4.傭兵隊長ジャッキール
永遠なる花のわが都
降りおりる月の光
かすかなる花の残り香
酒に寄せては 消え行くばかり
ああ すでにそれを忘れし人よ
どこをたずねても知らず
誰に尋ねても知らず
ただ、酒の赴くまま
すべて忘れゆきし人よ
朗々と詩を朗読する声が響いていた。冷たく暗い声は、陰気な雰囲気で、とても風流といえるものではない。どこか聞くものに寒気を覚えさせるような声である。
廊下を歩いていた少年が部屋の前で立ち止まったとたん、ふと声はぴたりと止んだ。
「何の用だ?」
少年はびくりとした。部屋の中では、一人の男がこちらに背を向けて座っている。手に本があるところをみると、詩集でも読んでいたのだろうか。
だが、男はこちらを一度も見ていない。おまけに、少年は足音をたてて歩いてきたわけではなかった。それなのに、部屋の前に立っただけで、彼は気配に気づいたのである。
いつものことだが、この男の近くにくると、寒気が走るような気がした。
「お休み、でしたか?」
「退屈をしていてな」
と、男は栞(しおり)を手にした。
「卿に雇われてずいぶん経つが、やがて来るべき荒事に備えてとはいえ、おとなしくしているのは性に合わん」
相変わらず陰気な声だった。この男の声をきいているだけで、周囲から血の香りが染み出してくるような感じがする。
「とはいえ、流れ者の生活に比べればよいものだが」
「はい」
「用件はなんだ?」
とりあえずあいまいに返事をした少年に、男はそう尋ねた。少年は我にかえって慌てて答えた。
「あ、すみません。お休みのところ申し訳ありません。外にでていた部隊が帰って参りまして、そのことで、ラゲイラさまがお呼びです」
「そうか。それは急がねばな」
男は立ち上がり、今まで読んでいたページに栞を挟んで閉じると、きっちりと本棚に立てかけた。そして、近くにあった剣を腰につるして少年のほうを向いた。高い背に黒いマントをかぶせている男は、痩せてはいるがどこかがっちりとした体型である。服装から髪の毛までが黒ずくめな中、蒼白な顔だけが異様に白く見える。長い前髪から見える瞳はするどく冷たい。
男は、この屋敷でも、異彩を放つ人物ではあった。
それは彼の外見や態度だけでなく、扱いもそうである。彼はこの屋敷に雇われている身分だが、実際は、雇われている兵士というよりは、客分に近い扱いも受けていた。それは、主人のラゲイラが、彼のことを敬称つきで呼んでいることからもわかる。
ラゲイラが計画が成功した暁には、彼を将軍に取り立てたがっているという噂もまことしやかにささやかれていた。そして、そのことにたいして、ラゲイラに仕えているほかの傭兵の中には、不服に思うものもいるときいている。
実際、今も彼は兵士たちを束ねる隊長の職をラゲイラより与えられており、それは明らかに特別待遇である。
それにしても、この男にはあまり近寄りたくなかった。この男は、いつも何か不吉な気配がした。死神でも取り憑いているのではないかと思うほどの、寒気が走るような殺気が常に身の回りに飛んでいた。
そして、その殺気のとおり、ひとたび戦闘が起こると、この男は狂ったように人を斬ると聞いている。食事の時も手放さない剣は、一体何人の血を吸ったのか――。
「こちらでございます」
少年は、なるべくそのことを考えないようにして、彼を案内する。束ねた髪を揺らしながら男は静かについてくるが、その足はすぐにとめられた。目の前に、少年以外の人間の気配がしたからである。
「ジャッキール様」
声をかけられ、男はふと居住まいを正す。訓練された武官のような身のこなしは、彼がもともとは宮仕えをしていたのではないかという過去を想起させた。そういわれれば、彼の言動は、流れの戦士にしては風格がありすぎるところがある。
目の前には、この屋敷の主人が立っていた。ゆったりとした雰囲気の貫禄ある男は、ジェイブ=ラゲイラその人だった。
「ラゲイラ卿自ら出向いていただくとは……。ご足労をかけ、失礼した」
「いえ。いきなりお休みのところ呼びつけた私が悪いのですから」
ラゲイラは、柔らかにそういった。男は首を振り、そして話を変える。
「外が騒がしいといわれておりましたが、昼間お聞きした例の件ですな? どうやら無事捕らえられたようで……」
「ええ。そうです。……ですが、そのことなのですが」
ラゲイラは、少し目を伏せた。
「貴方に、この作戦で指揮を執っていただくわけには参らなくなりました。申し訳ありません」
ラゲイラは、静かにそう告げる。一瞬、男の目がかすかに開かれた。
「私を、信用されていないのですな」
男の眉が、長い前髪の中で一瞬引きつった。
「いえ、そうではありません。わたくしは、貴方のことを信用しております。……ただ、あの方はあなたに指揮を執らせるのに反対なようです。あの方は、他方からきたものを信用なさらないだけでございます。貴方の気持ちはご理解いたしますが、……どうか、ご容赦を」
「私は、貴方をせめているわけではありません。貴方がそういわれるのであれば、仕方のないことであります。所詮私は流れ者ですから……」
一瞬、低く堅い言葉でそういったのは、反射的に答えたものだったのか。
そこまでいって、彼は我に返ったように、薄く苦笑いを浮かべると話題を変えた。
「しかし、指揮をとらねばよいのですな? ……私が、今、外のものたちがつれてきた男と会うのはかまわぬと?」
「ええ。それは、もちろんです。わたくしはむしろ、貴方に検分していただきたいぐらいなのですよ。それで、貴方にこうしてお話を……」
「では、……その男にあわせていただきましょう」
彼はそう答えると、ラゲイラに礼をしてから、方向を変えて歩き出す。少年が慌てて案内するため、駆け出していった。
「お待ちを。ジャッキール様」
ラゲイラは、彼を呼び止めた。彼が足を止め、まだ振り向かぬうちにラゲイラは続けてこういった。
「わたくしは、あなたを信用していないわけではございません。貴方さえ良ければ、この計画が成功した暁には将軍にでもなっていただきたい。しかし……」
ラゲイラは少し声を落とした。
「あなたは、私のやろうとしていることに、反対なされるのではないかと思っています。……貴方は、こういうことがお嫌いでしょうから」
ジャッキールという傭兵は、それに対して返答はしなかった。ただ、一瞬足を止めて、そしてそのまま歩き去るだけであった。
*
昼は権力闘争の醜い争いの渦巻く場ともなる王宮。
しかし、その奥は比較的静かで平穏な場所だった。
王宮の深くにシャルル=ダ・フール=エレ・カーネスの寝所は存在した。
彼は滅多にそこから出てこられない。たまに出てくる事があっても、長くは玉座に座っていられないといわれている。
それなりに高価な調度品が立ち並ぶ中、シャルルは天蓋付きの寝台の中に座っていた。そこからは薄絹のカーテンがおり、シャルルの姿がうっすらと垣間見られた。
理知的な目をした黒髪の青年。
だが、その体は痩せていて、どこか頼りなげだった。
その前に、文官の割にはがっしりした体型の中年の男がたたずんでいた。実直そうな男は恭しく寝台の中の主に接し、報告を滞りなく行っているところだった。
「……そのようなことなのでございます。観察が必要かと」
シャルル=ダ・フールは、水差しの水をゆっくりと飲みながら、彼の言葉を聞き終え頷いた。
「わかったよ。つまり、ラゲイラ卿があまりよくない考えを持っているというんだね?」
「と、言われておりますが」
宰相、カッファ=アルシールは、寝所の中の君主に言った。シャルル=ダ・フールは、今日は加減がいいらしく、少し起き上がって書物を読んでいたらしい。手の横に厚い本が一冊転がっている。
「実際のところ、事実関係はよくわかりません。何しろ、証拠がまだないものですからな。元より、陛下の敵は多いですし断定するのは早計かと。ですが、ラゲイラの影響力は果てしないものがありまして、もしかしたら、すでに城内にも敵を忍ばせている可能性が非常に高いのです。あの男は旧王朝からの名家の出身であり、なおかつ、財力も豊富に持ち合わせています」
「そうか……」
「そうでありますゆえ、いったいどのような行動を取ってくるか予想がつきません。十分にあなた様も気をつけていただきたく思い、今回は報告させていただきました」
カッファは、元近衛兵出身というだけあり、見かけはあまり文官らしくない。文官の服はまとっているが、言葉遣いも文官というより武官のそれであまりにもつっけんどんな印象がある。
「ああ、私は十分気をつけるけど……、大丈夫だろうか。あの……」
シャルル=ダ・フールは、遠慮がちに訊いた。
「あぁ、”アレ”ですか」
カッファは、少し嫌そうな顔をする。
「まあ、ほっといても死にはしないのでご安心ください」
「冷たい返答だな」
「大丈夫ですよ。アレは不死身ですから」
カッファは、ぶっきらぼうに答える。噂をされている者に個人的な確執があるらしい。シャルル=ダ・フールはそれがおかしくてクスクスと笑った。
「じゃあ、ラゲイラ卿の動きを今、探っているところなんだね?」
「ええ。……ちょっとある人物が動いているようです。その内、ジートリュー将軍経由で情報が入るはずですが……」
「ある人物?」
シャルルは、首を傾げて尋ねた。カッファは、いつものようにぶっきらぼうに言った。
「ハダート将軍です」
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