第十章 魔法王の繁栄(水晶時代後期:紀元前700年頃)

全ての物体は月光に含まれるブルーツ波を浴びる事で魔力を生成する。白色が魔力を吸収しやすい色である事は既に述べた通りであるが、逆に吸収しにくい、つまりブルーツ波の反射率が高い色は黒である。水晶時代後期はこれを利用した月光集積装置が考案された。レン晶国で考案されたこの装置は、磨いた黒色鉱物あるいは黒色染料で染めた板などを使った曲面を利用したもので、ブルーツ波を反射し集める事ができた。「レンの賜物」を意味する「レンズ」の誕生である。

 物理的な光である月光はブルーツ波と波長が異なるため、レンズによってブルーツ波が収束すると、月光は拡散した。これによって魔族は月光とブルーツ波が別物であると気付く事ができた。家々の屋根には競ってレンズが取り付けられ家庭内に設置された中型球体に魔力を貯蓄するようになり、月照権を巡る争いが頻発した。人族でいうところの日照権のようなものだが、本質的には水利権に近い。天気や月の満ち欠け・方角に応じてレンズの向きを調整するのは専ら子供や女性の役割であった。


 球体への魔力充填速度が上がった事により、魔族はそれまでよりも気軽に魔法を使う事ができるようになった。何度も魔法を使い球体内の魔力を空にしても、従来の十数倍の速度で充填する事ができる。仕事に生活に遊びにと、魔法は一層身近で何気ないものになっていった。

 しかしそれでも王族の権勢は絶大であった。

 水晶時代後期には、王族の肥大と腐敗が始まっていた。水晶球という武力を背景にした王族に対抗できるのは他国の王族しかいない。民衆の反乱を恐れる必要がなく、恐れるものは他国の王族が参加する侵略のみ。税や献上と称した財産の強制没収は日常茶飯事であり、王宮は華美に飾り立てられ、後宮には召し上げられた美女がひしめいていた。自然と王族は身内での権力争いに腐心し、時に代替わりに際し蹴落とした者達を処刑した。

 更なる財と権力を求め、たびたび国家間戦争が起きた。石製あるいは質の低い水晶球を持たせた兵士をけしかけ消耗させたところに王族が現れ蹂躙する、というのが基本戦法だった。ないがしろにされた民衆の不満は高まったが、押さえつけられた。それほどまでに王族は強大であった。


 一方で権力を持て余した王族は妙な方向に走る事もあり、面白い逸話もいくつか残っている。簡単に紹介しよう。


 現在のメキシコ州ナイカ鉱山を首都としていたチワワ国の八代目の王は地球が完全なる球体であると信じていた。水晶時代後期は王族の圧政の下で救いをもたらす形で円月教が勢力を増し、その教義や伝承も明確化されていた。それによれば、原初、世界には月だけがあったという。永遠の歳月の中で孤独を感じた月は、自らの体を削り、太陽を作った。太陽は陽気な性格で悪戯好きであり、激しく光る事で月を困らせ、月に叱られそうになると逃げ出した。放蕩息子に嫌気が差した月は再び自らの体を削り、太陽よりおとなしく小さな息子達を多く作った。それが夜空に煌く星であり、最大の息子が地球である。円月教では球体こそが完全な形であるとされていたため、地球球体説は何の疑問もなく受け入れられた。チワワ国王もまた地球球体説の熱心な信奉者であった。熱心過ぎて、ある学者が「地球は完全な球体ではなく、楕円形である」と言い出した時に「では地球を削り完全な球体にしてしまおう。山も邪魔だから削ってしまおう」と考えた。チワワ国王は国家事業として山を、大地をせっせと削り平らにしていった。自らも魔法を振るい、汗水垂らして事業に参加した。いかに魔法といえど地球の完全な球体化は無謀な挑戦であったが、息子の九代目国王と孫の十代目国王も事業を引き継いでしまった。全くバカバカしい事業ではあったが、おかげで現在もメキシコ州は平地が多く交通の便が大変良く、河川の氾濫対策が充実し、優秀な土木系技術者を多く輩出している。この三代に渡った事業は曾孫の代で取りやめられ、訳のわからない苦役に駆り出された民衆はほっと息を吐いたという。

 アラスカ州ヒーリーを支配していた女王エルゥサは巨大で透明な球体が大好きであった。水晶球だけでは満足できず、氷を使い城より大きく透明な球を作る事を決意した。氷で球体を作る試みは昔から行われていたが、上手くいった事はない。通常、水には不純物が含まれる。凍結の際はまず水が凍りつき、次に不純物が凍る事で氷に濁りが生まれる。まず完全な純水を作る必要があった。ところが濁りを除去できても気温の上昇と共に溶けてしまう。体温ですら溶けるため迂闊に触れもしない。更には結露、霜、自重による変形などによって形を整えるそばから崩れていく。困難だらけで、実用的ではない。しかしエルゥサは巨大氷球の制作に情熱を燃やし、制作に成功した者に王座を譲るというお触れを出した。球体技師は一攫千金を夢見て燃え上がったが、そもそも当時は氷の濁りを除去する方法からして不明であったため全く上手くいかなかった。なかなか上がらない成果に業を煮やしたエルゥサは球体技師を監禁し巨大氷球の制作を強制した。困ったのは民衆である。球体技師がいなくなり、球体整備も作成もできなくなってしまったのだ。民衆は球体技師を返してくれと女王に泣きついたが、女王は嘆願を無視した。絶対的な力の差ゆえに反乱もできず途方に暮れる民衆だったが、一人の青年が一計を案じた。青年は仲間から金を集め、透明で小さな屑水晶を買い、女王に謁見した。そして「これは溶けない氷であり、北からやってきた商人から買い取った。その商人の話によれば、北の果ての氷は空気よりも透明で、炎にも溶ける事がない」と語った。女王エルゥサは大喜びして青年に王座を譲り渡し、球体技師を解放。私兵を率いて北へと旅立った。青年は賢く良き王になり、長く国に平和をもたらした。アラスカ州には今でも女王エルゥサが北の大地で溶けない透明な氷を探して彷徨っているという伝説がある。


 各地の王族は栄華を極め酒池肉林に耽り、あるいは突拍子もない事業に精を出した。しかしどれも水晶球という絶対的な力とそれによる圧政が背景にあった。


 次の章では、ガラスの発明による新たな時代の幕開けについて見ていこう。

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