第58話 マリーンの行方 1
屋根の上から見下ろすと、南大通りは大河の様に流れる人で埋め尽くされていた。
軍隊の様に一糸乱れぬ動きではないが、誰もが同じ方を向き、同じ様に歩いている。
余所見をする者も話をしている者もいないし、顔の表情さえ皆同じだった。
時折、何かに躓いたのか沈むように消える影があるが、周りにはそれを気に掛ける様子はなく、何事も無かったかのように歩き続けて行く。
足元には立ち上がる事もできなくなった人間がいる筈なのに、誰も動きを乱す者はいなかった。
「まるで亡者の群れの様だ。」
エイリック・メトカ―はおぞましさに顔を歪めながら粟だった腕をさすった。
エリグマの護衛をしていたエイリックは、ゴーザの後ろに居たお蔭で炎から逃れる事ができた一人だ。
運が良かったのだ。
あの時、異変を感じたエイリックは盾となるべくエリグマの前に出たのだが、そうしていなければ今頃は亡者の一人としてこの中に居た事だろう。
居なくなった仲間の行方は気になるが、今は確認する術はない。
エイリックは嫌な事から逃げる様に足元に目を向けると屋根の縁を掴んでヒョイと虚空に身を投げ出した。
掴んだ手を支点にして振り子の様に
時間が遅くなったのかと錯覚するほどその動作には焦りも
余裕を持って二階の窓枠に収まると片手だけで開錠して中に滑り込んだ。
ちらりと後ろを振り返っても不審な侵入者に目を向ける者は誰もいない。
得体のしれない恐怖を振り払って階下へと下りて行った。
「エイリックさん、マリーンは・・・」
地下道に戻ってきたエイリックにユウキが飛び付く様に駆け寄る。
「中には誰もいなかった。だが扉には坊主の言った通りこの剣が刺さったままだったし荒れた様子はなかったから外の連中が雪崩れ込んだ訳ではないと思う。」
差し出された剣は確かにユウキが閂代わりに刺したものだ。
ユウキは気付かなかったが裏口があったらしい。
恐らくそこから外に出たのだろう。
「マリーン、どうして大人しくしていないんだよ。元々狙われているのはマリーンなのにフラフラしてたら元も子もないじゃないか!」
「そう言ってやるな。」
ゴーザの大きな手が肩に置かれ、ユウキに落ち着く様に促した。
「お前なら自分の為にその身を投げ出した者が居ると言うのに、物陰で大人しくしている事などできるのか?ジョージの娘は賢い子だ。お前が囮になろうとした事ぐらい直ぐに気づくだろう。その上で自分可愛さにじっとしていられる程あの一族は冷めてはおらん。逆に一人になった事でお前を救う為には自分の身を犠牲にしてもいいと考えるだろうよ。」
「僕はマリーンを助けたかったんだ。これじゃあ、意味がなくなっちゃうよ。」
「落ち着け。お前のしたことは間違っておらん。だからこそ、あの子はまだ無事なのだ。『大局は小局を繰り返して終局へと向かう』。事態が新たな局面に進んで、また新たな対応を取らねばならなくなっただけだ。お前のした事に意味がなかったわけでもすべてが振り出しに戻ったわけでもない。」
ゴーザの態度は揺るぎない自信に満ちており、その静かな声はユウキの心に落ち着きを取り戻させた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
いつになく騒がしい気配にユピテル・ジュピトールは執務室の大きな机から顔をあげた。
窓に目をやるといつも通りの美しい庭園が広がっており、仕事で疲れた心が癒される。
だがその耳に届くのは梢を抜ける風の音ではなく荒々しい靴音や鳴き声叫び声唸り声。
「今日はトリキルティスの聖祭だったな。」
カウカソスの市街地では身動きが取れないほどの人で溢れかえっている事だろう。
その様な状況であればちょっとしたことでケンカや事故が起こっても不思議ではない。
偶々この近くで何かが起こっただけかもしれないが、執政官として行政を任されている立場では放置するわけにもいかなかった。
大ごとになった場合、責任を問われるのは自分なのだ。
どんな事態になっても追及をかわす言い訳、責任を押し付ける相手を探しておかなければ安心できるものではなかった。
人をやって状況を確認させようか考えていると屋敷に駆け込んだ者が声を上げた。
「ジュピトール閣下!カウカソス市全域で暴動が発生しました。至急、騎士団の出動をお願いします。」
やってきた者は市内を見回っている
「第三
「執政官のジュピトールだ。早速だが状況はどうなっている。」
「はっ!最初、南街区東地区で大勢の住民が胸に火を着けて走り出す事件が起こりました。対応に出向こうとしていたのですが、今度は市内各所で同様の報告が相次ぎ、今は市内全域から数千人規模の住民が南街区に向かっている状況です。」
「数千人だと!大惨事ではないか。警邏隊は何をやっていたのだ。マニュアルでは通りを封鎖して暴徒の流れをコントロールする事になっているだろう。」
「それが、・・・すでに警邏隊は待機中の者も総動員して対応に当たっておりますが、如何せん規模が大き過ぎる事と、住民を取り押さえる際に火に触れるとその隊員も正気を失くして暴動に加わってしまう為に手出しができない状態なのです。」
「何を
「お言葉ですが、我ら警邏隊員に怪我を恐れる者など一人も居りません。しかし、炎が燃え移った途端に暴徒の一人となってしまうのでは手の出しようがありません。」
「よくもそれだけ言い訳を考えたものだな!・・・いや、ちょっと待て。炎が燃え移っただと。警邏隊の装備は防燃仕様だぞ。どこが燃えると言うのだ。」
「燃えているのは服ではありません。人間の身体そのものに火が着くのであります。事実、暴動に加わっている住民は全員の胸に大きな炎が着いておりますが、服が焼け落ちる事も火傷に苦しむ様子もありません。そしてこちらの身体が相手の火に触れるとその者の胸にも火が着いてしまいます。」
「では直接取り押さえる事はできないのか?」
「その事に気づかなかった為に最初の接触で隊員の1/3が暴徒へと変わりました。あれは我々では対処のしようがありません。騎士団、それも特殊部隊の出動が必要だとゴードン大隊長が申しておりました。」
この隊員の話が本当だとすれば確かに人智を超えた節理が働いていると思われた。
そうであれば、もはや自分の権限では判断できない事態だ。
逆に、上の―――この場合はジェダーン伯直属の管理官に―――報告すれば自分の責任問題は回避される事になる。
騎士団は伯爵の直属の組織なのでユピテルには要請することしかできないのだ。
「分かった。直ぐに騎士団の出動要請をしよう。」
「ありがとうございます。今回は普通の暴動と異なり商店や建物などへの被害はありませんし近づかなければ巻き込まれることはないのですが、その分気味悪くて・・・。正直なところ直前まで隣りに居た仲間が『ふぇんねるノコドモヲサガセ・・・』と言いながら走り出すのを見てしまっては、皆おぞましく思っていたものですから。」
了承されてほっとしたのだろう。
モートンは本来であれば言わなくても良い本音を漏らした。
もちろんそれを聞いてユピテルがどの様に考えるかなど知る由もない。
「フェンネルだと。」
「はい、口々に『フェンネルの子供』とつぶやいています。見張りをしていた者が暴徒の向こうを走る子供の姿を見ていますので、暴徒はその子供を追いかけているのではないかと思われます。」
顔を
「子供が追われているのか・・・では騎士団の出動は保留だ。」
「な、何故でありますか!」
「その子供は今、どうしている?」
「それは・・・最初に見かけた後は近づくこともできないので確認できていません。」
「ではその子供は暴徒の中心付近に居るのではないか?もし騎士団が鎮圧を始めたとしても中心部に流れ込む暴徒で大混乱になる。大きな被害が出ていないならば今は子供の安全を優先すべきだろう。」
「しかし・・・それではどちらにしても子供を助ける事ができません。」
「それについてはこちらで手配しよう。とにかく
「・・・わかりました。」
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