学園集会。

 校長の演説は前にも増して長い。おそらくは時間を稼いでいるのだろう。そう解釈するのが的確だ。甲斐雪人かいゆきとは体育館を見渡し、芹沢雅せりさわみやびの姿が見えないことに気がついていた。たまたま死角にいるだけなのかもしれないが、校長の繰り返される演説は、芹沢がここに現れるのを待っているのだろうと考えて問題あるまい。彼女は今、図書棟で篠塚桃花しのずかももと話しているのだろう。学園の生徒全てが集まっていれば、図書棟に人はまずいない。中等部や小等部が授業で使っていない限り、危険はない。そして、彼女がそれを把握していないはずがない。そうならば、図書棟に隠された部屋に入る瞬間を見とがめられる危険はほぼない。篠塚の名が桃花、桃という名である以上、芹沢と通じていることは誰しも推察できる。

 今回のテーマは、正義とは何か、というような話だ。結局結論は出ていない。もっともらしい意見と、それについて意識することが、まず第一歩だと、当たり障りのない内容だ。毎回この手の話題を考えることが、校長に与えられた仕事なのかもしれない。理由も分からずに、芹沢の、そして篠塚の操り人形と化している。

 三十分を過ぎたころだろうか、予定通り体育館の隅に芹沢の姿があった。彼女がそこに立っているだけで、数名の生徒は浮足立っている。客観的に見れば、甲斐もその一人とみなされているかもしれない。

 校長が壇を降りると、入れ替わるように、芹沢が壇上へ移動する。

「皆様、お待たせいたしました」

 その言葉と同時に、やはり黄色の声援が飛ぶ。

「今日この集会を開きましたのは、二つの目的がございます」

 芹沢はそういうと、まっすぐ甲斐を見た。甲斐は突然目があい、心臓が跳ね上がる。これだけの人の中で、迷うことなく見つけられたことにも、そして、彼女がこちらを見ていることにも。

「前回紹介すべきでしたが、遅れてしまいましたことをお詫び申し上げますわ、甲斐雪人くん。どうぞ、こちらにいらしてください」

「は、はい?」

 甲斐の裏返った声とは裏腹に、神田隆志かんだたかしを含む周りの生徒に無理やり立たせられると、前へと送られる。理解できずにあたふたしていると、周りからは嫉妬と激励の二つの声が浴びせられる。壇上に来ると、にっこりとほほ笑む、芹沢の顔。まっすぐに整えられた前髪が、彼女のほほ笑むのに合わせて、さらりと揺れる。

「どうぞ、もっと、こちらに。マイクのところへ」

「はい」

 甲斐は頷きながら、ゆっくりとそちらへ向かう。

「一言でよろしいです。どうぞ、挨拶を。皆様待ち望んでおりますよ」

「ええっとでゎ」

 体育館を見渡す。

 壇の下のフロアに並ぶ生徒の顔、顔、顔……あれはかぼちゃだと言い聞かせる。甲斐の視界から見ると、体育館は実際の形よりの広く見える。中央部が膨らんでいるせいもあるのだろう。前方には生徒が溢れ、後方には先生がたが座っている。さらにその奥には数名の先生が立っており、ちょうど正面には担任の香川定吉かがわさだきちが腕を組み大きく頷いている。

 奥に行けばまた狭くなっているはずだが、錯覚だろうか、そうは見えない。むしろ扇方のような印象がある。

「緊張なさっていますね。とても優秀な人なのですよ。あと一年もすれば、わたくしも追い抜かれてしまうかもしれませんわ」

 芹沢はふふふと笑いながら、甲斐の背中をさする。

「どうぞ、一言だけ」

 会場の生徒はまるで甲斐の話を聞いていないみたいで、ほとんどが芹沢を注目し、隣の生徒とこそこそと囁きあっているように見えたので、甲斐の緊張は少しだけ解けた。

「えっと。甲斐雪人です。一年の、二組です。先日、課題が消化しきれず、今日まで居残りでした。そんなに、優秀ではありません」

「何の課題だったのですか?」

「量子の、揺らぎについてです」

「通常それを学ぶのは、二年後ですよ。課題が終了している時点で優秀ですわ」

 驚いて芹沢を見ると、なぜか彼女は悪戯を思いついた子供のような笑顔を見せる。

「どうもありがとう。ここから見える風景は素敵でしょう? 少し、あちらへ」

 甲斐が横に移動すると、再び彼女が舞台の中央に立ち、マイクを手で支える。

「失礼しました。それでは、もう一つのお話です。これは、少し難しい内容ですので、皆様、よく分からなければ、そっと聞き流してくださいませ」

 甲斐はその光景を横から見ている。横からでも、彼女に漂う優雅さが感じられる。多くの生徒が彼女に憧れるのも納得できる。

「今日が、約束の期日になります」

 途端、彼女の表情が強張り、小刻みに震える。下にいる生徒からは分からないかもしれない。手の位置はほとんど動かすことなく前に揃えられていて、顔もほほ笑むように軽く傾けているのだが、甲斐の距離からははっきりと分かった。

「わたくしは、決して逃げたり致しません」

 まるで、誰かに話しかけているかのようだ。

「正々堂々とお話ができれば、と思いますものの。あなたはそうは思って下さらないみたいですわ」

 それから、俯く。

「ええ。それが、お望みでしたら」

 芹沢の話している内容が意味不明のせいか、体育館からはざわざわという声が溢れる。

「それから、一つ警告です。わたくしは、あなたが誰なのかもう分かっています。ですから、どうかこのような方法を止めていただきたいのです」

 いや、明らかに会話をしている。

「そうですか、分かりました。まずは、そのよう……」

 その瞬間彼女は頭を抑えると、ふらりと倒れた。甲斐は驚き、すぐに駆け寄る。下からは悲鳴も聞こえる。これではまるで前回の集会と同じではないか。

「大丈夫ですか?」

 甲斐は芹沢の上半身を軽く抱き上げると、さっとおでこに手を当てる。芹沢の目が薄く開けられ、甲斐と合う。

「今は演技中です。わたくしはまた貧血ということにして下さい。それから、どうか今日の出来事を桃花に」

 ぽそとそうつぶやくと、彼女は目を瞑り、意識を失う振りをした。

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