第五章 遊戯 Trastullo. (5) 決意

***


「君と初めて出会ったのは、君がまだ生まれて間もない頃だった」


 コルラードがぽつりと呟いた。


 血を流し過ぎて足元がおぼつかなくなったレオは、結局そのままコルラードに抱かれて移動することとなった。さすがにレオと一緒に愛用の剣を持つことは適わなかったので、それは代わりにレオが持つことにした。細身の割にずしりと重みのある剣は、なんとなく使っている張本人のようだとレオは思った。


 彼の呟きはそう考えていた矢先の出来事だったのだ。一体なにを話し始めたのか理解できず、きょとんとしてレオがコルラードを見上げる。

 月明かりに照らされて、彼の白んだ頬が蝋のように滑らかに見えた。


「それもどうやら、念願のカルナーレらしい。昔はこの土地にも、もっとたくさんのカルナーレがいたんだ。まぁ、クレメンティ一族が血を濃くするために近親婚を繰り返していたからなんだけど。しかしながら、ここ百年くらいの間に彼らは他の血を多く受け入れてしまったから、その血も徐々に薄まってしまったんだろうね。だから、カルナーレが生まれたと聞いたときは本当に嬉しかった」


「……男でも?」


「男でも。でもね、そのときはさすがに嫁にしようだなんて思っていなかった」

 苦笑しながら、コルラードは続ける。「最悪、あと五十年くらいは待ってもいいかなって思っていた」


 ふぅん、とレオは呟き、コルラードの鎖骨辺りにそっと頬をつけた。冷たい感触に目を細めながら、温い息を吐き出す。


 彼曰く。

 本当ならばすぐに謁見の手続きをして祝いに向かいたかったのだが、ここで別の問題が生じてしまった。クレメンティ家との間に、ノスフェラトゥは生まれたての赤子に近づいてはならないという取り決めがなされていたのである。そういう理由もあり、彼は堂々とクレメンティ家に向かうことはできなかった。


「……もしや、不法侵入?」

「その通り」


 クレメンティ家は貴族故に比較的立派な家ではあるが、守はそこまで完璧じゃない。


 そういう事情だけは何故かやたらと詳しいコルラードである。お約束、というべきか、ある晩にそっと二階から忍び込んだ。

 一歩間違えば泥棒と勘違いされそうな光景を想像し、レオはついつい溜息をついてしまった。呆れてものも言えない。


「実際忍び込んだら、案の定ひとりで君は寝ていた。乳母はたまたま席を外していて、なんというか、非常に好都合だった」


 ノスフェラトゥの気配はやはり人間のものと異なる。人間に近しい存在であるコルラードですら、小さな子供には怯えられ泣かれることが度々ある。実のところ、ブルーノが生まれたときも彼はこっそりと会いにきたのだが、彼はその気配を察知して盛大に泣きじゃくった。


 そういう前科があるため、コルラードは内心「きっとこの子も泣くだろうなぁ」と寂しい思いをしながらレオに近づいたのだそうだ。


 小さな寝台に横たえられた赤子は、実に幸せそうに眠っていた。髪の毛はまだうっすらとしか生えていなかったが、ものすごく整った顔立ちの子だということはすぐに理解した。ノスフェラトゥが言うことではないだろうが、おそらく人間たちが信仰する天使とやらはこういう可愛らしいものを言うのだろうなぁ、と考えてしまったほどだ。


 しばらく眺めていると、しつこい視線に気が付いたのだろうか。唐突に赤子が目を覚ました。


 その瞳は、確かにカルナーレの証である美しい稲穂色をしている。きらきらと瞬く光彩が、今まで見たどの色よりも眩しく感じられた。


 カルナーレであることを確認できたのは嬉しいが、まだコルラードには問題が残されていた。こちらの姿に気づいてしまえば、ほとんどの確率で赤子は泣く。こちらがどんなに好意を寄せても、だ。


 さあ、泣くぞ。この子供は泣くぞ。


「――と思ったら、泣かなかったんだよねぇ」

 コルラードはけろっとした調子で言った。「それどころか、にこにこして手を伸ばしてくる。ちょっと指を差し出したら、ぎゅっと握って離さない。あれは本当に驚いた。初めての経験だったからね」


 複雑な思いでレオはそれを聞いていたが、漠然と理解した。どうしてコルラードが己を指名したのか。要するに、忌み嫌われ、日々プレダトーレから追い回されるノスフェラトゥが、あろうことか生まれたてのカルナーレに気に入られてしまったからというそれだけの話だったのだ。


「もちろんそれだけじゃないけれど、君に興味を持ったきっかけはそれだ」


 ふぅん、とレオはさも興味のなさそうな返事をし、再び黙りこんでしまった。以前から「どうしておれを云々」と問いかけられていたので、一部を種明かししてみたのだが……それでは納得してくれなかったのだろうか。コルラードが若干悲しそうな表情を浮かべた時、ぽつりとレオが口を開いた。


「あのさ、毎年贈ってくる琥珀スッチノって……もしかして、お前?」


 なんだ、そんなこと。

 コルラードはひとつ、頷いた。


 実は、毎年レオの生まれ月になると琥珀がひとつずつ贈られてくる。大きさは小石程度で、宛名は不明。しかしながら琥珀が高価なものだということは察していたので、レオはそれらをきちんととっておいたのである。


 きっと照れ屋な叔父がこっそり贈っていたのだと思っていたのだが――叔父の亡きあともそれが続き、心底腑に落ちなかったのである。


 だが、一年前に降嫁することが決定して以降は、それがぱったりと途絶えてしまった。


「そうか、それなら納得がいく」


 ようやく長年の疑問が解消した。レオはついつい「仕方ない奴」と苦笑する。


「去年と、今年と。まだ贈っていなかったよね。ちゃんとあげるから」

「いや、もういらない。二〇個もあれば充分だ」


 疑問が解決するや否や、レオはその申し出をあっさりと断った。まぁ、彼らしいと言ったらそれまでなのだが。


「そのかわり、」

 そして、レオはぽつりと呟いた。「ひとつだけ……我儘、聞いてくれないかな」

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