夏色の空
並木坂奈菜海
第1話 夏色の空
駅周辺の住宅街に建つ、白色の一軒家。
8月の太陽が外壁に照り付けているおかげで、いつにもまして眩しい。
だが15年以上もこの家を見ている俺からすれば、そんなことには慣れていた。
いつものように、インターホンを鳴らす。
「はい」
幾度となく会い、そして聞きなれた女性の声。
「こんにちは、夢原です」
「ああ、
2、3分後、玄関の扉が開く。
「よう、
「やっほ」
待ち人の幼馴染が姿を見せた。
水色のショートパンツに白い半袖という、いかにも夏らしい恰好をした彼女の肩には、荷物の入ったトートバッグが提げられている。
「翔、暑くなかった?」
「正直言うと、あと5分くらい待ってたら倒れてたかも」
「じゃあ、翔が倒れたりしないうちに行きますか」
どちらから言うでもなく自然に手をつなぎ、駅の方角へ歩いていった。
ロータリーに停車している循環バスに乗り込み、最後尾の席に座る。
「冷房が効いてていいな」
「ちょっち寒いかも……カーディガン持ってくればよかった」
「席、代わろうか?」
「ありがとう」
一度真ん中の通路に出て、窓際に座る。
ついでに上の送風口も未来に冷気があたらないように調節しておく。
「ねぇ、翔」
「ん?」
「最近はどうしてるの?」
「相変わらずだよ」
中学までは一緒だったが、未来は県外の高校に、俺は俺で地元の県立に通っている。家はお互い近いけれど、会って話をする機会は格段に減った。
「他にはないの?」
「別に」
7月に俺の所属する水泳部の大会があり、そこには未来も来ている。というか俺が呼んだ。それから日付も経っていないし、話もそれなりにしたからこれといった話題がない。
沈黙状態のまま、バスは発車した。
旧道を通りながら揺られること15分。
目的地の市民プールに入館し、2人分の1日券を買って更衣室に入る。
プールサイドで軽く柔軟体操をしていると、水着に着替えた未来がやってきた。
「お待たせー」
肩まで伸びた髪を、頭の後ろで1つに束ねている。
まだまだ育ち盛りだが、それでいてしっかりとした肉感のある2つの双丘を、ミントと白のチェック柄のビキニが支えていた。
「どう?」
「いいんじゃないか、似合ってると思うぞ」
「それにしては、ちょっとテンション低くないかなー?」
「そうか?」
「うんうん」
腕を組んで強くうなずくのを見て、俺は苦笑する。
「まぁ、その、なんだ。可愛いと思う」
「えっ!? ……そ、それはどうも」
そっぽを向く未来。
「どうしたんだ?」
「なんでもない! はやく行こう」
「お、おい!」
彼女に左腕を取られながら、すたすたと流れるプールの方へ向かった。
「気持ちいいね」
「……うん」
適度に温度が調整された水が、自分たちの体を包みこみながらゆったりと流れる。その心地よさに俺は我を忘れ、どこか懐かしさのある感触に浸っていた。
「ねぇ翔、鬼ごっこしようよ」
「ここでか?」
「うん。翔が先ね。よーい、ドン」
未来は言うだけ言って、さっとプールの人ごみに紛れてしまう。
「全くあいつは……水泳部をなめてもらっちゃあ困りますよ、っと!」
息を小さく吸って水中に潜り、流れに沿って隙間を縫うように突き進む。
ものの数秒で彼女の姿を見つけると、数歩先へ先回りして顔を出す。
「えっ!?」
方向転換をしようとするが、人の波の勢いもあいまって全く進めない。
そうこうしているうちにも未来は流されていく。
目の前を通り過ぎる。
速すぎて床に足をつけられないらしい。
「おっと」
慌てて追跡を再開する。
あと15cmくらいのところで、彼女の左腕を掴んだ。
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう」
「じゃあ次は未来な」
「はーい。でも潜るのはなしだよ?」
「はいはい」
やはりバレていたらしい。
当たり前といえば当たり前のことだった。
それから30分ほど遊んだところで、監視員の笛が鳴った。
プールサイドがにわかに混み始める。
あぐらをかきつつ時間が過ぎるのを待つ。
未来が体育座りをしながら言った。
「やっぱり温水はいいよねぇ」
「外の天気も気にしなくていいし、水が冷めないからな」
ねぇ、と未来は話を続ける。
「隣にもプールってあったよね?」
「ああ……確か、競技場も兼ねたのがあったな」
時々大会やら何やらで使われているので覚えている。
飛び込み台だけでなく大きな液晶パネルもついていて、どこからこんな大金が出てきたのだろうと一瞬考えてしまうほどのものだった。
「そっちも行ってみない?」
「ああ、いいよ」
更衣室とは別にあるプール同士をつなぐ通路を、未来の手を引いて歩く。
一応電灯はついているが、それでも薄暗い。
2人の足音が壁に反響し、一種の恐怖感を醸し出していた。
通路を出ると、さっきまでいたプールとは違う色の光を浴びる。
視線を上げれば観客席が見え、なぜだか気分が高揚した。
後ろでは未来が感嘆の声を上げている。
「すごい……」
「大会用に50mの8レーンだからな、うちの学校よりも更に大きい」
7月の時は他校に遠征だったから、そこまでのサイズはなかった。
「夢原君?」
ちょうど死角になっていたプールサイドの方から声をかけられ、振り向くと見覚えのある女性がちょうどこちらへ近づいてくるところだった。
「あ、先輩」
「珍しいね、キミも自主トレ……ではないみたいだね?」
その視線は未来の方に向いていた。
「そちらにいるのは、夢原君の彼女さんかな? 初めまして、水泳部の藤村です。彼の先輩ということになるかな」
「はじめまして、
「そうか、違ったのなら残念」
そういう先輩は全く残念そうではなかった。
「ときに夢原君、デートの途中ですまないんだけれど、私と1本泳いでくれないかな?」
「で、デートじゃないですっ!」
思わず言おうとした台詞を代わりに叫んだのは未来の方だった。
先輩は、そうか、と言いたげな表情。
「それで、どうかな? 彼女さんはしばらく退屈かもしれないけど」
「いえ、別に」
「じゃあ、いいかな?」
いつのまにか、俺抜きで話が進んでしまっている。
仕方ないか。
「分かりました。片道の自由形でいいですか?」
「いいとも」
時計を見上げると、もうすぐ休憩時間が終わるところだった。
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