第五章 遊戯 Trastullo. (3) 底なしの闇

 突如その「何か」が猛スピードでこちらに向かってきた。レオは躊躇いなくトリガーを引く。初めは左胸、次に眉間。残像から予測し、連弾。どちらも当たった手ごたえはあった。だが、その「何か」の動きは止まらない。むしろ加速している。


 相手の勢いを利用し、レオは自ら「何か」の懐に飛び込んだ。


 咄嗟に姿勢を低くする。「何か」が頭上を飛び越えた。あの人影は間違いない、ノスフェラトゥだ。


 しかし、レオはそのノスフェラトゥに何故か違和感を覚えていた。その身体から発する気配が、普通のそれとは大きく異なるからだ。もっともっと、血の臭いが格段に強いと言うか。しかも、この血の臭いは人間のものだけではない。己のと、獣のそれも相当量混ざっている。


 通常のノスフェラトゥは人間のみを襲うはずだ。それでも飽き足らず血を欲するということは。


「当たりだな」


 これが探し求めていた『血狂い』か。

 そう思ったが最後、レオの胸の内から憎悪がこみ上げてきた。ふつふつと湧き上がる、寒気とも紛うような感覚。頭の中は努めて冷静であろうとしているが、生憎その命令は上手く伝達されていない。咄嗟に脳裏に浮かんだのは、「撃つ」というたった一言。


 ノスフェラトゥが着地した刹那を狙い、レオは続けざまに撃った。撃ち続けた。弾け飛ぶ空薬莢。爆音。弾切れ。あいつが振り返る前に、素早くマガジンを捨て装填を。腐敗臭が辺りを立ち込める。しかしあいつはまだ動いている。暗闇に蠢く未知の生物が、ついにその眼光をこちらへ向けた。


 三発ほど撃ち込んだところで、レオははっと身を固くする。どす黒い血を垂れ流しながらこちらを睨めつけた、そのノスフェラトゥの顔に見覚えがあったからだ。


 眼球はすっかりくぼんでしまっており、皮膚も皺だらけ。醜い姿となり果てても、レオはその姿を見間違うことなどなかった。


 血がこびりついた、己と同じ色の髪。


「叔父、さ……」


 動揺し、トリガーを引くのを一瞬躊躇った。それが仇となる。飛びかかってきたノスフェラトゥにレオはいとも簡単に押し倒された。


 それはほとんど一瞬の出来事だった。

 間近で爛々と目を輝かせるノスフェラトゥは、確かに叔父を思わせる出で立ちのままこちらを見下ろしていた。唇から洩れる熱い息が直接顔にかかる。その生臭さにレオは思わず顔をしかめてしまった。


 震える腕をなんとか動かし、短銃をノスフェラトゥの胸元に食い込ませた。ぐにゃり、と同じ人型とは思えない粘性の感触が残る。


 歯を食いしばり、レオはノスフェラトゥがそれ以上身体を近づけないように食い止めようとした。せめて、その顔が自分の視界に飛び込んでこないように。

 ギリギリと喰い込む鋭い爪が、とうとうレオの肩を裂いた。鮮血が花火のように弾け飛ぶ。


「ぃあッ……!」


 細い悲鳴に、ノスフェラトゥはぴくりと身体を震わせた。

 レオは必死に抵抗を続ける。だが、双肩の傷のせいで腕に上手く力が入らない。辛うじて突きつけている短銃も、次第に震えが増し始める。爪先がカチカチとぶつかる不規則な音が、うるさいくらいに叫ぶ己の拍動と入り混じって聞こえた。


 カルナーレの血の匂いに、ノスフェラトゥがさらに興奮し出す。ぼたりとこぼれ落ちた唾液が首筋に。驚くほどに熱かった。


 靄がかる思考の中、記憶に残る叔父と、ノスフェラトゥが一瞬被って見える。だが、それは本当に一瞬の出来事だった。くぼんだ眼の奥深くにある眼球の色に、レオはようやく気付いたのだ。


 底なしの闇を思わせる、完全な黒。

 目が覚めたような気分だった。


 これは、違う。

 レオが望んだ人なんかではない。


 グリップを握る手に、なけなしの力が加わる。


「……邪魔、すんじゃねぇよ……」


 喘鳴混じりに、鋭い言葉を吐き出した。そうだ、この怪物は自分が追い求めたひとなんかではない。似ても似つかないものだ。


 同族殺しと言われてもよかった。もっともっと、自分には追いかけて捕まえるべきひとがいる。これはただの障害だ。

 今、過去から決別する。だから、


「消え去れ!」


 喰らいつこうとノスフェラトゥが口を開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る