第四章 アオイ

 陽気なジャズが脳を刺激する。ジャズではないかもしれない。きっと本場からすれば偽者なのだろう。別にどうでもいい。このジャズっぽい香りがわたしは好きなのだ。本当は大音量で聞きたいのだが、防音がしっかりしていないのでそれはできない。

 体温と同じほどの風呂の湯がやわらかい。暖房のおかげで湯の外のほうが暑く感じるほどだ。

 一時間の半身浴の日課、心地がよいものだ。

 立ち上がるとシャワーを浴びる。

 ジャズの音はシャワーの音に紛れて消えてしまう。わたしは頭を振りながら、代謝の結果を流す。シャワーをそのままに、栓を抜き、湯船が減っていくのを見守る。

 やがて、渦の中にすべてが消えてしまう。

 それからシャワーも止めると、浴室から出た。

 バスタオルで体を拭く。

 ふと、鏡台に移った自分の姿が目に入る。

 まだ濡れた髪が、顔にこびりついている。その顔は、かつての自分ではない。目はうつろで、光が感じられない。

 自分でも、それが分かる。

 端的に表現すれば、疲れている、のだ。

「もう、もう!」

 口に出して、わたしは頬を膨らませた。可愛くない。見せる相手もいない。最悪なシナリオだ。このままでは、本当にこのままだ。

 わたしは頭を大きく振ると、タオルで髪をまとめあげた。

 風呂場を出ると、冷蔵庫からビールを取り出して、パソコンチェアーに腰かける。そのままパソコンの電源を入れ、ビールを開ける。

 ポンというポップ音とともに、画面に映し出されるウサギを擬人化した二頭身のキャラクター。

「もうちょっと待ってね」

 と吹き出しに表示され、そのキャラクターが画面を歩き回る。

 わたしは立ち上がると、キッチンスペースに移動して、頭の上にある棚から、ポテチを取り出した。ついでに、お皿を用意すると、袋を開けてそこに半分ほどを並べる。それから夕食のときに準備した、枝豆とチキンも一緒に皿に載せ、わたしはパソコンチェアーに戻った。

 皿をキーボードの左に置くと、わたしはマウスをクリックしネットにつなげる。同時にメールを確認。

 三通の未読メッセージのうち、二通はいかがわしい出会い形サイトからの勧誘メールだ。件名からして怪しかったので、わたしは躊躇なく削除する。

 残りの一通、件名は……仕事だ。

 東村山ひがしむらやま副部長から、仕事の確認のメールのようだ。見るのも億劫だ。わたしはメールソフトを閉じると、インターネットを確認する。

 お気に入りから、いつものところへ。

 二十代と書かれたところをクリックし、部屋の中へ。別窓が開き、しばらく待っていると、入室完了の文字。

「みなさん、こんばんわー<Aio」

 画面を文字がうごめく。右に、現在部屋にいる人の名が羅列されているのだが、返事をくれるのはそのうちのごくわずかだ。ロムしているのか、それともツーショットでもやっているのか、分からない。

「Aioさん、めずらしくない、この時間に来るなんて<テツ」

「最近残業が多いのだよ。でも日課だし?<Aio」

「そうだよね、いつもこの時間に落ちてるのに<ゲンジ」

「忙しいに越したことないよ、仕事なんて。うちなんて、いっつも超暇<ゲンジ」

「自分の仕事ならね。他人の仕事なんてやりたくないって<Aio」

「もっとうまく切り抜けなきゃ<テツ」

「そんな要領持ち合わせてないよ<Aio」




 くだらないチャットだ。いつもほぼ同じメンバーが揃っているのが不思議だ。どうして、みんな暇なのだろうか、と考えてから、自分は暇ではないと気がつく。こんなことをしている場合ではないことくらい分かっている。疲れがたまっているのだからすぐにでも眠ったほうが、自分のためというものだ。けれど、ここに来るのに価値はある。わたしの忙しさを取り除く価値もあるかもしれない。

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