ショタか、クソガキか
優紀も加わりレストランの出入り口を監視すること数分。
渋沢瞳らが店から出てきた。楽しげに会話をしながら、オトナなライフエリアへと足が向かっている。
行動様式だけを見れば、まるっきりデートである。仮に少年が本物なら、年齢差はおよそ十二年だ。平日の昼間に、なんとけしからんことをしているのか。
優紀は陽菜の肩を叩こうと手を伸ばし、
「わひゃぁ!」
「うぉ!?」
脇腹をつついていた。
「な、なにするんで――」
陽菜の口からでかけた抗議の声は、途中で止まった。ぐっと口を真一文字に結び、優紀の頭を人差し指でつっつく。
「ユウくん? だめでしょ?」
陽菜の目は、さぁ先輩、子供らしく謝ってみてくださいよ、と雄弁に語っている。
優紀はぐぬぬと唸り、羞恥に耐えて口をひらいた。
「ご、ごめんなさい、おねぇちゃん」
「はい。ちゃんと謝れて偉いねぇ」
陽菜は優越感に浸るかのように優紀の頭を撫でた。
かなりムカツク。
後輩に頭を撫でられているのは偽装だから許せる。問題は照れを感じる躰だ。
もしかして、疲れていたんだろうか。いやまて、昨日はようやくできた後輩という存在に癒されていたはずだ。と、取り留めのない自問自答までしてしまう。
ふいに、手が柔らかいものに触れた。というか、握られていた。
「えっと?」
「はぐれたら困るでしょ? ユウくん」
陽菜は楽しげに口角を引き上げ、優紀の右手を引いた。妙に大きく感じられる手は柔らかく、優しく、無性に少年時代が懐かしくなった。
義母に手を引かれて帰った日のことを思いださせられるのだ。
まだ中学にあがったばかりの頃の記憶だ。
当時の優紀は背が低く、そのことを同級生にからかわれ、殴り合いの喧嘩になったのである。小さな体躯ゆえに力加減など考えておらず、喧嘩自体には勝てた。しかしその代償として、迷惑だけはかけまいと思っていた義母を呼び出されてしまった。
義母は「負けたらダメだよ」とだけ言って、優しく優紀の手を取ったのだった。
――なんでいま思いだすかね。
優紀は、懐かしい手の感覚にこっぱずかしくなり、うつむいた。
満足げに、ふふん、と陽菜が鼻を鳴らす。
「なに赤くなってるのかなー? 恥ずかしがることないんだよ? ユ・ウ・く・ん」
優紀は、いや多分恥ずかしさの理由が違うぞ、などと思って顔をあげ――、
慌てて目を逸らした。
前かがみで優紀を覗きこもうとした陽菜の胸が、目の前にあったのである。
「ちょ、調子にのんなよな」
思いついた言葉は、照れる子供そのまんまの捨て台詞だった。
陽菜は口元を隠し笑っている。完全にからかわれている。仕事中だというのに。しかも、後輩なのに。
――泣ける。
尾行を再開してから約一時間。
渋沢瞳と少年の動向に異常は認められない。強いて言えば、いたるところで見かけるおねぇさんとボクな構図と比べて、ややウェットな関係であることくらいか。
しかし、ここは姉月市で、渋沢瞳は計画者である。
合目的的ではないデートなど、ありえないのだ。
その証拠に、渋沢瞳は各売り場でかならず少年を先行させる。おそらく狙いは少年が目を輝かせる様子を観察することだ。ことあるごとにニヤつきながら少年を盗撮しているし、写真の使用用途もおおよそ察しがつくというものだ。
対して、少年側の
ときおり周囲の視線を気にするかのように振り向くのである。
それが思春期前後特有の『おねぇさんと手をつなぐの恥ずかしいよ現象』ならば特に問題はない。しかし、もしも尾行切りを目的としたものであったなら。
「ハナちゃん。どう思う?」
「んー?」
聞いちゃいなかった。それどころか、陽菜は優紀には目もくれない。どうやら棚に並べられた色とりどりの鞄に、意識をもっていかれているらしい。
「このバッグ可愛いなぁ」
青いショルダーバッグを手に取った陽菜が、優紀を見下ろし微笑んだ。
「ねぇ、ユウくん。これ、私に似合うかな?」
「ハナちゃん?」
どう見ても純粋に買い物を楽しんでいるようにしか見えない。
優紀は手を振り払ってツッコミを入れようとして、はた、と気づいた。
陽菜に呆れる自分の姿は、はた目には、おねぇさんの買い物に付き合わされてふてくされている少年の図でしかないのだ。つまり、
偽装として正しい――のか?
優紀は唾をのみこんで、陽菜の手を握りなおした。振り払ってしまえば、反抗期に入りつつある少年へと、完全に墜ちてしまうように思えた。しかし心中では、いやそれでこその偽装なのではないか、そんな迷いもあった。
「次、なに見よっか?」
そう言って手を引く陽菜を、優紀は戦々恐々として見上げた。ぱちりと、片目を閉じた。分かってます、とでも言いたげだ。
まさか、先ほどの動きも会話も、すべて演技なのか。だとしたら空恐ろしい。
まるっきり十メートルほど前を行く渋沢瞳と同じではないか。
渋沢瞳は、いまは少年をエスコートして買い物を楽しむ爽やかおねぇさんだ。しかし裏の顔は計画者である。その見かけと内面のかい離っぷりと、いまの陽菜も同じということになるのだ。
優紀は寒気を感じて、汗ばむ手を強く握った。
異変に気付いたらしく、陽菜が優紀を見下ろし、瞬いた。
「大丈夫? ユウくん、疲れてない?」
陽菜の猫なで声は、柔らかい羽毛で耳をくすぐるかのようだ。気を抜けば「ボクちょっと疲れちゃった」などと口走ってしまうところであった。というか、実際に言いそうになっていた。
背後の視線に気づいていなければ。ではあるが。
「ハナちゃん。誰か
一瞬だけ優紀に目を落とした陽菜は、笑顔のままスマホをいじりだした。
すぐに優紀のスマホにメッセージが入った。
〝ほかの観察部員とかじゃないんですか?〟
――なるほど。
優紀は否定の意を込め、首を横に小さく振った。
先ほどから尾行してきているのは女だ。知る限りでは観察部に女性はいない。そして本物の観察部員なら、三年目に入ったばかりの優紀では気づけないはずだ。
再びメッセージが入る。
〝どうしたらいいですか?〟
「ハナちゃん。気にしないでいいよ?」
尾行者の所属が分かるまで撒くのは却って危険である。もしオネショ研の人間であれば、余計な問題も抱え込むことにもなる。
小さくうなづき返した陽菜に手を引かれつつ、優紀は観察部に連絡した。
〝尾行確認。所属照会求。要あらば
優紀自身、追尾される側になるのは初経験である。送信したメッセージが正しい形なのかまるで自信がなかった。もしオネショ研の尾行でない場合は、観察部の誰かが対処してくれるはずだと祈るしかできない。
――いまは渋沢瞳と、あの
ふいに、陽菜の手の力が、わずかに強まった。
またしても少年が振り返ったのだ。そこはかとなく、あやしい。
しかし決定的な証拠がない現段階では、観察を続けることしかできない。
その間にも、渋沢瞳のスキンシップは、やや過剰になりつつある。ときに少年の肩に手を回し、ときに抱きつき、頬をすり寄せる。
その都度、陽菜の手には力がこもった。気づかれないように注意を払って見上げると、ほんのり上気していたりもした。
昨日の渋沢瞳の観察でもそうだった。
恋愛経験が少ないのか、陽菜にとってスキンシップは、傍からみているだけでも赤面ものの行為らしい。
……優紀にとっても同じだったりするが。
「は、ハナちゃん。手、痛いよ」
「えっ? あ、ご、ごめんね、ユウくん」
ピクッと震えて、陽菜の手から力が抜けた。しかしそれも長くはもたず、きゅっと手を握られる。
優紀は戸惑っていた。ただ手を繋いでいるだけだというのに、頬が燃え上がりそうなほど熱い。
同年代の女性と手を繋ぐのは、はじめての経験なのである。
気づかなければ気にならなかったはずだ。気づかなければ、きっともっと楽だったはずなのだ。
過剰なスキンシップを眼前で認識し、それらが計画者の不純な動機に基づくと知っているのも、まずかった。
なにやらイケナイことをしている気分になっている。
優紀は形容しがたい居心地の悪さに緊張し、どうにも尾行に集中できなくなった。
骨抜きになりつつ尾行すること、さらに一時間。
時刻は午後四時になろうとしていた。
見ているだけで赤面しそうなイチャつきぶりを発揮していた渋沢瞳と少年は、ようやく駐車場へと向かってくれた。ジムに少年を送り届けて終わりならいいが――。
優紀は返信をよこさない観察部にメッセージを送った。
〝状況確認。尾行者、ならびに少年の実態は如何〟
返信を待つ間にも、渋沢瞳と少年は歩を進めていく。
優紀は背後を見回した。さきほどまで感じていた尾行者の気配が感じれない。観察部の人間が追い払ったのであれば、応答がないのはおかしい。尾行に気づかれたと察知したのだろうか。
いずれにしても、いま優先すべきは渋沢瞳と少年である。
優紀は陽菜の手を軽く引っぱった。
「ハナちゃん。もう帰ろう?」
「ユウくん、疲れちゃった? じゃ、帰ろっか?」
メッセージは正確に伝わったらしい。陽菜は急に方向転換し、渋沢瞳たちに先回りする形で駐車場に向かう。
開いた自動ドアから外へ出る寸前、陽菜は手を離した。
「ユウく――じゃない。先輩、急ぎましょう!」
「了解!」
優紀は走りだした陽菜の背中を追おうとし、
困った。
歩幅が違いすぎて、遅れをとるのである。
陽菜の足はたいして速いわけでもない。どちらかと言えばモタモタしている。kれど優紀の足はそれ以上に遅い。
強化位相を使えば楽に追いつけるのは言うまでもない。しかし使えば悪目立ちするのは間違いない。そして使えないのであれば、少年時代もそうだったように、どんどん置いていかれるのである。
優紀は、なにやら無性に悲しくなった。
かつて運動会で言われた「足おっせー」という単純明快な罵倒が脳内でリフレインされ、さらに足が重くなる。息をきらせて車にたどり着いたとき、優紀の不可解な悲しみは頂点に達した。
車の前で苛立たしげに仁王立ちする陽菜の姿によって、あの日の義母を色鮮やかに思いださせられたのである。
義母はmあの日、足が遅いのが悪いと言ってのけた。
一回りも年が離れていない義母は、しかし母としてみられたかったのか、それまでことあるごとに優紀を甘やかそうとしてきた。そして優紀自身も素直になれないながらも甘えることもあったのだ。
その優しい義母が、あの日だけは「足が遅いのが悪い」と突き放してきたのだ。
いまでこそ虫のいどころが悪かったとか、優紀を強く育てようとしたとか、いくらでも理由が思いつく。しかし当時は無理だった。
家に帰った優紀は布団にくるまり、悔しさから泣きじゃくった。思えばあの日を境に義母に遠慮するようになった気がする。そしてまた、冷たくするたびに義母が寂しげにしていたのを、よく憶えている。
というか、陽菜の仁王立ちに、思い出させられたのだった。
――泣きたい。
実際に目の前が若干滲んでいた。無視する。じゃないと嗚咽にいたる。
気を強く持った優紀はポケットから鍵を取りだし、運転席に乗り込んで――、
新たな絶望を目にした。
――前が見えねぇ。
涙のせいではない。低くなった座高のせいである。
ハンドル越しに目に入るのは、電源の落ちた速度計やら燃料計やらだけであり、首を伸ばしてみても、ボンネットすら視界に入らない。
やべぇ。
頭が真っ白になった優紀は、思わず少年時代の口調で喋ってしまった。
「ど、どうしよう母さん。前が見えないよ」
「えっ?」
若干の動揺を含む陽菜の声に、優紀は我にかえった。
「あ、ええと! ちがくて! 子供サイズになってるから、足が!」
「はぁ!? 足!? だったら戻ればいいじゃないですか! バカですか!?」
「あ、そ、そうか。そうだよな!」
尾行を続けた数時間の間で、優紀は少年時代の躰に順応しかけていた。戻るという発想そのものを失念していたのである。
優紀は慌ててポケットから新型の即返信装置を取りだし、叫んだ。
「トータルコーディネート、アウト!」
キン、とセーフティ解除と思しき音が鳴った。なにも起きない。
フリントを擦ると、火花が散った。
軸紐から白い煙が薄くあがる。
だが、なにも起きない。
フロントパネルのデジタル時計が、下一桁の数字を変えた。
「オイル切れかな?」
「先輩?」
陽菜の声が冷たい。そんなに怒らなくてもいいのに。
「じゃなくて! トータルコーディネート! アウト!」
短い、高質な金属音はたしかに鳴った。確実にセーフティは解除されたはず。
フリントを擦る。赤い火花が散り、軸紐の端に火がつき――消えた。わずかに軸紐が焦げついただけだ。
変身は解除されないし、その気配すらない。
優紀は涙目で陽菜をみた。
「ど、どうしよう……ハナちゃん」
陽菜の目は、無情にも宙を泳いだ。
「えっと、えっと。ま、マニュアル、とかは?」
「そうか! マニュアル!」
優紀はスマホを引っ張り出してマニュアルを開いた。変身解除の項目を探す。見つからない。検索をかける。『変身解除』該当なし。『解除』八百七十六件。『変身 解除』不明なエラー。
「見つからない! 見つからないよハナちゃん!」
「おおお落ち着いてゆうくん! えっと、えっと――」
二人がわたわたしていた、そのときだった。
真正面を、パステルグリーンのソプラノ・カッツェが、走り抜けていった。
ナンバーは渋沢瞳の車と合致する。見間違えるはずがない。それに、運手席には青色のノースリーブを来た、すっきり美人が乗っていたのである。
「ど、どうしよう、どうしようハナちゃん! そうだ! 俺を膝に乗せて――」
「待って!」
陽菜は強く目元を抑えたかと思うとすぐに顔をあげ、車内を見渡した。
「ジャケットとバッグで、クッションつくろう!」
なるほど、と優紀が思うよりも早く、陽菜が二人分のジャケットが巻かれたバッグを差しだしていた。運転席の上に置かれた即席のクッションに座る。
相変わらず前を見るには不十分で、車幅もよく分からない。しかし、先ほどに比べればはるかにマシだ。
優紀はシフトノブに手を伸ばし、足をペダルに――、
「ハナちゃん。今度は、アクセルとブレーキに足が届かないわ」
「――あぁぁぁぁっ、もう! えーと、えーと!」
陽菜は再び車内を見回し、叫んだ。
「ユウくん! ガムテープとかある!?」
「ユウくんって――それどこじゃねぇ! ある! トランク!」
優紀は急いでシート横のレバーに手をかけ引いた。後部座席の後ろで、ゴクン、と音がした。素早く車外にでてトランク内を漁る。
車の修理道具一式やら使えなかった変装道具やら予備のゲゼワをより分ける。車両整備用の工具と並んで灰色のダクトテープがあった。
「あったよハナちゃん!」
「早く持ってきて!」
陽菜は行きがけに買った飲み物のペットボトルを、ペダルの上に立てていた。
「ガムテで固定!」
「了解!」
ペダルの上に置かれたペットボトルをダクトテープで巻きつける。あらためて乗り込み、座席を目いっぱい前にスライドする。伸ばした足はボトルキャップに届いた。
高いハンドルはチルト機能を使って限界まで下げておく。
――コワイ。
それでも、ギリギリであった。たしかに運転は可能である。しかし結構なアクロバティック走行ポジションだ。足の下にある中身が半分ほど失われたペットボトルは、強く踏み込めば容易にペシャる。かもしれない。
優紀は喉を震わせた。
「は、ハナちゃん。この仕事終わったら、免許、取ろうか」
「いいから早く、発進!」
陽菜がズビシと前を指さした。
優紀は、恐々、サイドブレーキを外した。
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