5.鉄火場のシャー=ルギィズ

 シャーが待ち合わせ場所にたどり着いたころには、すでにバラズは来ていた。

 歓楽街の入り口にあたる場所から少し外れた場所。ちょっとうらぶれているのは、あんまり華やかでもないシャーとバラズにはぴったりの場所でもある。

 が、シャーはバラズを見つけてからちょっと意外に思っていた。バラズは昼と服装を変えてきていたのだが、それが意外にもちょっと洒落ていたのだ。昼もリーフィに会いに来るわけなので、彼としてはそれなりのおしゃれはしていたのだろうが、一応、文化人っぽい落ち着いた服装はしていた。しかし、今の彼は年相応の落ち着きはあるのだが、何やら首に刺繍のある襟巻を巻いているし、頭の帽子も昼よりも少し派手な色をしている。襟巻には、彼が好きらしい猫の刺繍の縫い取りがあるのだが、その色彩が意外と鮮やかだ。

「ようやく来たのか」

 バラズは、シャーに気付くとむっとした様子で声をかけてきた。シャーは平気な顔つきだ。

「なんだもう来てたのか。意外と早かったねえ」

「おぬしが遅いんだろうが。まったく」

「オレにもいろいろあるんだよ。あの坊ちゃんのこととかでさあ」

 本当、いろいろあるんだ。

 シャーは口には出さずにそうつぶやきつつ、大きな目でもう一度バラズを見やった。

「爺さん、案外洒落たカッコしてんじゃん」

「普段と変わらんおぬしがおかしいのだ」

「そーお? オレはこいつが最高にイカしてるつもりなんだけどねえ」

 シャーは適当なことをいいながら、頭の後ろで腕を組みながら歩きだす。

「んじゃ、そろそろっと向かいましょかねえ」

 そういうと二人は、華やかな街のほうに歩きだした。といっても、今日用事があるのは花街などがある歓楽街を抜けて、少し奥に入ったところだ。客引きに捕まらないように、といいつつも、金のなさそうなシャーの袖を引くような客引きもそういないのだが、今日はバラズがいるのでそれなりに静かな道を選んではいた。

 賭場はハーキムの縄張り内で開かれているが、実はかつてシャーも出入りしたことのある場所だ。それなもので、そこまでは迷うことはないのだが、途中で見張りがいる可能性もあるので、あまり下手な真似もできない。

「おぬし、情けない外見しておるが、一応剣だけは提げているのだなあ」

 と、不意にバラズに聞かれて、シャーは、そりゃあと答えた。

「そりゃあ、一応オレもこの国の成人男子ですからねぇ。この国の風習じゃ、大人の男は刃物の一つや二つ……」

「ふつうは短剣だろうが。短剣なら、護身用とちょとした便利なものというだけなのだが。……お前さんのは、ちょっと用途が違うんじゃないかの? 護身用というより……」

「何がいいたいのさ?」

「いやあ、別に」

 シャーが訝しんで追及すると、バラズは急にすっとぼけたような返事をした。

「それより、オレは爺さんの経歴のほうが気になるけどね。リーフィちゃんに聞いたけど、王様もいる将棋シャトランジの御前試合で勝ったんだって?」

「んー、まあ、それは、偶然というかなんというかでな」

 シャーは、やや目を細めつつ、

「相手は、前の宰相をしていたハビアスっていう爺さんだったとか聞いたけど、アンタが来るまでほぼ無敗だったそうじゃない? そのジジイ」

 前宰相ハビアスのことは、シャーもよく知っている。

 先王セジェシスを擁立したのも、シャルル=ダ・フールを王位につけたのもすべて彼の画策あってのことだ。セジェシス王の人徳だけで建国されたように言われているが、実際は、宰相を務めたハビアスがすべて影で一切を取り仕切っていた。今の宰相であるカッファ=アルシールの師を務めており、彼を宰相にしたのもハビアスの思惑あってのこと。すべてを自分の掌の上で回さなければ気の済まない恐ろしい男だ。そして、彼はそうするだけの力を十分に備えていた。

 ハビアスの将棋の腕をシャーはよくは知らないが、よく打っていたのは覚えている。あの腹黒ジジイのこと、弱いことはありえないだろうし、実際、よく勝っているなどとカッファからも聞いていた。しかも、相手はあの恐ろしいハビアス。もし実力で勝てるとわかったとしても、実際に勝負の場で押し切って勝てる人間はそうそういない。報復されるかもしれないとか、今後の出世や立場に響くかもしれないとか、そんなことを考えてしまうような相手の筈だ。

 そう考えると、後ろをちょこちょこ歩いてくる小柄で温厚なバラズに、そこまで押し切る力はなさそうだった。

「リーフィ、そんなこともしゃべっちゃったのかい」

 バラズはため息をつきつつ、猫の刺繍のついた襟巻のすそを手持無沙汰にいじった。

「それは、本当に偶然だよ。たまたま、宰相殿の調子が悪かったのか、お戯れでわざと負けてくれたんじゃないかな?」

(それはねえよ)

 とシャーは思わず突っ込みそうなのを抑えた。あのハビアスに限ってそれはない。あの男が負けず嫌いなのを、シャーはよく知っている。調子が悪かったとしても、バラズに負けてそのままで済ませるような男ではない。

「実は、私と彼は若いころ同じ学校に通っていてねえ」

 シャーが不服そうなのを気配で感じ取ったのか、ふとバラズがそんなことを言った。

「もちろん、私と宰相殿とは頭も生まれも格段に違うのだが、昔なじみなもので、少しは手加減してくれたんではないかな?」

「え? そうなの?」

 バラズは苦笑い気味だ。

「私の若いころはねえ、この国はもっと荒廃してたし、政治は腐敗してたから。役人になるための勉強しに王都に出てきたものの、将棋やって遊んでばかりいる私のようなものも結構いたんだよ。で、そんな私のことを、彼は覚えていたの。御前試合で勝ったら、王様の覚えもめでたいだろう? 私は、家柄しかよくない貧乏貴族だからねえ」

「へえ、そうなんだ」

 ハビアスとバラズが同学とはちょっと意外だ。

「それはそうと、リル様は大丈夫なのかい?」

 シャーがあれこれ考えていると、ふとバラズが話を変えてきた。

「ああ、リルのこと? 大丈夫だよ。地獄の獄卒みてーな二人のゴッツイオッサンが護衛してっから」

 上品なリル・カーンがあの二人になじめるかなと思ったが、よく考えればジャッキールはなんだかんだ寺子屋の先生しているぐらいの子供好きだし、彼のような素直な少年には当然優しい。ザハークは見た目は怖いが、愛想がよいし、基本的に誰に対しても親しみを感じさせるような男だ。あの二人が揃ってしまうと、ちょっとリル・カーンには濃すぎて当てられてしまわないかは心配だが、普段のジャッキールは常識人だから、場の空気は読むだろう。

(んでも、ダンナはともかく、蛇王へびおさん、妙な事吹き込まないだろうなあ)

 まあ、本当はちょっと心配だが、身の安全ははかられているのは違いない。

 リルなどと呼びつけにしているのを聞いて、バラズはむっとするものの、こういう事態なので咎めるのはやめたらしい。

「それはリーフィからも聞いたよ。強いし、確かな人達だというから、私もお屋敷で預かるよりおぬしたちに任せたんだ。本当は、私のお屋敷に迎えるべきなんだろうけど、私の屋敷には、ろくな警備兵がいないからね。何せ貧乏貴族なもんだからして」

 とバラズはため息を一つ。

「こうなったら知人を頼って警備をしてもらおうかと思ったけれど、何せあの母上様が母上様だからねえ。何かあったときに相手に凄まじい迷惑をかけてしまうから、有力な相手ほど頼めないんだ」

 それはわかる。シャーとてそうだからこそ、結局ジャッキールとザハークに任せてきたのだ。サッピアにかかわるということは、それだけ危険を伴うことなのである。特に、シャルル=ダ・フール側の人間にとっては。

「しかし、誰がリル様に余計なことを吹き込んだんだろうね。後見人のナズィルも困惑していたよ。誰が吹き込んだんだろうか、もしかしたらリル様と母上様の仲を裂くことで得する人間がいるんじゃないかってね」

(確かに、その可能性はある。でも、うちの連中が何かしでかしたとは思えないし……)

 バラズの言葉に、シャーはそんなことを考える。しかし、今は落ち着いているとはいえ、権力闘争の根はまだ枯れていないのだ。前回の内乱で王位を狙っていた者たちは、今でもその座を狙っている。それは何もサッピア王妃に限ったことではない。

 バラズは、ふと笑って首を振った。

「まあ、我々が考えたって仕方ないことだね。やんごとない人たちの宮殿は、いつの時代だって伏魔殿だから」

「それもそうだなあ」

 シャーは、生返事をしながらため息をついた。

 いつの間にか、太陽の赤い色は空からなくなっている。店の軒先には灯がともり、すっかり夜の気配になってきていた。大通りの花街では、すでに華やかでにぎやかな気配が漂い始めている。

 そのまままっすぐ進んでいくと、ハーキムの賭場が開かれている店があった。煌々と焚かれた篝火の下で、人相の悪い大男たちがいるのが見えていた。

 シャーは、軽く会釈して男たちに笑いかけた。

「あの、ちょっと遊ばせてもらいてえんだけど」

 そういうシャーの後ろで、バラズも愛想笑いを浮かべて軽く男たちに会釈して笑いかけたものだ。特に気おくれした風もなく、彼はシャーに続いて入場した。





 店の中はかなり広く、人もたくさんいた。あちらこちらでいくつかの集団に分かれているのは、それぞれやっている遊戯の種類が違うからだろう。シャーがパッと見た限りでも、サイコロ賭博から始まって件の獅子の五葉を含む骨牌カードを使う遊戯もいろいろあった。

 こんなに大がかりにやってしまっては摘発されるのではないかと不安になるほどだが、その辺はうまくやっているのだろう。しかし、ここまで大規模だとゼダが心配した通り、競合しているやくざ者のレンク=シャーを刺激してしまいそうである。

 入口の両替所で現金をこの賭場だけで通用する貨幣に変えるのだが、バラズは必要以上にきょろきょろする様子も、人相の悪い連中におびえる様子もなかった。

「爺さん、そういやお金持ってる?」

 と、いきなりシャーが話しかけてみる。

「何? もしや、おぬし……」

「いや、工面しようと思ったんだけどさあ。ちょっといろいろ難しくって……」

 シャーはさすがにちょっと下出に出ていた。最近、賭場で遊んでいないのはリーフィに格好つけたいからもあるのだが、もちろん資金的な影響も強いのだ。さすがに無一文というのもどうかと思って、ジャッキールに頼んでみたが、「人助けのためとはいえ、賭博のために金を貸せるか!」と説教されてしまったのだった。話の分かるザハークが哀れがって貸してくれそうになったものの、ジャッキールがものすごい顔でにらみつけてきたので、あとで二人が喧嘩すると悪いと思って辞退した。

「全く。本当にリーフィと付き合いするのやめてほしい」

 バラズは、あきれたようにシャーを睨んでいたが、ある程度予想はしていたのか、それ以上悪くは言わなかった。財布を取り出して自分の分もまとめて換えると、半分をシャーに渡してきた。

「リル様のことがあるのだからな。変な負け方するんじゃないぞ」

「わかってますってば」

 賭場だけで通用する貨幣は、普通の貨幣より薄っぺらいコインだったが、女神の刻印がなされている。

(爺さん、もしかして、本当に初心者じゃねえのかな?)

 シャーは、賭場に入る直前から入った後のバラズの様子を見ていたが、強面の男たちの前でも平然としているし、店の中を必要以上にきょろきょろすることもない。いやに落ち着いている感じだし、両替の時も手馴れていた。

 現にシャーがそんなことを考えながらぼんやりしている間に、バラズは何やら係員の男に話をして帰ってきた。

「困ったな」

 と、バラズはややしょげた様子でため息をついた。

将棋シャトランジなら何とかなると思ったんだが、あれは勝負に時間がかかりすぎるのと、賭場の都合でやってないんだってさ。店側の賭博師が用意できなかったんだろう。ある程度資金を稼いでから、獅子の五葉に移ったほうがいいかなーと思ったんだけどねえ」

 ファルロフのような大物の賭博師と勝負するためには、ある程度勝っている必要がある。バラズは、どうやら得意な将棋で資金をかせいでからファルロフとの面会に持ち込みたかったらしい。

「そんなことで大丈夫かよ? どうせ獅子の五葉で勝負しなきゃならんのでしょ?」

「いきなり本番とか緊張するだろう。ああそれと、さっきのおにーさんに聞いたら、ファルロフっていう賭博師は想像通り寝てるみたいだね。朝の部で出てたから、休んでるんだろうとは思ったけど」

 バラズは弱気なことを言いつつため息をついた。

「まあ、最初はサイコロでもやって、今日の運試しでもしてみようじゃないか」

「それもそうか。爺さんの財産だけじゃ、ちょいと手持ちが少ないしねえ。元手増やしておかねえと」

 他人ひとの金だと思ってシャーは好き勝手いうのをみて、バラズは不機嫌に舌打ちしていた。

 ともあれ、二人はとりあえずサイコロ賭博に加わることにした。二つのサイコロを振って出た目を足したものが奇数か偶数かを当てるものだ。いわゆる丁半博打というやつである。奇数ならインパール、偶数ならパールと呼んで賭ける。

 シャーとバラズは、別々の座で賭けていた。シャーは一勝負目に勝ってから何度か負けはしたものの、結局、小刻みに勝って元手をちょっとだけ増やしたので安堵して、いったん休憩してバラズの様子を見に行った。

「爺さん、調子どお……って」

 シャーは、バラズの手元の貨幣を見てぎょっとした。明らかに目減りしている。

「ちょ、爺さん、めっちゃ負けてんじゃん」

「う、うるさい。ちょ、調子が上がらないのっ」

 バラズは、シャーが来ているのを知るとまずいところを見られたという顔になった。

「上がらないって、ちょ、マジで?」

 そんな会話をしていると、壺振りがサイコロを振り終わったので賭ける段になっていた。

「よ、よし、今度は偶数パール! それでいくよ!」

 そんな風に賭けてしまったので、シャーが焦って、

「え? 爺さん、ここは奇数インパールっしょ? 直感的にそうじゃん?」

「何を言うか、三白眼。私の直感的には断然、偶数パールだもんね」

 バラズはこの期に及んで自信たっぷりに言い切ったが。

「勝負!! ……奇数インパール!」

「ええ、えええっ!」

 何で? とばかりにバラズは、崩れ落ちるがシャーは冷淡だった。改めてシャーはじっとりと、例の三白眼でバラズを横目に見る。

「じーいさーん……」

 バラズの手持ち貨幣は、すっかり減ってしまって十枚に満たない。うぐ、とバラズは詰まって、慌てて首を振る。

「ど、どうも、久しぶりなもんだから、調子が悪いみたいだねええ……。いやだって、本当、何十年ぶりって感じだから、し、仕方ないんだってば」

 などと言い訳をしていたが、唐突にすっくと立ちあがり、バラズはシャーに言った。

「ここはちょっと気分転換。何かお酒でも飲んでくるから、お前さん、私の分も頑張っておいてよ。んじゃっ!」

「ちょ、……こら、逃げるか、ジジイっ!! んもー……、なんなのよっ!」

 逃げるように立ち去り、バラズは人込みの中に紛れ込んでしまっていた。そんな彼を見ながら、シャーはやれやれとため息をついた。

「くそー、あのジジイ、とんだ期待外れだぜ」

 賭場に入ってからの落ち着きに、ちょっとだけ期待した自分が馬鹿みたいだ。

 シャーは自分も休憩に入って、酒を飲みながらつまみをかじっていた。今日のつまみは、鶏肉をきざんで作ったつくねみたいなものだ。なかなか美味だが、シャーとしては正直今日はそんな料理に酔える気分でもない。

(オレもちょっとは勝てるけど、正直、ファルロフに勝てるほど強運も実力もねえわけだし……。確かに爺さん、昔は賭場に出入りしていたような口ぶりだけど、とてもそんな大物にゃ見えないし)

 唯一、バラズのことで見直せるのは、あのハビアスに偶然でもなんでも勝ったという事実があるらしいことだけだ。とんでもなく勝負強いのか強運なのかしらないが、得意の将棋シャトランジで今回乗り切れそうもない以上、さっきの勝負の仕方を見るとちっとも期待ができないのだ。

(リーフィちゃんの見立てだから、なんかあるのかなーと思いきや……、ただの猫好きジジイじゃねえかなあ)

「よう」

 ふと声をかけられ、シャーはドキリとしてそちらを見た。こんなところに知り合いはいないはずだ。

 そちらを振り仰ぐと、背の高い男がシャーを見下ろしていた。人相が悪く、右目に布の眼帯をしたヒゲの男だ。顔つきは強面だが、乱暴者というわけでなくて知的な感じもしていて、落ち着きはありそうだった。年齢は四十前後。ジャッキールより年上に見える。

 しかし、どこかで見たことがある。

「あ、そうか。アンタ、ビザンの酒場の亭主だね?」

 そういえばそうだ。ジャッキールと一緒に”ムルジム”の情報を探しに行ったときに行った酒場の亭主だ。あの魑魅魍魎の巣窟みたいな酒場の亭主だったが、ジャッキールとは懇意な様子だったので印象に残っていた。

「へへ、覚えていただいててありがたいぜ。俺が酒場の亭主のビザンさ。今日は変装はしてねえのかい?」

「普段からゴテゴテ飾り付けるのは趣味じゃないんだよ」

「へえ、そうか。でも、お前さん、意外と顔が売れてるから、たまには気を付けたほうがいいぜ。普段はおとなしくしているので目立っちゃいねえんだが、三白眼の腕利きが喧嘩してるって話、結構聞くからさあ。ジャッキールの旦那にも言われたろ?」

 シャーは、少しにやりとした。

「そりゃあご忠告痛み入るね。一応素直に受け取っとくぜ」

「そりゃそうと、今日はジャッキールの旦那は一緒じゃねえのかい?」

「あのダンナが賭場なんか来るわけねえじゃあねえか。アンタもあのダンナの気性知ってりゃわかるだろ?」

 シャーは自分の正体が割れていると知っている相手には、割と無遠慮になる。言葉遣いを大幅に崩しながらそう答えると、ビザンはうなずいた。

「それもそうだな。イっちまってもいるんだが、普段はアタマ相当堅いからな、旦那は」

 そういって酒を飲んでため息をつく。

「なんだい、アンタ、酒場は休みなのか?」

「ふふ、こういう賭場が開かれてるんだ。仕事どころじゃねえよ。んなことより、お前さん、普段から賭場にいるみたいじゃねえよなあ。割と見ない顔だし。今日は、何で来たんだ?」

「そりゃあ、でかい鉄火場には興味があるからね」

 シャーは少しあいまいに答えて酒を一口含んだが、気が変わったのか、ビザンを見上げてにっと笑った。

「実のところを言うとよ、”指輪屋”に話があってな。それで来たくもねえ、賭場に来たというわけさ」

「へえ、”指輪屋”か。お前さんも、なかなかシブイねえ」

 ビザンはシャーの隣に腰を下ろしつつ、にんまりとした。

「指輪屋のやつは、朝っぱらから博打打ってたから今は寝てるぜ。昨日は徹夜の勝負だったからな」

 ビザンはそう言ってため息をつく。

「やっぱりそうか。いや、今日会えるとは思ってきたわけじゃあないんだけどな」

「いや、でも、もしかしたら、今日ちらっとだけなら姿を見られるかもしれねえよ?」

 ビザンは笑みを刻んで、ひょいと顎をしゃくった。そっちのほうは獅子の五葉をやっている場だった。見れば中年の男がちょうどサシの勝負をしているところだったが、相当ツイているらしく、男の手元には例の貨幣が大量に積まれている。

「アレ見な、あのオッサン、今日は相当ツイてやがるんだ。あの相手に勝ったとしたら、店のほうがファルロフを呼ぶぜ」

 見ていると、唐突にわっと野次馬達がわいた。ビザンがニヤリとする。

「あー、勝ったな。指輪屋のやつ、多分今頃たたき起こされているぜ。しばらく見てな」

 しばらく店のものがあわただしく動いていたが、ふと青年に案内されて一人の男が奥の部屋からやってきていた。寝起きらしく目をこすりつつ、人目をはばかることもなくあくびをしていたが、その身なりは寝起きとは思えないほどきっちりしていた。相変わらず洒落た二枚目で、どことなく気品の漂う男だ。男は、脇に小箱を挟んでいる。それが例の指輪を大量に入れた箱だというのは予想がついた。

「”指輪屋”だよ」

 ビザンにいわれなくても、シャーもその男のことを思い出していた。

「もう、せっかくぐっすり寝ていたのにたたき起こすなんて……」

 ファルロフは不満そうに言いながら、しかし、にこりとした。

「しかし、この様子を見れば、どうやら俺が出るしかないようだ。いいでしょう。お相手しますよ」

 そういってファルロフは、どっかりと男の前に座った。そして、その横に例の箱を置くのだが、その下に小さな布を敷いてうやうやしく置く。まるで恋人を扱うかのようにそっと箱を開いて中の指輪たちを見せると、ファルロフは骨牌カードを切り渡すディーラーを見てうなずいた。準備ができたということなのだろう。

 獅子の五葉にも様々な規則がある。遊ぶ前にお互いでどの規則を使うか決めることもあるのだが、一般的にすべて札を伏せた状態で行われることが多い。お互い賭け金を乗せ、それから、必要があれば札を交換する。最終的にお互いの手札を見せ合って勝負を決める。手札の役は、獅子が四枚、乙女の札が一枚の最強の役”獅子の五葉”以外にもさまざまなものがある。同じ数字を一組合わせる”月一対つきいっつい”、二組合わせる”月二対つきについ”から始まり、数字を順番にそろえる”れつの五葉”、同じ紋印を合わせる”こうの五葉”など様々だ。

 ファルロフは優雅な手つきで札を扱いながら、時折にこっと笑い、雑談めいたことを言う。

 その表情から、今彼がどのような手札を持っているのかは全くわからない。その術にはまってか、だんだん相手をしていた中年の顔色が悪くなってきていた。いい手ばかりを作るわけではなく、ファルロフは相手の手札を読んでぎりぎりのところで勝負をしてくるのだ。月二対や、三枚同じ数字をそろえた華三葉はなさんようで勝負をかけてくることもある。もちろん、多少は負けているが、そういう場合は賭け金を少なくしていることもあり、情勢はどんどんファルロフに有利になってきていた。

「すげえな。あいつ……」

 シャーが思わずつぶやくと、ビザンが隣でうなずいた。

如何様いかさま抜きであれなんだから、大したもんだぜ。実際、あいつとサシでやってるとな、こっちの心の底まで見抜かれているようでぞっとすらァな」

 男は意地になっているらしく、不利になってもまだ賭けをやめない。

「ありゃ、全額むしり取られるなあ。やめておけばいいのに」

 ビザンがあきれたようにつぶやいた。

 もう勝負は見なくてもわかる。こんな相手に勝とうと思った自分がどうかしている、とシャーはやや反省しながら、視線を移そうとして、そしてふとある一点に目をとめた。

 ファルロフと男が勝負しているそこの野次馬に、なんとバラズが混じっているのだ。

 最初はただ物珍しくてみているのかなと思っただけだったシャーだが、そのバラズの顔つきがあまりにも真剣なのを見て、思わずドキリとしてしまった。バラズは取り憑かれたようにその勝負を凝視していたのだ。

 それは周囲の野次馬達の視線と全く違うものだった。バラズは、むしろ鋭い視線をファルロフの手元だけに向けていた。その厳しさはどちらかというと軽くておっとりした普段のバラズから、到底感じることのできないもので、別人かと思うほどだ。

「ふふ、すみませんが、俺の勝ちみたいですね」

 ファルロフが手札を見せる。それは、同じ紋印が五つならんだ「こうの五葉」だ。相手の男が札を投げて、床の上に突っ伏した。

 ファルロフは、そんな相手に目もくれず大あくびを一つ。そのまま立ち上がった。

「それじゃあ、俺はまた惰眠をむさぼらせてもらいますよ。徹夜明けでどうも頭がはっきりしなくてね。これ以上は起きてもいられませんよ」

 そういってファルロフが立ち去ると、野次馬達もがやがや何か言い合いながら去っていく。しかし、その中でファリド=バラズだけはしばらくその場で立ち尽くし、ファルロフの座っていた場所と札を見つめていた。何を考えているのかわからないが、その視線はいつもの彼とは違う。

「”指輪屋”に会いてえなら、お前さんも獅子の五葉で勝負したらどうだい? ちょっと勝って元手を増やしてりゃ、アイツも気になって話しかけてくる。明日なら会えるかもしれねえよ?」

「え、ああ」

 不意にビザンに声をかけられ、シャーは慌てて返事をした。

「それもそうだな。久々だけど、ちょっと勘ぐらいつかんどかねえと」

 ファルロフに勝てるかどうかはさておき、彼と話をするためにも、獅子の五葉で遊んでおく必要はあるだろう。

 そんなことを思いつつ、シャーは改めて先ほどの場に目をやった。

 いつの間にか、バラズは野次馬達と一緒に去ってしまって、もうそこにはいなかった。

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