即時変身装置も落ちていない。
優紀は複雑な思いを抱えたまま首を上に振った。
高すぎる天井は夜空よりも暗い。座標は確かに足元を指している。
そこに陽菜の姿はなくジッポーもない。そして上は吹き抜けで、さらに上となると屋上だ。可能性があるとしたら地下となる。
「ますます悪のひみつ基地っぽくなってきたな」
優紀は両手を腰にあてて俯き、深くため息をついた。しかしその顔には、たしかに笑みが浮かんでいた。苦い笑いだ。
頭にきていたのである。
優紀は無造作に停止したエスカレータを下った。
薄給に耐えて二年も働いてきた。仕事を憶えるのに必死で疑問をもつ余裕もなかった。たしかにダメな所員だったかもしれない。それでも二年かけて一人前になったと思えた。それは先輩のおかげでもあるし、陽菜という後輩ができたからでもある。
それがどうだ。
子供が生まれた先輩は病院送りだ。かわいい後輩は拉致され、必死にやってきた仕事は日曜朝にテレビで流れる特撮ヒーローものの悪役だ。よくて怪人、下手すりゃただの戦闘員。いずれにしても、毎週毎週ゴミのように倒される側ではないか。
そうなった原因は、七海の掌の上で転がされていたから、かもしれない。
いま優紀が少年の姿になっているのも、悪の怪人・少年擬態者になりかけているのも、全てがあの女のせいかもしれないのだ。
――いい加減、頭にきたぞ、あの
優紀は客向けの最下層、地下一階のエスカレーター乗降口に降り立った。当然のように陽菜の姿も、ジッポーの影形もない。同座標に残るのは、地下二階の倉庫スペースだけだ。あるいはそのさらに下に、もう一フロアあるのかもしれない。
にじみでる怒りで口の端を歪めた優紀は、消え入るほど小さな声で、呟いた。
「戦闘位相……っ!」
『ばとるふぇーず』
頭の中で、件の人物、春風七海の能天気な声が響いた。
ふざけたことに、遊び半分としか思えない調子だ。
「ハナちゃんは、どこなんだよ!!」
優紀は叫ぶと同時に地下一階の床を蹴り、跳躍した。
突然の爆発的衝撃力に負け、鉄筋入りコンクリート造の床に
その間にも優紀の躰はみるみる上昇していく。中空で躰を反転すると、今度はそっと、天井に足をつく。破壊にエネルギーを減算されるわけにはいかない。
天井の耐久限界を推しはかりつつ、足を伸ばす。床に向かって跳ねたのだ。
無生物相手に遠慮はいらない。
優紀は、全力で床を蹴りつけた。
厚さ二十センチ近い床スラブを躰がぶち抜く。破砕したコンクリ片が舞う。鉄筋が破断音を立てる。切れたケーブルは火花を散らし、空調管から気化したフロンが噴きだした。さらには倉庫に積まれた荷を木っ端みじんに打ち壊し、ようやく止まる。
優紀のスニーカー様耐衝撃ブーツは、地下二階の床に、見事に突き刺さっていた。
〝なにっ!? なんの音!?〟
戦闘位相への偏移によって、優紀の感覚器官もまた強化されている。
くぐもった声は水平方向から響いてきたものではない。明らかにその下の構造から床を伝わり聞こえたものだ。やはり、地下はまだ存在している。
七海にとっても予想外のことだろう。まさか基地の様々な障害を無視して、上から降ってくるとは思わないはずだ。
優紀は破壊の興奮に唇の両端を引き上げ、再び床を蹴った。
コンクリートが爆散する音を邪魔するように、金属がへしゃげる音がした。
優紀の足元には、べっこりと凹んだ鉄床があった。
思わず舌打ちした。頭にくる。この期に及んで抵抗するこの鉄床に、心の底から頭にくる。
「――ざっけんなよ! 春風七海ぃぃぃ!」
優紀は全力で飛びあがった。青白い火花が散る自らが開けた床に手をかけ、さらに上へと躰を投げる。反転しながら天井に達し、地下一階の天井を蹴りつけ、高速度で落下する。
それだけではない。
さらに穴の通過間際に端に手をかけ全力で引く。二度の増速をかけた小さな躰は、優紀自身にも制御できない。だが、それでも構わない。
優紀は両手を振り上げ頭の後ろで組んだ。
そして激突の瞬間、全力を込めて振り下ろした。
轟音。
響いた地鳴りのような爆音は、優紀の躰が鉄床すらも打ち抜いたことを示す。
たどり着いた場所は、モールのフロアマップにも載らない、地下三階だ。
悪のひみつ基地中枢である。多分。
そこら中に用途不明の種々雑多な機械が並び、メカニカルな電気椅子にも似た拘束具付属の椅子もある。それに驚愕の表情を浮かべる陽菜がいたから、間違いない。
問題は、陽菜が二人いたことだが。
どちらも同じ就活用のパンツスーツで、ジャケットはなし。
どちらも同じちょっとパツパツ気味のシャツを着て、どちらも優紀が渡したものと同じネクタイを着けている。
違いは、向かって左の陽菜は床に座り込み、右の陽菜は立っていることだけ。
どちらに向かってヒーロー登場の口上を述べればいいのか不明だ。
とりあえず優紀は、でたとこ勝負で口を開いた。
「お待たせ、ハナちゃん」
「はぁ?」「ふぇっ?」
二人の陽菜は、茫然と優紀を見つめ、ほぼ同時に間の抜けた声をだした。
重苦しい沈黙が悪のひみつ基地中枢(多分)に広がった。
誰一人、喋ろうとしない。
向かって左の涙目陽菜ワンも、向かって右の鯉のように口を開閉する陽菜ツーも。
そして、優紀自身も、二の句を継ぐことができないでいた。
テンション爆超のままに突っ込んでしまった。
まさかほんとに陽菜がいるとは夢にも思っていなかった。
それも、二人に増殖しているとは。
天井からぶら下がった電源ケーブルらしき何かが、バチン、と爆ぜた。
優紀は頭上で鳴った不満げな高圧放電の音を耳にし、我に返った。
「ど、どうなってんの?」
「それはこっちが聞きたいですよ!」「先輩っ! 来てくれたんですね!?」
怒っている陽菜ワンの声と、喜んでいるらしい陽菜ツーの声は、ほぼ同時にした。
「えと、どっちが、ハナちゃん?」
陽菜ワンと陽菜ツーは互いに顔を見合わせ、
「私ですよ!」「私です!」
ほぼ同時に自分の顔を指さした。
指さす手はどちらも右手で、判断材料にはならない。
優紀は混乱する頭で、起きている事態を理解しようと努めた。
悪のひみつ基地に華麗に登場してみたら、陽菜が二人に増えていた。
それだけですでに想像の外だ。しかし、相手は優紀を少年の躰にしてみせる技術、すなわち少年擬態者を作る技術がある。たとえ
――ホントにおかしくないのか?
優紀は口を結んだ。頬を汗が伝う。
与えられていた情報では、即時変身装置は男性以外には使えないとされていた。しかし悪の頭領が春風七海なら、情報の統制をしないはずがない。ましてや彼女の目的が、少年擬態ならぬ少女擬態をにあったのなら――。
女性でも使えるという情報を隠せば、私的利用を疑われるリスクは、確実に減る。
よし、大丈夫だ。多分。
と、自分を納得させた優紀は、陽菜ワンと陽菜ツーに目を向けた。
「どっちが、春風七海だ?」
「あっちが部長です!」「あっちがななみさんです!」
やはり、ほぼ同時に互いを指さした。唯一に思える相違点は、春風七海の呼称。しかし記憶をたどっていっても、どちらが正解の呼び方なのか、まるで思いだせない。
呼称での判定を放棄した優紀は、注意深く二人のネクタイを見た。
どちらも緩く、少しばかりヘタなクロスノットで締められている。本物の陽菜が締めているタイは優紀の使用済みなのだから、多少はヘタり、解れや匂いがあるはず。
――あ、だめだこれ。完コピだわ。
二人のネクタイは、どちらも埃で薄汚れていた。
部屋中に舞った埃が付着したのだ。どうやら、天井をぶち抜いてしまったのは失敗だったらしい。まったく、怒りに任せた行動はロクな結果を生まないものである。
黙りこくる優紀に、陽菜ワンが叫んだ。
「先輩っ! 私が本物ですよ! 藤のお花の藤に、堂々巡りの堂で――」
「その自己紹介は誰に対しても使ってます! 証拠にはならないですよ!」
陽菜ツーが声を荒げて、陽菜ワンの言葉を遮った。
なるほど、どこでも使っているのなら証拠にはならない。というか、あのちょっとクスっとさせられた例の自己紹介は、計算づくで考えられていたのか。
優紀はその事実に、驚きを禁じ得なかった。
――まてよ?
陽菜は
つまり、
対して、春風七海の方はどうだ。
たしかに頭脳と計画性は高いだろう。演技力についても藤堂陽菜を演じることについてはいけるかもしれない。
だが、人としてはどうだ。
彼女には天然ポワポワ系要素は一切ない。あるとすれば逆セクハラ上司要素だ。
あるいは、部下の仕事を片っ端から奪っておいて「いつまで経っても成長しないのね。少しは仕事できるようになりなさいな」とかのたまってしまうような女だ。
言い換えれば、成長機会を奪っておいて成長を求める系女子の要素以外、あのムチプリバディには備えられていない。
すなわち藤堂陽菜と春風七海を比較すれば、どちらが
そして優紀は、対計画者限定で有効な手立てを、たったひとつだけ持っている。
優紀は言い争いを続ける陽菜ワン、ツーに向かって叫んだ。
「ちょっとストップ!」
「なんですか!」「なによ!」
やはり陽菜ワンとツーは同時に振り返った。
陽菜ワンはぷりぷりと怒り、陽菜ツーはぷんすこ怒っている。
優紀はしたり顔で、言葉を発した。
「おねぇさナイザー!」
少年化しているとはいえ、おねぇさナイザーの効果は全く変わりはない。むしろ強化されている。優紀の計画者だけを魅了するボーイソプラノは、指向性を伴って陽菜ワンツーの耳から侵入し、特定の性癖を持つほうだけに効果を発揮する。
はずだった。
「おねぇさナイザーキャンセラー!」
陽菜ワンが、そう叫んでいた。
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