君がセックス・オン・ザ・ビーチを頼むなら、そこはエコール・ド・パリ

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1. 輝きの海

シャーリー・テンプルは中米の小国、ベリーズ生まれのアメリカ人だった。ほとんど完璧といって良いプロポーションを際立たせる露出度の高い水着姿。そして適度に焼けた小麦色の肌。男だったら誰もが釘付けになるに違いない。しかし、今は僕だけが彼女を見つめていられる。ここは僕が一日借り上げたプライベートビーチだった。


僕の視線に気づいたシャーリーが近づいてきて、吸い込まれそうな白い歯を見せる。


「パラソルの下で寝ているなんて退屈でしょう。少し泳がない?」


流暢な日本語で彼女は話す。日本贔屓だった祖父の影響で幼い頃から日本語を習わされていたのだそうだ。シャーリーは僕の手を取ると、照りつける太陽の下へ引っ張り出した。


普段は日中ずっと屋内で過ごしているので、僕の身体はこのビーチに対して圧倒的に異質な存在だった。運動もほとんどしないから貧相だし、日にも焼けていない。シャーリーと並ぶとコントラストが映えることだろう。でも今は少しだって気後れすることはない。人目を気にしなくて良いというのもあるけれど、シャーリーの健康的な笑顔を見ると、自然と気恥ずかしさがなくなるのだ。


「ほら、泳ぐぞ」


手を引かれるまま、僕は灼熱の砂浜を歩く。足の裏が焼けるように熱いが、シャーリーは慣れっこらしく、少しもそのような素振りは見せなかった。


「綺麗な海だね」と僕は素直に感想を言った。


「こんな海の近くでいつまでも暮らしていけたら良いのに」


最近になって彼女はよく未来の話をするようになった。それはきっと僕との関係をもう一つ先へ進めようとする意思の表れなのだろう。僕にもう少しの勇気があれば、きっと今この瞬間にプロポーズの言葉を発していたに違いない。


未来のことを考えると、不安で堪らなくなる。心の中の引っかかりがあって、どうしても一歩踏み込めないところがあった。相手の心を読むことなどできないのだから、話して確認をするだけだった。ただ、そのことを聞けば僕たちの関係性にはひびが入り、おそらく二度と修復ができなくなるのではないかという恐怖があった。


「毎日こんな生活をしていたら、どんなに資産があっても足りないよ」


そう言った僕の言葉に、シャーリーは少し寂しそうな表情をして「そうだね」と微笑んだ。心が少し痛むが、それ以上の言葉を繋げることはできない。我ながら情けない限りだった。


この世の終わりかと思うような沈黙と居心地の悪さがあった。僕は耐え切れずシャーリーの手を引いて、海に入った。シャーリーはそれこそ水を得た魚のように泳ぐ。彼女の育った村には娯楽といえば海しかなかったという。


シャーリーの泳ぎ方は、僕が義務教育の中で学んだ中のどれにも当てはまらない、独特なものだった。さながら人魚かイルカのように両足で優雅に水をかき、水中を思いのままに進むのだった。


彼女はどんどん沖へと離れて行くが、僕はなかなか前に進まなかった。ちょっとずつ泳いでは、足がつくことを確認しつつ、また少し前へ進んだ。水の透明度が高いのと、塩っけが少ないので、海の中で目を開けていても、全然平気だった。こんな海で泳ぐのは初めてだった。


「ねえ、浜辺まで競争をしない」50メートルほど離れたところにいるシャーリーが大きな声で叫んだ。ハンディキャップとしては十分な距離なのかもしれない。


「何を賭けよう」僕は出来る限りの大声をあげて、彼女に問い返す。


「負けた方が秘密を打ち明けるというのはどう」


「のった」と言うなり僕は泳ぎだした。


後方から恨めしげな声が聞こえたような気もしたが、気にすることはない。僕にはシャーリーにどうしても聞かなければならないことがあったのだ。そしてシャーリーはシャーリーで僕に聞きたいことがあるはずだった。


結果、ハンディキャップの差を埋めて、シャーリーの方が先に浜辺まで辿り着いた。僕がシャーリーに話さなければならないことは大きく分けて二つあった。浜辺で寝転がりながら、僕はゆっくりと話し始めるのだった。

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