第25話 アグリオス

ダンダールの指示を受けて最後尾のエフィオテスが走り出す。

剣と盾をそなえ、攻守ともにそつなくこなす彼はキャラバンの殿しんがりを任されることが多いのだが、今の様に最前列に出たり時にはリーダーに替わって指揮を執ることもあった。

だからいつ状況が変わっても対応できるように常に全体を見ており、今もドールガーデンを展開して周囲の警戒をしつつ戦闘の状況を見守っていた。


そのエフィオテスから見て状況は良くなかった。

悪いとまで言えないのは技量面で上まわっているからなのだが、徐々に押され始めており遠からず支えきれなくなる可能性が高い。


理由は判っている。

珍しい事だが相手の気迫に飲まれているのだ。

だがエフィオテスが加われば戦力的な意味ではともかく気持ちの上で持ち直すはずだ。

反対に相手の増援などがあれば一気に瓦解する可能性もある。

エフィオテスは走りながらアスミに周囲の警戒を頼むと答えを確認する間も惜しんで前に出た。


そして2シュード程進んだ時だった。

突然右の家の扉が勢いよく開くと剣を構えた3人の男が飛び出し、一人はアスミに斬り掛かり、もう一人はユウキの前に立ち、最後の一人がエフィオテスとアスミの間を塞いだ。


『どこから現れた・・・』


何人もの人間が何重いくえにもドールガーデンを展開していたのだ。

こんな物騒な奴らがいれば見落とすはずはない。

だが男たちが出てきた家を見て直ぐに答えは判った。

開かれた扉の奥は炭の様に黒々として何も見通せなかった。


『ちっ!遮蔽のカーテンか』


もちろん布が貼ってあるわけではない。

闇の腕輪と同じく隠蔽系いんぺいけい魔導具の一つを使ってドールガーデンから隠れていたのだ。


ちらりと後ろを見ると仲間が浮足立って更に状況が悪くなっているが今は助けに行くことができない。


『頼むからもう少し踏ん張ってくれよ』

エフィオテスはうしろの事を意識から締め出して目の前の男に斬り掛かった。



ユウキの前には一人の男が立ち塞がった。

荒縄を巻き重ねた様な太い手足と筋肉で膨れ上がった胴体を持ち、その胸板は肩幅に劣らぬ程の厚みがあるので一見する大きな丸太の様に見える。

手にした剣は切っ先のない分厚い片刃。

斬る為の機能美を捨てた代わりに対象をただ壊す事に特化しており、なたやむしろ棍棒と言った方が近いかもしれない。


男はユウキに向き合いながらも剣をマリーンに突き付ける。


「おい」

視線だけマリーンに向けて干からびた声を出す。

「妙な事をすればお前を殺す。逃げれば殺す。動けば殺す。声を出せば殺す。」

その声は茨の様に絡みついて恐怖でマリーンを縛り上げた。

マリーンの顔から見る間に血の気が引いてゆく。

このまま気絶してしまいたかったが、倒れた瞬間にあの剣が自分に振り降ろされる気がしてそれすらも恐ろしくてできなかった。



アスミはカマキリの様に痩せこけた男と斬り結んでいたがユウキの相手を見て思わず声を上げた。


「狂犬アグリオス!」


噂は聞いたことがある。

エリグマ・ファミリアの特攻隊長、エリグマに心酔し愚直なまでに敵を倒すことに固執する残忍な男。

このカウカソスで近づいてはいけない人物№3。

(ちなみに№1は領主で№2は街の執政官となっている。)

アグリオスは人を壊す事に何のためらいもない。

もちろん殺す事は言うに及ばないが人が悲鳴を上げ、泣き叫び、人でなくなっていく様子を、耐えるでも快楽に酔うでもなく淡々と行う姿は感情のない魔物ではないかと思われていた。


「ユウキくん、逃げなさい!そいつはあなたがかなう相手ではありません。」

咄嗟に声を上げると鎌の様な曲刀が襲い掛かってきた。

「余所見なんかしてんじゃねぇよ。お前の相手は俺だぜ。」

ダンダール達が相手にしている有象無象と異なり、この3人は強かった。

アスミとエフィオテスは目の前の男に翻弄されてユウキを助けに行く事ができない。




「お前はエリグマの親父に手を出した。だから殺す。もしお前が逃げだしたらその時はこの娘を殺す。」

そう言い放つと剣を頭上に振りかぶった。


ユウキはドールガーデンとロジックサーキットを駆使して相手を観察していた。

剣を持った腕が弓の様に引き絞られ、その腕が止まった瞬間に動いたのはゴーザとの訓練で身に着けた反射のようなものだ。

普通はそこから読み合い騙し合いがあり、お互いに相手の動きに合わせて微妙な駆け引きをしてゆく。

だがアグリオスの剣の技量は稚拙と言っても良いレベルで駆け引きどころか単純に振りかぶって振り降ろすだけのものだ。

引いた剣がそのまま出てくるので予測は簡単だった。

だが・・・。


ドガン


途中を省いたかの様にいつの間にか石畳に突き刺さった剣が盛大に石つぶてをばら撒いた。

アグリオスの動き自体は単純だったが、その威力と速さが桁違いだ。

こんな『来る』と思った瞬間に地面に刺さっている剣速には見切りも読みも意味を為さない。

実際ユウキが避けられたのは偶然に過ぎず、通り過ぎた剣を見ても自分が避けたのかそれとも斬られたのかすぐには分からなかった。


アグリオスはゆっくりと剣を引き上げ、ギリギリと音が聞こえる程腕をたわめると今度は水平に薙ぎ払った。

ユウキがさがりながら上体を反らせると吹き抜けた太刀風に服が引かれて行く。

予想したより剣筋の伸びが大きく間合いが取りにくい。

今もあと半歩踏み込まれていたらユウキは死んでいるところだ。

そしてまた剣が引かれ、振り降ろされ、石畳が砕け散る。


ユウキは延々と繰り返される斬撃をほとんどカンだけを頼りに躱し続ける。

普通の精神の持ち主なら命を対価に賭けを続けていくような状況は耐え難い苦痛だろうがタルタロス・サーキットを開いているので焦りや恐怖は感じない。

ただ、そうでもなければ悲鳴を上げていてもおかしくはなかった。


だがこんな状況でもユウキはロジックサーキットを駆使してアグリオスの動きを冷静に観察している。

『二つわかった。こいつ、足は速くない。僕が走って逃げれば追いつけない。』

実際アグリオスの下半身は強力な上半身を支える土台として筋肉で固められており、機敏な動きは苦手だった。

だがマリーンに手を出すと言われては逃げる事は出来ない。


『もう一つ、打ち込みに比べて引き戻す速さは遅い。』

見る事も出来ない打ち込みと違い、引き戻す速さは人並みだった。

しかも振り切る力が強すぎて逆向きに転じるまでにわずかに時間がかかっている。

武器の無いユウキが活路を見出すとすればそこを突くしかない。


『横薙ぎの後だ』

普通であれば斬りおろしを避けた後の方が都合がいい。

避ける動作を攻撃のための踏み込みに繋げられるからだ。

だが、アグリオス相手にそんなことをすれば蹴り足を斬り飛ばされてしまう。

逆に横薙ぎであればさっきの様に狙われる上半身を反らせて躱せば下半身を間合いに残す事が出来る。

その上、地面で止まる斬りおろしよりも得られる時間は長かった。

問題はアグリオスの間合いをどこまで見切れるか。

近すぎれば斬られ、遠すぎれば攻撃が届かない。

ユウキは自分の感覚にすべてを賭けてドールガーデンに2系統、アグリオスの動作を観る事に3系統のロジックサーキットを割り振り、その時を待って必死に避け続ける。


ようやくアグリオスが横薙ぎの構えを見せた時、半歩だけ足を引いて身体の力を抜いた。


『チャンスは一度!』

高ぶる闘志を氷の様に沈めて行く。


アグリオスが水平に腕を引き絞り一瞬の溜めを作るといつになく体を傾けながら腕に力を込めた。


ユウキの感覚に膨れ上がる上腕と僅かに口角を上げた顔が映る。


咄嗟とっさに決めていた動きを捨て、地面を蹴ると両足を垂直近くまで跳ね上げた。

横薙ぎが来れば体のどこかを両断されてしまう。

だがアグリオスの剣は飛び上がった体の下を斜に動き、足があった所を通り過ぎて地面に突き刺さった。


ほんのわずかの差でユウキは石畳に食い込んだ剣の峰に落ちた。

片刃だったお蔭で背中を打付けた以外に怪我はないが喜んでいる暇はない。

急いで起き上がろうとしたがアグリオスが強引に引き上げた剣に突き上げられて再び転がされる。

しかし今度はそのまま2~3回転がってから起き上がると上段に振りかぶるアグリオスと目が合った。

大きく横に飛んで再び転がって行くと後でドガンと石畳が砕かれた音がした。


何とかしのぐ事が出来たが状況は更に悪くなっている。

隠していたのかこの場で思いついたのかわからないがアグリオスは回転軸となる上半身を傾ける事で水平の剣筋を斜めの斬りおろしに変えた。

これで相手は僅かな動作で頭から足元まで自在に狙いを変えることが出来てしまう。

最早、先程の方法では近づくことが出来なくなっていた。


『どうする・・・間合いに入らなければ攻撃できない。でも近づこうとしても相手の2度目の斬撃でやられてしまう。せめて僕にも剣があれば間合いを伸ばせるのだけど・・・』

しかし周りをまわしても剣どころか棒切れさえ転がってはいない。

アスミもエフィオテスも自分で使っている他に剣は持っていないしダンダールの所まではそもそも行く事が出来ない。

あとはアグリオスが持つ物だけだがあれは重すぎてユウキには扱えない。

それにあの斬撃を支える手であり腕なのだ。

ユウキが殴った位で剣を奪えるとは考えられなかった。


時間を無駄にしている訳ではないが、ユウキの困惑にアグリオスが付き合う筈はなく、再び振りかぶられた剣が上段から振り降ろされようとしていた。


『もうやるしかない!』


一歩下がって躱したが、かすめた剣で頬が浅く裂けていた。

だがそんなことは構わずユウキは前に飛び出した。


しかし石畳みを砕いた剣は早くも動き出そうとしていた。



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