傍観者転生 ~お前は俺を殺せない~

ミシェロ

プロローグ

「この人痴漢です!」



 今思えば最悪な出来事だらけだった。何の面白みもない。何の高揚もない。あるのは欲の餌になることだけだった。上司は怒るばかりで俺のことなど気にしてはいなかった。それでも金の代わりになるものはなかった。



「くそっ!」


「君、待ちなさい!」



 人の波をかき分け紺色帽子から逃げ出す。他のやつがどうなろうと知ったこっちゃない。線路に駆け出して誰が怒りに走って来る? そんな自分を考えて、自分を見据えて何かをするやつなんかここにはいないんだよ。


 希望の光が近づいた。けれどその瞬間、俺の耳には警笛の音が響くだけだった。親切なんてするべきじゃなかった。親切をしても報われない人生など否定してやりたい。が、それが現実だった。



***



 雲一つない青空。体をかきわけ飛び去る心地よい風。今までの怒りの気分を和らげていく草原。この場所に来たとき俺は状況を理解した。


ここは天国に違いない。前からそこだけは見てみたいと思っていた。誰も教えてくれる人はいなかったからな。


すがすがしい気分だ。意味もなくあくせく働く人間たちを眺めこっちは上空からほくそ笑む。どれほど高貴で敬われている気分であることだろう。もう何もしなくていいのだ。それだけで救われた気分になれる。



「大丈夫、ですか?」



 俺の目の前には銀髪の美少女が姿を見せた。まだ性的な成長が見られない。とはいえ手を出せば俺が捕まる要素には十分だろう。


こんなに若くして天国に来てしまったのか。できることなら俺の残りの人生を分けてやりたいくらいだ。まぁ若さの部類に俺も入っているだろうけど。



「あなたの名前は?」



 本来なら名前を名乗る意味などない、と言ってやりたいところだけれど、育ち盛りの彼女はきっとこの世界全てが疑問で興奮に満ちたものに違いないのだろう。


 ひょっとすれば、この場所が天国であるということすら知らないのかもしれない。俺も正直驚いている。てっきり羽の生えた美少女と最初に出会うのかと思った。それでもって今までの罪の精算をするわけだと錯覚していた。



「俺の名前は尾形倫也。お前の名前は?」


「シミル・パルテロッカ」



 外国人。よく日本語が伝わったもんだな。そういや最近外国人が増えている気がしなくもないような......


 まぁ銀髪なら外国人しかいないか。日本なら間違いなく言われのない疑いをかけられる。そういう思い込みの強い国なのだ。



「ところでその服は何? 見たことない模様してる」



 やっぱり天国に来たんだから服装は白装束(しろしょうぞく)だろ。歴史に詳しいわけではないけど、そういう意味じゃ冠婚葬祭の主役が着る服装だ。けれどいつもの馴染んだ服装な気がしたのが違和感だった。


 俺の着ていた服は死者の服ではなくただの会社員だった。毎日着慣れたスーツに身を包みその場所にいた。きっと着替える前段階だったんだろう。


 そのとき俺の頭に嫌なものがよぎった。女子高校生じゃない。今の俺を否定しようとする悪い考えだ。ここ、天国じゃないんじゃないか?



「倫也さん、1匹何とかできますか?」


「ハァ!? 何をどうするって?」



 目の前に現れたのは鹿? いやイノシシに近い鹿だった。俺たちを睨み突進してくる。この瞬間、俺は全てが現実なのだと言わされた。


 牙は俺の身体を貫きスーツの紺色は紅に染まった。どこだよここは。俺は駅にいたはずだろ? それがどうしてこんな場所にいるんだよ。


 誰かいるのなら教えてくれよ。ここは天国なんだろ? それとも見せかけの地獄か? 黙ってねぇで誰か答えろよ!


 俺の言葉では何も変わらなかった。最後に見えたのは銀髪の彼女が空に飛び上がる様子だった......



***



「ぷはっ!」



 久しぶりに息をすえたような感覚がした。服は白い布へと変わっている。起きた瞬間にシミルがこちらに近寄って来る。そしてその奥には氷漬けにされたイノ鹿がいた。


 俺は命を救われた、のか? それならここは......異世界?



「大丈夫、倫也?」


「ああ。心配するな。お前が助けてくれたのか?」


「うん、倫也は友達。友達は助け合わないと」



 彼女が子供でよかったと心底思った。きっと他のやつなら俺を不審に思いその場に置き逃げ出していたところだろう。最悪運だけは何とかなっているみたいだ。


彼女の後ろから話声が聞こえる。ここは彼女の家か。小さな小屋に住んでいるあたり、少しかわいらしく思える。彼女たちはこの狭い空間でも幸せを感じているのだ。俺なんかと違って。



「シミル。彼が友人かい?」


「そうですパパさま。尾形倫也です!」



 彼女はうれしそうに両手を挙げて耳の長い大人な男性に答えた。彼は彼女の気分に乗り頭を撫でた。


 だが俺を襲ったのは焦燥だった。耳の長い一族......たしかエルフとか言ったか? どうやら俺が気づいてしまった事実はまんざら嘘でもないらしい。

 

 ここは今まで俺が生きてきた世界でも、ましてや天国でもない。存在異民族たちが暮らす世界。異世界に俺は迷い込んできてしまったんだ。

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