33.現役復帰も楽じゃねえ


 アイードはネリュームとアーコニアの二人を牽制して、騒ぎの中心に近づいていく。

 相手はなんといってもジャッキールだ。

 本調子ではないにしろ、到底油断もできない相手だ。それは今のアイードに取ってもそうらしく、彼はシャーの時よりも慎重になっている。そして、先ほど、ネリュームに軽口を叩いていた時とは比べものにならない殺気を放っていた。

 それにジャッキールの側が感づくのに、さほど時間はかからない。

 おう、とジャッキールが声を上げる。

「アイード殿?」

「面白そうなことしてるね、旦那」

 アイードが軽くそう声をかけるが、声に警戒と緊張が滲み出ていた。

 ジャッキールの側も、なんとなく事情が飲み込めているのか、アイードを追及することはない。無言で彼を睨むように見る。

 急速に空気が冷える。

 それに気づいたのか、ジャッキールを取り囲んでいた男達が遠巻きになる。

 その空気感に、アイードが足をすすめると、彼らも黙って道を開けた。

 その真ん中を悠々と通りながら、アイードはもったいぶらずに剣を抜く。きらりと篝火に刃物が閃く。

「そんな奴ら、アンタなら雑魚すぎるだろ? 遊ぶつもりなら、俺とも遊ぼうぜ?」

 ジャッキールは無言だ。

 一瞬、鋭く彼を睨みつけてから、ふっと笑う。

「手加減はできないが?」

「いいぜ? 手加減しろなんて、俺も言わねえよ。その代わり……」

 アイードは剣をもたげて、剣呑に微笑む。

「こっちは最初から飛ばしていくからな!」

 そう言い放つや、アイードは今度は何のためもなく、いきなり右足から踏み切った。そのまま素早く走り込むと、ジャッキールに斬りかかる。

 最初の一撃は流石に鋭いが、さしものジャッキール。そこは確実に受け流し、すぐさま反撃に出る。流れるように打ち込んだ一撃は、しかし、かなりの重さが加わっていた。

が、アイードは、ついっと体を斜めにしてそれを受ける。片手では流石にキツく、柄の辺りに左手を添えたが、ガッとがっちり受け止めた。

「!」

 ジャッキールが、その瞳にかすかに驚愕を浮かべる。

 それを乱暴に返して、アイードは肩をすくめた。

「ふふふっ」

 アイードは薄く笑う。

「な? 手加減いらないだろ? ま、まともにアンタ相手するには、俺じゃ不足だろうけどな」

 相対するジャッキールの口元が、わずかに歪む。

「ふっ、ふふふ」

 ジャッキールが不気味に低く笑い声をあげた。

「なるほど。手加減不要なら、こちらも楽だな」

 ジャッキールが重たい両手剣、あのラゲイラから貰ったアダマスパードを軽々持ち上げて、ニヤリとする。夜の闇に、アダマスパードの宝石がギラリと輝いた。

 ジャッキールはだっと足を踏み切り、剣を振るう。アイードの髪の毛を掠めた一撃はかわされるが、即座に切り返す。アイードが慌てて受け流しながら逃げ切る。

「体重移動を利用して、自分にかかる負担を少なくしている。ふふっ、あの三白眼小僧は、それはそれはアイード殿が苦手だろう?」

 アイードは返事をしない。

 ジャッキールが徐々に雄弁になってくる。彼は戦闘時の高揚感に浸されると、徐々に口数が増えていくタチなのだ。それはジャッキールが、本調子になってきていると言うことでもある。

「アイード殿とあいつは、戦い方が少し似ている。型よりも実戦で覚えた戦い方にモノを言わせるところが。まあしかし、アイード殿の方が器用だな。地の利の活かし方がうまい。その辺、やつはまだ若造で、だから、振り回されがちだ」

「おしゃべりだね。段々調子でてきたのかよ?」

 アイードの言葉に、ジャッキールは薄く笑う。

「元気になって良かったぜ?」

 ジャッキールは既に直接それに応えない。

「気を遣う必要がないのは、正直ありがたいのだ。なにせ、俺は」

 人が変わったようなジャッキールが、積極的に動く。普段使い慣れないはずのアダマスパードも、彼の手の内で自然と馴染んで、鋭く彼は切り込んでいく。

 アイードは、流石にそれをギリギリで避けた。

「うまく手加減ができない男だからな!」

 ジャッキールの瞳の奥で、ちらりと例の危険な光が輝いていた。

「ははは」

 アイードは肩をすくめる。

「あのな、ここまで連戦なんだぜ、俺。まったく、最後に一番やべーのが来るんだから、俺も本当に貧乏くじだよ。まったく、現役復帰も楽じゃねえ」

 そんなことを言いながら、アイードは表情を厳しく引き締める。



 ジャッキールがアイードと戦闘を繰り広げている頃、シャーは地下水路の道を進んでいた。

「くそ、流石に暗いな!」

 シャーは比較的夜目が効くが、とはいっても、ここまで暗いと本物の猫ではないので見通せない。

「ランプ、さっき、投げ込んじまったからなあ」

 ここで照明器具がないのは、なかなかつらい。

「松明の一本でももらって来ればよかった」

 川下に抜ける道は、どうも暗すぎて使えなさそうだし、元から西の用水路に抜ける道の方が、楽そうではあったので、シャーは予定通り、そちらを進むことにした。

 天井が開けて外の光が漏れてくる。

 シャーは足速に、しかし、足音を聞かれて気取られてもこまるから、慎重に道を進んでいた。

 そういえば、先程はここで気になる男女が会話をしていたが、今はどうも気配がない。移動してしまったらしい。

(かなり気になる会話してたんだが、あいつら)

 シャーは、例のメイシア=ローゼマリーのことが気がかりだった。

 宿に戻るといいながら、誰かについて行ってしまったのか、いなくなったあの娘。元はと言えば、シャーがここに来たのだって、あの娘を探していたことが発端だった。

「あれ、メイシアじゃなかったか。違うといいんだけどな」

 ぽつりとシャーは呟く。

 もし、メイシアだった場合、とてもややこしいことになる。隣に変な奴がいることになるし、となると、かなり危なっかしい。

 ジャッキールから剣術を教えられたというメイシアは、確かに強いことは強い。

 手合わせしたシャーも、彼女にはなかなか見どころはあるなと素直に感じた。が、それとこれとは別だ。いくら腕がたっても、彼女はまだ子供なのだ。

 きっと、彼女は騙されやすい。彼女を利用しようとする汚い大人はたくさんいる。

 メイシアは、それでも今までそんな男たちをかわしながら生きてきたのだろうけれど、どこか彼女は純粋なところがあって、危なっかしかった。

(ジャッキールも、本当は心配だろうけどなあ)

 ジャッキールは、本当はかなりの心配性なのだ。シャーの手前、切り替えて冷静でいたけれど、きっと心配しているに違いかった。

 西の用水路に抜けるついでで、なにかの拍子に彼女の姿を見かけられるかもしれない。そうしたら、彼女も一緒に連れ出せる。

 とはいえ、そうなると、メイシアが危険なことをしでかしているということでもある。(できれば、あの子を見かけない方がいいんだ。アレが違ってるってことにして起きたいな)

 と考える。

 しかし、やはり、なんとなく先ほどの若い女の声がやはりメイシアだった気がして、シャーは気がかりだった。

「まあいいや。実際、そっち行ってみたらわかるんだもんな」

 シャーは、星あかりの光の届く道に足をすすめる。

 いつの間にか完全に天井が抜けていて、路地のそばの用水路に出ているようだった。

 ジャッキールとの打ち合わせによれば、この用水路を使えば、あの運河に簡単に出られる。そして、対岸にわたってしまえば、なんとかアイードの影響下から抜けられる。

 そのまま用水路を静かに進むが、この辺りは水深が浅く、シャーのくるぶしほどの深さしかない。

 その向こうに行くと、水深が少し深いようだ。そこのあたりには小舟が係留してあるのだが、これがアイードのものか、近隣住人のもなかはわからない。

 そもそも、騒ぎになっているアイードの別荘のそばだというのに、住民たちが騒ぐ様子もなく、なんだかひどく静かだ。

 戒厳令がきいているのか、それとも、元から周りに人がいないのかは、この地区に詳しくないシャーにはよくわからない。

 ただ、この静けさが罠ではないらしいので、様子を伺うために、一度シャーは陸に上がることにした。

 用水路から道へは二メートル弱あったが、壁には凹凸の石が組まれており、足をかけて簡単に登ることができた。

 周りに人影はない。

(これ、このまま、なるべく陸路でもいけるやつ?)

 最終的には舟を使うことにはなるのだろうが、シャーは水路と舟は専門外だ。

 物音を立てたくないこともあり、水をざぶざぶとかき分けて進むのは、できるだけやりたくないし、舟は舟で専門職のアイード達には遅れをとる。

「とりあえず、用水路沿いに進んでみるか。地下潜るようだったら、そこから戻ろう」

 シャーはそう決めて、急ぎ足で道を進む。

 足音を消してはいるけれど、濡れたサンダルが、かすかにぺたぺた音を立てる。

 しばらく進んでみたが、この周囲にも人の気配はないようだった。水の音と屋敷の方の喧騒がかすかに聞こえるだけ。平和だが、どこか寂しく不気味な道だった。

 しばらく行くと、案の定、用水路が地下に入り込み、建物で道が塞がれていた。

「しょうがねえなあ」

 これは覚悟を決めて潜るか、と思った時、同じ場所に上に上がる道があるのが見えた。石段が小さいながら組まれていて、その上側は塀の上だ。そこから隣の建物の屋根にのぼれるので、そこを伝って地下に潜る水路の分をいけば、うまく通り抜けられそうな感じだった。

(川側に面した道か。見つかりそうなのが怖いけど、一回行ってみるかな)

 ここでなにかの気配があれば、シャーも覗いてみないが、今は完全に一人。慎重になりつつも、シャーはこれはいけると判断する。

シャーはそのまま石段を上り、塀の上に足を置く。建物の屋根より少し頭が出て、運河の様子が見えていた。

 屋敷の方は、まだ炎や篝火で煌々と赤い。

 張り出た隣地の建物には、小さな船の帆柱マストが突き刺さっていて、そこからシャーが逃れてきたのだ。

 その建物の屋上は、船からの明かりを浴びて一際明るく目立って見えている。

 と、不意に、その張り出た建物の屋上に、人影が踊り込んできた。背の高い男で、遠目にも赤い髪が閃く。

 その後を追って、次に黒いマントの男がやってくる。

 二人は剣を抜いており、そこで激しく競り合っていた。二人とも相当な腕で、スピードも速い。

「あれ、ジャッキールとアイードか?」

 シャーは、気づいてぽつりと言う。

 ジャッキールはおいておくとしても、アイードがかなり強いのは先ほど確認している。しかし、武器も重く、体格も良いジャッキールとあれほど戦えるとは思わなかった。いかにジャッキールが万全でないと言っても、アイードはジャッキールの重い一撃をなんとか流して、相応に応戦している。

 それに、足場の悪い壊れかけた建物の上に導くことで、彼に有利な状況を作っていた。アイードは地の利を利用する。バランスの悪い場所は、彼の方が有利だ。

 しかし、ジャッキールもかなり調子を上げてきているらしく、アイードも楽に戦えているわけではない。

 それは遠目でも動きでわかる。

(旦那、大丈夫かな?)

 しかし、やはりシャーは心配になってしまう。そして、慌ててその気持ちを振り払った。

(いや、でも!)

 先ほど、改めて約束したのだ。

(オレは、ジャッキールのこと、信じるって約束したからな!)

 ここで約束を違えて、足を止めるのはジャッキールへの侮辱行為だ。信頼するなら、彼に任せるべきだった。とにかく、ここから脱出するのが先決だ。

 シャーは気持ちを切り替えて、ついでに辺りを見回す。少し高台に出たので、周囲の様子がよくわかる。

 この周囲には、やはり敵の姿もなさそうで、下方に見える運河の岸壁にも特に誰もいないらしい。

 ふとみると、その岸壁の辺りには小船がたくさん浮かんでいる。住民が使うものなのか、小さな桟橋に括り付けてある。

 用水路を伝って、舟で運河に出ようかと思っていたが、ここから回り込んで下まで降りられれば、直接、あの舟を使えそうだ。

 アイードや海賊の連中が張っているのは、下流になるので、流されると危険だったが、そのあたりは対岸までの川幅も狭くなっているようだし、流れもゆるやかだ。

 舟がそれほど得意でないシャーでも、なんとかなりそうだった。

(悪いけど、アレ、拝借していくか)

 シャーはそう考えて、壁から降りようとしたが、ふと、暗闇に何かを感じて立ち止まった。

 何か覚えのある気配だ。しかも、かなり攻撃的な。押し殺したような、重い殺気。

 それを感じたのはジャッキール達のいるところではなく、そこから少し離れた場所からだ。

 シャーはそちらに視線を向ける。

 そんな風にして勘づかなければ、シャーだって、決してわからなかっただろうけれど、競り合う二人のいる建物の対角線上の屋根に誰かがいるようだった。

 流石に暗くて、誰なのか、何をしているのかはわからない。ただ体格が良いらしく、間違いなく男だろう。

 その男は、闇に完全に姿を紛らわせている。

 が、シャーは、その完璧な行動と、覚えのある気配で相手が誰であるか、うっすらとわかった。

「あれ、蛇王さん?」

 シャーはぽつりとつぶやいた。

「なにしてんだ?」

 しかし、彼がそこにいてその行動をする理由は、ある意味では一つだった。

 シャーは急に不安になって、その影を見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る