回顧01-02 石灯籠が照らす道(下)




 そんなこんなで私は、必然的に積み重ねられた伝統と、偶発的に重なった爺じの体調不良のせいで、この山道を歩いているわけだ。居間にある刀の掛け台から拝借した四本の刀を、適当な大きさの適当な風呂敷で適当に包み、この参道を歩いているわけだ。

 おそらく無意味な伝統と、おそらくちっぽけな爺じのプライドを守るために。


 緩衝材として挟み込んだバスタオルが足りなかったせいで、いつだったか商店街で見かけたちんどん屋さんのように人目を引きすぎていた私は、まるで行脚あんぎゃ中の身であるかのような気恥ずかしさに襲われながらも、ほぼ目的地の手前まで辿り着いていた。

 その頃になると、道の先から神楽囃子かぐらばやしが聞こえてきて、私の背中から響く金属音も、笛の音やら太鼓の音やらに紛れて随分と目立たなくなる。


 更に数十メートルも進むと、広場のような場所に出て急速に視界が広がった。

 やっと開けた視界には、ぱちぱちと破裂音を混じえながら燃え盛る炎が、まるで自己主張をするように待ち構えていた。

 決して広くはない広場の中央に組まれた立派な焚き木。そこに焚べられた火が煌々と揺らめいている。不規則的に舞い踊る無数の火の粉が、薄闇の中で無邪気に踊っている妖精のようにも見えた。


 焚き木を囲むように出店でみせが位置していたけれど、そこに人はまばらで、やはり寂れた雰囲気を隠す事は出来そうもない。そもそも焚き木を囲むには出店の数自体が足りないように思えた。この山の麓に住む私でさえも、年に何度も訪れるような場所ではないのだ。この寂れようも当然と言えるのかもしれない。

 集まった人の大半は、焚き木で暖を取っている。荷物を担いで来たわけでもない人らにとっては、確かにこの気温は肌寒いだろう。私だって今でこそ汗ばんで上気しているけれど、すぐに冷えてしまってあの輪の中に加わる事になるかもしれない。


「おう、梨沙ちゃん。新太あらたくんから話は聞いてるよ。ほら、ついてきて」


 広場の光景を眺めて足を止めていた私に、一人のおじさんが声を掛けてくる。名前は知らないけれど、何度か見かけた覚えのある顔だった。例年の水主祀りで顔を合わせているのかもしれない。

 ちなみに『新太』というのは私の彼氏の名前だ。フルネームで『古知新太こちあらた』という。彼氏というと照れくさいけれど、恋人というよりは抵抗が少ない。ただ決して照れ隠しというわけではなく、「彼氏」と言うよりも「悪友」という表現を使ったほうが、若干しっくり来る気がする。

 まぁともかく、いつ聞いても古いのか新しいのか分からない名前のその彼氏に、私は出発前にメールしておいたのだ。


『爺じが倒れちゃった。たぶん疲労。刀は私が運ぶから、だいじょうぶ。アラタは心配せずに、剣舞の練習をしてなよ。あと、爺じが倒れたのは皆にはナイショにしといてね。私、面倒事は嫌いだから』、と。


 アラタは根っからの機械音痴だ。私と付き合い出すまでは「携帯なんて」と毛嫌いして持っていなかったけれど、私の強い要望に根負けして、今では渋々ながらも携帯を持ち歩くようになった。ささやかな乙女心から無理矢理に持たせた携帯だったけれど、まさかこんな場面で本当の意味で役に立つなんて。


 なにしろ、刀の到着が遅れそう、なんて騒ぎになってもらっては困るのだ。そうとなれば、すぐに誰かが麓まで下りて私の家を訪ねるだろうし、そうなってしまえば爺じが倒れた事実がバレるのは必死である。

 もしもバレようものならば、こんな閉塞的な町では途端に大騒ぎになるのが目に見えているし、水主祀りの開催自体が危ぶまれる事だって、場合によっては考えられるだろう。


 そうなってしまっては、結果として守れない。爺じのちっぽけなプライドを、結果として守れない。


 私にとっては、無意味な伝統を守る事よりも、頑固爺じのちっぽけなプライドを守る事の方が優先順位が高い。だからこそこうしてカチカチ山の狸のように、騒がしくも山道を歩いてきたのだ。


 我ながら良く出来た孫娘だな──と恥ずかしげもなく自賛しながら、おじさんに導かれるままに広場の脇を進んだ。

 甘酒を振る舞う巫女さんや、神楽囃子を奏でる袢纏はんてん姿のお爺さんたちに目をやりながら、古ぼけた朱色の鳥居を潜った私の目に、水主神社の社殿が見えてくる。

 ちなみにお正月でもないのに甘酒を振る舞う理由は、この水主祀りの本質が収穫祭であるかららしい。今年も農作物が無事に実った事を神様に報告し、奉納し、そして感謝する。そんな意味合いの含まれたお祀りなのだと、いつだったか上機嫌な爺じから聞いた事がある。


 わずか数段の石段の先に賽銭箱があり、その奥に拝殿が構えていた。拝殿と呼ぶのが憚られるほどに質素で簡素な佇まいだったけれど、永い年月を思わせる亀裂がいくつも刻まれ、何とも言い難い感慨深さが醸し出されていた。まるで、爺じの額に刻まれた深い皺のように。

 そんな拝殿の脇を見やると、数人の男たちの姿が見えた。白い袴に草鞋という出で立ちで、各々に体を動かしている。

 その中の一人の動き──居合術の構えからの流れるような足運びに、私はこの人たちがアラタと共に剣舞を舞うのだと直感で理解する。

 そう言えばアラタも、稽古の際に同じような動きを見せていたっけ。


 彼らは、軽い跳躍や伸びを繰り返しながら、いくつもの型の体捌きを披露してくれた。もちろん私に見せるためにではなく、ただの準備運動としてなのだろうけれど。


「ほら、梨沙ちゃん。あちらの方々に刀を。しかし新太くんの姿がないな」


 おじさんがそう促すよりも早く、私はアラタの姿を探していたけれど、確かにどこにも見当たらない。無鉄砲で無計画な私の彼氏は、常に場の空気を乱す事を得意としている。幼い頃から彼を知っているけれど、こんな事は日常茶飯事だ。

 私は背中に背負った風呂敷を、一番若く見える舞い手のお兄さん(それでもアラタの方がずっと若いけれど)へと両手で手渡し、


「遅くなってすみませんでした。祖父の自信作です。皆さんの舞いを楽しみにしています」


 と、礼儀正しくも社交辞令じみた挨拶をした。お兄さんは年下である私に対して、惜しげもなく深々と頭を下げながら、


「恐縮です。宗一郎さんの名に恥じぬ舞を約束します」


 と、礼儀正しくも社交辞令じみた挨拶を返した。

 私は何とも言えないやりにくさを感じて視線を逸らす。社殿を囲むように生い茂る鬱蒼とした木々に焦点を合わせながら、爺じが体調不良を隠さざるを得ないその心理を、少しだけ理解したような気持ちになった。


 もしかしたら、プライドなどではないのかもしれない。

 誇りでもなく、驕りでもなく、ましてやこだわりでもなく──強迫観念にも似た、皆の期待。爺じへと向けて人々が送る、崇高で率直な信仰。

 そんなものたちが、何かの呪いのように爺じの逃げ道を塞いでいるのかもしれない。

 そう考えると無意識のうちに溜め息が漏れてしまい、目の前のお兄さんに気付かれたのではと不安になる。


 そそくさと逃げるようにその場を去った私の後ろ姿に、聞き慣れた声が届く。アラタだ。


「おーい、リサ! ご苦労ご苦労。本当にご苦労だった」


 後ろを見やると、揚々と片手を挙げるアラタの姿があった。彼も他の舞い手さんと同じように、白い袴に草鞋を身に着けている。いかにも準備万端といったふうだ。


「何よその上から目線は。敬いが足りないわ」

「俺が敬うのはお師匠さんだけだよ。具合はどうだ?」


 アラタの言う「お師匠さん」というのは、他ならぬ爺じの事である。誤解のないように言っておくと、刀鍛冶職人としての師匠ではなく、剣道──というよりも剣術を指南する方の師匠だ。


 爺じは、鍛冶場の傍らに小さな道場を開いている。刀鍛冶の技術は誰にも継ぐ気は無さそうだけれど、剣術の稽古に関しては、来るもの拒まず柔軟に受け付けていた。

 アラタはこの剣術道場に幼少期から熱心に通い詰め、紛れもない才能と類稀たぐいまれなる身体能力を発揮していた。アラタが十七歳という異例の若さで舞い手に選ばれた背景には、爺じの道場で積み上げた評判と実力が大きく作用しているだろう。


「具合も何も、ただひたすらに寝てるわよ。イビキが煩いから顔に布巾を被せてきた」

「なんかそれ不吉だな。まぁお師匠さんは不死身だから心配はしてない」


 私の悪ぶった冗談を全力で受け流して、さも当然のように「お師匠さんは不死身」と言い放つアラタ。「お師匠さんは不死身」だなんて、いかにも少年漫画の主人公が言いそうな台詞だと思った。


「不死身じゃないわ。ただのお爺ちゃんよ。まったく……あんたもか」

「あん?」

「あんたみたいなのが爺じを敬仰けいぎょうするから、爺じは医者の一人も呼べないんじゃないの」

「リサ、悪いけれど意味不明だ。それってただ単に医者嫌いなんじゃないのか?」


 アラタは腕組みをしながら首を傾げてしまった。そうか、アラタみたいな率直さを持って捉えると、爺じはただ単に医者が嫌いという結論になるのか。


「詳細は分からんけどな、俺なら呼ぶぞ? 誰に止められようとも医者を呼ぶ」

「ふーん。私が間違っていると言いたいわけね」


 にかっと白い歯を見せて笑うアラタから、嫌味や蔑みのたぐいは感じられなかった。少なくとも彼には、私を咎める気持ちなど微塵もなく、極めてナチュラルにそう告げているのだと思う。それが分かっていながらも、自制する事なく悪態をついてしまうのがこの私、屶鋼梨沙という人間だ。


「あのな、リサ。俺が敬っているのは、刀匠としてのお師匠さんじゃなくて、剣術の稽古を付けてくれるお師匠さんだ。そこら辺が俺は違う。抜きん出ている」

「は? それこそ意味不明」

「本当の価値を見抜いているって事さ。皆と違ってな」


 ふはははは、と笑いながら私との距離を詰めるアラタと、その態度に苛立ちを覚える私。私とアラタのやり取りは大昔からこんな感じで、積もる煩わしさは枚挙にいとまがない。


「私にはあんたの価値が分からないわ」

「すぐに分かるさ。リサに分かるように華麗に舞ってみせる」


 アラタはそう言いながら私の頭を撫でる。真っ直ぐに私に向けられたアラタの目は、子供に送るような優しい目をしていた。

 結局、いつもこうだ──どうして私は、こんな奴に子供扱いされてしまうのだろう。本当に心外で、納得がいかない。

 至近距離で見ると、アラタの額には大粒の汗が浮かんでいた。それに気付けば思いなしか、その顔が上気しているようにも見える。


「アラタ、もしかして走ってた?」

「ん? ああ、さすがに緊張するからな」


 私は呆れ半分でひんやりと思う。無鉄砲で無計画なこの幼なじみにも、緊張という感情があったのか、と。


「あんたが緊張っていう言葉を知ってた事に驚き。本当にびっくり」


 可愛げのない嫌味と共に、私の頭を撫で続ける手を払いのけた。少しは人目を気にしてほしいものだ。


「俺だって緊張する事はあるさ。リサとした時だって緊張したぞ」


 ん? した? 剣舞を? いや、私は剣舞の練習なんて一度たりとも──あっ。


「なっ? どこかへ行ってしまえ!」


 その言葉の意味を理解した瞬間、顔から火が出るような思いを味わった。アラタはこんなふうに、耳を疑うような台詞をサラッと吐き出す奴なのだ。惜しげもなく、恥ずかしげもなく、息をするみたいに吐き出す奴なのだ。

 動揺を隠せないままで慌てふためく私に、アラタはいたずらっ子のような笑みを送った。そして慌ただしい足取りで、拝殿の脇へと駆けていく。その後ろ姿を目送するだけの私。


 風のように去っていく彼は、「吹聴ふいちょうするなよ」と口止めする時間さえ与えなかった。そんな心配は杞憂だとでも言わんばかりに、笑みだけを残して去っていくのだった。

 冷たさを増した風が私の髪を揺らし、少しの冷静さを取り戻させる。それは夏の名残を残さない、乾いた優しい風だ。どこまでも自由な彼のように、透明で濁る事のない軽やかな風だ。


 アラタはいつだって、私に見せつける。私の持っていないものばかりを、いつだって魅せつける。

 私はそのたびに、この躰の内側で澱む、嫉妬にも似たたかぶりを知る羽目になる。そしてそのたびに、彼へと向けて放たれる、焦燥にも似た憧れを認める羽目になる。


「敬いが足りないのは、私の方か」


 後ろ髪を結い直しながら、そんな独り言を呟いた私。アラタによって唐突に撹拌かくはんされた想いを、そうすることでしずめようとしたのだろう。透明になれないこの心の幾分かを、どうにかして沈めようとしたのだろう。


 ふとそこで、神楽囃子の音が止んでいる事に気付いた。暗闇の中を流れていた軽快な龍笛の調べが、いつの間にかその存在を消している。

 それでも尚、情緒溢れる今宵の空気は存在していた。私の中の透明な部分が、無意味な伝統の意味を少しだけ見つけたような気分になる。


 それは錯覚か。

 それとも思い上がりか。


 薄闇の中で耳を澄ますと、先ほどの広場の方角から確かなざわめきが聞こえた。何重にも重なった人の声。寂れすぎたこの烏丸町が残す賑わい──体温。

 どうやら剣舞が始まるらしい。

 私は特に誰に見せるわけでもなく小さく肩を竦めてから、広場へと向けて歩き出した。




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