94話 戻れない日々 4
窒息寸前で真っ赤な顔をしたユウキは貪る様に呼吸を繰り返す。
何度も、
何度も繰り返し、
吸い込んだ息を吐く事さえもどかしく思いながら足りない空気を求めて呼吸を繰り返し続ける。
不意にクラリと眩暈に襲われたが半歩足を開いただけで耐えきった。
全て終わったのだから床に寝そべってしまいたかったが、疲れ傷つきボロボロになった身体で何とか立ち続けた。
『床に寝転ぶなど上流家庭の者はしてはいけない!』
などと教えるものはフェンネル家にはいなかったが、腰にしがみ付いてリューイが泣き続けているので、妹想いのユウキは倒れる事ができなかったのだ。
「リュ、リューイ、もう大丈夫だよ。」
まだ呼吸は荒いが絞り出す様にして何とか話しかける。
肩越しに見下ろすと顔を上げたリューイの額が見えた。
右手を挙げて脇に頭を回すとチョンと飛び出て来た小さな泣き顔。
抱き着いてくる小さな身体を膝立ちになって抱き返すと、初めて『終わった』と実感できた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
確かに
しかしここにはもう1つ、いやもう1柱の問題が残っていた。
「少年よ。良くぞ世界の危機を救ってくれた。」
柱の上から見下ろすアストレイアが声を掛けて来たのだ。
トードリリーとのやり取りでひび割れ欠け崩れた身体は美しく変わり、宗教画家が計算し尽くして描いた様に、理想的な―――あからさまに言えば人受けのする―――姿になっている。
もっともこれにはほんの少し誤魔化しがある。
それまで彫像だったものが生命を得て動き出す程の奇蹟は、いくら上級神といえども簡単に出来るものではない。
ましてやアストレイアは調和を司る神。
権能違いどころか、これほどのバランスブレイクを起こそうとする存在があれば阻止しなければならない立場にある。
そこで姿を映すだけの『幻視体』を元々の顕現体に重ね、見た目だけは威厳ある様に取り繕っていたのだ。
本来、幻視体は手軽に造り出せるが使える権能が少ない。
ほとんど姿を見せる事と話す事しかできないのだが、彫像の顕現体が残っているのでこれについての問題はなかった。
「我はアストレイア。主神エフィメート様より守護12神が1柱に任じられているもの。此度は
美しく威厳に満ちた姿
自信と実力に裏付けされた声
間近に接した者は自然と
またそのような効果を狙って幻視体を用意していた。
「それにしても見事なものよ。特にあの者を消し去った最後の力。あれを
それは神々の上位に君臨するアストレイアから送られた手放しの称賛であった。
一方でそれを聞いたゴーザは酷く厳しい表情をしていた。
(神々と並び称される存在か。)
数十年前にコルドランで告げられたその言葉の意味を今更ながらに考えていた。
ゴーザは・・・ゴーザだけがここで起こった事の意味を正確に理解していた。
アストレイアは誤解したが最後にトードリリーを消し去ったあれはリューイの起こしたものだ。
通常ではセレーマは自身の内部に働くものであり他人や物に通す事はできない。
その為アストレイアは木剣を握っていたユウキがあの
しかしゴーザは地下道でユウキと再会した時にそれまでの経緯を聞き、ユウキの装備を確認している。
あの時、ユウキの背中にしがみ付いたリューイは光のエリアルをはぎ取った跡の、露出したネウロン線に触れていたのだろう。
あの装備は手袋を起点にして全身の魔導具へセレーマを伝えるネウロン線ネットワークを持っているのでマントを経由して服、手袋、木剣へと経路が繋がったのだ。
一瞬で焼き切ってしまったが、その刹那に見せた莫大な力は『神という存在』が霞んで見える程圧倒的なもの。
もし、この事が公になれば人も神々もリューイを巡って争い合い、フェンネルの名の下に世界は終焉を迎えるかもしれなかった。
この瞬間、ゴーザは人として許されざる残酷な選択を決意した。
「まずは汝らの働きに報い、その傷を癒して進ぜよう。」
アストレイアが僅かに指を動かして自分の持つ天秤を押すとゴーザ、エリス、ユウキ、リューイの4人を光が包み込み、始めからなかった様に傷が消えていった。
「ふむ、第18天秤程度の奇蹟であればそなた達の働きに報いるのは構わぬであろう。」
続いて天秤を持つ右手を掲げて何かを呟くとユウキの目の前には手のひら程の天秤が宙に浮いた。
「少年よ、その天秤に触れるがよい。汝の働きを称え我の加護を授けよう。」
上級神、それもエフィメートを除けば確実に12位には名を連ねる程の神が、人に加護を与える事はほとんどない。
その効果も言うに及ばないだろう。
何よりもアストレイアの加護を得たとなれば周囲の見る目が確実に変わる。
あるいはリューイだけを見ている両親もユウキの事を気に掛ける様に成るかもしれなかった。
(これでユウキにも幸せと栄光が訪れる。)
叫び出さない様に口を押えたエリスが、ユウキに対する神の称賛を素直に喜んだ。
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