第64話 パンデミア 3

カロッタの胸から噴き上げた炎は瞬く間に全身を覆い、踊る様に悶える姿はそこに居る全ての者が目にすることになった。

バルコニーに居た人達は、ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は即座に逃げ出し、ある者は助けようとカロッタに手を伸ばす。

中でも火を消そうとした者には毒蛇が襲い掛かる様に飛び火して更に数人が燃え上がった。


通常であれば、それが神威であろうともここまで過激な反応が起こる事はない。

今までも信念と現実のせめぎ合いなど何処にでも・誰にでもあったが、それで人体が発火したなど聞いた者はいない。

だが、この広場にはトードリリーの炎が聖火として燃え続け、今までに多くの人間の想いを飲み込んで来ていた。

それらはトードリリー、あえて言えばトリキルティスの神威となってこの場に満ちていた。

その上、街中に広がった暴徒の炎からも人々の想いはトルキルティスへと流れ、その権能を高め、神威を顕現し易く・・・具体的には発火し易い状況が整っていた。


一方、成り行きを見守っていた人々はバルコニーの惨状を目にして驚きに立ち竦んだが、直ぐに恐怖に背中を押されて出口へと殺到する群衆と化した。

一人一人の中で膨れ上がった生存本能は理性を押し潰し、潰された理性は容易く臨界を越えて燃え上がる。

広場のあちこちで炎が上がり、周囲の者を巻き込んでは混乱に拍車をかけ、それを見た人達が恐怖を膨らませてまた燃え上がる。

際限のない負の連鎖が始まっていた。


出口近くに居た一部の者は混乱に巻き込まれる前に広場を脱出する事に成功する。

自分でも理解できない叫びをあげて走っていると、前から向かって来る大勢の人間が行く手を遮った。


「に、逃げろ!焼き殺されるぞーーー!」

まだ理性のある誰かが声を上げた。


「そこをどけ、逃げる邪魔をするな。」

別の誰かが叫ぶ。


―――退かないのなら、押しのけてでも・・・―――

その考えは途中で立ち消え、顔を引き攣らせて足を止めた者は後ろから押されて倒れ、倒れた所をそのまま踏みつけられて二度と立ち上がる事はできなかった。

その後も止まろうとする者はいたが願いがかなう事はなく、結局は押されるままに前に進み目の前の人混みに混じり消える。

後から後から人は押し寄せ、暖流と寒流が混じる様に大きな一つの塊りへと変わって行く。

そして全てが炎に取り込まれて単一の集団へと変わって行ったのだった。


それはユウキを追いかけていた暴徒達だった。

肝心のユウキが地下へ消えた時、目標を失くした人たちは支配者トードリリーの元へ行こうと中央教会へ集まっていた。

広場から逃れた人達は取り囲んだ集団に絶望して更に発火する者を増やした。




いつの間にか、炎を上げるカロッタの隣には白い祭服の女が立っていた。

眼下は阿鼻叫喚の坩堝と化していたが気にする様子はなく、むしろ恍惚としてさえいる。


「ああっ、なんて素晴らしいのかしら。こんなにも力が溢れてくる。」


トルキルティスの表の権能は『秘めた想いの守護者』だが、その実態は『抑圧された欲望を煽る者』という裏の側面を持っている。

人の心に加えられた圧力を拠り所として力と成し、抑圧から解放される力を己が力としていた。


しかし知名度が高く、聖人としてまつられていてもその地位は神々の中で決して高いものではなかった。

司る権能が特殊過ぎた。

そもそも、聖人トリキルティスが崇められるのはその強き想いをエフィメートまで届かせた偉業による。

この聖祭にしても人々の信仰はほとんどが主神エフィメートに向けられたものであり、トリキルティスはただ想いを伝える伝令に過ぎなかった。

だが今年のカウカソスではプロムの憑代を探すために聖火そのものに自分の神威を使う事が許されていた。

その結果、捧げ得られた願いや信仰を余すことなく己が物とすることが出来た。

その上、自分の支配下に置いた者からは際限なく想いを吸い上げる事で嘗てかつてない程の力を得る事ができた。


「ああ、これがずっと続けばどれ程の力を得る事ができるのでしょう。だけど許されたのは今日一日だけ・・・。しばらくは集めた力で余裕があるけれど、また僅かな想いで存在を維持する日々に戻るかと思うと嫌になってしまうわ。」


少し憂いを含んだ横顔は場面が異なれば多くの男性の保護欲を掻き立てたかもしれない。

だが周囲には炎に意識を奪われた者が立ち、見下ろす眼下には暴力と恐怖に人々が逃げ惑っていては誰もこの女を助けたいとは思わないだろう。


「エフィメート様から許されたのは、『今日一日は自由に私の神威ちからを使ってもいい』と言う事。元に戻せとは言われていない。もしも、私の炎を宿らせた人達がそのまま私の配下としてあったら・・・いえ、ダメね。さすがにこの状態は直ぐに正されてしまうわね。でもこの騒ぎを鎮めてしまえば・・・炎を弱めて熾火の様に人の心の奥で燻らせておけば誰も気にしないのではないかしら。」

その思いつきは至極名案に思えた。

熾火の状態にすれば今ほどの力は集められないが、ずっと安定したルートを確保できるし、いざと成れば今の様に強制的に燃え上がらせて莫大な神威を使う事も出来る。

その上、配下にした人間に対してはある程度思考をコントロールする事が可能となる。

これは、想いや信仰の方向、いわば神々へ送られる力を制御できる事に他ならない。


トードリリーが目を輝かせてニィっと獰猛な笑みを浮かべた。


「もしも・・・もしも世界中の人間に私の炎を宿らせることが出来るなら、私自身の力を高め、他の神々の力を弱める事ができる。他の神々は権能を維持するために私の許しを請わなくてはならなくなり、私の意向が全てに優先される事になる。やがてはエフィメートに替わって私が神々の長になる。」


―――フッ・・・フフフ・・・フフフフフ・・・―――


いつの間にか、トードリリーは声を上げて笑い始めていた。


「しばらくは大人しく状況を見ながら、配下を増やして力を蓄える。教会の仕組みに私の炎を宿らせる儀式を紛れ込ませることが出来れば後は自然に配下が増えてゆく。街を越え、国を越え、人が行き来する所に配下の者を向かわせて勢力を拡大する。そのためには、この街の人間すべてに炎を宿らせて私の配下にしなくては・・・。」


それまでは中央教会にただ集まろうとしていた者達がトードリリーの指示で動きを変える。

当たるに任せてはいても他人に対しては見向きもしなかった者達が、積極的に泣き叫ぶ人たちを襲い始めた。

手近なところから家の中に押し入り、中で隠れていた人に炎を押し付ける。

来た道を戻り、街の隅々に拡散しては犠牲者を増やして行く。

爆発的な勢いでカウカソスの街は蹂躙されようとしていた。




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