20.罠と餌

 癖の強い髪に櫛が通され、ゆっくりと梳かれていく。が、すぐに引っかかって、シャーは髪の毛を勢いよくひっぱられてしまった。

「い、いだっ!」

「あら、ごめんなさい。こんなところで絡まってたのね」

 シャーが悲鳴を上げると、リーフィはそうあやまりつつも、特別気を遣った様子もなく、絡んだところを執拗に櫛で梳かす。

「シャー、髪の毛、物凄くごわごわなのかと思ったけど、結構、柔らかいのね。絡みやすいのはそのせいかしら」

「いたた……、リーフィちゃん、そーっとやってね」

「ええ、努力するわ」

 そうちょっと冷淡に答えるリーフィだが、どうやら上機嫌らしい。頭上で聞こえる鼻歌を聞きつつ、シャーは、やや緊張した面持ちだった。

(な、なんで、オレ、こんなことになったの?)

 シャーは、腕を組みつつ、なにやら理不尽な思いのまま、椅子に座っていた。シャーは手鏡を握らされ、リーフィの右手には櫛が握られている。

(あのいい香りの石鹸使わされたのも、このためだったんじゃないかなー……)

 リーフィが、声をかけてきたのは、あの後のことだった。

 とりあえず湯を使わせてもらって、多少体が温まったシャーは、リーフィにもらった服を着て、夕飯を済ませたものだった。リーフィは、ラティーナやジャッキールと先に済ませたようだったが、夕飯にアテのなさそうなシャーを見越して、残りを取っておいてくれたようだ。もちろん、それについては正直助かった。

 それで、シャーが暖かいスープをすすりつつ、寒さから解放されて、生き返ったー! と和んでいるうちに、リーフィは、シャーの濡れた服を洗ってくれた。シャーは適当に乾かせばないとしか思っていなかったが、リーフィによると、ちゃんと干しておかないと大変なことになるというのだった。

 そうこうして、リーフィが洗濯を終えて戻ってきて、シャーが飯を食べたころには、髪の毛はかなり乾いてきていた。

 シャーは珍しく髪の毛を下ろしたままで、その癖がついてうねった髪はそれでも肩よりも長い。シャーが髪を伸ばしているのは、取り立てて理由はない。ただ単に癖が強すぎて短髪にしているとろくろくまとまらず、時々、爆発してしまって手入れが面倒なので、まとめてしまうのが一番楽であるからだった。幼少期から腰を落ち着けて生活していないことも、理由の一つになっているだろう。

 しかし、流石に乾いてくると、長髪を下ろしているのが鬱陶しく思うのもシャーだった。別におろしておく理由もないし、髪の毛を括ろうかと思って右手を後ろにもっていった矢先、いきなりリーフィが、櫛と手鏡を手にやってきたのだった。

「シャー、髪の毛、梳いてもいい?」

「え? ええ? な、何て?」

 いきなり椅子に座っているところに、背後から声をかけられてシャーは焦っていた。振り返ると、リーフィが、笑顔のわかりづらい彼女としては珍しく、わかりやすくにこにこしながら彼を見ていた。

「髪の毛、そのままにしているとぐちゃぐちゃになっちゃって良くないわ」

 そんなリーフィの瞳は、先ほどと同じくきらきらと輝いていた。さては、先ほどの何かを期待しているような目は、このためだったのか。その瞳を見ているうちに、シャーは強引に手鏡を握らされる。

「え、いや、その、適当にそんなのやるから……、って、何ですか、その組紐は?」

 リーフィの手には、色とりどりの飾り紐が握られていた。

「ああ、これ? これは、おまじないのかかった紐なの。シャーに、お守り代わりにどうかしらって」

 とかいいつつ、お守りなら手渡ししてくれれば済むはずなのだ。リーフィがわざわざ櫛を握り締めているのは、シャーの髪で遊びたいだけなのが明白だった。シャーが、やや困惑気味なのをみて、リーフィは、少し目を伏せてしまった。

「ダメかしら?」

「え、いや、そ、そういうわけじゃ。そ、その、多分、オレ、めっちゃ髪の毛絡まってるから……」

 ダメかしら、というリーフィが、少しがっかりしているようで、シャーはややあわてたものだ。せっかく珍しくリーフィがあんな嬉しそうな顔をしているのだ。

(ここで断るなど、オレには、男としてできない。たとえ、男として見られていなかろうができない!)

「よ、よろしくお願いします」

「お願いします」

 リーフィはすかさずそう返してきた。そして、このような状態になってしまったのだ。反射的にそう答えてしまったのは、今思えば間違いだった気がする。

(なんか、ものすごく遊ばれている気がするけど、よ、よく考えるとこれも一種のふれあいじゃん。いい方に考えるんだ、オレ。洗った猫に毛づくろいしているのとは、わけが違う! ……と思いたい)

 シャーの複雑な心境など知らず、リーフィは、上機嫌だ。鼻歌の合間に「あら、枝毛発見」などと声が聞こえる。こんな風なリーフィは珍しいといえば、珍しい。リーフィに喜んでもらえているのだから、シャーにとっても嬉しくないわけではないのだが、ちと複雑である。

「シャーって、結構髪長いのね。たまには、まとめていないのも、大人っぽい感じでいいんじゃないかしら」

「そ、そう?」

 褒められたのだろうか。いまいち、反応し損ねていると、

「でも、これだけ長いなら、色んな髪型ができるわね」

 ぼそっと、リーフィがつぶやく。なんだか不穏になってきた。

「三つ編みしたいなあ。三つ編み」

「えっ?」

 思わずシャーはリーフィを見上げるが、どうやら、リーフィは何やら思考中らしく、天井をみあげている。

「そうね、シャーならきっと横を編みこみしてみたりしても似合いそうだし、そもそも髪の毛ぐるぐるに絡めて固めてみたらどうかしら。野生な感じで素敵になるんじゃないかしら。ああ、でも、それじゃあうっかり怪しい霊媒師風になったら不審さ倍増しちゃうし、そもそも、シャーは手入れしなさそうだから、あんまり編みこみすぎて、雑巾みたいな香り放ちだしたら困るし、うーん」

(やばい、リーフィちゃんが変な独り言言い出した)

 独り言だけで済んだらよいのだが、実際リーフィが綺麗に梳かした髪を無意識に編みこんだりしだしている。まずい。これは、止めなければ。いつの間にか、リーフィが鋏を握りだしたら、取り返しのつかない髪型にされそうだ。

「あ、あのう、リーフィちゃん」

「え、なあに?」

 はっ、と、リーフィがシャーの方をみる。

「あ、あの、オレ、三つ編みはちょっと……」

「はっ、私、何か口走ってた?」

 リーフィがあわてて口を押さえる。やはり、先ほどのは心の声が実際の声になってしまっていたものらしい。シャーは、やや冷や汗をかきつつ、

「あ、あの、三つ編みはいいんだけど、あまり手の込んだやつやると、オレの不信感が増しちゃうような気がするんだよね。あ、明日、ラティーナちゃん迎えにいくのに、その格好やばそうだよね?」

 などと説得してみると、リーフィは、それもそうね、とばかりうなずいた。

「そうね、次回のお楽しみにするわ」

「じ、次回って……」

 どうやら次もあるらしい。次回は本格的に髪で遊ばれそうだ。

 シャーの不安げな様子をなんと取ったのか、リーフィが、特に表情も変えないまま小首をかしげた。

「シャーは髪の毛触られるの、嫌い?」

「い、いやあ、その」

 そう尋ねられて、シャーはやや言いよどむ。

「別に、嫌いじゃないんだけど、ね」

 シャーは、やや苦く笑った。

 そう、別に嫌うほどのことではない。今までも、別になかったことではない。あまり思い出したい類のものではなかったけれど。

 リーフィも髪を梳かすのになれてきたのか、シャーの髪がかなり梳かされてきたのか、引っ張られることもなくなって、シャーは、何となくぼんやりと室内を眺めた。そのうちに、リーフィが持たせた手鏡に自分が映っているのが見える。そこに映っている自分は、疲れた顔をしているような気がした。

(ああ、そういえば、あの時も――)

 急に疲れが襲ってきたのか、酒を飲んだわけでもないのに気だるくて、体が重い。その感覚が、シャーにかつての記憶を思い起こさせていた。

 あの時も、こんな気だるさが体を支配していた。といっても、別に疲れたわけではなくて、その気だるさの原因は、飽きるほど飲んでいた酒と、それから、気持ちの上でのことだろう。

 あと、部屋の中の甘い香り。その部屋は、香が焚きしめられていた。やや甘い香りで、彼には少し鬱陶しく感じられた。おそらく、彼の気持ちを軽くしようと気遣ったものだろうけれど、その香りが彼を余計に滅入らせていることに、誰も気づいていなかった。

 彼は、いつものように豪奢な服をわざと着崩していた。首や腕には金銀の装飾品をつけ、指には色とりどりの石のついた指輪をつけていた。癖の強い髪の毛を流し、足を組んで煙草をふかす彼のそばには、数人の女がはべっていた。

 御髪おぐしを梳かしましょう? と、言って櫛を持ち出し、大丈夫ですか、と尋ねながら、おそるおそる彼の髪を触る女たちにも、彼は特段に興味を示さなかった。返事をするのも面倒で、彼女たちを無視するように、煙管をくわえて立ち上る煙をみていたものだった。

 彼は、幼いころから、基本的に自分の身の回りのことは自分でできた。

 物心ついた時には、すでに誰も手を貸してくれるような環境ではなかった。戦場で甲冑を着るのには、通常手を借りるところも、一人でほとんどやったし、手を借りるのをあまり好まなかった。だから、髪を結ぶのも、髪を梳くのも、一人でやったものだった。

 ただ、その部屋にいた間は、何かと女たちが彼の世話をやきたがった。

 上着を着せることや、放置してある煙管の片付けや、それに面倒になって伸ばしっぱなしだった髪の毛を整えることや。

 人形みたいに一方的に世話を焼かれるのは気に食わなかったけれど、その時の彼は、何をする気にもなれなくて、ただ彼女たちのされるがままにしていたものだった。

 もっとも、その時の彼は、今リーフィに髪を弄ばれつつ困っているような彼ではなくて、その部屋の支配者に他ならなかった。女たちは彼に惹かれながらも、彼に恐怖していたものだ。髪を梳かす時も、決して傷つけないように、細心の注意を彼女たちは払っている。そんな風に気を遣う彼女たちも、気を遣われる支配者然とした自分も、彼は好きではなかった。

 彼はそういう時、立てひざに手を置いて、長い髪をとかす女に目もくれず、彼は煙草の煙の間からにごった四角い空を見上げていたものだった。そう、あの時見上げた空はいつだって、青でなく、にごった灰色をしていた。あの四角い区切られた空がいつでもにごっていたのは、煙に透かして見ていたからか、それとも、彼自身の目が濁っていたからだろうか。

 いや、空だけではない。あのころの彼には、すべてのものがにごって見えていた。きらびやかに装飾された室内も、綺麗で優しい女たちも、美しく盛り付けられた料理も、旧知の親しい人間たちも、すべて同じようだった。

 そして、それは他人だけではなかった。鏡に映る自分の顔が、もっともひどく濁って醜く映っていたのだった。

 すべて済みました。どうでしょうか?と、 目の前にいる女がそっと手鏡を掲げた時に、不意に彼の視界に自分の顔が映った。

 彼は、当時身分を隠す為もあり、仮面や布で顔を隠していたが、それでも、鏡に映る自分の瞳が、あまりにもどんよりと濁っているのはわかった。光の下では青く輝いて見えていた瞳は、闇の中で絶望と憎悪だけをたぎらせたようで、その顔は疲れ果てていた。

 彼は癇癪を起こして、女から鏡を取り上げ、彼女たちがおびえるのもかまわず、そのままたたきつけて割ってしまった。

 どうして自分は、こんな風になってしまったのだろう、と、彼はそのころよく考えた。原因は、いろいろと思い浮かぶ。

 けれど、彼がこうなった一番の原因は、あの傷だった。

 あの、青い空の下、何者かに射落とされ、生死をさまよったことだ。あの傷の痛みと死への恐怖をごまかす為に、あの後、自分は酒を飲むようになり、そして、徐々に追い詰められるようになった。

(あの時から、答えは出てたんだよな。アレは、オレにとっても一大転機だったんだ)

 リーフィに髪を弄られながら、滅多と思い出さないあのころのことを思い出して、シャーは自嘲した。

 今日の出来事が頭をよぎる。

 メハルからの情報と、そして、メハルを相手に披露したザハークの華麗で流麗な剣術。狙われたカッファ。ゼダとの勝負と彼の生い立ち。そして、彼の手元にある二本の矢。 

 そして、何よりも、ジャッキールの口から、きいたあの時の矢の主が「サギッタリウス」という男であり、その男がこの一連の事件に絡んでいるということ。

(蛇王さんは、なんだってこんな時にオレの目の前に現れちまったんだい)

 シャーは、苦々しく思っていた。

(こんな時に現れたんじゃなきゃ、普通にお友達でいられたのにさ)

 シャーは、相変わらず、ザハークを「サギッタリウス」ではないかと疑っていた。

 しかし、ザハークを「サギッタリウス」とするだけの証拠は何もなく、何の情報も掴んでない。

 ジャッキールの断片的な話から想像できること、そして、かつて自分が戦場でわずかに見かけたあの男の姿。自分がサギッタリウスに関して持っている情報はそれぐらいなものなのだ。

 しかし、確定できる情報などほとんどないのにもかかわらず、シャーは、ザハークのことを疑っている。まず、サギッタリウスが潜伏しているこのタイミングで、彼がこの都にいたこと。そして、あの剣術。ジャッキールにも匹敵する高度な技術と繊細さとスピード。あれを持ち合わせる戦士は、ざらにいるものではない。もうひとつは、ザハーク自身の持つ雰囲気と存在感だ。彼は、陽気で親しみやすい楽天的な男だったけれど、それでいて、どこか不穏な気配がある。ただの人間ではないと思わせる奥深い何かがあって、攻撃的なものをその内に隠している気がする。

 だが、証拠や理屈などはいらない。シャーの本能が、彼を「サギッタリウス」ではないかと疑わせていた。

 それに、仮に彼がサギッタリウスであると考えても、何もおかしなところはなかった。カッファが狙われた時間、ザハークは酒場にいなかった。そして、ザハークが、この街に現れ、あの酒場の常連となったのも、あの事件の直後だ。城門は閉鎖されており、人の出入りが制限されている為、サギッタリウスも王都を脱出していないと考えるのが筋だ。何もおかしなことはなかった。

 けれど、同時にザハークは、非常に好意的な人物でもあった。今日、彼はゼダと自分に弓について教えてくれたが、それは懇切丁寧だったし、間違ったことは言っていない。自分で弓を引くことはなかったので、シャーも、彼の腕を知ることは出来なかったが、彼が教えてくれたことは基本的な弓の引き方であり、しかも、教え方もうまい。けして、二人に対して損なことをしているのではなかったし、ザハーク自身一生懸命教えてくれている感じがした。シャーが連続して的の中心を射抜いたときなどは、自分のことのように喜んでくれたものだ。

 ジャッキールは、「サギッタリウス」は、間違いなく自分の顔を知っていると言っていた。ジャッキールは、戦場であった自分の顔を覚えていたようだが、サギッタリウスはそのときジャッキールと共にいたのだ。サギッタリウスも、おそらく自分の顔を目に焼き付けているに違いなかった。

 もし、ザハークがサギッタリウスだとしたら、顔を知った上で自分に近づいてきたことになる。そして、標的だとわかった上で親しくしているということになるのだ。

 だとしたら、ザハークは、何故自分に対して好意的な行動をとるのか。あの笑顔はすべて嘘なのか。

「何か、悩んでるみたいね?」

 思考していたシャーに、ふとそんな涼しげな声が割って入った。

 思わずどきりとしてシャーは、顔を上げた。リーフィは、まだシャーの髪をくしけずっているところで、相変わらず静かな表情だった。

「え、あ、いや、何でも」

 とっさにそう答えたものの、リーフィにはその表情を読まれている。リーフィは、かすかににこりと笑った。

「私でよかったら相談に乗るわよ」

「はは、どうも、リーフィちゃんには筒抜けだなあ」

 シャーは、苦笑しながらため息をついて笑う。その表情は、リーフィの提案を受け容れる、という返事でもあった。

「お昼の襲撃の件?」

「うん、それもあるんだけど、……もうひとつ」

 シャーは、腕を組んだ。

「実は、オレさ、ラティーナちゃんや今日の昼の襲撃した犯人と出会ってるかもしれないんだ」

 と、シャーは話し出した。

「犯人と?」

 ぱちり、とリーフィは目をしばたかせた。

「ううん、確証はない。もしかしたら違うかもしれないし。でも、何らかのかかわりがあるんじゃないかと思ってる。でも、確かに、あの人はタダモノじゃない。まだ何の手も見せてないのに、あの人、間違いなく強いってわかる。……なんだろうね、オレの直感が、警戒すべきだっていってるんだ」

 シャーがそう話すと、リーフィは、ふと思い出したように言った。

「もしかして、ゼダが言ってた弓矢の先生?」

「ああ、あいつ、リーフィちゃんにその話してたんだ。うん、その人のことだよ」

「お髭のカレー好きの人ね。ゼダから聞いているわ。とってもいい人だって」

「うん。確かに、オレから見てすごくいい人なんだ。裏表もなさそうだし、だけど、オレは本能的に彼を疑ってる……。もしかして彼が――」

 サギッタリウスなんじゃないかって!!

 さすがに、リーフィには、サギッタリウスという男と自分の因縁は話せない。かつて戦場でまみえたことがあるということもいえないが、リーフィは何か察したのか、髪を梳きながら言った。

「シャーは勘がとっても鋭い人だものね。けれど、シャー、その人を疑いたくない気持ちもあるのでしょ?」

「うん、いい人だしさ、オレとしたことが、情にほだされちゃったかな。でも……もしオレに見せてくれた笑顔が嘘だとしたら」

「人間、ひとつ疑い出すと、疑心暗鬼になっちゃうものね。シャーが元気ないの、そのせいもあるのね。人を疑うのって、本当に疲れるもの」

 リーフィは優しくいう。

「シャー、残念だけど、世の中に確かに、人の目を見て動揺せずに嘘をつける人間は少なからずいるわ。けれど、闇雲に人を疑うのも、また危険かもしれない。その人に気をとられるあまり、本当の敵を見失うこともあるものよ」

「うん、それもそうなんだ。オレは、正直、気をとられすぎてる気がしてる」

 シャーが、同意すると、リーフィは軽くうなずく。

「それで、ゼダはその人のこと、何ていってるの?」

「え、ネズミ?」

 シャーは、そう尋ねられてきょとんとした。

「いや、その、あいつは……」

 と、ちょっと言いよどんで続けた。

「いや、あいつ、珍しく蛇王さんのことは、素直に尊敬しているみたいでさ。オレが疑ってるみたいな話、ちょっとできなかったんだよね」

「あら、ゼダが。珍しいわね。あのひとも、なかなかひねくれ者なんだけれど」

 と、リーフィはくすりと笑いつつ、

「ゼダが、短期間で心を許しているということは、よっぽど魅力のある人なのね?」

「そうだなあ、なんだかよくわかんないけど、コッチの警戒心を溶かすような部分のある男だよ」

 そうなの、と、リーフィは答えて、少し考えつつ、

「けれど、ゼダがそんな態度をとっているなら、信用の置ける人ではあるのではないかしらね」

「え、そうかな?」

 ええ、と、リーフィはうなずく。

「彼、貴方とは別方向に鼻が利く人でしょう? 意外と育ちがよくて、妙に人がいいみたいなところもあるけれど、ゼダは、やっぱり抜け目のない人だわ。自分の害になる人間に安易に気を許したりしないでしょう。それは貴方もそうだけれど、彼は、貴方とは、また人の見方が違っているし、貴方は、人の悪意や殺気にちょっと敏感すぎるところがあるから、今回はそれに惑わされているのかもしれない」

「う、うん、まあ、そうだね」

 シャーが、図星をさされて渋々そう認める。

「それで、なんだか身動き取れなくなってさ……。リーフィちゃんなら、そういう時どうする?」

 シャーは、軽く尋ねた。

「相手が信用できるかできないか、わかんない時、リーフィちゃんなら?」

「そうね、私なら」

 リーフィは、シャーの髪をとかしながら、少し考えてにこりとした。

「私なら罠を仕掛けるわ」

「ワナ?」

 その不穏な言葉に、シャーは動きを止めてリーフィを見上げる。

「でも、罠にはそれ相応の餌が必要よ、シャー」

 リーフィは続ける。

「おいしい状況になった時、人は本性を表すわ。そうした餌を与えて、その時の行動や態度を確認する。それで信用できるかどうか確かめるの。けれど、人を釣るためには、それなりの餌を用意しなければならなないわ。相手が大物になればなるほど、おいしい餌が必要ということよ」

 シャーは、黙ってリーフィの顔を見上げていた。

「それは、自分を危険に晒すことになるかもしれない。その効果と代償を比べて、どれほど価値があるかを比べる。それにふさわしいものが得られるのなら、賭けてみる価値はあるかもしれないわね」

「そうか、罠か……」

 シャーは、リーフィの顔から天井に目を移しつつ、何事か考えていたが、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべてリーフィに尋ねた。

「あれ、リーフィちゃん、てことは、もしかしてオレにも罠しかけたことあるの?」

 リーフィは、苦笑する。

「あら、どうだったかしらねえ」

「んでも、オレ、どっちかってえと、見た目、不審なトコあるし、信じてくれるまでに何か試してたんじゃない?」

 にやにやしながらシャーが尋ねると、リーフィはやや困った様子になった。

「そんなこといって、貴方、そんな簡単に罠にかかるような人じゃないでしょう?」

「んでも、わかんないよ。オレ、女の子には弱いからねー。思わず足踏み外しちゃうかも」

 にまにましながら、シャーは尋ねる。リーフィは、シャーの髪の毛をまとめにかかっており、右手で髪の毛の束を握っていた。

「ね、オレは、リーフィちゃん的には、結局合格だったの、それとも不合格?」

「不合格だったら、まず、おうちに入れてないわ」

「ええ~、そうなの。んじゃあ、喜んでいいのかなあ」

 シャーがにやにやしている間に、リーフィは、まとめた髪に飾り紐をくるくると巻いてしばっていった。

「シャー、明日、私、酒場が休みだといったでしょう?」

「うん」

「それで、ラティーナさんをシャーと迎えにいくのだけれど。あのね、その時に、もう一度現場を見てみるのもいいんじゃないかと思うのよ」

 不意にリーフィがそんなことを言い出した。

「現場? ラティーナちゃんが襲われたところのこと」

「ええ。ゼダが言っていたのだけれど、弓の先生は、自分で矢を射ってみることでわかることもあるのだ、って言ってたのよね? 私も、それはもっともなことだと思うの。シャーは弓を持って、あそこにいってみたことがある?」

「いや、あれから、一度も通ってないよ。そういえば」

 シャーは、顎をなでやった。

「そうだな、実際、あそこからもう一度見てみるのもいいかもしれない」

「私も一緒に行っていいかしら?」

「リーフィちゃんが来てくれるのは、大歓迎だよ。何かいい考えが浮かぶかもしれないしね」

「それじゃあ、そうしましょう」

 リーフィは、そういって紐をくるくるっと巻いてきつく縛った。

「はい、できあがり」

 リーフィは、そういってシャーの手の手鏡を彼が映る様に向けた。

「どうかしら。いつもと変わらないように、でも、きっちりと結んだわ」

 覗きこんだ鏡の中には、自分の顔が映る。いつもは自分で結んでいるので、後れ毛を取り損ねていたりしたものだが、リーフィがやってくれたのでいつもよりぴしっとしていた。明るい色の飾り紐も、意外にシャーに合っていた。疲れていた顔もどこへやら、鏡の光を受けてかシャーの瞳は、青く輝いている。

 シャーは、にやっと笑った。

「ありがとー、さぁすが、リーフィちゃん」

 シャーは、急に元気になってリーフィに明るく礼を言った。その様子に、リーフィも、シャーが調子を取り戻したのがわかったらしい。

「ふふ、お役に立てたかしら」

「もぉちろんだよお~!」

 リーフィに言われて、シャーは、例の調子で答えて立ち上がる。こんな風に軽口をたたいている時は、余裕があるということだ。

「リーフィちゃんのおかげで、髪も頭もさっぱりまとまったみたいだよ」

 シャーはそういうと、にっと彼女に笑いかけた。

 そうだ。今まではずっと受け身だった。今度はこちらから仕掛けて行ってやる!

 シャーは、何を思いついたのか、急に瞳を輝かせながらそんなことを考えていた。

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