27.密室会議

 狭い部屋の中を少し歩きながら、ジャッキールは話し始めた、

「まず陸路は確かに封鎖されている。窓から見ていても、人が移動するのが見えていた」

「うん。それはオレが確認してるよ」

「しかし、仮にアイード殿が海賊どもに協力しているのだとしたら、必ず抜け道を用意しているはずだ」

 ジャッキールは、人差し指を立てる。

「そうでなければ、連中が移動できないだろう。いくらアイード殿の部下が忠誠心があついといっても、気の荒いものも多いことだ。主君の命令とはいえ、自分たちの領域に海賊のようなならず者を積極的に入れるとは思えないし、反発する者もいるだろう。そのあたりのことは織り込み済みだろう。敢えて人を集めないようにして、反発を抑えるようにしているはずだ」

「でも、それじゃあ、水上の警備がおろそかってことか」

 シャーが訪ねるとジャッキールはうなずく。

「そうだ。まず、海賊連中のこと。彼等がここまで容易に入り、活動できているのは、明らかに水上の警備が陸上に比べて疎かであるということだ。つまり、水上の警備は、わざと簡易にされている可能性が高い」

 つまり、とジャッキールは、例によって勿体ぶったように言う。

「つまり、水路を辿れば必ず逃げ道はあるはず」

「水路か。でも、どうやって? 桟橋は塞がれているぜ」

 シャーは、大きな目を瞬かせる。

「もちろん桟橋は使わん。いくら水路が手薄とはいえ、海賊共の相手をするのも危険だからな。どうせ、リリエスも絡んでいるだろうし。それにそこから逃げるには、小舟なり必要だろう。連中の目をごまかして小舟で逃げるのは現実的でもなさそうだ」

 ジャッキールはあくまで冷静だ。しかし、すこしぼんやりしているところのある彼は、こういう時どこまで本気なのかわからなくて不安になることもある。

「でも、それじゃ逃げられないじゃないか。歩いて逃げろってこと?」

「いやな、アイード殿は、よほど船が好きらしくてな。この屋敷周辺には細やかな水路がたくさんあるのだ。小舟が用意されているところもあれば、浅瀬になっている場所もある」

 と、ジャッキールは手帳を開いて、携帯していた小さなペンを走らせる。意外なことに小器用なところもあるらしい。ジャッキールは、それをひらりと開いてシャーに見せた。

 そこには屋敷の見取り図がほぼ正確に描かれている。

「ここが桟橋。ここが母屋。そしてこれが現在地。中庭の離れだな」

「うん。で、周りは壁がぐるっと囲んでいる。逃げ場所は限られている」

「そうだ。が、庭はそれなりに広く、茂みも多い。お前がここに来た時のようにまぎれてはいける」

 シャーはうなずく。

「秘密の水路といえるのは、実は中庭を抜け、裏にある小さな門をくぐったところにある北西の母屋のかげにあたる箇所。そこに小さな小屋が立っているが、そこに地下へと続く階段がある。厳密には完全な地下道というより、そばの用水路へと降りる道でな。しかし、道より下だから人目にはつきにくい。一部は地下水路になっている」

「ああ、なるほど。それを使うってこと?」

「そうだ。ここをつたうと、別の水路にいけるのだ。しかし、ここで分岐が二つある。一つはそのまま川下側に出る半地下の水路。もう一つは西の用水路に繋がる。本格的に水路で逃げるなら、そこに係留されている小舟を使うほうがよいかもしれない」

「どっちの道のがいいんだい?」

「さて、どちらの都合がいいかは、俺も断言できないが……。今の状況にもよるかな」

 ジャッキールは顎に手をあてる。

「ただ、どちらも利点はある。川下のほうが逃れやすく運河に出ることも可能、水の流れに逆らう必要もない。一方、西側の用水路はそもそも人の目につきにくい。それに流れが穏やかで歩いても、舟を使うにしてもつかいやすいだろう。これは現地に行ってから判断する方が良いかもな」

「へえ、ダンナ、よくそんなこと知ってるな」

「俺とて、何日もただ寝込んでいたわけではないからな」

 シャーが感心したようにうなずくと、ジャッキールが当然だといわんばかりの顔になる。

「だけど、屋敷から脱出できても、区画ごと閉鎖されてるんだぜ。どこから逃げれば」

「それだが」

 とジャッキールは冷静な顔で頷く。

「俺はここにくるまで窓から外を見ていたし、この部屋でも……。ほら、この部屋にもそこに窓があるだろう? 木戸の隙間から外を伺っていた」

 そういわれると、確かに木戸でふさがれた窓がある。ほとんど見えないが、目を凝らせばうっすらと隙間があり、かすかにであるが外の光が漏れていた。

「ここから何が見えると思う?」

 ジャッキールは、不意に試すように訪ねてくる。

「わ、わかるわけねえだろ。勿体ぶるなよ」

 シャーがやや不満そうに言うが、ジャッキールは特に調子を変えない。

「ここから見えるのは運河だ。つまり、この岸の反対側だな」

「対岸?」

「そうだ。何故か知らないが、反対側は静かなのだ。お前も見なかったか?」

「そう言われると」

 と、シャー は記憶を辿る。先程、船の上から見た景色は、確かに反対側の岸は静かなもの。灯りすら少なく見えた。

「確かに、対岸は静かだった。あっち側は封鎖されていないかもしれないってことか」

「そうだろう。運河を渡ってしまえば、逃げ切れる可能性が高いように思う」

 ジャッキールは付け加えた。

「そして、対岸にいけば、アイード殿の影響下にない地区への移動が可能な橋がある。そこからなら、この地区の封鎖を避けて戻れるはずだな」

「なるほど」

「ということで、我々が向かうのはとりあえず建物の北側の小屋だと思う。ひとまず門まで行こう」

 ジャッキールは手帳をしまうと、にっと笑う。

「さて、目的地が決まったらそろそろ出るか」

「出るかって。なんか急だな」

「俺もずっとここに身を潜めているつもりなどはない。奴らがここに気づいて放火でもされたら面倒だからな。お前が飛び込んできたのが良い契機だ」

「でも、まだあいつらその辺にいそうだぜ」

 シャーはそう尋ねる。

「わかっている。しかし、奴らは俺と同じでな、光に弱くなっているはずだ」

「ああ! 松明の光を嫌っていたね、そういや」

 シャーはポンと手を打つ。

「あれって、やっぱり連中、ダンナと同じクスリでもやってるわけ? やたら興奮してたし、こっちが攻撃しても大して効かないんだぜ」

「さあな。しかし、リリエスが絡んでるならありえんことではない。ただ、それゆえか奴らは篝火をあまりたいていないからな。闇に乗じて移動しやすいのだ」

 シャーはようやく笑顔を浮かべた。

「たしかにそうかも。それならてんで不利なだけじゃなさそうだな」

「うむ。では……」

 ジャッキールは、ランプの炎を吹き消す。

 部屋の中は一気に暗闇に包まれた。確かに木戸の向こうから、外の船のものらしい灯火の光が漏れている。

 シャーは戸のそばにしゃがみ込み、そっと押し開ける。

 暗闇に目が慣れ始めると、闇の中から中庭の景色がぼんやりと浮かび上がってきていた。人の姿はない。

「行けるか」

「うん」

 囁くジャッキールの声に小声で頷く。

「よし、さっき示した通り、庭を抜けて北西側に門がある。そこまでいくぞ」

「わかった」

 するりとシャーが闇の中にぬけでると、後をジャッキールがついてくる。

 足音をしのぶ。かすかな草の擦れる音は、まだ誰にも聞かれていないようだった。


 *


(なんだ、アイツ、気に入らねえな)

 船の上は妙な興奮状態におかれており、一種のお祭り状態だ。

 その中で事態の異常に気づいているのは、一人つまらなさそうに酒をやっていたギライヴァー=エーヴィルだけである。

 距離があるとはいえ、隣の船での騒動はこちら側から見えている。

 アイード=ファザナーに挑発されて高台に上った、例のシャー=ルギィズの行動を何の気なしに見ているようにみせかけ。それでも、ギライヴァーは、彼を鋭く観察していた。

 あの場での戦闘は、確かに彼には不利だった。普段はどうあれ、アイードは結局海の男。船のことはよく知っている。それを知っていて挑発に乗ったシャーの愚かしさに、ギライヴァーは静かにイラついていたところだったのだが。

 この事態を招いたのは、もちろんシャーを挑発したアイード=ファザナー将軍である。

 そして、その彼を”焚き付け”たのは、彼に例のクスリ瓶を手渡ししたギライヴァー=エーヴィル本人で間違いがない。

 もちろん、その元凶は彼にそう仕向けるようにした、件のリリエス=フォミカという悪党に違いなかったが、七部将の誰かに薬を盛れないかと言われて、アイードを選んだのは彼である。そして、コトはすべてアイードの協力をもとにもう一度組み立てなおされていたはずだ。

 アイードの直接命令による、唐突な地区の封鎖。

 その厳戒態勢の地上と比べて、まるでザルのような水路側の警備。敢えて海賊たちを侵入させるためにしたことだ。

 アイードも、もちろん、すべてわかっていてやっている。彼には彼なりの動機もあり、それは多少リリエスの邪悪な薬が彼の精神の弱い部分をむしばんだ結果かもしれないのだが、ともあれ、コトはそれなりに有利に運んでいるのだ。

 とはいえ、この一件には、例のジェイブ=ラゲイラが全く絡んでいないことも確かである。

 本来、反乱の準備を進めているのはラゲイラであったが、アイード一人の力に頼るような、こんな不安定な策略に遊びでもあの男が乗るはずがなかった。

 彼自身はもっと綿密に、何かを計画している。そして、アイードの件はその契機として彼に行動を促す可能性はあるかもしれないものの、それを頭から信用するようなラゲイラでもない。

(流石にあの親父、簡単にはのってこねえかあ)

 ギライヴァーは、内心そんなことを考えていた。

(短気で気合ばっかのメギツネちゃんとは違うってことだな)

 ギライヴァー=エーヴィルは、サッピア王妃がこの一件に深く絡んでいることに予想がついている。リリエスを呼び寄せたのは、そもそも彼女だ。

 それはそうとだ。

(”アイツ”、やっぱり気に入らねえなあ)

 ギライヴァー=エーヴィルは、仏頂面でとんと杯を置く。

 そばにいたキアンが、不機嫌そうな主君に眉根を寄せた。

「殿下どうなさいましたか?」

「ん?」

 小声で尋ねるキアンに、ギライヴァーは顎をしゃくってごまかすように笑う。

「いやァ、別に」

「それならよいのですが」

 キアンはさほど気に留めない。頭巾で顔を覆っている主君の表情は、彼からは一瞬しか見えないのだ。

「なんだ、決着がついたのかと思いきや、選手交代かよ! くそ、せっかくあの赤毛の奴に賭けてたのに!」

 隣でアーノンキアスがつまらなさそうにつぶやく。

 そう、先ほど、例の三白眼が船の衝突の衝撃で足を滑らせた。それで決着がつきそうなものだったが、何故かアイードが体を張って”助けた”のだ。もっとも、アイードにしろ、あのような形で勝利したところで自慢もできまいし、そこでトドメをさしにかかるとも思えなかったのだが。

 視線の先。

 アイードとシャーが先ほどまで戦っていたそこでは、男としては小柄な金髪の人物がアイードと激しく打ち合っている。

 シャーはその人物の乱入によって、屋敷の中に姿を消していた。

「しかし、親分。あれは選手交代といっても……」

 アーノンキアスのそばにいた男が、ぽそぽそと何事か告げる。

 それはギライヴァーの耳には拾えない程度の音量だったが、アーノンキアスが驚いた様子で顔をあげる。

「なんだって、西風? アイツが? まさか」

「はい。いや、噂として、ザファルバーン海軍に所属しているという情報はあったんですがね」

「いや、確かにあれは北風譲りの金髪だったが、まさか、冗談だろう?」

 アーノンキアスが苦笑する。

「アイツが生きてて、こんな東国でくすぶってるとはな。よりによって、西風とこんなところで?」

「でも、よい見世物じゃねえですか。今度はあいつらで賭けましょうぜ」

「それもそうだな。それじゃあまた赤毛の奴に賭けるか?」

 能天気なアーノンキアスの声が響く。

「ニシカゼぇ?」

 ふと、わざとらしくギライヴァー=エーヴィルが割って入ってきた。

「西風だの北風だの、なんだい? 太内海にはそんな物騒な風が吹いているのかよ」

「おっと、聞こえていたか。お客人」

 アーノンキアスは苦笑する。

「いや、昔の通り名みてえなものさ。俺たちの間のな」

「通り名?」

「うちのラーゲン様だって、今じゃ”南風”」

「それはうっすら聞いたことがあるな」

 ギライヴァー=エーヴィルは少し興味を覚えたのか、アーノンキアスと船の上の二人を見比べていった。

「それじゃ、他に東西南北全員いるってことか?」

「おっと、昔の、といっただろう。風のついているので生き残っているのは、うちのラーゲン親分だけだ。あとは、全部昔の奴。北風はヴァレアースっていってな。昔のアーヴェ総督だよ。この国に忠誠を誓ってたとかいう」

「あー、あそこは帰順してたことがあるんだったなア、そういえば」

 ギライヴァーが思い出したとばかりに答える。

「じゃあ、南風は昔からラーゲンさんだったのかい」

「ふふふ、親分の前では話せねえがな。元々は別の男だったんだよ。南風ってのは。アステイルって男で、コイツと北風が激しくやりあっていたから、北風だの南風だのいってたのよ」

「なるほど。ラーゲンの親分はそれに乗りかかったってことか」

「まぁなあ。ラーゲンの親分は、元々北風の部下だぜ。反乱を起こして取って代わったが、それなりにハクのつく名前が欲しかったのよ」

「違いないな。それでは、西風とは?」

 アーノンキアスは薄く笑う。

「北風の”セガレ”さ。跡取り息子のはずだったんだが、ちょっと見込み違いでな。うまくいかねえ事情が、アイツにはあったのさ」

「ふうん」

 ギライヴァーは目を細めながら、

「話だけききゃあとんだボンクラ息子なんだろうなと思うんだが」

 彼はちらりとアーノンキアスの狂暴な顔に目を走らせる。

「さっき、あそこで乱入してきたのが”西風”だとアンタ言ってたなア。……今見てても、ソイツはアイード=ファザナーと平気でわたりあっている。あの状況かで、乱入してくる度胸とあの腕前。ちょいと体格が華奢すぎるが、普通に考えりゃあイイ男だぜ。ボンクラ息子には見えねえが」

「ふふふ、まあそうだろう。しかし、ソイツがなあ、”セガレ”じゃなかったんだよ」

「倅じゃなかった?」

「そうさあ。北風には”倅”はいねえのよ。いるのは、セガレじゃなくてムスメなのさ。ずいぶん長いことごまかしてたがな。海賊っつっても船乗り。船に女を乗せるのに抵抗を持つ野郎は少なくない。だから、大海賊の跡取がムスメだってのがバレたのは北風にとってもよくねえことだったろう」

 アーノンキアスは首を振る。

「惜しいっちゃあ惜しいんだぜ。キレイな顔してるだけじゃなく、気風もよければ腕もいい。ただ、セガレじゃあねえんだよ。女の元じゃあ働けねえと、北風が死んだときに、裏切りが発生したのさあ。ラーゲン親分だって、そういう事情がなきゃあ、ほかの連中を同調させられなかったのよ」

「ああそういうことか」

 ギライヴァー=エーヴィルは、了解したとばかりにうなずく。

「そいつは、ちょっと気の毒な話だな」

「まあな。しかし、西風がここにいるとは思わなかったぜ。てっきり死んだか、それかどっかの島でフツーのムスメっ子になっているものかと思いきや」

 アーノンキアスがそう言ってため息をつく。

「まあいい。新しく賭けを始めるぜ。お前等、集めてこい」

「おっと、もう一つ聞き忘れたぜ」

 終わりそうな話をギライヴァーが、とどめる。アーノンキアスがきょとんと視線を向けた。ギライヴァーは気だるげに薄く笑う。

「俺はまだ東風のことを聞いていない」

「ああ、そうだったな」

 アーノンキアスは苦笑した。

「東風も古い話だぜ。そういえば、あの時、アイツだけが西風の味方をしたんだったな。それでハメられて失脚したようなもんなんだが……」

 アーノンキアスは肩をすくめた。

「まあしかし、アイツは西風と違って死んでるだろうよ。あれから噂の一つもたちやしねえからな」

「ほう」

「ああ、あの時のアイツは重傷を負っていたし、逃げ切れるはずがねえのよ。それこそ、ザファルバーン海軍の追っ手まで取り囲んでいたし、アイツらが捕まるのを見たってやつらもいる。公開処刑こそされなかったが、海軍から縛り首になったとの報告だってあった」

「へえ、ザファルバーン海軍が?」

 ギライヴァーは何に気付いたのか目を瞬かせ、眉根を寄せる。アーノンキアスは薄ら笑いを浮かべた。

「あの船、紅い貴婦人も元々アイツの船さ。それをラーゲンの親分が取り上げてな。あれはちょっと改造すりゃ川も遡上できるような作りだったから、今回の作戦に使ったのさ」

 アーノンキアスは言った。

「東風の男は、ダート=ダルドロス、紅のダルドロスって男ってな。若い癖に随分生意気な野郎だったぜ。獣みてえな目をしていてよ」

 アーノンキアスは、それを思い出してかかすかに身震いしたようだった。しいて笑う。

「俺は、アイツが逃げ出す前に、ラーゲン親分の命令で俺がアイツの顔に傷をつけてやったんだ! いい気味だとおもったぜ! 一人前の男の顔にあれだけの傷があれば、アイツだって前みたいなでかい顔はできねえだろうからな!」


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