第45話 ヘレンの居場所

ユウキが目の前の男を叩くと右手の棒が軋みを上げて砕け散った。

殴られた男は白目を剥いて崩れ落ちる。

空いた隙間に割り込んできた男に向き直ると、その足を左手の板で叩いて膝をつかせ、低くなった男の頭を再度叩いて意識を奪う。

その間に右手を後に回してダナエが差し出している板を掴むと一歩踏み込んで次の男を殴り倒す。

そのまま身を屈めて別の足を叩いていると、今までユウキが立っていたところを赤ん坊の頭ほどの球体が通り過ぎて奥から向かって来る人の頭に当たる。

うしろで顔を歪めたパルスが気まずそうにしているが大したことではない。

左に半歩移動して戻る球体を避け、身体を起こしながら目の前の顔を左の板で逆袈裟に撥ね上げる。


「左、あと1回!」


右、左と叩きつけると宣言通り左手の板が半ばから折れた。

振り返りもせずに左手を後に差し出して再び板を受け取るとリズミカルな乾いた音が続いてゆく。



テトテトと板を抱えたヘレンが奥から走ってきた。


「ダナエ、これ持って来たよ。」

「ありがとう。またお願いね。」


いつもは直ぐに戻るヘレンが何か言いたそうにダナエを見上げていた。


「あのね・・・」

「どうしたの?ここは危ないからラトゥーナの所に戻っていてね。」

小さく首を振ったヘレンが奥を指さした。


「ラットがね、お部屋を壊せないから次は少し待って欲しいって言ってたの。」

奥に目をやると真っ赤になって木箱を壊しているラットとその横には手ぶらで待つクリュテが見える。


「ラトゥーナ、急いで!板が折れたら待っていられないわよ。」

「ダ・ナ・エー!僕の事はラ・ッ・ト!」

ダナエが無意識に本名で呼ぶと木箱と格闘していたラットが訂正した。

「ご、ごめん。でも急いで。」


最初にユウキが拾った板はしばらく殴り続けているとあっけなく折れてしまった。

何か代わりになる物を頼むとパルスが木箱を壊してその板や角材をユウキに渡した。

その後、ユウキは速度を上げる為に両手を使い始め、少しづつ前に進むことが出来るようになったのだが、木箱に使われる木材の強度など多寡が知れているのでしばらくするとまた折れてしまう。

パルスは球付棍棒で攻撃する為に前に出てしまったので代わりにラットが木箱を解体し始めた。

だが、女の子の体力では少し厳しかったらしく、しばらくすると疲れて供給が追い付かなくなってきていた。

渾身の力で板を剥がそうとしているラットを見て、ダナエは渡された板をヘレンに返した。


「いい、ヘレン。私はラトゥーナを手伝って来るからあのお兄さんの板が折れたらそれを渡してあげて。」

最初は驚いていたが、今までにない大役を任されてヘレンは力強く頷いた。


「お兄さん、向こうを手伝ってきます。板は一枚だけしかないけど、この子が持っているので少しお願いします。」

「了解。でもしばらくは何とかするからその子も後ろに下がっていていいよ。」

「お兄ちゃん、私ちゃんとできるよ!大丈夫だよ。」

ヘレンの返事に少しだけ迷ったがユウキだけを狙って来る人々がユウキより後ろに行くことはない。

何しろ目の前で殴り掛かってもパルスには見向きもしないぐらいなのだ。

ユウキが支えきれなくなった場合でもすぐに下がれば問題はないと思われた。

「それじゃあ、お願いするね。でも、少し離れている事と危なくなったらすぐに下がる様にしてね。」

「はい!」

力強く肯くとヘレンはドラゴンに挑む英雄でもあるかのように気を張り詰めて身構えた。


「ヘレンちゃん?」

「はい!」

まばたきはしても良いと思うよ。」

「はい!」

意気込む小さな女の子に苦笑いせずにはいられなかった。


こんなのどかな会話ができるのも最初の頃に比べれば随分と余裕が出来ていたからだ。

当初は押し寄せる人、全ての動きを把握しようとして対応しきれなかったが、狭い道幅が幸いして一度に相手にするのが一人か二人だけだと判ると直近の二人にだけに意識を絞れる様になった。

今は前方に2系統のロジックサーキットを割り当て、身体と両手の制御に3系統、ドールガーデンには2系統を重ね掛けして治癒の魔導具の力を嵩上げし、1系統を使って全体の様子を観ている。

残った1系統で後ろの様子を窺っているのでこうして会話をしていても十分に余裕が持てていた。

もっとも、身体は限界以上に酷使し続けており、お世辞にも手を抜ける状況ではない。

絶え間なく腕を振り、殴り倒し、躱す事を繰り返し、治癒の魔導具がなければとっくに力尽きていただろう。



しばらくすると、また右手の板が軋み始めた。

「ヘレンちゃん。」

「はい!」

「もう直ぐ片方の板が折れる。僕が『投げて』と言ったら頭の辺りにそれを投げてくれるかい。」

「うん、わかった!」

「投げ終わったらダナエちゃんの所に戻っていいよ。」

「はい。」

気持ちを引き締めてヘレンが凝視していると、間もなくユウキの板が半ばから折れた。

ヘレンは気がいていたので『ユウキが声をかけたら』と言っていた事を忘れて直ぐに板を投げてしまった。

そして言いつけを守る事だけを考えていた為か、結果を観る間もなく走って行った。

意図せずに投げられた板は壁に当たるとクルクルと回りながら飛んで行く。

だがユウキは慌てることなく板を掴むと何事もなかったように振り回し始めた。




ヘレンが奥に行くとダナエとラットが木箱と悪戦苦闘しる所だった。

それでも短時間で解体は進んだらしくクリュテの手には3枚の板が抱えられ、更にダナエに足元にも何枚かの板が置かれていた。

大役を終えて意気揚々と帰ってきたヘレンだったが、この光景を見るとゆっくりと動きを止めて立ち尽くした。


「私たちのお部屋、なくなっちゃったね。」


家を持たないヘレンたちにとってこの木箱は数少ない自分たちの居場所だった。


「私たちこれからどうすればいいんだろう。雨が降ったらどこにいるの?寒いときはどうするの?犬が来たらどこに隠れるの?私たちには何もなくなっちゃうの。」

ヘレンの頬を涙が伝うとクリュテが板を放して抱き着いてきた。

「ヘレン・・・」

「クリュテ・・・」

言い知れぬ喪失感に包まれて幼い二人は泣き続けた。


「大丈夫だよ。これが終わったらもっといい箱を探して来ようね。それを綺麗に飾って、中に布を張って寒くないようにして、二つ繋げて足を伸ばして寝られるようにして、それから・・・それから・・・とにかく色々とステキにしましょうね。」

いつの間にか傍らに来ていたダナエが二人を抱きしめていた。


「大丈夫だから・・・きっと大丈夫だから・・・」

小さな呟きは自分に言い聞かせようとするかのようだった。


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