19.詮索無用

「おう、すまなかったな」

 ゼダが、何度目かの手下の来訪に気軽にそうこたえ、にんまりとした。

「これで大体連中の行動が筒抜けになったぜ! ヤツら、人を探して、あの路地の周辺をうろついているっていうんだな」

「ええ」

 ゼダの関係者らしい、やや人相が悪い、ヒゲの三十がらみの男だったが、外見に比べて人はいいらしい。ゼダに困ったような表情を向けた。

「しかし、坊ちゃんの言いつけどおり、探らせていることは、ザフのヤツには黙ってますが、そろそろあいつも感づくんじゃねえかと思いますよ。あいつも、勘の悪いやつじゃないんで……」

「あー、そうなったらそうなったらで、何とか言いつくろうぜ」

 ゼダは、口うるさい側近にややうんざりしているらしい。彼は、シャーとゼダがつるむのも反対らしいので、こんな危ないことをしでかそうとしているなどきいたら、それはそれで何かとがみがみいうのだろう。

「まあ、いいや。ご苦労だったな。皆で酒飲んで帰れ」

 ゼダは、そういうと懐からいくらか取り出して、男に与えた。男は礼を述べて去っていく。

「って、ことだとよ」

 ゼダは、向かいに座っているシャーに視線だけ向けてそういった。シャーとゼダの間には将棋盤やらサイコロが置かれていたが、先ほどまでそれで遊んでいたらしかった。シャーは、ちょうど将棋の駒をもてあそびながら、ゼダと男の会話を聞いていたものだ。

「あいつら都の西の廃墟の辺りをうろうろしているらしいんだが、リーフィが言ってたアイツがやばくなると逃げ込む場所からも近いから、そのあたりを調べれば会えるんじゃねえかな? 学習能力なさそうなヤツだし、逃げ込む場所の近くでちょろちょろ活動してるかもしれねえ」

「ガリガリうるせえな。口の中にもの入れてしゃべんなよな。お前、ちょっと木の実食いすぎじゃねえか?」

 シャーは、あきれた様子で言った。今日はさすがに酒を控えている二人は、茶やらコーヒーを飲みながら、口慰みにアーモンドなどの木の実や種を炒ったものを今まで食べていたのだが、明らかにシャーとゼダの器の中身の減り方が違っていた。器の最後の一塊をほうりこみつつ、ゼダは小首をかしげる。

「別に、今日はそんなに食べてない方だぜ。それに、こいつは手軽に栄養補給できるじゃねえか。美味いし」

 どうやらゼダは、木の実や種を炒った類のつまみが好物らしい。

(まんまネズミだな)

 ネズミとは、シャーがつけたあだ名だが、木の実を口いっぱいに方張りながら食べるゼダの姿に、その名は、あながち間違いでもなかったのかもしれないとシャーは思う。

 ベリレル達の居場所を調べるのに、ゼダの舎弟たちの力を借りていたのだが、どうもちょうどいい時間に最終報告が入ったものだった。シャーとしても、自分の舎弟たちは、それほど情報収集能力が鋭くないので素直に助かっていた。最終手段としてハダートを頼ることもできたが、彼に頼るとことが大きくなりかねないし、こういうことはゼダの伝手の方が詳しそうな上情報が早そうだったこともある。

 それに、ハダートに今回の騒ぎがあまり知れるのは、シャーとしてもあまり気分のよいものではなかった。あの男に、嫉妬の上暴走してジャッキールに殴られて諌められたなどと知れたら、弱みを握られたも同然だ。今後、そのことをちくちく弄られてしまうに決まっている。

「まあ、それはいいとしてだ。あいつら、まだムルジムっての、追いかけてるみたいだぜ。腹ごしらえもできたことだし、将棋の勝負は中途半端だが、先にやっちまうかい?」

 ゼダに話しかけられて、シャーはうなずいた。

「そうだな。動くにはちょうどいい時間だぜ。日も暮れたところだし」

 店の中には、すでに灯火が入れられており、まだわずかに西の空に赤みが残ってはいたが、窓の外は暗かった。

「それじゃ、そういうことで、勝負は預けとくとして、そろそろ行こうぜ。ミシェもあいつらに言って、落ち合う場所で待たせてあるから」

 ゼダが立ち上がるのと同時に、シャーも傍らの剣を手に立ち上がった。シャーが剣を腰に落とし差したところで、ゼダの方が、そういや、と声をかけてきた。

「ダンナ、見あたらねえな。ほっといてもいいか?」

「あ、そういやあ」

 シャーは、昼間、謎の男を連れて歩いていたジャッキールのことを思い出した。今まで何かと協力してきた……、というよりは、協力させてきたジャッキールなのだから、最後も手を貸してもらえるとありがたいことはありがたい。昼間の様子だと、ハダートのところに行ったのではないかとも思われたし、連絡を取れば呼べないこともなさそうだったが。

「まあいいか。あのオッサン、たまに夜は、別人格みたいなのが暴走しちゃうからな」

 そう、あの男にはそれがある。何もない時は、ややぼんやりしているところはあるが、常識人ではあるのだが、一度プツンといってしまうと手に負えないのがジャッキールだった。

「それに忙しそうだし、まあ、ほっといてもいいんじゃねえかな?」

「それもそうだな。ま、そんな強敵もいなさそうだし」

 ゼダがそういって歩きかけた時、店の奥からリーフィが駆け寄ってきた。

「出かけるの?」

 シャーは、思わず焦った。リーフィの力を借りたものの、彼女を戦いの場に連れて行くことは気が引ける。もちろん、あの男とあわせることに、ある程度抵抗があったのももちろんだが、荒くれ者たちが集まる場所にリーフィを連れて行って守りながら戦うのは危険だ。その点については、ゼダも同意していて、リーフィにはうまいこといって待っていてもらおうという話になっていた。

「私も一緒にいくわ……」

「いや、リーフィちゃんは……」

「リーフィは、ここにいろよ」

 いいかけたシャーをさえぎるようにして、ゼダがゆったり笑いながら間に入ってきた。

「でも、私も……」

「そりゃあ、お前が気になるのはよくわかるけどよ。事情が事情だろ。それに、荒くれ者どもの集まっている場所さ。そんなあぶねえところに、女の子連れて行くのは、俺もコイツも気がひけらあな。なー?」

 ゼダが、ちらっとシャーの方に目配せして片目を閉じた。

「お、おう。そ、そうなんだよね」

「そう、ね……」

 シャーの同意をきいて、リーフィがしゅんと視線を下げる。

「私が行っても邪魔なだけね」

「い、いやっ、そういう意味じゃないんだけども」

「まあまあ、そう落ち込むことねえさ」

 慌てたシャーを押しのけるようにして、ゼダがさらりと話し出す。

「ま、もともとリーフィには深いかかわりのある話だし、全くかかわりなくこの件を済ますってのも、気分がおさまらねえだろうから、ちょっと頼みごとがあるんだよな」

 小首をかしげたリーフィに、ゼダは余裕の笑みを浮かべる。

「帰ってきたら腹も減ってるだろうから、うまいメシと酒でも用意しておいてくれ」

 リーフィの表情が、かすかに柔らかくなる。うっすらと微笑を浮かべて彼女はうなずいた。

「ええ」

「あ、あの、リーフィちゃん、あの」

 慌ててシャーが何か言いかけるが、ゼダがぐいと彼のマントを引っ張った。

「んじゃあ、行こうぜ! じゃあな!」

「あ、おい! ……そ、そういうわけで! あ、後でね!」

 ゼダが、あくまでぐいぐいと彼を引っ張っていくので、シャーは慌ててそれだけ言い置く。リーフィが、目を細めて、いってらっしゃい、お願いね。と囁いたのをシャーは背中で聞いた。

 酒場を後にして、シャーとゼダは、暗い路地へと足を進めていた。

「ちっ、なんでえ、自分ばっかりかっこつけやがって!」

 シャーは、口を尖らせて文句を言った。

「なあにいってやがる。お前、顔に最初から”どうしよう”って書いてあったじゃねえか。オレは助け舟を出してやっただけよ。実際、助かったろ? それに、仕事が終われば、リーフィのメシも食えて、万々歳じゃねーか。もっとオレに感謝しろよな?」

 ゼダは、道を先行しながらにんまりと笑って振り返る。

「大体よー、リーフィが声かけてくるのわかってたくせに、なんで準備してねえんだよ」

「そ、それは、その、いざ顔見ると忘れちまうって言うか。お、お前が、女の子になれすぎなんだよ! 遊び人とオレじゃ比べ物にならねっつの」

 シャーが、ふんと鼻を鳴らす。

「へえ、そうか? でも、オレ、前々から変だと思ってたんだよな?」

 ゼダが、くるりと後ろを向き、そのまま後ろ向きに歩きながらシャーを見上げる。

「な、何がよ?」

「お前さあ、そういう風に意地張ってりゃ、割とオトコマエ風に見えるし、意外とモテるんじゃねえ? いや、素養はあると思うんだよな。なのに、なんであんなに嫌われるかねえ」

「四六時中、意地張ってたり、カッコつけてると疲れるんだよ。オレはそこまで器用じゃないからさ」

「へえ、本当か? オレは、軽薄な演技する方がよっぽど疲れるけどな」

「べ、別に、普段からずっと演技してるわけじゃねえっつの。普段のオレもあれはあれで自然体なんだよ。自分でも嫌なぐらい地が軽いんだよ。ずっと演技してるお前と一緒にすんなよな?」

「んじゃ、演技してなくて、突っ張ってたころはどうなんだよ?」

「何?」

 いきなり、ゼダが質問を変えてきたので、シャーは油断をしていたのか、きょとんとしてしまった。

「お前もあるだろ、思春期ってやつ。反抗期よハンコーキ」

 ゼダが楽しそうにたずねる。

「そういう態度で、他人を拒絶してりゃー、冷たくて悪そうだし、なんとなーく女にモテそうだなーと思ってさ。なんつーか、お前、今でも、そういう雰囲気ちょっと残ってるじゃねえか」

「そ、そんな時期はねえよ。なんだ、そんなガキみてーな……」

 シャーの歯切れが悪くなったのをみてとって、ゼダはほほうと唇をゆがめた。

「お前さー、案外、昔、結構グレてて、浮名を流して遊んでたクチじゃねえの?」

 思わずドキリとしながら、シャーは、慌てて首を振った。

「な、な、何を言いやがる! オ、オレは、お前とは違うんだよ。オ、オレは、至極まじめに……」

 ゼダは、それを涼しげに受け流す。

「当たり前よ。オレはお前みてーに不器用じゃねえからな。仮に、お前が昔遊んでたとしても、女の扱いがまずすぎてよう……かける言葉もないぜ。意外と女全般苦手そうだよなー」

「う、うるせえな! い、色々事情があるんだい」

 どうみても動揺している様子のシャーを楽しそうに見やりながら、ゼダは頭の後ろで腕を組んだまま、後ろ向きに歩いている。

「へー、家庭の事情か?」

「い、いちいち、うるせえな! 色々あるっていってるだろ!」

 シャーは、そういって早足でゼダを追い抜いた。

「ああ、もう、テメエのせいで無駄な時間食っちまった! 今日はさっさと仕事終わらせて、リーフィちゃんのメシ食って寝るんだ! 急ぐぜ!」

「おいおい、待てよ!」

 ゼダは、ようやく向き直り、シャーについていきながら、にっと唇をゆがめた。

「色々事情がねえー。ま、お互い、すねに傷持つ身だし、詮索しないでおいてやるよ」

「あのな……」

 シャーは何か言いかけたが、結局、口に出すのを止めた。どうも、これ以上話していると墓穴を掘りそうだ。




  *




「別に俺は詮索しようというわけじゃあないんだがさあ。あんたもなかなかわからねえところのある男だよなあ」

 急に声をかけられて、うつむいてぼんやりしていたジャッキールは、声のほうに視線を向けた。そこには、ハダート=サダーシュがにやにやしながらたたずんでいる。

 ハダート=サダーシュの屋敷の一室。客室の一つで、ジュバをつれてきたジャッキールは彼と別れてそこで時間をつぶしていた。豪華な調度品が整えられた部屋で、時間をつぶしあぐねたのか、何かの心境の変化なのか、彼にしても珍しく煙管をくわえて一服していたジャッキールは、煙をふっと吐き出してから居住まいを正した。

 紫煙がゆらりと湧き上がって、空気にまぎれて見えなくなるのをを視線で追った後、ジャッキールは、ゆったりとハダートに向き直る。普段のこの男は、意識しているのかいないのか、意外に行動がおっとりとしていて、気の短い人間には腹立たしいほどだ。ただ、このときばかりは、ジャッキールのほうにもなにやら思惑があったのだろう。時間を稼いで、ハダートの反応をうかがっていたのに違いない。キラリとハダートの方に走らせた視線には、ジュバの話を聞いてハダートが何を考えているのか探る意図はあった。

「何がだ?」

「いや、性格も経歴も変わっているし」

 ハダートは、にっと唇をゆがめて、ジャッキールをからかうように見た。

「今回は珍しく、俺のところにお友達を連れてきてくれたじゃないか」

「情報を売るには、ここが一番よいと思ったからな。話がわかると思ったし、アレでも昔の知り合いなのであまり手荒なことをされても困る。他のところに下手に持っていったら、誤解されて痛めつけられる可能性もないでもないからな。そういう時は金で解決できる紳士的な人間が一番だ」

 紳士的という言葉に、やや強くアクセントを置きながらジャッキールは発音する。出身地不詳のジャッキールは、もともと発音にやや癖があるのだが、今回のはわざとのようだ。

「そりゃあそうさ。ああいう金で解決できる人間は、大歓迎だぜ。おまけに意外と有能みたいだし、是非これからもねんごろにお付き合い願いたいものだぜ。さすがあんたのお友達だよ」

 ハダートは、しれっとしてそう返答する。

「できれば、あんたも金で解決したいんだけどねえ。あんたは金では心を売らない主義なんだろう?」

「そこまで聖人君主でもない。食える程度の金は欲しい。だが、あまり不相応な財を持ちすぎても身を滅ぼすのは知っている」

 そんなジャッキールにハダートは、そうかといってから、意味ありげに唇をゆがめた。

「それで気になっていたんだよな。それほど、金に執着しないあんたが、ヤツには相当額ふっかけたらしいじゃないか。あの金は何に使うつもりなのかなと思ってさあ」

 ジャッキールは、煙管の火を消してしまうと、苦笑した。

「ヤツにもいったはずだ。職にあぶれているので、少々金に困っている」

「へえ、それならどうして、俺に紹介料を請求しなかったんだ? 俺は払うといったんだが」

「その代わり、調べてほしいことがあるといったはずだ」

「ああ、サギッタリウスの件だな」

「ヤツとは、浅からぬ因縁があるのでな」

 ジャッキールは、煙管をしまいこみながら立ち上がり、苦い笑みを浮かべる。

「へへえ、俄然興味がわいて来るねえ。まあ、そのことについては、あんたの口を割らせるより、調べた方がはやそうだけどな。あのお友達からも、ちょこっとは聞いているよ。あんたとサギッタリウスが、お互い武器を捨てて日が暮れるまで殴り合いした話とか、なかなか面白かったぜ? そういう面白い話きかせてくれないのかよ?」

「ふん、そんな面白い話でもない」

 ジャッキールは、やや不機嫌になったらしく、眉根をひそめた。ジャッキール自身は、リーフィほど無表情でもないものの、あまり表情の豊かな男ではない。ただ、普段から眉間に皺が寄って、気難しそうな顔をしているだけに、不快な表情だけは割りとはっきりとわかるのだった。それが彼を余計に気難しく強面に見せていて、誤解のタネではあるのだが――。

 ともあれ、ジャッキール自身は、ジュバの申告どおり、どうやらサギッタリウスという男と犬猿の仲ではあるらしい。ハダートは、興味津々と言った様子になった。

「へへえ、興味あるねえ。あんたにもそのサギッタリウスって男にもね」

 ジャッキールは、その視線をやや鬱陶しそうな顔つきで見やった。それは、ハダートにとっては予想済みのことである。ジャッキールは、サギッタリウスに自分が打ち負けそうになった過去を話したくないし、それを忌々しく思っているのだ。ハダートとしては、それを思わずからかいたくなってしまうので、ついつい顔がにやついてしまうのだが、あまり彼を怒らせてしまってもいけない。それ以上追い討ちを掛けるのをやめておいた。

「サギッタリウスのことは、知らんわけではないだろう。情報通の貴様としては」

「ああ、まぁね。弓の名手だということと、リオルダーナの没落貴族出身だというのは、聞いたことはあるね。あんたと同じく流れ者で、何かと動きがつかみにくいことも」

「そのとおりだ。自分でヤツのことを調べるともっと金がかかる。だから、金の代わりに頼んだ。それだけのことだ」

 ジャッキールは、やや強引に話をもどす。ハダートは、ややつまらなさそうに、しかし、気を取り直して、もう一度絡んでみた。

「それはそうかもしれないが。……なあ、もういいじゃねえかよ。本当のことを教えてくれてもよ」

 ハダートは、もはや遠まわしに言うのを止めて、直接的にきいた。

「ヤツにもらった金は何の目的に使うんだよ? 清貧を絵に描いたようなあんたの生活費にしちゃ、ちょっと多すぎるだろう?」

「詮索しない主義ではなかったのか?」

 やれやれと言いたげにジャッキールは苦笑する。

「主義はそうなんだが、好奇心は旺盛なのさ」

「はは、なるほどな」

 ジャッキールは、少し困った様子を表情のはしばしに見せながら、にやりとした。

「そう焦ることもない。俺は、隠すのは苦手なので、いずれわかるだろう」

「ちっ、あんたも、なかなかイイ性格してるよなあ。で、もう出て行くのかい?」

 いよいよ出て行きそうなジャッキールをみて、ハダートは苦笑いしながら尋ねた。

「そろそろいい時間だからな。俺は忙しい」

「忙しい? 一体何の仕事があるんだよ?」

 そう問い詰めるハダートにまともに取り合わず、ジャッキールは話を変えた。

「そんなことより、お前の方はどうなのだ? せっかくよい情報をもってきたのに、護衛を増やさなくてよいのか?」

「その辺の手はずは整えているさ。まあ、一番守らなきゃいけないヤツがどこにいるのかよくわからねえと来ているんだが」

 ハダートは、肩をすくめる。

「ともあれ、狙われやすいところには、一応注意するようにしておいたよ。ただ、あまり急に動くわけにはいかない。あまり急激な動きをすると、あっちを刺激しかねないからな。だから、今のとこ予定の入っている行事やなんかは普通に進めるみたいだ。警備はもちろんしっかりはするけど。たとえば、今夜の礼拝の儀式とか」

「礼拝? 今夜にか?」

 ジャッキールが眉をひそめる。

「ああ、王は、宮殿から出てすぐの場所の神殿に夜半に礼拝するんだ。日程は占いで決められ、神殿側から依頼が来る。それがたまたま今日の夜だった。この国の王様は神殿から即位の認定をされて王になるということもあって、神殿の儀式には協力的でなければいけない。とはいえ、王様っても、そんな宗教ごとに熱心ならともかく、普通は誰かに代参させるのが基本なのさ」

 ジャッキールは、眉根を寄せてあきれた様子になった。

「ヤツは、そのことを認識もしていなさそうな態度だったぞ」

「そりゃそうだろう。あの男は、特に宗教ごとには興味ないし、ああいう退屈な儀式に耐えられないからな」

 ハダートは、さもあらんといった様子で答える。

「まあ、アイツはいつでもそういう態度なんだが、”お兄ちゃん”が結構まじめな男でね。今回は体調がよいので代参するってえ話だよ」

「兄? 詳しくは知らんが、影武者をつとめているというあの?」

 ハダートは、声を低めて言った。

「まあ、そう。そのお兄ちゃんが今回は代参するという話さ」

「それはマズイのではないのか。傍目に見れば、本人が参拝するように見えているだろう?」

 ジャッキールが、難しい顔つきになる。

「その辺の警備はちゃんとやってるだろう。それに神殿には窓もほとんどないし、外側から狙い撃ちできるような状態ではないだろう。暗いしな。狙うとしたら移動の間かもしれないが、移動は宮殿からほんのわずかな間をするだけだし、警備の兵隊も多いからとてもじゃないが狙える状況にない。いかにサギッタリウスが弓矢の名手とはいえ、物理的に射れない的を射落とすことはできないさ」

「それは、まあ、そうなのだが……。あの男のことだからな」

 ジャッキールは、なんとなく腑に落ちない顔つきだった。

「あんたがその男を買っているのはわかるけど、ジュバの情報じゃあ、襲撃はもっと後の日程にあわせる予定だったとも聞いてるぜ。確かにジュバの言う日のあたりには、大掛かりな儀式の予定があって、王は公衆の面前に出てこなければいけないし、広場でやるから狙いやすい。その男が有能な射手だとしても、まさかわざわざ今日みたいな日を選んでこないだろう」

 ふむ、とジャッキールは、唸った。

「それもそうだな。俺の考えすぎかもしれん。女狐は、ヤツが街で遊んでいることぐらいは知っているのか?」

「さあ、どこまで知っているかはわからないところさ。終日宮殿にいるわけじゃないことはわかっているだろうが、実際、アイツがどこで何しているかっていうことは把握していないと思うぜ。実は、俺も、後見人のカッファさんも知らないんだよ、アイツの今の棲家。尾行しても上手い具合に途中でまきやがるし。俺はアイツから依頼を受けているから、最低限、居場所がわかるが、言わなきゃ現地の人間に溶け込んで、どこにいるのか本気でわかんねえからな。溶け込まれたら、探すのも大変なんだぜ」

 ハダートは、探した経験でもあるのか、うんざりとした様子になる。

「あんただから言うけど、大体、アイツは王族や臣下の中でも、ほとんど面が割れてないのさ。儀式の時は兜を目深に被っていたり、仮面をつけていたりして、顔を覆い隠していることが多かったものでね。その上、人柄を知っているのも一握りなんだ。昔は、社交的な場では大層無愛想だったので、そういう感じだと思っているか、”お兄ちゃん”の方しか知らないかのどっちかが大半でね。だからこそ、似てるのは痩せ型なのと髪がやや癖毛ってだけの”お兄ちゃん”を代理にしてても、怪しまれていないんだよ。アレの本性を知っているのは、俺達軍人の一部と文官の限られた人間だけさ。女狐も顔を知っている程度だろうと、本人が言ってたよ」

「なるほど。そういう意味では本人には、危害が加わる可能性が少ないということか」

「まあね。群衆の中に溶けこんで紛れ込んで、正体を消してしまう才能は天才的だぜ。こういっちゃナンだがスパイに雇いたいぐらいにな」

 ハダートは、やれやれとため息をつく。

「よくわかった。それなら、まあ、俺が出るほどのこともあるまい」

「おや」

 ハダートは、出て行こうとするジャッキールの黒い背中を見やりつつ、思わずにやりとした。

「アンタも因果な性分だねえ。結構子守が似合ってるんじゃないか? 本当のところ、気になってアイツの様子見に行くんだろ?」

 意地悪にそう呼びかけると、一瞬、ジャッキールは動きを止めて、顔を半分だけ彼に向けた。

「いいや。子守は、俺でなくそちらの役目だろう?」

「そうかな。まあいいや。なんかの時は、助けてやってくれよ。そうすりゃあ、俺も、仕事が減って万々歳だ。何せ忙しいんでね」

 ジャッキールは不機嫌そうに舌打ちすると、そのまま顔を進行方向に戻した。

「お互いにな」

 振り返りもせずに一言返して、彼は部屋から出て行ってしまった。足音が聞こえなくなったのを確認しつつ、ハダートはため息をついて壁にもたれかかった。

「ちぇッ、あの唐変木」

 ハダートは、悪態をついて口を尖らせた。

「色々話す振りして、肝心なことはいわねえでやんの。金の使い道ぐらい教えてくれてもいいようなもんなんだが。そんないかがわしいことに使うわけでもねえだろうに。俺に散々しゃべらせておいてよ?」

 まあ、自分が話したくて話した部分もあるのではあるが。彼ならめったに口を割らないだろうから、こういう話を打ち明けるにはもってこいの相手だった。秘密の捌け口という部分もあるが、実際に有益な方向に働くことも期待しているのだし。が、ハダートには、なんとなくその口の堅さが腹立たしいところもあるのだった。

「もちっと単純で扱いやすいヤツだと思ってたが、案外強敵だな」

 ハダートは、あくびをかみ殺しつつ、目を細めた。

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