第三部 後の祭りを呪う

回顧15-01 真実の輪郭




「晴天晴天、絶好の降臨日和ね」


 見事なまでに突き抜けた秋晴れの空に向けて、私は独りごちた。右隣のアラタが、私の独り言を受け流しもせず「降臨日和って何だよ」と茶々を入れる。


「うるさいなぁ。本日はお日柄も良く──って意味よ」


 もちろん、決してふざけているわけでもない。ツクヨミ様と対峙するにあたって、『降霊』という言葉が適切でないのは明らかなのだから、ここはせめて『降臨』という言葉を使ってみただけの事だ。降霊だろうと降臨だろうと、そんな細かいニュアンスを気にするのは、内灘さんくらいのものだろう。

 ちなみに今日が『降臨日和』だという判断は、その内灘さんからこの数日間の間に授かった、ツクヨミ様に関する即席の知識から来ている。




 ツクヨミ様──ツクヨミノミコトは、月と夜の神様であり、それと同時に水と海の神様だそうだ。そういえば八景鏡塚でミシャグジ様が、『立派なお月さんの輝く夜にアイツに楯突こうだなんて、自殺行為に等しいぜ──』なんて言っていたっけ。

 内灘さん曰く、「神様というものが神格化された存在である以上、その能力は何かにっている。つまりは寄り偏っている──」らしい。ツクヨミ様が祀り上げられた詳しい経緯までは尋ねなかったけれど、要するにツクヨミ様が信仰されるに至った何某なにがしかの事情には、月だったり水だったりが深く関係していたという事だろう。




 だからこその、降臨日和。

 つまり今日、今この時間、内灘家の中庭において、ツクヨミ様に味方をする要素は無い。月も、夜も、水も、海も──何一つとして存在しない。皆無なのだ。


「お待たせ致しました。『時間は有限』などと常々説きながら、こちらが遅れてしまうとはお恥ずかしい限りです」


 あの宝物庫で初めて対面した時と同じように、全身を迷彩柄一色に染め上げた繰絡さんと、赤いボディスーツ姿の内灘さんが現れた。白昼の元に晒された姿は異質そのもので、戦闘服だと分かってはいても怪しさに身構えそうになる。


「繰絡さん。ミコトくんはまだ準備中ですか?」

「ええ、ミコトさんはまだお清めの最中です。念入りに沐浴をして頂くよう、螢子さんに介助して頂いております」


 繰絡さんのメガネにはめられた分厚いレンズが、太陽光を反射してきらりと光った。そのレンズを支えているのは、やはり迷彩柄のフレームだった。


「繰絡さんのメガネって、やっぱり迷彩柄だったんですね。あの時は薄暗くて、想像するしかありませんでした」

「えへへ、私はとことん形から入るタイプですからね。もっとも、こんなに明るくては迷彩色が悪目立ちしてしまいますが、それでもお隣の先生よりかはずっと良いでしょう?」


 それはまさに、そのとおりだった。比べるまでもなく、比べる価値さえもなく、繰絡さんの言うとおりだった。

 もしもこれが初対面だったなら、泥棒だとか盗人だとか勘ぐるまでもなく、私は一目散に逃げ出していただろう。真っ赤なボディスーツに身を包む内灘さんの姿は、そう断言出来るほどに飛び抜けて気色悪かったのだ。

 蔑むような私の目線に対して、内灘さんが抗議の声を上げる。


「おいおい、本当は俺の肉体美に興味津々なくせに、あんまり純情ぶるなよ」

「暗闇でも気持ち悪いのに勘弁してください。どの方向から見ても変質者です」

「……ああ、なるほどな。新太くんの前だからそう言うしかないわけか」


 やはり内灘さんは、人を苛つかせる天才だった。「黙ってないで何か言ってやってよ」とアラタを見やると、アラタは顎の下に手を当てて何かを考え込んでいた。


「アラタ、どうしたの?」


 私が問いかけるも、反応は無い。アラタは眉間に皺を寄せたまま、時折ぶつぶつと何かを呟いている。


「先生、新太さんが壊れてしまいました」

「俺たちの並外れた存在感を前にして、自分がいかに小者に過ぎないのか思い知らされたんじゃないか?」


 緊張感に欠けたやり取りには脇目も振らず、推理小説の名探偵のように考え込んだままのアラタ。ややあってから目線を上げたアラタは、内灘さんの顔を指差して口を開いた。そう、それこそ「犯人はお前だ」と言わんばかりの、理知的かつ懐疑的な態度で。


「やっと分かったぜ。おっさんと繰絡さんのその格好を見てさ、何かが引っ掛かったんだ。まさかそれが、俺がずっと感じてた違和感の正体だったなんて、驚くしかないけどな」


 内灘さんがゆっくりと目を見開き、アラタと向かい合う。一体何が始まるのかと見守るしかない私に、アラタが目配せをして頷いた。それは「黙って見ていろ」という意味合いのものだ。


「なぁおっさん──おっさんはどうしてあの日、つまり水主祀りの夜、その格好をしてたんだ? だってそうだろ。あらかじめ、何かが起きる事が分かっていたかのように──ツクヨミ様があの夜に顕現する事が分かっていたかのように、前もって戦闘服を着込んできたんだ。そりゃおかしいよ。今になって考えてみれば、あれは明らかにおかしい」

「ふむ、怪しさを隠すなら怪しさの中──と思ったんだが、こいつは参ったねぇ……」


 アラタの問いかけに、そして内灘さんの返答に、私の心臓がどくん、と脈打つ。


「こうなってくると、何もかもが怪しい。あっちもこっちも、大どんでん返しの可能性が出てくるぜ。あの晩、本当にリサは刀を運び間違えたのか? 例えば俺たちに刀が手渡された後、おっさんがこっそりすり替えた可能性は? それ以外にも、剣舞が終わった後──そう、俺が拝殿の入り口に刀を束ねておいた時なんかに、こっそりと刀をすり替えられた可能性も考えられる。だってそうだろ? 俺をはじめとする舞い手の四人は、誰もお師匠さんの刀じゃないって事に気付かなかったんだぜ。剣舞の時点では、刀は全てお師匠さんの刀だったと考える方が自然だろ」


 不敵な笑みを浮かべたまま、内灘さんがその先を促した。剣呑な眼差しのアラタが、その態度に苛立ちを隠さずに先を続ける。


「それに町長が言ってたぜ。が、屶鋼の役目なんだろ? おっさんがそれを知っていたとすれば、チャンスは幾らでもあるんだ。究極の話をすれば、リサの目の前でおっさんが刀をすり替えた可能性さえある。宝物庫に奉納するまでに刀がすり替えられてさえいれば、それはリサが言うところの『不手際』ってやつにあたるんだからな」

「ふははは、そうだな。守るべきルールが──従うべきしきたりが多過ぎて同情するよ。不手際に囲まれてさぞ息苦しいだろうな」


 哄笑を上げる内灘さんの姿は、どこか満足気だった。アラタの指摘など物ともせず、鷹揚に身構えている。


「おっさん、追い詰められたフリをするなら、もっとしっかりやってくれよ。いいぜ、俺が当ててやるよ。今回、リサの取った行動の一体何が『不手際』に該当したのか、俺がぴったりと言い当ててやる」


 啖呵を切るように放たれたアラタの言葉は、自信に満ち溢れていた。力強く明快な口調は、とてもはったりを言っているようには思えない。先ほどの長考の末に、アラタは何某かの結論に辿り着いたのだろう。

 固唾を飲んで続きを見守る。アラタに漲るその気迫に、内灘さんも、そして繰絡さんも言葉を発する事なく続きを見守っていた。


「リサもちゃんと聞いてろよ。いいか? 内灘のおっさんがケチをつけたせいで、リサは刀を持ち帰った。要するにあの晩、んだ。肝要なのは、多分ここだぜ。ツクヨミ様がご立腹なのは、安穏にかげりを感じて目覚めちまった理由は、ここなんだ。ツクヨミ様は、事にこそ、腹を立てたんじゃねーのか?」


 アラタの推測を聞いて、私は決定的な事実に行き当たる。

 だと、昨日の日中、爺じがはっきり認めたのだ。それならば、たとえだという事に変わりはない。だとすれば、剣舞の際にお父さんの刀が振るわれていても、たとえどの段階で刀がすり替えられていても、私は何もしきたりを違えていない事になる──事になる。


 その気付きは、アラタの推測の正しさを裏付けるには充分だった。私は思わず歯噛みする。爺じから話を聞いた昨日の時点で、本来ならば私が気付くべきだった。

 八景鏡塚での出来事を思い起こせば、ツクヨミ様は真っ先に私を狙っていた。考えてみればそれも当然なのだ。刀を一振り持ち出した私を狙っていたのは、必然とも言えるのだ。

 内灘さんは、両手を頭の上に上げて、苦笑いを浮かべながら言う。


「参ったねぇ新太くん。やはり君は隅に置けない──侮れないな。俺は認めざるを得ない。君の推測は、真実の輪郭を掠めている──射抜いていると言っても、過言ではないくらいに」

「いけ好かねぇおっさんだぜ。あんたさえ居なければ──あんたが宝物庫に現れさえしなければ、そもそも何も起きなかったって言うんだから、少しも笑えねー」


 怒気を孕んだアラタの口調が、内灘さんを責め立てる。しかし内灘さんは、風に揺られたすすきのように、しなやかで飄々とした態度を以ってしてそれを躱すのだった。


「確かにそうだな。俺はあらゆる意味で黒幕──あるいは元凶と名乗っても良いだろう。そう名乗ったところで、おそらく誰も咎めはしない。俺はミコトを救うために、ツクヨミの力に縋るしかなかった。平和に呆けた産土神うぶすながみに目を覚ましてもらうために、梨沙ちゃんを少しばかり利用させてもらった」


 短い舌打ちを挟んだアラタが、私に問いかける。


「ったく、ふざけたおっさんだぜ──リサ、どうする? どうやらこの物語は、最初からおっさんの掌の上だ。それに気付いたところで、リサ、お前は一体どうする?」


 私を見詰めるアラタの、真っ直ぐで澱みの無い視線。

 内灘さんの言う通り、本当にアラタは隅に置けない。だってアラタは──私がどんな返答をするのかまでをきっと見抜いているのだ。そんなアラタに、初めて恐ろしさのような感情を覚えた。推理役という、らしくもない事をさせてしまった申し訳無さも相まって、私は複雑な微笑みと共に答える。


「ありがとうアラタ。……大丈夫、何も変わらないよ。たとえ内灘さんの掌の上でも──自分の愚かさに責任を取らなくちゃいけない事も、ミコトくんを救わなくちゃいけない事も、何も変わらない」


 そうだ、何も変わらない。内灘さんや繰絡さんが私をたばかったのだとしても、不思議と怒りも湧いてこない。神様さえも利用しようとした二人には、怒りも呆れも軽々と通り越して、一周回って賞賛の念さえも感じてしまうくらいだ。


 それは、ある種の清々しさに似ている。


「内灘さん、あなたはあなたにとっての『向かい合うべき現実』に、『目を背けてはいけない現実』に、どんな形であれ向かい合った。ミコトくんを救うためなら、あなたは手段を選ぶ事もいとわなかった──いえ、選んでいる場合ではなかった。そこを責める資格は私にありません。もちろん、繰絡さんの事も──」

「梨沙ちゃん……」


 分厚いメガネの奥の、わずかに潤んだ瞳を直視する。どんな事情もどんな理由も、今更求めたりはしない。そしてアラタも、私と同じ気持ちで居てくれると信じている。


「救いますよ。そして終わらせます。黒幕なら黒幕らしく、きちんと最後まで面倒を見てください」


 精一杯の笑顔を浮かべたつもりだったけれど、果たして成功しているだろうか。緩慢な動作で頭を掻きながら、内灘さんがにこやかに答えた。


「もちろんさ、最初からそういう契約だからな。仮に俺や糸織が朽ちても、ミコトと梨沙ちゃんは生き残るさ──俺たちが救ってみせる」

「えへへ、先生と私は一蓮托生です。最後まで添い遂げますよ」


 愛の告白とも取れるその言葉に、内灘さんが苦い表情を垣間見せる。しかしもっとも苦い表情を浮かべたのは、身の安全を保障されなかったアラタだった。


「おっさんの契約って、『ツクヨミの撃退』だよな? 今更だけど、その中に俺の安全は含まれてないのか?」

「あん? 新太くんは自発的に手伝ってくれているだけじゃなかったか?」


 意地の悪い笑顔に交渉の余地がないと判断したのか、アラタは開き直った態度で話題を変えた。


「なぁおっさん、念のため聞いておくぜ。他には無いよな? 俺たちに語っていない事実は、もう他に無いんだろうな」

「まったく恐れ入るよ。新太くんはおっかないね」

「って、あるのかよ」


 精彩を欠いたアラタの突っ込みが弱々しく響く。内灘さんのような底の知れない人には、念には念を入れて十回でも百回でも問い直した方が良いのかもしれない。


「新太くんにネタばらしされたついでに、語り損ねた最後のリスクを語っておこう。なぁに、そんなに心配しなくても良いさ。俺が今から語るのは、めでたく大成功を納めた後のリスクだ」


 大成功した後のリスク──そんなものは考えた事も無かった。すべてが上手くいけば、めでたしめでたしではないのだろうか。少なくとも私が何らかの代償を払うくらいで、他に何があるというのだろうか。



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