24.事件の顛末
久々にすっきりと気分のいい朝だった。
天井が見えるということは、家の中である。ふかふかというわけではないが、それでも、旅の身の彼には十分な寝床と、どこからか、料理の温かい香りがした。
(宿か……)
ジャッキールは、ため息をつく。
昨日は宿に泊まったのだっただろうか。ジャッキールは、額に手をやりながらそんなことを考えたが、ふと、その思考を声が邪魔した。
「あ、目が覚めたかしら」
女の、どちらかというと冷たい無感動な声が、ジャッキールの目を一気に覚まさせた。がばと起き上がると、そこには、見覚えのある冷たい美人が、首をかしげて立っていた。
ジャッキールは、慌てるあまり、肩が痛いのも忘れ、即座に起き上がって起立した。
「寝てていいのよ。まだ、頭がふらふらするんじゃないの」
「な、ここは……?」
「私の家だけれど?」
『私の家』。その言葉で、ジャッキールの頭は綺麗にまっしろになる。
「な、な、何故、俺がここに……」
「覚えていないかしら。あの後、あそこでそのまま倒れて、そのまま足掛け二日寝込んでいたんだけど」
「あ、あしかけふつか……? ふ、二日だと!」
「ええ、二日だけれど」
慌てるジャッキールだが、リーフィは、悪意があるのではないかと思えるほど冷淡である。
「あの後、お医者さまにきてもらったけれど、大丈夫みたいよ。もうちょっと血を流してたら死んでたかもとかいわれたけれど……。腕も動くようになるって……。よかったわね」
ジャッキールは、不審にあたりを見回す。シャーでもいてくれたら、まだ救いになるのだが、あいにくと姿が見当たらなかった。
「あ、あ、アズラーッドは?」
「え、シャーなら、テルラさんが心配だから見に行っているけれど」
ということは、リーフィとここで二人きりだ。外はすっかり朝になっている。ジャッキールは、真っ青になった。
(い、いかん……。こんなところを周りの住民が見かけでもしたら……悪いうわさが……うわさが……)
ジャッキールの頭は、それだけでいっぱいになってしまった。
「さて、朝ごはんにしようかしら。何がいいかしらね?」
リーフィが、そんなことを言いながら、部屋を覗き込んだとき、すでにジャッキールの姿は見えなかった。
「あら……」
扉が開く音が聞こえ、リーフィは、窓を開いて外を見る。
「ジャッキールさん?」
窓から外を見ると、井戸の前の桶に足をとられてひっくり返った後、慌てて立ち上がって走り去っていく黒服の男の姿が見えていた。
*
ジートリューの屋敷は、王都でもかなり大きいものだ。軍閥であるジートリュー一族は、この国でも軍事力を背景にかなり権力を握っている。ただ、その惣領たるジェアバードが、権力欲のない人間である為に、彼らは権力闘争に直接関わることは少ない。内乱のときも、ジェアバードが、シャルル以外の王子に加担しなかった為、一族はほとんど無傷でいられたという事情もあった。
そんなジートリュー一族の屋敷の主の部屋に、三人の男が集まっていた。
「将軍、お久しぶりでございます」
すっかり平伏したメハルが感無量な面持ちでそういう目の前で、赤毛の威厳のある男が、どこか彼に同情したような目をして座っていた。
ジェアバード=ジートリュー。軍閥ジートリュー一族の惣領でもある、将軍である。
「久しぶりだな。メハル。今回はすまなかった」
ジートリューは、窓辺で、貴人とは思えぬぞんざいな姿勢で壁にもたれかかっているハダートをにらむように見た。
「ハダートみたいな男に使われて困っただろう。こいつは、人の気持ちなどちっとも考えない男だからな」
「言いたいようにいうじゃねえか、ジェアバード」
ハダートは苦笑していった。
「お前に言われたくはないがな」
「何を言う。緊急でなければ、貴様に協力などさせんかったのだがな」
ジートリューは、そういってため息をつく。
「いえ、将軍の命令であれば、どこでもはせ参じます」
「やれやれ、いやに慕われてるじゃねえか」
「貴様、将軍に無礼だぞ! 表に出ろ!」
メハルが、平伏していた大柄の体をがばっと起き上がらせ、そんなことを言いだすが、ハダートは相変わらず、平気の平左といった様子だ。
「そいつに真剣に構うな。放っておけ、メハル。時間の無駄だ」
「は、申し訳ありません、将軍」
「それより」
ジートリューは、ある意味自分に似たところのある実直な部下を見やりながら、訊いた。
「それで、街を騒がせていた事件の方はどうなった?」
「は、申し上げます。結局下手人の男は、自殺し、剣は、三白眼のアホの連れの傭兵が折ってしまったとかで……。破片だけわれわれが回収して、結局、元の持ち主である鍛冶屋の下に返したのですが。……まあ、いってみれば、師匠を殺したのが弟子なこともありますし……。正直、こんなうわさめいたものは流布させたくないのですが、刀鍛冶が魔剣に狂わされ、正気を失って師匠を殺してからの凶行である、と周りには伝えております。つまり、剣の呪いだと」
「それは、また、後味の悪い話だがな」
人のいいジートリューは、少し眉をひそめた。
「ええ、ただ、一人、弟子が残っておりますし、……どちらも死んだことですので、それ以上は……。実際、動機と考えられるものも、果たして表に出していいものかどうかわからない、不可解なものでありますからね。怪談めいた噂を流すのは気が引けますが、そういって片付けた方が、お互いの為だと思うのですよ。……実際、私などは直接関わりあったのですが、そういうところもありましたしね」
メハルは、そういって少し目を伏せた。
「あと、死んだカディン卿の方ですが、まあ、あっちは相当あこぎなことをやっていたようで、あれは死ななければ貴族審理院に突き出されていましたね。……まあ、そちらは、貴族審理院の連中が調査を続けておりますので、おいおい、将軍の耳にも入るのではないかと」
「なるほど」
メハルは、深くうなずいた。
「ともあれ、街のものは、一通り落ち着きを取り戻しておりますし、それだけが救いではあります」
「そうか。すまぬな、呼び立てて。また、後日、少々つきあってもらうかもしれんが」
いえ、と、メハルは生真面目な様子で答える。
「私は、今でも将軍を慕っております。何かありましたら、申し付けてくだされば、すぐに参上いたしますので。それでは、失礼いたします」
メハルは、大仰なほど丁寧に礼をすると、そのままきびきびした動作で外に出て行った。
「配属がすっかり変わってるのに、まだ慕ってくれてるとはいい部下をもったなあ」
「それを貴様が適当に使おうとするから、元上官の私としては心配でならんのだ」
ジートリューは、きっとハダートをにらんだ。
「適当とはひどい言い方だな。俺は、アレに頼まれたから、調べていただけで」
「アレ……。そうか、そういえば、さっき、メハルの口から、三白眼のアホとかなんとか聞こえたが」
「ああ、まあ、そういうことだ。ちょいと関わってたんだよねえ、アイツも」
ハダートが言うので、ジートリューはおおまかに事情を知ったらしい。
「まあ、ソレはともあれ、なにやら、因縁めいた話だな。……結局、剣に狂っての所業ということで片付けたという話だが……」
「まあ、そういう言い方しかできねえだろうしな。正直、理解できねえ蛮行さ。やった奴には、論理が通ってるのかも知れねえが。残った人間の為にも、剣で狂っちまったということにしといた方がいいんじゃないか。……そうでなければ、納得がつかねえというところだろうさ」
「そうなのか? 死んだ人間もいるというのに……ますます後味が悪いな」
「まあ、剣がなくなったというだけましだろうよ」
ハダートは、難しい顔をしているジートリューにそういい、軽くため息をつき、それにしても、とつぶやいた。
「怖いのは技術屋の執念だな。なんとなく身につまされるところはあるが」
「貴様は職人でもないくせに」
「いいや、策士策におぼれるっていうのもあるだろう。好奇心旺盛なのは、危険な証拠だって話だぜ」
ハダートはにやりとした。ジェアバード=ジートリューは、まるで本気にとらず、話を変える。
「しかし、そのジャッキールとかいう男、剣を折ったとかいったな。何故だ? 本人を切ってしまえばそれで終わりだろうが。何故わざわざ」
そういわれて、ハダートは、少し姿勢を変えた。
「ああ、アレは、多分。あいつも、あの剣が恐かったんだろうよ。というより、あいつの場合は、あの剣が恐いというより、あの剣を二人目の人間が使うことが恐かったんだろ」
「何故だ」
「一人目がやったということは、その後の人間も、同じことをやる可能性があるからさ」
ハダートは、感慨を抱いているのかいないのか、軽い口調でそんなことを言う。
「あの男は、かなりイカレちまってるが、変なところで俺たちよりまともにできてるらしいからな。奴はカタギが不幸になるのが、堪えられねえんだろ。だから、剣を、徹底的に砕いておく必要があったのさ。……奴風に言えば、多分、剣の魂ごと砕く必要が、といった方がいいんじゃないかね。そうじゃなければ、わざわざ、戦いの最中に折るなんて、七面倒なことはしねえだろう。多分、儀式みたいなもんさ」
「その男は、そんなことを信じているのか?」
馬鹿馬鹿しい、といいたげな口調で、ジートリューはいうが、ハダートは首を振った。
「さあ、俺が知ってるあいつは、それほど夢見がちな人間じゃなかったぜ。……ただ、あの剣は、確かにおかしな剣だったんだろう。なにせ、「アレ」ですら、ちょっと引いてたところがあったからな」
「ほう。なるほどな」
そういわれて、ジートリューは、思い出したように聞いた。
「そういえば、で、アレは何をやっているんだ」
「別に。アレからちょっとあってあれこれ聞いただけよ。まあ、相変わらずへらへらしてたようだがな。あれこれあったが、まあ、街に出てる間は、落ち着いているみてえだし」
ハダートは、肩のカラスをなでやっていった。
「今頃、あの美人にでれでれしてるんじゃねえかな」
空はいつものように晴れ渡り、強い太陽の光が注いでいる。
*
「手伝っていただいて……ありがとうございます」
墓場からの帰り道、ふと、先を歩く男にテルラは声をかける。
端正だが、どこか甘さのない顔をした男は、ふと振り返り、そこで立ち止まった。
葬儀の帰り道、もう、ほかのものはすでに帰ってしまった。どこか、寂しげな風の吹く真昼である。目の前にいるのが、ジャッキールというのは、どこかテルラにとっては因果だった。当初、この男を疑ってかかっていたというのに。
「貴様が、気にすることはない。ハルミッドには世話になった。いわば、これは礼だ」
ジャッキールは、例のように、どこか武官のような口調でそういって、にやりとする。ハルミッドとラタイの葬儀は、ほとんど密葬のようなものだったが、それでも、若いテルラ一人で途方にくれていたところ、あれこれ手配してくれたのは、ふらりと駆けつけてきたジャッキールである。
最初、疑っていたジャッキールに面倒を見てもらい、テルラはかなり申し訳ない気分になっているのだが、ジャッキールのほうは、気にしていない様子だった。外見にしても、その性格にしても、どこか危なくて恐いところのある彼だが、普段は、意外に気のいいところがあるらしい。
「でも、お怪我のほうは大丈夫ですか?」
テルラがきくと、ジャッキールは、ああ、と一言つぶやく。まだ、彼は左肩をかばうのに、首から左腕を吊るしていた。
「貴様が気にするほどの大事はない。しばらくすれば、元通り動かせるだろう」
「そうですか……」
テルラはそういって微笑んだが、少し暗い笑みだった。
「それよりも」
ジャッキールは、不意に一本の剣を右手にとって差し出してきた。
「これは貴様の作った剣だろう」
急にテルラが黙り込んだのを確認して、ジャッキールは言った。
「先ほど、捨ててあったのを俺が拾ってきた」
テルラは何も答えない。ジャッキールは、自分の考えが正しかったことを知る。
「貴様にも嫌な思い出ができてしまっただろうが……。最後にひとつだけ、見ておいてもらいたいものがある」
ジャッキールはそういって、にやりとした。
「いい物を見せてやろう」
そういうと、ジャッキールは、一枚薄い紙切れを取り出すと、それをふわりと空中に放り投げた。ふわふわと風のない空中を漂ううちに、ジャッキールは、軽く鞘を捨ててテルラの剣を抜き放つと、ピッと、まるで軽く素振りでもするように一閃した。紙に剣がたたきつけられるように見えたが、多少空中でひきつれただけで、すらりと紙は舞い降りてくる。
テルラは、最初、ジャッキールが何をするつもりなのか、わからなかったため、ぼんやりとそれを見ていたが、不意にはっとして目を見開く。紙はすでに二つに切れていたのだ。剣は紙を撫でたわけではなく、ちゃんとそれを切断していたのである。
ひらりと地面に落ちる二枚になった紙切れに、テルラは驚愕した。そういうことが出来る剣がこの世にはあると聞いているが、自分や師匠が作っているアレでは無理だときいていた。もっとも、ハルミッドの作ったものは、西方の剣の作り方と若干違うらしいという話は聞いていたが、それにしても、出来るものではない。
「これは!」
テルラは、目を丸くして、ジャッキールを見やった。
「こういう剣じゃ、こんなことはなかなかできないはずなのに」
この男は、一体何なのだろう。恐ろしい腕前だ。テルラは真剣にそう思った。だが、ジャッキールの方はというと、器用に片手で剣を鞘に収めて返しながら、こういうだけである。
「こういう芸当ができるのは、俺の腕というよりは、剣の素質だ。この剣は、なかなかのものだ。もう少し続ければ、貴様はいい鍛冶屋になるかもしれんな」
テルラは、そんなことをジャッキールの口から聞くと思わず、驚いた顔のまま、彼を見上げていた。
「道を誤っている俺がこういうことをいうのは、笑い種だがな……。力も武器も、すべては使い方ひとつによるものだ。使う側の意思の問題でしかない……。かつて、ハルミッドからザファルバーンより東の村にハルミッドの弟弟子がいるときいた。……やる気があるなら訪ねてみてもよいのではないか」
ジャッキールは、相変わらず沈んだ様子でいい、突然、少々自嘲的な笑みを浮かべた。しゃべりすぎたと思ったのだろうか。
「それではな、達者で暮らせ」
ジャッキールは、そういうとすたすたと歩いていく。その方向に王都があるのは、すぐにわかった。テルラは、自分の作った剣を持ったまま、呆然と、その後姿を見送っていた。
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