昼休みのサラリーマンと夏休みの少女

ゆまた

第1話 私にゲームを教えて下さい

 昼休みを告げる、社内のチャイムが事務所に鳴り響いた。僕は作成中の資料を保存し、すぐにパソコンをシャットダウンさせた。一分一秒たりとも無駄にはしたくない。


「新堂、またあそこか?」


 課長が呆れたような口調で声をかけてきた。僕はそそくさと立ち上がりながら、苦笑いを返す。


「ええ、まあ……」


「昼休みにどこでどう過ごそうが自由だけどな。この前みたいに夢中になりすぎて遅れるんじゃないぞ」


「はい」


 僕はこれ以上止められないように、早足でオフィスを出た。そして脇に駐めてある自分の自転車に跨がり、ペダルを一気に踏み込む。

 有難いことに、僕の自宅と勤め先の会社は目と鼻の先にある。この自転車も通勤用だ。しかし僕は別に、自宅で昼食を食べるために走っているのではない。

 真夏の照りつける太陽の下で自転車をこぐ事約三分。僕は駅前のゲームセンターの前に自転車を停めた。ストレス社会に生きるサラリーマンの僕の、ささやかな昼休みのお楽しみだ。

 文字通り三度の飯よりゲームが好きな僕は、昼食を食べる時間も惜しんで毎日このゲーセンに通っている。去年三十路を越えた男の趣味としては、あまりにも幼稚だ。

 当然の事ながら、生まれてこの方女性にモテた事など一度もなかったが、奇跡的に結婚する事は出来た。妻は僕のゲーセン通いの趣味を知ってるが、あくまで小遣いの範囲内でやっているだけなので、何とか黙認してもらっているのだ。昼食も食べずにやっていると知ったら、流石に怒るだろうけど……。

 自動ドアをくぐると、いつものけたたましい電子音が僕の鼓膜を心地よく揺らす。夏休みのせいか、子供や学生も多いけど、まあそんな事は気にしない。ウキウキ気分で千円札を両替機に突っ込み、十枚の百円玉をポケットに入れ、今日の遊び相手を物色し始めた。


「ん~……やっぱこれかな」


 僕は最近新シリーズが出たゲーム、マイティファイター6の筐体の前に腰を下ろした。このマイファイは、二十年以上前の初代からプレイしている、僕がこよなく愛する格闘ゲームだ。

 早速百円を入れ、そして迷わず少林寺拳法使いの少女リンリンを選択する。このキャラも初代から参戦していて、僕は八割方リンリンでプレイするのだ。

 しかし、ここまで極めてしまうと、もはやコンピューターでは相手にならない。誰か乱入してくれればいいのだが。


『ニューチャレンジャー!』


「おっ、来たな」


 そう思った矢先、他のプレイヤーが乱入してきた。選んだキャラは、甘いマスクで女性プレイヤーに人気の、テコンドー使いゼロスだ。プレイヤーは筐体の向かい側に座っているので、どんな奴かまでは分からない。まあ、相手が誰だろうと負ける気はしないけど。


『ラウンドワン、 ファイッ!』


 試合開始と同時に、僕はスティックとボタンを巧みに操り、ゼロスを一気に画面端に追い込んだ。流れるようなコンボで相手に反撃の暇を与えず、十秒も経たないうちにKO。よし、今日も絶好調だ。

 続く二ラウンド目もパーフェクト勝ちを収め、対戦相手を完膚なきまでに叩きのめした。後ろで見学していたギャラリー達から感嘆の声が漏れる。実にいい気分だ。仕事もこれぐらい上手くいけばなぁ……。

 対人戦でも、あまり一方的過ぎるのも面白味に欠ける。ギャラリーから注目を浴びるのは好きだけど、別に僕は弱い者いじめが好きなわけではない。次の乱入者はもっと強ければいいんだけど。


『ニューチャレンジャー!』


 しかし間もなくして、再び乱入者が現れた。夏休みで賑わっているだけあって、やっぱり乱入してくる人も多いんだな。


『リンリン! バーサス、ゼロォス!』


 ん? またゼロスか。まあ使いやすいキャラだから珍しくもない。

 しかし、試合開始数秒で僕は気付いた。これはさっきと同じ相手だ。あれだけボロ負けしたのに、連コインまでして僕に挑んできたという事か? それともさっきのは本気じゃなかったとか……。

 そんなはずもなく、展開はやはり僕の操るリンリンの一方的な試合となった。パーフェクト勝ちこそ逃したものの、何度やっても全く負ける気がしない。あっさりと二ラウンド先取のストレート勝ちを収めた。


『ニューチャレンジャー!』


「……おい、まさか」


 そのまさかだった。またしても対戦相手はゼロス。プレイヤーも恐らく同じだ。徐々に動きは良くなってきている気がしないでもないが、百戦錬磨の僕に勝てるわけがない。三試合目も危なげなく、二ラウンド先取のストレート勝ちだった。


「もう、来ないよな……?」


 どうやら諦めたようだ。結局何だったんだろう。まあいい。

 僕は気を取り直してコンピューター戦を続けた。その時、向かい側の筐体から、さっきまでの対戦相手が立ち上がるのがチラリと見えた。そして、僕の脇を何も言わずに通り抜けていく。


 ……!?


 しまった……。僕は心底そう思った。ついさっき僕がボコボコにした対戦相手は、十歳ぐらいの小学生の女の子だったのだ。そうと分かっていたら、少しは手加減したのに。

 知らなかったとはいえ、これでは子供相手に大人気なさすぎる。妙な罪悪感で若干調子を落としてしまったが、全ステージクリアには支障はない。

 ふう……やれやれ。まあ、夏休みだからこういう事もあるよな。そう自分を納得させながら席を立ち、後ろを振り返った。


「うっ……!」


 ギャラリーに交じって、さっきの少女が僕のプレイを後ろから観戦していた事に、今更ながらに気付いた。いや、むしろ終わるまで気付かなくて良かったか。

 強くなりたくて真剣に観戦していたのか、それとも自分をボコボコにした相手をずっと後ろから睨み付けて、「負けろ、負けろ、負けろ」と怨念を送っていたのだろうか。

 僕は何だか恥ずかしくなり、他のゲームを探した。

 よし、次はこれだ。対戦落ち物パズルゲーム『ぴよぴよ』だ。カラフルなヒヨコが上から落ちてきて、同じ色のヒヨコを四つ以上並べると消えるというシンプルなルール。連続して消すと連鎖となり、対戦相手を妨害する事ができる。

 可愛い雰囲気とは裏腹にヘビーゲーマー御用達の、スピード感あふれ手に汗握るゲームだ。これも人気ゲームゆえになかなか歴史が長く、僕はこれをマイファイと同じぐらいやり込んでいる。

 プレイするべく、僕が席に座った途端、さっきの少女が凄い勢いで隣に座ってきた。そして百円玉を筐体の上に叩き付けるように置いた。


「えっ! な、何?」


 僕は驚いて少女に聞くが、少女は何も答えない。


「えと……先にやりたいのかな?」


「違います。私と対戦してほしいんです」


 な、何なんだこの子は。そんなに僕に負けたのが悔しいのか? 驚きと、僅かな恐怖と、面倒臭さが入り混じり、最終的に面倒臭さが僕の心を埋め尽くした。

 仕方ない……さっさと負けてあげよう。僕の百円と合わせて二百円を投入口に押し込み、ゲームをスタートさせた。格闘ゲームなら筐体を挟んで向かい合ってプレイするからまだいいが、このパズルゲームは隣同士で座るから、周りから見たら何事だと思うだろう。昼休み中のサラリーマンと、夏休み中の小学生女子が一緒にゲームをしているのだから。

 世知辛い今の時代なら尚更問題だ。下手すると援助交際と疑われて通報されかねない。早いところ終わらせてしまおう。

 僕は適当にヒヨコを消しながら、チラチラと少女の画面を見た。マイファイと同様、ぴよぴよの方も素人同然だ。本気でやれば、万が一にも僕が負ける事はない。

 僕は思いっきり手加減し、ギリギリで負ける事によって、少女に花を持たせる事に成功した。百円が無駄になってしまったが、まあこれでもう付きまとわれる事はないだろう。


「はは、負けちゃったね。じゃあ、僕はこれで」


「何で本気を出してくれないんですか」


 少女は冷たい声で僕を咎め、きつい目で僕を横目で見上げた。


「えっ……あ、いや、その……」


 何で僕は小学生相手にビビってるんだ。しかも相手は地味な見た目の大人しそうな女の子だぞ情けない。

 いや、何でと言うなら、この子に対してだろう。何でこの子は僕に付きまとうんだ? 勝ちたそうにしてるから勝たせてあげたのに、わけが分からない。


「……小学生相手に、大人は本気を出さないものなんだよ」


 僕は適当にごまかした。しかし、少女は当然納得がいっていない様子だ。本気を出して、さっきのマイファイの時のようにボロ負けさせてあげれば良かったとでも言うのか?


「私、どうしても勝ちたい相手がいるんです。だから、強い人と対戦してもっと上手くなりたいんです」


「へ?」


「私に、ゲームを教えて下さい」


 負けず嫌いというのは間違っていなかった。しかし、僕と戦いたい理由は意外なものだった。

 僕は、何となくこの少女にデジャヴを感じた。どこかで会った事があるような気がする。でも、僕に小学生の女の子の知り合いなんていない。


「キミ……名前は?」


「竹内愛花です」


 やはり知らない名前だ。いや、でもやはり僕の記憶に間違いはない。僕が愛花と同じぐらいの年齢の頃、愛花と似たような女子と一緒に遊んだ事がある。

 彼女の名前は、城田麗子。当時は自覚はなかったけど、僕の初恋の相手だった。

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