5-2
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エーリカの屋敷についた。夜中だった。先ほどの雨でルスターク川が増水している。激しい川の流れの音が二人の背後で響く。
「正面からいくぞ」とアンナ。
正門へ向かって歩く。衛兵が二人いた。
「忍び込まないのか?」
エリオットが聞き返した。
「もうそういう段階じゃない」
「じゃどういう段階だよ」
正門の前へ。衛兵は黙って門を開く。
「こういうことだ」
「招待されたってことか」
「気合入れてけ。悪の親玉たちと対峙するぞ」
「てっきりあんたが悪の親玉かと思ってた」
「そうだ。悪の親玉が悪の親玉と対峙する」
「恐怖だね。聞くんじゃなかった」
「お前も一員だぞ」
エーリカの屋敷へ入った。
■
使用人に案内された。広間を抜け、客間へ。壁には絵画、棚には銀食器と壷、燭台の蝋燭には火が揺れる。
客間には四人いた。
エーリカ、ヴァレンシュタイン、あとは男が二人。一人は見たことがあった。カレンを捕まえた大男だ。もう一人は品があるが見知らぬ男だった。長身で口髭を生やしている。瞳の色は緑色で短い髪はしっかりと横に分けられ整えられている。
ヴァレンシュタインは椅子に深く腰掛け、あとの三人は並んで突っ立っている。
「勢揃いか?」とアンナ。
誰も何も答えない。
「機嫌が悪いみたいだぞ」
エリオットがアンナに耳打ちする。
「奇遇だな。私もだ」
「俺もだよ、クソったれ」
呆れる。
「こっちへ来い」
ヴァレンシュタインが手招きした。枯れた声。長い爪。先のない左腕。薄いが長い髪と同じくらいに長い髭。首、肩、腕には贅肉がなく細く、顔にはシミがある。
エリオットとアンナが近づく。近づくほどに空気が重くなる。
「取引をしにきた」
アンナの目の前にヴァレンシュタインがいる。「言葉はわかるか?」
「耳は聞こえる。ご覧のとおり老いぼれだがな」とヴァレンシュタイン。
ラナ教楽園派の指導者。新興派閥でありながらも一代で巨大宗派を築いた大物だ。謙遜するが眼光は鋭い。
「この鍵で壷が開けられるんだろ?」
アンナが鍵を見せた。「その歳で寄生虫を集めるなんて物好きだ」
「貴様――」
エーリカが剣の柄に手をかけた。それをヴァレンシュタインが制止する。
「なんでもお見通し、か」
ゆっくりと喋る。「紹介しよう。そこにいる女性はエーリカ。アーシュ騎士団のものだ。そっちは同じくアーシュ騎士団で騎士団長のアルベール」
品のいい男はアルベールという名前だった。「最後に残ったのはハンス・ゲルンで私の個人的な警備をしている。全員、相当な手練れだ。容赦ない」
先のない左腕で指した男はハンス。カレンを捕まえたときにいた大男だった。
「脅しか?」とアンナ。
「自己紹介といったろう」
ヴァレンシュタインも引かない。
「そうだったな。謝るよ」
「取引といったな」
「この鍵を買え」
アンナが押す。この女は押しっぱなしだ。「値段は安くないはずだ」
「取引には応じない。なぜなら、それは私たちのものだ」
ヴァレンシュタインが言い切った。
「どういう意味だ?」
「言葉は通じるか?」
空気が凍りつく。
アンナの舌打ち。
「行儀が悪いな」
ヴァレンシュタインがいってから息を吐く。
「値段はあがる一方だぞ」とアンナ。「早く決めろ」
「アルベール」
ヴァレンシュタインが指で合図をする。アルベールがヴァレンシュタインに二枚の紙を渡した。アルベールが横目でみる。目が合った。緑色の瞳だった。
「よく出来ている」とヴァレンシュタインは呟いた。
「お前らもみるといい」
エリオットとアンナの足元に二枚の紙がふわりと滑るように落ちた。
「拾え、エリオット」とアンナ。
「なんで俺が」
「お前、何もしてないだろ。少しは働け」
腰を曲げて、紙を拾う。内容を確認した。
「そういうことかよ」
エリオットはヴァレンシュタインを見た。紙をアンナに渡す。
「脅しか?」とアンナ。
二人が手にした紙は手配書だった。これで二人はマリアノフの指名手配犯になった。掴まればよくて財産没収と都市追放、悪ければ死刑。首を斬られて終わる。
「私は市参事会員だ。これくらいは思いのままだ」
「私の質問には答えてくれないのか?」
「必要ない。鍵を渡せ」
エリオットにはわかった。この交渉は決裂する。間合いを計る。腰には傭兵から奪った剣がある。抜いて斬る。エーリカもアルベールも武装していた。ハンスは素手に自信がある喧嘩屋なのか丸腰だ。エーリカかアルベール、二人同時に相手できるのか。刺し違えるつもりはない。いや、そうなったら首を斬るべきはヴァレンシュタインだ。躊躇わずに斬る。
「エリオット――」
アンナが先手を打った。エリオットは腕の緊張を解いた。
「鍵は渡さない」
アンナがいった。「くたばれ、クソ野郎」
「終わりだな」
ヴァレンシュタインが呟いた。
エーリカとアルベールが剣を抜いた。隣の部屋からアーシュ騎士団の兵士が流れ込んできた。
アルベールの斬撃をエリオットが剣で受ける。アンナはエーリカの剣を右手の甲で受けた。
ヴァレンシュタインは立ち上がり、ハンスと一緒に立ち去る。
「窓に走れ、エリオット」
アンナが叫ぶ。
「ふざけんな」
エリオットはアルベールの剣を受けたまま、空の鞘を掴み、顎に下から突き当てる。隙がうまれ、エリオットは窓に向かって走り出す。
アンナは右手の甲を自ら、剣にめり込ませて切断し、その二の腕でエーリカの横っ面を引っ叩き、左手を脇腹に打ち込んだ。エーリカが怯む。
「そのまま突っ込め」
アンナがエリオットに追いついた。二人で窓へ突っ込む。
「いつもこうなのか」
エリオットがいった。
身体中にガラスの破片。立ち上がり悪態を吐く。
「いつもは玄関から出る」
「手は?」とエリオット。
骨が見える。血が流れ出る肉は脈打っていた。
「どうってことない」
アンナは切断した右手の甲から先を見て気合を入れる。すぐに再生した。
「どういう身体だよ」
「便利だろ?」
アンナは笑った。「走れ」
兵士が追ってくる。
二人は走り出した。増水したルスターク川沿いをいく。
「おい、マジかよ」
前からも兵士が出てきた。エリオットは立ち止まる。
「さすが市参事会員様だな」とアンナ。
「感心してる場合かよ」
「やってやる」
アンナが拳を鳴らす。
「嘘だろ。やめろ。相手にしてたらきりがない」
「じゃどうする?」
「そんな可愛い声出すな」
「ふざけるな。殺すぞ」
肩を叩かれた。
「川だよ。飛び込んで逃げる」
「いや――、無理だ」
「なんで。奴らは鎧を着てるし、この流れなら、誰も飛び込まないし、飛び込んだとして絶対に捕えられない」
「だから無理だといってるだろ」
いつものイケイケさがない。
「おい――、もしかして――」
「別にいいだろ」
「泳げないのか?」
「黙ってろ。私は戦うぞ」
アンナは視線を外した。
どうやら泳げないらしい。
「冷静になれ」とエリオット。「大丈夫だ。そもそもあんた不老不死なんだから溺れても死なないだろ?」
「苦しみはあるんだよ。溺れたら死ぬことも出来ずにただただ苦しむ。お前にわかるか?」
「いいから俺に掴まれ。時間がない。俺を信じろ。な?」
もう包囲されている。
「クソ」とアンナは周りを見渡す。「絶対に離すなよ」
抱きついてきた。
「絶対に私を離すなよ」とさらに繰り返す。
「ま、まかせろ」
「絶対だからな。絶対に離すなよ」
飛び込んだ。
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