第四章 眩惑 Stregare. (10) 自覚
「どういうことだ。ブルーノの遠縁という設定で降嫁を行ったのだから、多少顔を見られても不自然ではないはずだろ」
「というよりも、事の発端としては『北の外れの森でレオ様らしい人物を見た』という噂から始まったようですが」
アルベルト曰く。
レオが腕利きのプレダトーレであることは先述の通りだが、それ以外にも外見や貴族の出であることを理由に名前だけが独り歩きする状況もない訳ではなかった。それ故に、他のプレダトーレに比べて直接指名されることも非常に多かった。
だからこそ、レオが降嫁して以降意図的に仕事量を減らしたことが他のプレダトーレに不審に思われたらしい。そんな折に噂された北の森での目撃証言。狩りをしているのかと思いきや、突然現れた背の高いノスフェラトゥと親しげに話し、森の奥深くへと消えて行った、と。
今のところ、否定する要素が何もない。
「ああ、そりゃあ多分……おれだな」
ここ数日、レオは例の『血狂い』討伐のために外出することが非常に多かった。おそらくその時に見られたのだろう。現場に度々コルラードが居合わせていたし、彼がいれば必然的に会話もする。
間違った部分など、ほとんど存在しなかった。
「迂闊だった。プレダトーレでさえこの森に足を踏み入れることはほとんどないから、油断していた」
「そのことについて、教皇庁がレオ様をお呼びです。証書が一緒に同封されていますので、ご確認のほどよろしくお願いします」
なんとなく状況が飲み込めてきたレオは、短く肯いた後、困り果てた様子で己の首筋に手を当てた。
プレダトーレは教皇庁より与えられる称号だ。当然のことながら少しでも教皇庁に背くことがあれば称号は剥奪されるし、教義に反することを行えば「魔女裁判」にかけられる可能性も否めない。
この召集は間違いなく異端審問だ。事前にコルラードが手を回していたにしろ、今回ばかりはどうしようもない。もう少しで目的が達成できそうだというときに、どうしてこんな事態ばかり起こるのか。
レオはため息をつき、頭をぐしゃぐしゃとかき乱す。
――否、事の発端はどう考えても己が降嫁に同意してしまったことにある。そして、己がいろいろと迂闊すぎたからだ。非は間違いなくレオ本人にあった。
突然アルベルトがレオの手を引いた。
「アルベっ……」
「レオ様、どうなさるおつもりですか」
いつになく真剣なアルベルトの問いかけに、レオはつい口ごもってしまった。否、応えられるはずがなかった。彼に言われなくとも、この末路がどうなるかおおよその見当はついている。
異端審問にかけられれば、レオはほぼ確実に死刑となるだろう。それだけではない。その血筋――クレメンティ一族全てが根絶やしにさせられることも充分に想像がついた。
あまりに莫迦莫迦しくて、レオは自嘲気味に口角を吊り上げる。
最近、似たような話をどこかで聞いた気がするのだ。一体どこで聞いたのだろう。逡巡し、レオはようやくそれが何かを思い出した。
例のコルラードの話に似ているのだ。
伝染病により失ったものを埋め合わせるために、理不尽にも異端視されたカルナーレの存在。
民衆により神格化された女性が、理不尽にもノスフェラトゥへ降嫁させられる件の儀式。
形は事なれど、根本的な部分はなにひとつ変わらない。レオがかつて抱いていた気持ちは実に的を射ていたのだ。
――ただの贄じゃないか、おれは。
そうか、とレオは力なく答え、力強く握られていたアルベルトの手をそっと振り払った。
「おなじだ」
所詮カルナーレなど、民衆により持ち上げられただけの存在なのだ。民衆を厄災から守らせるために、贄となるよう仕組まれた忌み血。たったそれだけの存在だから、民衆と同じように主張することも許されない。
お前はただ周りに従ってさえいればいいのだと吐き捨てられているようにも思えた。
民衆の『お遊戯』に付き合い、茶番だと知りながらも己の運命に翻弄されてきた歴代のカルナーレに、このときレオは深く同情した。
そう、同じなのだ。
歴史は繰り返されるもので、どうしても抗うことができない。どうしようもないことに、どうしても捕らわれてしまう。
レオはふと気が付いた。
コルラードがしきりに『お遊戯』と言っていたのは、おそらくこういうことが言いたかったのではないか、と。
どうせ抗えない力に流されてしまうのなら、全てを『戯れ』で済ませておくべきだ。どんなに本気になっても、願いが叶うことなどない。願いが叶う前に全てを民衆に奪われてしまう。そんな辛い思いをするくらいなら、心すら殺してしまった方がいい、と。そんな声が聞こえてきた気がした。
コルラードが、先程なんと言ったか。
今もはっきりと思い出せる。彼はもう『遊戯』なんて言わない、と言った。傷つくことを自ら選んだ。
その意味に、レオは今更になって気付いてしまった。
強く握る拳が微かに震える。レオ様? とアルベルトがその顔を覗きこむと、彼は完全に動揺していた。アルベルトですら見たことのないその表情に、思わず喫驚のまなざしを向ける。
「――アルベ、」
レオはその名前を最後まで呼ぶことができなかった。嗚咽のように息が苦しくて、思うように声が出ない。決して涙は流れないのに、全身が咽んでいる。
「どうしよう、おれっ……コルラードにひどいことを、」
時折コルラードを見るたびに感じていた靄がかった気持ちも、きちんとした名前があった。そして、その感情の名もレオは知っている。
もしかしたら、己はコルラードのことを好きになってしまったのではなかろうか――と。
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