16.ケモノの鍵穴


「お、助けが入ったみたい。よかったー! 三白眼のやつなら、大丈夫そう」

「何、助けようとしてたわけ?」

 辛辣な口調の少女を見やりつつ、大男が、うん、とあどけなく頷く。

「だって、かわいそうじゃん。それに、メイシアはニアと違っていい子だよ?」

 かぶったフードの端から、白い髪がのぞいている。褐色の肌に、大きな目。子供っぽい仕草から、実年齢がわかりづらい。

 白銀のネリュームは、隣でこれまたベールを被り、顔を隠した少女をチラリとみた。

「ああいう素直な子がひどい目にあうの、俺、苦手ー」

「何言ってんの。アイツら敵でしょ!」

 ふん、とアーコニアは鼻を鳴らす。

「リリエス様の計画にとって、アイツら邪魔者なの」

「計画ねえ。でも、そういうニアだって、メイシア騙したの、ちょっと心痛めてたじゃん」

「べ、別に心なんて痛めてないもん」

 やや慌てた様子で、アーコニアは首を振る。

「どうかなー。ニアはフツーに性格悪いけど、変なとこで妙に親切だったりするからさ」

「私のどこが親切なのよ」

「んー? ほら、あのギラなんとかっておじさんに、クスリ盗まれたじゃん」

「そうよ。リリエス様にめっちゃ怒られるし、最悪!」

 むう、とアーコニアは、口を尖らせる。

「んでも、あれ盗まれたのって、ニアじゃなくて部下の女の子が見せたの盗まれたんでしょ?」

「そーよー。でもリリエス様は、私のせいって言うからっ! リリエス様、人使い荒いし手当て薄いし、有体に言って真っ黒企業だわ!」

 ぷんすか怒ってみるアーコニアに、ネリュームが瞬きしつつ、

「そんなこといってー、普通にニアあの子かばってたじゃん? 上司の私の責任だからとか言って」

「っ! あんた、まさか見てた!」

 はっと顔を向けてくるアーコニアは、おそらく赤面しているらしいが、顔をスカーフで覆っていてわからない。ネリュームは、にやーと笑いつつ、

「通りがかったら見えた」

「はあっ! 通りがかったんなら、声くらいかけなさいよ!」

 アーコニアは、慌てた様子になる。

「大体、あんた、アイード=ファザナーのとこいってたらしいじゃない! 敵のとこに、何しに行ってたわけ?」

「そんなの、就業外のことを突っ込まれるいわれはないもん。どこに行っても俺の自由でしょ?」

 ネリュームは肩をすくめる。

「ごまかしてもわかるわよ。アイツの別荘に、エーリッヒが運び込まれているのは知ってるんだから。なにしにいってるのよ。暗殺しに行ったわけでもないんでしょ」

 アーコニアが怪訝そうに片目を細める。

「ふふ、まあニアだから教えてやるけどさ。じ・つ・は、御見舞ッ! お見舞いにいった!」

「はあっ? 馬鹿じゃないの?」

 得意げなネリュームに対し、アーコニアは呆れきっていた。

「俺、あの人普通に好きだもん。だって、かっこいーじゃん。おまけに強いしさ」

 うんうんとネリュームは、一人でうなずく。

「いやさあ、最初は見かけちょっと綺麗なだけかなーって思ったら、めっちゃ強いじゃん。あれ、強いのいいなーって思ってたんだけどさ、メイシアの話聴くといいひとっぽいし、興味わいたんだよね。で、実際会って話してみたら、すんごいいい人だったの」

 ネリュームは、目をキラキラさせる。

「あんなにヤバイ目つきしてんのに、普段は優しいんだよ。あと、結構勘も鋭いしー、単に強くてヤバイだけじゃないってわかったもんね。俺ってば、断然推せちゃう。メイシアが推してるのよくわかるなー」

 ネリュームはため息をつく。

「いいなあ、メイシア。お師匠様があれとか素直に羨ましい。弟子が難しいとしても、舎弟とかにしてほしいなー。うん、舎弟、いい」

「弟子入りより難易度高いでしょ、それ」

 アーコニアはそう突っ込んだあと、呆れ果てた様子で両手を頭の後ろに回す。

「あー、もうついてけないわよ。アレはねえ、リリエス様のお気に入りのおもちゃみたいなもんよ! あんな感じで割と美形で、ちょっと異邦人で、なおかつ丈夫で特殊体質なやつ、リリエス様は無駄に好きでしょ。そーゆーので、昔から目をつけて付き纏ってたんでしょ、どうせ」

「んでも、しばらく追いかけてなかったんでしょ?」

「それはエーリッヒに死亡説があったからでしょ? まあ、実際はラゲイラ卿に保護されてたから手出しできなかったんだと思うわよ」

 アーコニアは、腰に手を当てた。

「ああ見えて、あのオジサン、凄いやり手らしいからね」

「そうは見えないのにねえ。あ、でも、その人、そろそろ動くって話があるんでしょ? だったら、俺らも動きづらくなるね」

「さあどうだか。意外と慎重派みたいだもん。それより、海賊どものがヤバいでしょ。なんか変な動きしてるみたいだし、リリエス様もあおってるみたいだから、今日か明日あたり、なにかあるわよ、あいつら。しかも、あの不良中年の殿下がなんかでおかしな動きしてるからなあ。なんでアイツが海賊どもと連動して動いてるのかわからないけど」

「あ、ギラなんとか殿下ねえ。今日も、なんか追加で例のクスリ持って来いって話だったもんね」

「そうよ。おかげでこんな朝っぱらから呼び出されてさあ。届けに行ったらまだ寝てやがるの、ムカつくー」

 アーコニアは、不満げに頷く。

「しかも、渡して何に使うのかって聞いてるのに、『手が滑って前のは瓶ごと割った』ってウソっぽい言い訳。それなのに追及もできずに、うまいことはぐらかされちゃったし。あのオッサンも、遊び人の不良のフリしてるけど、只者じゃないわ」

 アーコニアは首を振った。

「そうだなあ。なんかそんな感じだったね。でもさあ、あのヒト、ラゲイラって人とつるんでる筈なのに、なんで変な単独行動してんだろう?」

「さあね、でもリリエス様となんか密約あるっぽいのよね。なんなのかしらないけど。まあ、あのオジサマもなんだかんだいい男だもん。美形好きのリリエス様的に美味しい何かあるのかもね。ったく、無駄に面食いなんだから」

「ニアだって面食いじゃん」

 上司の愚痴をまくしたてていたところに、ネリュームが思わぬツッコミを入れてくる。

「は? 誰が」

「いや、ニアが」

 ネリュームは、目を瞬かせる。

「思ったんだけど、ニアもジャッキールさん好みじゃないかな?」

「は? 何いってんの?」

「いや、あのヒト、目つきヤバいとかで損してるんだよ。普段の穏やかなときに間近でみると凄くかとか造形はいいからさ」

「向かい合ってお茶してたけど、何のときめきもなかったわよ」

「それはニアが薬盛るのに緊張してたからじゃん」

「してないっつーの!」

 ムキになるアーコニアをからかうように、ネリュームがニヤッと笑う。

「そんじゃ、俺、予言してあげる。ぜっったいニアはジャキジャキにときめくね。ニア、顔のいい男に弱いから」

「ぜっったいない! リリエス様じゃあるまいし!」

 アーコニアはネリュームを睨みつける。

「それより、あの海賊(ならずもの)達の動向探ってきなさいよ。変に動かれたら、また私達がワリ食うんだから。リリエス様もろくろく連絡してこないし、自分の身は自分で守るに限るわ!」

「それもそうだな。んじゃ帰り道に寄ってくか。ニアは? あのなんとか殿下の様子見に行く?」

「まさか、あの不良中年、下手に手を出すとこっちがヤバイわ。リリエス様だって下手にさわんなっていってたじゃない」

 アーコニアは肩をすくめてため息をつく。

「私は薬草の在庫がつきそうだから、仕入れてから帰るわ。リリエス様、在庫管理テキトーなのよね」

 アーコニアは、職場の今後に想いを馳せてどっと疲れた気分になるのだった。


*



「ありがとう。はい、ふたつね」

「ありがとう」

 店で飲み物を二つ受け取って、シャーは待っているメイシアのところに戻った。

「ほれ」

「わー、ありがとう」

 メイシアは無邪気に受け取って喜ぶ。

 みかんやぶどうの果汁を絞って水で薄めたり、砂糖で味付けしたもの。王都ではよくある飲み物だ。

「あ、これ、おいしーね!」

「それは良かったな」

 シャーは苦笑しつつ、反対の手で頭をかきやった。

「ったく、オレに奢られるとか、ホント超特別待遇なんだからな、お前」

「特別待遇って? 普段は奢らないの? あ、もしかして、お金なさそうだし、シャーってヒモの人?」

「ひ、人聞きの悪いこというなっつーの!」

 目を瞬かせてとんでもないことを言い出すメイシアに、シャーは思わず焦ってしまう。


 川沿いの通りにはまだ人気がない。シャーはあくびしつつ、飲み物を口に運んだ。ぶどうの香りがする。同じぶどうなら、酒でも飲みたいところだが、さすがに今日はダメそうだ。

 シャーはぼんやりと隣で飲み物を嬉しそうに飲んでいるメイシア=ローゼマリーを見やった。

 改めて見ると確かに可愛らしい子だ。ジャッキールやザハークから漏れきく生い立ちは決して幸せなものではないし、ジャッキールと別れてからはろくろく保護者もいなかったろうに、あんまりスレた気配もない素直な子だ。

 ちょっと天然ボケ気味で考えナシに突っ込んでしまう所はあるものの、底抜けの明るさは妙に救われるものがある。

(ジャッキールは、この子に一緒にいてくれって言われたら断れないだろうな)

 ふとそんなことが頭をよぎった。

「お前、今までどうしてたんだ?」

 何も話さないのも無粋というものだ。シャーはそんな風に話しかけてみる。

「今まで? ああ、あの後ね」

「あのリリエスとかいう奴のとこだと危険だろ。逃げ回ってたんだとしたら、動向つかめなかったなあって」

「あ、それはね、アイードさんに匿ってもらってたんだ」

「ええっ、アイードに!」

 シャーは思わぬ名前に、むっとする。

「アイツ、オレに一言もそんなこと言ってなかったのに」

「だって、秘密だったんだもん。アイードさんも、狙われるといけないから秘密って言ってたよ」

「そりゃそうだけどさ」

(アイツ、つくづくなんかこう……勘にさわるというか)

 正直、裏をかかれている気がしてなんとなく腹が立つ。シャーがむーっと眉根を寄せていると、メイシアがじっとシャー を見た。

「シャーって、アイードさんとも知り合いなんだね」

「ん、まぁな。顔だけは広いんだ」

 シャーは、あまり詳細を告げずにぼんやりとそう答える。

「んじゃ、隊長とも知り合いなんだよね。あの時、知ってる感じだったし」

「まあな」

 メイシアは、飲み物を飲む手を止めてシャーを覗き込む。

「もしかして、お友達?」

 いったい何を尋ねられるのかと思いきや、そんな質問だったのでシャーは思わず拍子抜けする。

「友達っていうかぁ……。んー、そう言われりゃなんなんだろうな」

 仕事仲間でもないし、友達というのも違うような。前は宿敵みたいなものだったけれど、今はそうではないわけで。ジャッキールは、やたらと兄貴風を吹かせてはくるが舎弟になった覚えもない。

「まあ、仲間みたいなもんかなあ」

「そうなんだぁ」

 やたらとじーっと覗き込んでくるので、シャーが流石に後退する。

「な、なんだよ」

「ううん、珍しいなぁって思ったんだよ。隊長、自分で言ってたけどお友達少ないんだ。蛇王さんくらいしかお友達みたことない。蛇王さんは自分では友達じゃないって言ってたけど」

「あー、あのヒトたち、昔からそんな感じなんだ」

 素直でないというかなんというか。シャーは苦笑しつつ、

「まーでも、ダンナの性格じゃ、そうだろうな。自分でも敵しか作ってないって言ってたよ」

「うん。だからね、シャーみたいな人と普通にお話してるんだなって思うと、珍しいなあって」

「まあなんていうか、オレが構ってるっていうトコもあるんだけど……」

 とはいえ、確かにまだシャーが彼を敵視していた時分に、既にジャッキールは敵愾心なく接してきていた気もする。

「まー、オレの場合、前は敵だったからな。あっちも話しやすかったんじゃねえかな」

「敵だったけど、今は仲良くできてるんでしょう?」

「うんまあ、今は、たまにメシとかタカリにいったりはするな」

(ごく稀に金も借りたり……、もとい恵んでもらったりするけど、ここは言わないでおこう)

 ジャッキールと親しいというアピールをするには、金を借りた話は有効だろうが流石に軽蔑されそうだ。

 メイシアはそれをきいて、目を輝かせる。

「それってすごいなあ! だって隊長が自分の部屋に人を入れるんだよ! それってすごいと思う」

「えー、そうかぁ。そんなに人見知りだっけ、あのオッサン」

 メイシアは、飲み物を一口飲んでうなずく。

「だって、隊長綺麗好きだし、用心深いんだよ。人を自分の部屋にいれてごはん作ってくれるとか、普通なかなかないと思う」

「そうかなあ。押しに弱いから、押せばメシくらい簡単だと思うけどなあ」

 そんなシャーをみて、メイシアは笑って安堵のため息を漏らした。

「でも、良かったな。アイードさんからちょっと聞いてたけど、隊長、本当に普通に暮らせてるんだね。あたしね、実は、隊長に会うのちょっと怖かったりもしたの」

「なんでだよ? 楽しみにしていたんだろ?」

 シャーがきょとんとする。

「楽しみだったよ。でも、それは隊長があたしと暮らしていたころの隊長のままならってことなの」

 メイシアは目を伏せた。

「隊長ね、前に別れたとき、結構しんどそうだったから。生きてても前の優しい隊長のままでいてくれるのかなって。隊長が生きているんなら、立ち直ったってことだとは思って、それを信じてたんだ。やっぱりちょっとは怖いよ」

「蛇王さんも同じこと言ってたぜ。まあ当時はそんなんだったんだろうけどさ」

 シャーはため息をついた。

「今はただの面白オジサンみたいなとこもあるからさぁ。そんなに心配するこたねーよ」

 自分もなにかと心配していたくせに、シャーはそんなことを言う。

「でも、だからシャーはすごいんじゃないかなあって」

「はい?」

 急に自分に話を振られて、シャーは大きな目を瞬かせた。

「隊長、ここで普通に生活できてるの、シャーのおかげじゃないのかなって思う!」

「なんだそれ?」

「んとね、うまく説明できないんだけど」

 メイシアは、シャー を見上げつついった。

「シャーってなんか、周りがキラキラしてるんだよね。だから、話してると楽しくなっちゃう気がする」

 そんなことをいわれてシャーは思わず面食らった。

「そんなこと言われたの初めてだぜ? ウザイとかはよく言われるけどな」

「あー、ウザイのはー……。でも、それとこれとは別の話だから大丈夫だよ」

「ウザイのは否定しねーのかよ!」

 しれっとウザイことは肯定していそうなメイシアを睨みつけるが、全く効果がない。メイシアは楽しそうに笑ってシャーを見上げる。

「どっちにしても、シャーみたいな人とお友達になってるんなら、隊長きっと元気なんだなあって安心したんだ。ふふふ、隊長と会うのが楽しみになったよ」

「お前、なんていうか底抜けに明るいのなあ」

 シャーは思わず苦笑した。

「オレも、ダンナがお前をそばに置いていた理由がなんとなーくわかるよ」

 シャーはそういいながら、自分も飲み物を口にふくんだ。



 *


 香ばしいお茶の香りが漂っている。お菓子をそっと飾りながら、シーリーンはそれをお盆にのせて運んだ。

「ゼダ様、お茶が入りましたよ」

 花街の一角で過ごしているシーリーンは、ゼダが個人的に支援している娘だった。もともとは家が没落して売られてきた娘だったが、生来体が弱かったところ、無理をして体を壊してしまった。もはや花街でも働けなくなり、捨てられて野垂れ死するしかないとなったところで、ゼダが助けてくれた。

 それ以来、ゼダが懇意にしている妓楼の一室で生活している。

 ゼダは時折遊びにきて彼女の様子を見にくるのだが、単に話をして帰ることも多い。

 近頃は、どうやら友達ができたらしく、三白眼のお友達や、二枚目だが強面の人や不思議な髭の人の話を楽しそうにしてくれる。一方で、その人達と遊ぶことは側近のザフには快く思われていないらしい。訳ありなのだとザフは言っていたが、シーリーンはゼダがこれだけ楽しそうならそんなに悪い人達ではないのでは、とも思うのだった。

 素直で優しいところが残っているゼダだが、けして世間知らずの箱入り息子といった性格ではない。どちらかというとしたたかだし、しっかりしている。いつまで経っても世間知らずのお坊ちゃん扱いなのはザフだけなのだった。


 そんなゼダだが、ここ数日はちょっと様子がおかしい。なんとなく元気がなくて、返事も上の空。

 その前は、子供の頃に憧れたという海賊の話を目を輝かせながらしていたのに。なにやらその海賊というのがここにきているらしいけど、それはニセで、本物は別にいるんだけど、証拠がない。どうにかして突き止めないと。

 いい加減にシーリーンが眠気に負けそうになっているというのに、そんなことを無邪気に熱く語ったりしていたのだが、この間からどうも元気がない。

 理由をきいても話すような彼でもないのだが。


 それもあって、シーリーンはできるだけ明るく部屋の中に入った。

「ゼダ様、お茶が入りましたよ」

 ゼダはというと、洒落たクッションを敷いたところにごろっと寝そべっているが、シーリーンの声を聞いても生返事だ。

「ああ、悪いな」

「今日は美味しいお菓子も付けたんですよ。ゼダ様は、あまり甘いのはお好きではないのでしたかしら。でも、こちらはささやかな甘みでとても上品で美味しいんです」

「そうか」

 ゼダは、少し身を起こして愛想笑いを浮かべたが、常の彼とはやはり様子が違う。常の彼なら、気の利いたセリフの一つや二つ、息を吐くようにでてくるものなのだが。

 シーリーンは、ふと眉根を寄せてそこにお茶とお菓子のお盆を置いた。そして意を決して口を開く。

「ゼダ様、何かおありになったんですか? 近頃、お元気がありません」

「えっ、いや、別に」

 いきなり問いかけられたのでゼダは、ちょっと慌てて否定してから苦笑する。

「いきなり何をきくんだよ。そんなに様子が変か?」

「変です」

 シーリーンは珍しく断言して、小首をかしげた。

「ザフさんも、なんとなく様子が変だって心配していましたよ」

「アイツは、俺のこと子供扱いするからいつも心配してんだよ」

「それに、この間から、あのお飾りを見かけていませんし……」

「飾り? なんだっけ?」

 内心、ゼダはドキリとした様子だったが、さすがにそこはうまく取り繕う。

「ゼダ様がこの間私にみせてくれたお飾りです。上着を留めるのに、時々使ってらしたでしょう」

「あー、一つか二つ、上着の留め金、なくしたかも。いや、確かに気に入っていたから、失くしたのはちょっと辛いけどさ。俺、装飾品好きだから沢山持ってるしさ、別のつけりゃいいかなって」

「あれは特別なものだって、ゼダ様がいってらしたものです。大切な人にいただいて、だから、大切な時にしか付けていないって……」

 シーリーンのまっすぐな視線に、さすがにゼダはやや視線を外す。

「いつものゼダ様なら、失くしたならすぐに探しに行くはずなのに、探しにも行かずに様子が変なですもの。ゼダ様らしくないですわ」

「ははは、シーリーンはだませねえかあ」

 ゼダは観念した様子でそう認めて、胡坐を組みなおす。

「確かに、あれはこの間失くしちまったんだ。でも、もういらなくなったんだ。だから、ちょうどいいかなって」

「そんな……。要らなくなったって、どうしてですか?」

「いや、もう、あれは子供のころのモンで、今は特に……」

 そういいかけて、ゼダは少し言いよどむ。

 シーリーンの心配そうなまなざしに、ゼダは困惑気味にため息をつく。頬を撫でやりつつ、しまいには髪の毛をぐしゃっとやりながら、彼は言った。

「なあ、シーリーン。俺って、やっぱり子供っぽいのかな」

 思わぬことを尋ねられて、シーリーンは思わずきょとんとする。

「ええと、確かにゼダ様はお若くお見えになることはありますけれど、けして子供っぽいとかそんなこと……」

「はは、気を遣ってくれなくてもいいんだ。……外見じゃなくてさ、中身もってこと」

 ゼダはシーリーンをそういって止めると、視線を落とした。

「あの留め金をくれた人さ。俺だって、現実を知っている男のつもりだったさ。だから、多分俺の思っているような理想の男じゃないんだって、今更言われなくてもわかってたし、そのつもりだったんだ。そりゃ、期待はしたかもしれない。でも、思っている男と違うんだってわかってても、傷つかないつもりだったしさ」

 ゼダはため息をつく。

「なんでだろうなあ。理想の男じゃなくって、あの時のものは全部作ってたんだって、そんな風にいわれた。でも、なんでだろう。あの人、あの時と同じ目をしてた。嘘だったなんて言われてもさ、かっこいいもんはかっこいいんだ。急にそれは消えたりしないんだ」

「ゼダ様」

「でも、その人は、全部思い出補正がかったことだからって。一人前の男なら、そんな感傷捨てちまえって言うんだ。残酷だよなあ、自分だって捨てきれていないくせにさ」

 ゼダは苦笑しながらそう吐き捨てる。

「ゼダ様……」

 シーリーンには、彼に何があったのかはわからない。ただ、それがゼダのあの大切な留め金にまつわる話だということはわかる。

「目の前にいるのは作り物の虚像なんだって言われたんだ。だから、あの留め金だってただのごみ屑になると思ってた。それで、落としても探しにいかなかったんだ。それなのになあ、なんでだろう。今更なのに、やっぱり、俺、あれがすごく大切な宝物だと思ってるんだよなあ。失くしたのも、あの人のことを一瞬でも軽蔑したのも、すごくつらい」

 ゼダは苦笑した。

「だからさあ、俺は探しにいかないんだ。探しに行けば、自分がまだ餓鬼だって認めるようなもんだろう。……でも、本当はどうなんだろうなあ。こんな意地張って探しに行かないことが余計子供みたいでさ。そんなこと考えてたら、どうもお前への返事も上の空になっちまってたんだよ」

 部屋の中に静寂が訪れる。その中で、ことり、とゼダの前に不意に茶が置かれた。

 顔を上げると、シーリーンは優しく微笑みながら言った。

「その方は、きっと本当に素敵な方なんですよ。ゼダ様が、そう信じてしまうほど」

 そういわれてゼダは少し考える。

「でも、それは全部嘘かもしれないんだぜ?」

「時に嘘は真実より魅力的なものですわ。そして、信じていれば嘘は真実になってしまいます」

 シーリーンはにこりと微笑んだ。

「ゼダ様だって、そのことはよくご存じのはずでしょう?」

 そう尋ねられて、ゼダは無言におちる。

「気持ちの整理がついたら、もう一度探しに行けばいいではありませんか。本当のその方のことも、大切なお飾りのことも。このシーリーンも、微力ながらお手伝いいたしますよ」

 そっとお茶を勧めた。

 シーリーンの差し出す茶菓子に、ふと果物籠がかたどられていた。あの留め金にも、そういえばそんな意匠があった。

 目の前がかすかな湯気で揺らいでいる。その湯気のように、ゼダの思考ももやもやしたままふわふわと漂っているようだった。


 *



 手の中にあるものが、ふと光を反射した瞬間、水面に波紋が広がる。魚でも顔を出したのだろうか。

 人気のない橋の上。水路が複雑に入り組んでいるこの周辺には、こうした小さな橋がいくつかある。道も入り組んでいる為、入り込んでくるものも少ない。

 緩やかな水の流れはほとんど止まっているようにすらみえて、何かあればすぐに水面が揺らいで波紋を描いてしまう。 

 アイード=ファザナーは、思わず水面に目をうつしていたが、再びため息をついて手の中のものに視線を戻した。

 彼の手の中にあるのは、果物籠を宝石でかたどり、翼と短剣を模した意匠で飾られたいわばブローチだった。元々の所有者は、これをマントの留め金として使っている。相当の年月が経っている筈だが、大切に保管されていたのか、目立つ傷もついておらず劣化も見られなかった。

「さて、これをどうするかな……。あのボーヤに返すのも、今更だろうからな」

 どうしてあの時、自分はこれを拾い上げてしまったのだろう。

 それこそ、”今更”のことなのに。

 もともとの所有者の男にとって、これはいわゆる縁起物(ラッキーアイテム)だった。しかし、それはゲン担ぎの縁起物というだけではなく、彼にとっては重要な意味のあるものでもあったのだ。

 それは普段はどちらかというと穏やかな彼が、完全無欠の英雄になる為に必要なものだった。それさえあれば、彼は負ける気がしなかった。いつもとは別の自分になれた気がして、実際に”別の自分”になりきれたのだ。

「自己暗示だよなぁ。……はは、本当に今更だよ。あの時ならまだしも、今、予備に作っておいたコイツがでてきたところで、何の役にも立たねえよな」

 寧ろ、こんなものがあるから色々思い出してしまうし、それに纏わる忌々しい出来事を引き寄せてしまうのだ。

「まさか、メイシアがあの村の出身者だったとはな」

 アイードは深々とため息をついて目を伏せた。

「今更だぜ。もう昔のモノは、全部処分してきれいさっぱりなくなったと思ったのに、いい思い出も悪い思い出も、結局まとわりついてきやがるもんだ」

 アイードはそうつぶやくと、もう一度留め金に目を向けた。

 しばらく無言で何かを考えた後、アイードはそれを握りしめるとそのまま右手を振りかぶる。そして、それを水路に投げ込もうとしたところで、ためらってしまった。

「ああ、クソッ!」

 アイードは珍しく荒々しく悪態をつくと、それを結局握りしめたまま手を下した。

「なんで、……なんで今更……!」

 ブツブツとつぶやいた後、アイードは深々とため息をつく。手を開くと、そこにあるのは、陽光に輝く果物代わりの宝玉。

 アイードはそれを握りしめて、結局しまい込む。

 しばらくぼんやり水路を眺めた後、彼はふっとため息をついた。揺れる水面に、自分の姿が映っている。それを見やりつつ、彼は苦笑した。

 彼はそこに自分ではないとある男を連想していた。

「こんな時、アンタならどうするんだい? 南風のアステイル」

 そうやって小声で尋ねる。もちろん、返答などあるはずもない。

「相変わらず、俺は優柔不断だなあ」

 アイードが苦笑しながらそうつぶやいたとき、不意に後ろから声が聞こえた。

「誰が優柔不断だって?」

 ドキッとして慌ててアイードは振り返る。

「いやまあ、優柔不断っちゃーそうだよな。せっかく、贈り物してやったのに、使った形跡ねーじゃん」

 軽薄な口調でそう話すのは、アイードの背後にいつの間にか立っていた男だ。傍に護衛の人物らしい細身の男を連れているが、本人もすらっとした長身だ。

「俺の贈り物、そんなに気に入らなかったかなぁ? ファザナーの若旦那さんよ」

 頭から布をかぶっていて顔立ちははっきりとはわからないが、どうも口調とは裏腹に高貴な印象を与える立ち居振る舞い。着ている衣服も上等なものだ。

 アイードは反射的に構えたが、相手を確認して少し緊張を緩める。

「冗談じゃないぜ。いくら俺がポンコツでも、差出人不明の怪しげな贈り物なんだぜ。おいそれと口に入れられねえって」

 そういいながら、アイードは苦笑した。

「さて、俺のことを知ってるとは、アンタ何者だい?」

「それを俺に尋ねて意味のある返答があると思うかい? ファザナーのボーヤ」

 にやっと笑って男はふらっと近づく。

「でも、待ち合わせ場所に来てくれたってコトは、興味はあったわけだ。嬉しいぜ」

「いきなり、得体のしれない薬瓶を、逢瀬の時刻と場所指定した恋文付きで送ってくるような男が、どんな奴なのかってのには、興味はそりゃあ人並みにあるね」

 アイードは相手の態度を慎重に観察する。しかし、相手の男からはまるで感情が読み取れなかった。

「はは、うっかり情熱的な文章になりすぎちまったかなあ」

「毒薬付きで送るような文章でもないけどな」

 アイードが皮肉っぽく言う。

「毒じゃねえさあ」

 男は嘲笑うように口を歪める。

「でもまあ、毒も薬も同じようなモンだからな。ちゃんと容量守って守れば、有用なモンだぜ」

「だからって、どうして俺にそんなモノを送りつけてくる必要があるんだよ」

「んぁー、そうだなぁー」

 ごもっとも、とばかりに男は腕組みをする。頭巾の合間から男の鋭い視線がちらりと見える。

「ホラ、ファザナーの若旦那は、色々大変だろうなーって思ってさあ」

「何がだ?」

「”色々”だよ。何かと重圧かかる立場だろ、お前って」

 ゆらりと斜めに歩き回りつつ、かすかに歩み寄るようにしながら男はつづけた。

「だからちょっと助けてやろうかなーって。だって、若旦那は中間管理職的な感じだろ? 上からは押さえつけられ下からは突き上げられ、心休まる暇もねえ。だから、ココロが軽くなるクスリが必要なんじゃねえかなってさ。……これは、オジサンの親切心さ」

 男はじっとアイードを見つめながらにいっと笑った。

「いやあ、お前みたいなのでつぶれていった奴、オジサンは何人も見てるんだよねぇ。だから、たまには何もかも忘れてスカッとするのがいいんじゃねーかとか思ってさ。なぁに、別に何もおこりゃしねえよ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、”火遊び”するようなもんさ」

「悪いけど」

 アイードは笑みを歪めつつ首を振った。

「俺は煙立てるの嫌いなんだ。元々船乗りなんでね。海の上では火の気は禁止でね、そういう理由で煙草もダメなんだよ。だから、火遊びなんて言語道断さあ」

「へえ、マジメなんだなぁ」

「マジメなだけが取り柄なんだよ。まあ、こんな入り組んだトコに出向いてくれたのは、ありがたいコトだけどね。アンタがどこのだれかは知らないが、心配してくれたのはありがたく思っておくよ。だが、この話はなかったことにしてくれ」

 アイードはそういって懐から、今度は小さな薬瓶を取り出し、振り向かずに後ろにそれを投げやった。ぽちゃんと水音が鳴り、水底に薬瓶が沈んでいく。

「それじゃあな」

 そういってアイードが踵を返そうとしたとき、ふと男が微笑んだ。

「そんなことでいいのかい? フェリオ」

 唐突にその名で呼ばれて、アイードは慌てて振り返った。

「フェリオだよな。お前の名前。”東風”。つまり、アフェリオット」

 男は静かにたたずんでいる。口元をにいっと歪めると、彼はつづけた。

「俺はさ、お前の過去を詳しく知っているわけじゃねーが、アフェリオットって男の噂を聞いた事はあるんだぜ。ファザナー家のお坊ちゃんとよく似たアフェリオットって餓鬼が、夜な夜な盛り場で喧嘩に明け暮れてたって話。いやぁ、オジサン驚いたぜ。七部将でも最も大人しいといって過言でないお前に、そんな荒れた話があるとはねぇ」

「そうだとしても、それは昔の話さ。思春期の餓鬼が調子にのってただけだぜ」

 アイード=ファザナーは、さすがに警戒した様子で彼を睨みつける。一瞬だが、それは彼が意図せずに非常に鋭いものになっていた。

「ほほう、結構イイ目をするじゃねえか」

 男は気後れした様子もなく、感心した様子でそういう。

「最初は、ただのお気楽なお坊ちゃんかと思っていたが、お前、中身はケモノだな」

「一体、アンタ俺に何が言いたい?」

「だったら、なおさら、そんなことでいいのかって訊いてるのさあ」

 男はつづけた。

「お前にだってケモノの本性があるじゃねえか。なのにどうしてそれを押さえつけて、大人しくシャルル=ダ・フールみたいな男の部下やってんだ? しかも、七部将連中には若いからっておさえつけられ、部下からはなめられてさ。おまけにオヤジは臆病者ときて、お前はオヤジにそっくりだって評判。同族連中からは散々陰口たたかれる。お前、それで平気なのか? 何故本当はケモノなのにそれを隠して大人しくしている? 力で示せば、全員お前になびくのに?」

「そんなこと、アンタに何の関係がある?」

「関係ねえさ。でも、気になるから話してんだよ。まあでも、わかるぜぇー。そんなケモノの自分を押さえつけたお前は、街じゃ確かに聖人君主さ。街のみんなが幸せに暮らせるように、そう願って善行を施すイイ男。でも、そんなの仮面だよなあ。お前は暴力が嫌いだと言っていたが、一体、お前、自分の何を隠している?」

 男は頭巾の下で目を細めて微笑する。

「そろそろ認めろよ、お前、実際のところその嫌いな力がなければ、本当はとことん無力な男なんじゃねーの?」

「それは……」

 ぐっとアイードが歯噛みする。その顔が青ざめているのをみて、男はゆらりと彼に近づいた。

「お前、でも、今はその力を自分では出せないんだろう」

 そう言い当てられてアイードがさすがにぎくりとする。それを見透かしたように、彼は笑った。

「お前がなんでその力を封印したのかはしらねーが、封印しちまったゆえに簡単に呼び出せなくなっちまったんだろ。必要なのに、必要な力を使えねえの、辛いよな。お前に今一番必要なのは、その暴力なんじゃあねえのかな?」

 そう告げて男はゆらりと歩み寄る。

「それを解き放つ術がわからねえから、苦しんでんじゃねえの?」

 男の笑みは慈悲深い聖者のようですらあり、その一方で悪魔的だった。その声すら恐ろしく魅力的で、甘い響きを持っている。

「昔のお前は無敵の男だった。今だってそうさ。その力さえ発揮できればな。これはその封印を解くただの”カギ”にすぎない。ただの”キッカケ”だ。だから、怖がることはないんだぜ。”キッカケ”を作ることは罪じゃあない」

 ちらりと向ける刺すような視線で、アイードの動きを封じながら、彼はアイードの肩に手を置いた。

「もう一度機会をくれてやろう」

 その手に小さな薬瓶が握られている。紅い硝子の意匠が美しくも禍々しい。

「実はな、今夜お前の別荘にロクデナシ共がちょっかいかけに行くらしい。お前が奴等と因縁があるのかねえのかは俺は知らねえが、何にせよ、お前にとっちゃあ迷惑な話さ。でも、いい機会だよな」

 アイードは、彼を見やりながら黙っている。

「そのときに、コレ、使えよ。なぁに、本当に毒じゃねえよ。ちょっとだけ、気分が良くなるだけのモンさあ」

 男の目が陽光を跳ね返して妖しく輝く。

「いつまでも仮面かぶっていい子ぶってねえで、早いことコレ使って楽になれよ、アイード=ファザナー」

 ささやくようにそういうと、彼はアイードの手に薬瓶を握らせる。アイードもそれを拒否しなかった。男はふと目を細めた。

「期待しているぜ、アフェリオット」

 そういうと、彼はふらっとアイードから離れる。そして、何事もなかったかのように、すたすたと歩きだす。彼の後を追って、護衛の男が慌ててついていく。

 無言でその背中を見送るアイードの視線を感じているだろうに、男は一度も振り返ることはなかった。

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