第9話 トリキルティスの日

ゴーザはエリスとの”お茶会戦”に勝利し、部屋を強襲する切っ掛けを手に入れた。

話の流れで多少複雑な気持ちが残ってしまったが、だからと言ってチャンスを逃すつもりはない。

意気揚々と階段を登り、目的の部屋に向かうと、ちょうどアラドーネがリューイを連れて出てくるところだった。


「あら、お父さん。おはようございます。大変ですね、またユウキがお稽古をサボったんですか?」

相変らずユウキの事に関しては他人事のような話しぶりで、とても母親の言葉とは思えない。

リューイが「おじいちゃん、またね・・・」と笑顔で手を振るのに顔をほころばせるが、何か嫌な予感がする。

急いで部屋に入ると、部屋ではサリエがお茶を片付けているだけで他には誰もいなかった。

「すまんが、ここにユウキはいなかったか?」

「大奥様に後片付けをするように言われたのですが、来た時にはリューイお嬢様が居ただけでした。」


『やられたか!』


夫の事を熟知しているエリスは、あらかじめこうなる事を予想していた。

ゴーザが玄関で声を上げ、エリスが部屋から降りてくる前の事

「お爺ちゃんがここにも来ると思うから、そろそろお終いにしましょう。」

「いや!もっとお兄ちゃんとお話しするの。」

リューイにしてみれば、久しぶりの兄との楽しい時間が終わってしまうのは、まだ食べかけのおやつを取り上げられる様なものだった。

「また、機会を作ってあげるから・・・お母さんを放って置くと後が大変でしょう。」

この言葉は効いた。

母親を無視したり、隠れて姿を見せなかったりすると当分の間、それこそトイレ以外ずっと張り付かれる事になる。

リューイとしてもそれだけは避けたかった。

「リューイ、ごめんよ。僕が失敗しなければもう少し時間が造れたはずだったけど・・・今度は上手くやるから。」

「う~・・・わかった。でもお兄ちゃん、なるべく早くね。」

次の約束をする事と引き換えに、何とか納得してもらう。


「ユウキはこの後、外に出るつもりなんでしょう?お爺ちゃんは客間に引き留めておくから、その間に行きなさい。」

エリスはイタズラを仕掛ける子供の様に喜々としており、今にも舌を出しそうだ。


そして、ユウキを部屋から出し、ゴーザの所に向かう途中でサリエを捕まえ、『少ししたらアラドーネに言ってリューイを迎えに来るようにする事』と『お茶などが出したままになっているので片付ける事』を頼んでいたのだ。



『ふッ・・・ここまで読まれてはユウキはもう屋敷の外に出ているだろうな。』

エリスのしたり顔を見るのも癪なので、探索者協会にでも顔を出して来ようと外に歩いて行った。




カウカソスの街は直径5マールの円形をした城壁に囲まれ、4つの大門と大通りで区切られた4つの区画を備えている。

ジェダーン伯爵領の中心地として栄え、石とレンガと、フローパーと呼ばれるエリアルを混ぜて固めた砂で作られており、美しい街並みに思わず立ち止まる旅人は多い。

この国最大のコルドランに最も近い事から、多くの探索者やキャラバンが拠点を置き、コルドランから持ち込まれる物資で流通や商業が盛んに行われ、豊富なエリアルを求めて様々な職人が集まっていた。

街は活気にあふれており、通りには荷や人を乗せた馬車が行き交い、走っている使い走りの子どもやコルドランに向かう探索者など様々な人が居て一瞬たりとも人影が絶える事はない。

もっとも、それは大通りや主要な施設に通じる所の話で、一つ通りを外れれば子どもの騒ぐ声や、ずぼらにも窓越しに大声で話しかける主婦などの庶民的でどこかホッとさせる雰囲気を持っている。

所詮多くの人が住んでいればそういう庶民の暮らしと切り離せるはずもなく逞しい人たちの様子は何処であっても似た雰囲気を持ってくるのも仕方のない事なのだろう。

しかし、この日はそんな通りでも食べ物や飲み物を売る屋台が並び、いつもより少しだけ上等な服を着た人達が列を作る様に同じ方向へ歩いている。

今日は”聖トルキルティスの日”と呼ばれる祭日で、皆近くの教会や広場で行われる祭典に参加しようと多くの人が出かけて来ていたのだ。


人波を縫う様に歩きながらユウキは何か面白い物はないかと店をひやかしていた。

名の知れた高級店は街のもっと中央部に近い辺りにあり、『祭日だからと言って普段と違う事をするなど沽券に係わる』とでも言う様に頑なにいつも通りの営業をしているのだが、外壁に近いこの辺りにはほんとに小さな、これからのし上がってやろうとする者ばかりなので、『この賑わいの内に少しでも売り上げを上げよう』として、わざわざ店舗の前に露店を開いている者も多かった。

当然の事だがそんな店で売っている物に贅を尽くした高級品がある訳もなく、庶民が手を出せる程度の物なのだが、他と違うもので特色を出そうとする商人や独創的な製品を創り出す職人もいるのでこちらの方が確実に面白い物がある。

もっとも、中には『何を考えて作ったのか』と製作者の正気を疑う物もあるのがこの辺りだ。

ユウキが足を止めたのはそんなキワ物を置いている店だった。


「おっと、坊ちゃん何か買って行ってくれよ。」

やけに調子のいい店主がすかさず声を掛けてきた。

よれよれのシャツを薄汚れたズボンに押し込み、太い関節が目立つ指で頭をボリボリと掻いている。

その様子が妙に不潔そうに見えるので、食べ物を置いたら誰も買わないだろうと思われた。

しかし、喋り方は軽そうだが、何か憎めない気にさせるので見るだけはすることにした。

「何かお勧めはあるの?」

見慣れない物が並んでいるので一々吟味するのが面倒で聞いてしまう事にする。

「これなんかどうだい。」

見せて来たのは大人の指程の太さがあるストローだった。

「こいつな、ストローの真ん中にエリアルが仕込んであってな、水に触れると反対側から同じ量の水を出すんだぞ。」

ほらほらと押し付けてくるが、手に取ったが最後、買わされてしまいそうな勢いなので触るのも控えたい。

「それ、水に入れて吸うと水が飲めるだけ?それならコップで飲んだ方が早いよね。」

「チッ・チッ・チッ。これだから素人は困るんだよなぁ。いいか、坊ちゃんがそこの川の水を飲もうとした時によぉ、ばい菌とか泥とか混じっているのは困るだろう?川上で誰かがションベンをしたかもしれないぜ。そんな水は飲みたくないよなぁ。そこでこいつの出番だ。こいつの上と下は繋がっていないから、水だろうが空気だろうが絶対に通らない様になっている。真ん中のエリアルが下から来た水を分解・吸収して、上には新しく創った新鮮な水だけが出てくるから、使うのがションベンだろうが泥水だろうが、一滴たりとも元の水は入らないきれいな水だけが飲めるって寸法だ!どうだ、一個は欲しくなるだろう。」


どうよ、と言ってグイグイ顔に押し付けるのはやめてほしかった。

しかもユウキに咥えさせて”使用済み”にしようとしているとしか思えない。

「おじさん・・・井戸だってそこら中にあるんだし、ボクは川の水なんか飲まないよ。」

「だったら、お父さんが遠くに出かけた時の為にプレゼントするとかどうだ。」

自信満々で自慢をしていたのに、買わないと言ったら急にワタワタし始めた。

「それは汚くても何でも、元になる水がないとダメなんでしょう?でもおじいちゃんは何もない所から”水が出る魔導具”を持っているから、多分いらないと思うよ。というか・・・それ、上と下がつながっていなのなら、どんなに吸っても水は上がってこないと思うけどストローとして使えないよね・・・」

思いつきを指摘すると店主は「あっ!」と言ってがっくりと肩を落とした。

「そうか。そうなのか。そうだよな・・・。この間、やっと買ってくれた人居たんだが、少しした頃に怒って返しに来たのはそういう事か・・・てっきり言い掛かりだとばっかり思ってたから、怒鳴って追い返しちまったよ。」

急にうな垂れて頭を抱える所を見ると悪い人ではないのだろう。

その変わり様が可笑しかったので、つい余計な事を言ってしまった。

「そのストローって、本当に切羽詰った時にしか使わないと思うんだけど、その時に『実は使えませんでした』とかだったら大変だったろうね。」

店主が怖いくらいの速さで顔を上げ、ガバッと肩を掴んできた。

ゴーザに鍛えられているユウキでも反応できず、斬り合いだったら殺されていただろう。

「そ・・・そうだよ。オレはなんてことをしちまったんだ!今から謝ってくるから坊主は店番しててくれ。客はほとんど来ねえし、来ても適当でいいからよ。じゃあ、頼んだぜ。」

呆気にとられている内に”坊ちゃん”から”坊主”に格下げされた上、一方的に店番を押し付けられてしまった。

店主の方は『うぉー』と叫びながら、既に人ごみの中に見えなくなっている。

ユウキが事態に気づいたのはそれからしばらく経ってのことだった。


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